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第二部
パーフェクト・ワールド・レインⅤ ①
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[5]
オメガの幸せは、優しく優秀なアルファに選ばれることだ。そう、したり顔で諭す大人が大嫌いだった。
それなのに同じことをしようとしているのだから、我ながら勝手なものだと思う。約束どおり寮室を訪れてくれた後輩に、罪悪感を押し隠したまま成瀬は口火を切った。
「皓太に話すのは難しいかな」
え、と小さく驚いたように呟いたきり黙り込んだ行人に、「もちろん」と懐柔するように付け加える。
「無理にとは言わないし、行人の判断に任せるけど」
「それって、第二の性の話ですよね」
沈黙のあとに返ってきたのは、いつもより数段固い声音だった。その強張りに触れることなく、ただ静かに頷いてみせる。今度はいくら待っても、言葉は返ってこなかった。
唇をぎゅっと引き結んだ姿がどうにも頼りなく見えて、最大限優しく響きそうな調子を選んで話しかける。優しいように見せることだけは、昔から得意なのだ。
「俺が言うのもなんだけど、皓太は信用できると思うよ」
「……それは、わかりますけど」
でも、なんで急に、という戸惑いがにじんでいる。あたりまえだ。こんなこと、そもそもとして他人が口を出すことじゃない。すべて承知の上で、成瀬は続けた。
「隠し続けることが難しい時期が来てるんじゃないかなと、そう思って」
「それは、……」
「きちんと薬を飲んでいても、発情期は完全に抑えられるものではないよね?」
「服用は、ちゃんとしてます」
「でも、困ってることとかはない? どれだけちゃんとしようとしていても、イレギュラーは起こりうるから」
「大丈夫です。なにも、本当に」
「行人を疑ってるわけじゃないよ」
想像していた以上に頑なな態度に、追及の手をゆるめてほほえむ。抑制剤の紛失を、自分の不始末だと考えているのかもしれない。
――なら、それはいいか。
無理やりにでも認めさせないといけないようなことではない。どちらにせよ、いまさらな話だからだ。茅野が部屋に入った誰かを見つけたとしても、行人がなにを盗られたのか言えるはずもない。それに、もう十日以上前の話だ。
仮に手持ちの薬をすべて盗まれていたとしても、新しいものもすでに手元に届いているだろう。そうであるのなら、蒸し返してもなんの意味もない。
残る気がかりはあるが、今のもの以上にデリケートな話になってしまうし、しっかりと話さないといけないと思っていたのは、もうひとつのほうだ。
だから、まっすぐに後輩の瞳を見つめたまま、言い諭すように告げる。
「行人がしっかりしてるのは知ってる。でも……、繰り返しになるけど、万が一は誰にだって起こりうる。だから、そのときに同室者が味方だったら心強いんじゃないかと俺は思う」
行人が卒業するまで、自分がここにいられるというのなら別だが、そうではない。だから、言わないといけなかった。
状況は刻一刻と変化しているし、行人と水城は同学年だ。成瀬が来春に卒業したあとも丸二年同じ場所で過ごすことになる。
だから、自分以外にも秘密を共有できる相手がいたほうがいい。それは必ず行人自身の助けになる。余計なお世話だともわかっているけれど、本心でそう考えていた。
ふたりきりの部屋に、時計の針が時間を刻む音が響いていた。どのくらい経っただろうか。ようやく顔を上げた行人が、言葉を選ぶようにして話し出した。
「高等部に上がってから、まだ半年も経ってないですけど。それでも、今のここがちょっとおかしいのはわかります。すみません、おかしいと言うと成瀬さんに失礼かもしれないですけど」
「大丈夫。気にしなくていいから、続けて」
「ありがとうございます。あの、それで、……だから、成瀬さんがなんで俺にそんなことを言うのかもわかるつもりです。心配してくれてるんだってことも」
