パーフェクトワールド

木原あざみ

文字の大きさ
上 下
84 / 484
第二部

パーフェクト・ワールド・レインⅤ ①

しおりを挟む
[5]


 オメガの幸せは、優しく優秀なアルファに選ばれることだ。そう、したり顔で諭す大人が大嫌いだった。
 それなのに同じことをしようとしているのだから、我ながら勝手なものだと思う。約束どおり寮室を訪れてくれた後輩に、罪悪感を押し隠したまま成瀬は口火を切った。

「皓太に話すのは難しいかな」

 え、と小さく驚いたように呟いたきり黙り込んだ行人に、「もちろん」と懐柔するように付け加える。

「無理にとは言わないし、行人の判断に任せるけど」
「それって、第二の性の話ですよね」

 沈黙のあとに返ってきたのは、いつもより数段固い声音だった。その強張りに触れることなく、ただ静かに頷いてみせる。今度はいくら待っても、言葉は返ってこなかった。
 唇をぎゅっと引き結んだ姿がどうにも頼りなく見えて、最大限優しく響きそうな調子を選んで話しかける。優しいように見せることだけは、昔から得意なのだ。

「俺が言うのもなんだけど、皓太は信用できると思うよ」
「……それは、わかりますけど」

 でも、なんで急に、という戸惑いがにじんでいる。あたりまえだ。こんなこと、そもそもとして他人が口を出すことじゃない。すべて承知の上で、成瀬は続けた。

「隠し続けることが難しい時期が来てるんじゃないかなと、そう思って」
「それは、……」
「きちんと薬を飲んでいても、発情期は完全に抑えられるものではないよね?」
「服用は、ちゃんとしてます」
「でも、困ってることとかはない? どれだけちゃんとしようとしていても、イレギュラーは起こりうるから」
「大丈夫です。なにも、本当に」
「行人を疑ってるわけじゃないよ」

 想像していた以上に頑なな態度に、追及の手をゆるめてほほえむ。抑制剤の紛失を、自分の不始末だと考えているのかもしれない。

 ――なら、それはいいか。

 無理やりにでも認めさせないといけないようなことではない。どちらにせよ、いまさらな話だからだ。茅野が部屋に入った誰かを見つけたとしても、行人がなにを盗られたのか言えるはずもない。それに、もう十日以上前の話だ。
 仮に手持ちの薬をすべて盗まれていたとしても、新しいものもすでに手元に届いているだろう。そうであるのなら、蒸し返してもなんの意味もない。
 残る気がかりはあるが、今のもの以上にデリケートな話になってしまうし、しっかりと話さないといけないと思っていたのは、もうひとつのほうだ。
 だから、まっすぐに後輩の瞳を見つめたまま、言い諭すように告げる。

「行人がしっかりしてるのは知ってる。でも……、繰り返しになるけど、万が一は誰にだって起こりうる。だから、そのときに同室者が味方だったら心強いんじゃないかと俺は思う」

 行人が卒業するまで、自分がここにいられるというのなら別だが、そうではない。だから、言わないといけなかった。
 状況は刻一刻と変化しているし、行人と水城は同学年だ。成瀬が来春に卒業したあとも丸二年同じ場所で過ごすことになる。
 だから、自分以外にも秘密を共有できる相手がいたほうがいい。それは必ず行人自身の助けになる。余計なお世話だともわかっているけれど、本心でそう考えていた。
 ふたりきりの部屋に、時計の針が時間を刻む音が響いていた。どのくらい経っただろうか。ようやく顔を上げた行人が、言葉を選ぶようにして話し出した。

「高等部に上がってから、まだ半年も経ってないですけど。それでも、今のここがちょっとおかしいのはわかります。すみません、おかしいと言うと成瀬さんに失礼かもしれないですけど」
「大丈夫。気にしなくていいから、続けて」
「ありがとうございます。あの、それで、……だから、成瀬さんがなんで俺にそんなことを言うのかもわかるつもりです。心配してくれてるんだってことも」
「うん」 
「高藤がいいやつだってことも知ってます。わかってます、でも」

 そこで一度声が途切れる。膝の上に置かれた拳は、きつく握りしめられていた。

「だからこそ言いたくないです」
「そっか」

 はっきりと言い切られてしまえば、それ以上の無理強いはできなかった。

 言い含めることは不可能ではないし、今後のことを思えば皓太に話すべきだと思う。この子たちはうまくいくとも思う。でも。
 一歩踏み込んで話ができただけでよしとするしかないな、と成瀬は割り切った。
 もとより、すぐに決めることができるようなものではない。状況は変わっていても、まだそうやって悩むくらいの猶予はある。そのあいだに今した話の方向に舵を切ってくれたら、とは思うけれど。

「行人がそう言うなら、しかたないな」
「すみません」

 恐縮したように尻すぼみになっていく声に、気にすることはないと優しい先輩の顔でほほえむ。

「謝らなくていいから。その代わり、なにかあったらちゃんと俺に相談して。あと、それと、頭の片隅にでも今の話を残しておいてくれたらうれしいけど」
「ありがとうございます。……すみません、俺、成瀬さんに迷惑かけてばっかりで」
「迷惑と思ったことは、一度もないよ」