「うん」
「高藤がいいやつだってことも知ってます。わかってます、でも」
そこで一度声が途切れる。膝の上に置かれた拳は、きつく握りしめられていた。
「だからこそ言いたくないです」
「そっか」
はっきりと言い切られてしまえば、それ以上の無理強いはできなかった。
言い含めることは不可能ではないし、今後のことを思えば皓太に話すべきだと思う。この子たちはうまくいくとも思う。でも。
一歩踏み込んで話ができただけでよしとするしかないな、と成瀬は割り切った。
もとより、すぐに決めることができるようなものではない。状況は変わっていても、まだそうやって悩むくらいの猶予はある。そのあいだに今した話の方向に舵を切ってくれたら、とは思うけれど。
「行人がそう言うなら、しかたないな」
「すみません」
恐縮したように尻すぼみになっていく声に、気にすることはないと優しい先輩の顔でほほえむ。
「謝らなくていいから。その代わり、なにかあったらちゃんと俺に相談して。あと、それと、頭の片隅にでも今の話を残しておいてくれたらうれしいけど」
「ありがとうございます。……すみません、俺、成瀬さんに迷惑かけてばっかりで」
「迷惑と思ったことは、一度もないよ」
今日のことも、みささぎ祭のことも、何年も前の夜のことも。迷惑を被ったと感じたことは一度もない。建前でもなんでもなくそれが事実だ。
「行人は、俺のかわいい後輩だから」
オメガ性の後輩であるという点では水城も同じなのに、彼に対してこうは思えない。
こんな自分を慕ってくれる後輩だから守ってやりたいと思うし、意思を尊重したいと思う。変わらないでいてほしいと願うし、そのために力になってやりたいとも思う。それだけだった。
「そう、ですか」
「行人?」
妙に苦しそうな声が気にかかって、うつむいた顔をのぞきこむ。昼間に廊下で会ったときも思ったが、あまりいい顔色をしていない。
――手持ちの薬が切れてから、どのくらいで新しいものが届いたんだろうな。
オメガの幸せは、優しく優秀なアルファに選ばれることだ。そう、したり顔で諭す大人が大嫌いだった。
それなのに同じことをしようとしているのだから、我ながら勝手なものだと思う。約束どおり寮室を訪れてくれた後輩に、罪悪感を押し隠したまま成瀬は口火を切った。
「皓太に話すのは難しいかな」
え、と小さく驚いたように呟いたきり黙り込んだ行人に、「もちろん」と懐柔するように付け加える。
「無理にとは言わないし、行人の判断に任せるけど」
「それって、第二の性の話ですよね」
沈黙のあとに返ってきたのは、いつもより数段固い声音だった。その強張りに触れることなく、ただ静かに頷いてみせる。今度はいくら待っても、言葉は返ってこなかった。
唇をぎゅっと引き結んだ姿がどうにも頼りなく見えて、最大限優しく響きそうな調子を選んで話しかける。優しいように見せることだけは、昔から得意なのだ。
「俺が言うのもなんだけど、皓太は信用できると思うよ」
「……それは、わかりますけど」
でも、なんで急に、という戸惑いがにじんでいる。あたりまえだ。こんなこと、そもそもとして他人が口を出すことじゃない。すべて承知の上で、成瀬は続けた。
「隠し続けることが難しい時期が来てるんじゃないかなと、そう思って」
「それは、……」
「きちんと薬を飲んでいても、発情期は完全に抑えられるものではないよね?」
「服用は、ちゃんとしてます」
「でも、困ってることとかはない? どれだけちゃんとしようとしていても、イレギュラーは起こりうるから」
「大丈夫です。なにも、本当に」
「行人を疑ってるわけじゃないよ」
想像していた以上に頑なな態度に、追及の手をゆるめてほほえむ。抑制剤の紛失を、自分の不始末だと考えているのかもしれない。
――なら、それはいいか。
無理やりにでも認めさせないといけないようなことではない。どちらにせよ、いまさらな話だからだ。茅野が部屋に入った誰かを見つけたとしても、行人がなにを盗られたのか言えるはずもない。それに、もう十日以上前の話だ。
仮に手持ちの薬をすべて盗まれていたとしても、新しいものもすでに手元に届いているだろう。そうであるのなら、蒸し返してもなんの意味もない。
残る気がかりはあるが、今のもの以上にデリケートな話になってしまうし、しっかりと話さないといけないと思っていたのは、もうひとつのほうだ。
だから、まっすぐに後輩の瞳を見つめたまま、言い諭すように告げる。
「行人がしっかりしてるのは知ってる。でも……、繰り返しになるけど、万が一は誰にだって起こりうる。だから、そのときに同室者が味方だったら心強いんじゃないかと俺は思う」
行人が卒業するまで、自分がここにいられるというのなら別だが、そうではない。だから、言わないといけなかった。
状況は刻一刻と変化しているし、行人と水城は同学年だ。成瀬が来春に卒業したあとも丸二年同じ場所で過ごすことになる。
だから、自分以外にも秘密を共有できる相手がいたほうがいい。それは必ず行人自身の助けになる。余計なお世話だともわかっているけれど、本心でそう考えていた。
ふたりきりの部屋に、時計の針が時間を刻む音が響いていた。どのくらい経っただろうか。ようやく顔を上げた行人が、言葉を選ぶようにして話し出した。
「高等部に上がってから、まだ半年も経ってないですけど。それでも、今のここがちょっとおかしいのはわかります。すみません、おかしいと言うと成瀬さんに失礼かもしれないですけど」
「大丈夫。気にしなくていいから、続けて」
「ありがとうございます。あの、それで、……だから、成瀬さんがなんで俺にそんなことを言うのかもわかるつもりです。心配してくれてるんだってことも」
「うん」
「高藤がいいやつだってことも知ってます。わかってます、でも」
そこで一度声が途切れる。膝の上に置かれた拳は、きつく握りしめられていた。
「だからこそ言いたくないです」
「そっか」
はっきりと言い切られてしまえば、それ以上の無理強いはできなかった。
言い含めることは不可能ではないし、今後のことを思えば皓太に話すべきだと思う。この子たちはうまくいくとも思う。でも。
一歩踏み込んで話ができただけでよしとするしかないな、と成瀬は割り切った。
もとより、すぐに決めることができるようなものではない。状況は変わっていても、まだそうやって悩むくらいの猶予はある。そのあいだに今した話の方向に舵を切ってくれたら、とは思うけれど。
「行人がそう言うなら、しかたないな」
「すみません」
恐縮したように尻すぼみになっていく声に、気にすることはないと優しい先輩の顔でほほえむ。
「謝らなくていいから。その代わり、なにかあったらちゃんと俺に相談して。あと、それと、頭の片隅にでも今の話を残しておいてくれたらうれしいけど」
「ありがとうございます。……すみません、俺、成瀬さんに迷惑かけてばっかりで」
「迷惑と思ったことは、一度もないよ」
今日のことも、みささぎ祭のことも、何年も前の夜のことも。迷惑を被ったと感じたことは一度もない。建前でもなんでもなくそれが事実だ。
「行人は、俺のかわいい後輩だから」
オメガ性の後輩であるという点では水城も同じなのに、彼に対してこうは思えない。
こんな自分を慕ってくれる後輩だから守ってやりたいと思うし、意思を尊重したいと思う。変わらないでいてほしいと願うし、そのために力になってやりたいとも思う。それだけだった。
「そう、ですか」
「行人?」
妙に苦しそうな声が気にかかって、うつむいた顔をのぞきこむ。昼間に廊下で会ったときも思ったが、あまりいい顔色をしていない。
――手持ちの薬が切れてから、どのくらいで新しいものが届いたんだろうな。
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