 今日のことも、みささぎ祭のことも、何年も前の夜のことも。迷惑を被ったと感じたことは一度もない。建前でもなんでもなくそれが事実だ。

「行人は、俺のかわいい後輩だから」

 オメガ性の後輩であるという点では水城も同じなのに、彼に対してこうは思えない。
 こんな自分を慕ってくれる後輩だから守ってやりたいと思うし、意思を尊重したいと思う。変わらないでいてほしいと願うし、そのために力になってやりたいとも思う。それだけだった。

「そう、ですか」
「行人?」

 妙に苦しそうな声が気にかかって、うつむいた顔をのぞきこむ。昼間に廊下で会ったときも思ったが、あまりいい顔色をしていない。

 ――手持ちの薬が切れてから、どのくらいで新しいものが届いたんだろうな。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

とある金持ち学園に通う脇役の日常~フラグより飯をくれ~

無月陸兎
BL
山奥にある全寮制男子校、桜白峰学園。食べ物目当てで入学した主人公は、学園の権力者『REGAL4』の一人、一条貴春の不興を買い、学園中からハブられることに。美味しい食事さえ楽しめれば問題ないと気にせず過ごしてたが、転入生の扇谷時雨がやってきたことで、彼の日常は波乱に満ちたものとなる──。 自分の親友となった時雨が学園の人気者たちに迫られるのを横目で見つつ、主人公は巻き込まれて恋人のフリをしたり、ゆるく立ちそうな恋愛フラグを避けようと奮闘する物語です。

嫌われものの僕について…

相沢京
BL
平穏な学校生活を送っていたはずなのに、ある日突然全てが壊れていった。何が原因なのかわからなくて気がつけば存在しない扱いになっていた。 だか、ある日事態は急変する 主人公が暗いです

【BL】男なのにNo.1ホストにほだされて付き合うことになりました

猫足
BL
「浮気したら殺すから!」 「できるわけがないだろ……」 相川優也(25) 主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。 碧スバル(21) 指名ナンバーワンの美形ホスト。博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その結果、恋人に昇格。 「僕、そのへんの女には負ける気がしないから。こんな可愛い子、ほかにいるわけないしな!」 「スバル、お前なにいってんの…?」 美形病みホスと平凡サラリーマンの、付き合いたてカップルの日常。 ※【男なのになぜかNo. 1ホストに懐かれて困ってます】の続編です。

王道学園にブラコンが乗り込んでいくぅ!

玉兎
BL
弟と同じ学校になるべく王道学園に編入した男の子のお話。

私の事を調べないで!

さつき
BL
生徒会の副会長としての姿と 桜華の白龍としての姿をもつ 咲夜 バレないように過ごすが 転校生が来てから騒がしくなり みんなが私の事を調べだして… 表紙イラストは みそかさんの「みそかのメーカー2」で作成してお借りしています↓ https://picrew.me/image_maker/625951

オネェ言葉男子っておいしすぎじゃん?

トマト嫌い
BL
オネェ言葉の男子がちょっとカオスな学園で無自覚にまわりをたらしこむ話_____________ ちょっとえっちぃとこの話も投稿すると思います! ただただかいてみたかったお話です。 というか読んでみたいなって作者の欲望でかきはじめたので色々たりなかったりしてしまうこともあるかと思いますが楽しんでいただけたらとっても幸せです! ※学生の身なので不定期に投稿すると思います。 出来るだけ間を空けずに投稿できるよう努力します!

チャラ男会計目指しました

岬ゆづ
BL
編入試験の時に出会った、あの人のタイプの人になれるように………… ――――――それを目指して1年3ヶ月 英華学園に高等部から編入した齋木 葵《サイキ アオイ 》は念願のチャラ男会計になれた 意中の相手に好きになってもらうためにチャラ男会計を目指した素は真面目で素直な主人公が王道学園でがんばる話です。 ※この小説はBL小説です。 苦手な方は見ないようにお願いします。 ※コメントでの誹謗中傷はお控えください。 初執筆初投稿のため、至らない点が多いと思いますが、よろしくお願いします。 他サイトにも掲載しています。

悪役令息の兄には全てが視えている

翡翠飾
BL
「そういえば、この間臣麗くんにお兄さんが居るって聞きました!意外です、てっきり臣麗くんは一人っ子だと思っていたので」 駄目だ、それを言っては。それを言ったら君は───。 大企業の御曹司で跡取りである美少年高校生、神水流皇麗。彼はある日、噂の編入生と自身の弟である神水流臣麗がもめているのを止めてほしいと頼まれ、そちらへ向かう。けれどそこで聞いた編入生の言葉に、酷い頭痛を覚え前世の記憶を思い出す。 そして彼は気付いた、現代学園もののファンタジー乙女ゲームに転生していた事に。そして自身の弟は悪役令息。自殺したり、家が没落したり、殺人鬼として少年院に入れられたり、父に勘当されキャラ全員を皆殺しにしたり───?!?!しかもそんな中、皇麗はことごとく死亡し臣麗の闇堕ちに体よく使われる?! 絶対死んでたまるか、臣麗も死なせないし人も殺させない。臣麗は僕の弟、だから僕の使命として彼を幸せにする。 僕の持っている予知能力で、全てを見透してみせるから───。 けれど見えてくるのは、乙女ゲームの暗い闇で?! これは人が能力を使う世界での、予知能力を持った秀才美少年のお話。

処理中です...