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第二部
パーフェクト・ワールド・レインⅣ ③
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――ここを変える、か。
出逢って――、あの約束を交わしてから半年ほどが経ったころに、あの男が大真面目な顔で言っていたことだ。上に立った人間の思想が正義だと、いかにもアルファといった顔で笑っていた。真理ではあると思う。
そうして実際に、ここは変わった。乾いた声で笑って、煙草に火をつける。
うかがう視線を無視し続けていると、諦めたような溜息ひとつで茅野が手すりから手を離した。「先に戻るからな」という一言を最後に屋上の扉が閉まる。
ようやくひとりになった空間で、向原は深く紫煙を吐き出した。
魔窟とはよく言ったものだ、と思いながら。
水城春弥が典型的な「かわいそうなオメガ」だということは知っていた。水城の存在を知ってすぐに経歴をさらったからだ。
ここに来るまで苦労の多い人生だったようだが、オメガであれば珍しいことではない。アルファと結婚し社会的な幸せを得ることができるオメガは、決して多くないのだ。
現に、水城は恵まれた家庭の生まれではない。アルファに捨てられた母親が女手ひとりで育ていたようだが、その母親も情緒不安定でネグレクト気味だったらしいと聞いた。
そんなふうだった環境から抜け出すために、特待生の座を掴んだのだろう。努力家だが、野心家だ。
その野心でもって、あれはここを壊す。入学式の朝、一目見たときにわかった。あのオメガはここを内部から壊していく存在になる、と。
頑なに成瀬が使わなかった第二の性を思う存分に利用するやり方で、成瀬がつくりあげた「ここ」を。
平和で平等な学園が、水城は気に入らなかったはずだ。
恵まれたお坊ちゃまが平和に青春を謳歌している現状もだろうが、なによりも、オメガもアルファも平等だとする成瀬のやり方が気に食わなかったことだろう。
なにしろ、主導しているのが自分とは違う「恵まれたオメガ」なのだ。笑顔の裏からにじみ出る敵意が、言葉にせずとも向原に教えていた。
とはいえ、とも思う。気に食わないと感じる気持ちはわからなくもない。変なのは、あの男のほうなのだ。
ぱらり、と宙に舞った灰が地上へと落ちていく。その行方を追いながら、向原は半月ほど前のことを思い出していた。
その、かわいそうなオメガに想いを告げられた日のことを。
自分の周りに水城が出没するようになったのは、みささぎ祭が終わってしばらくしてからだった。
篠原などは嫌な顔を隠しもせず「追い払えよ」と口うるさかったが、向原は好きにさせていた。その許容にいち早く気がついたのは、あのオメガだった。
こちらがひとりのときばかりを狙って会いにくるようになった。甘い匂いを振りまきながら近づいてくるオメガに好きだと言われたのは、そんな逢瀬が幾度か続いた日のことだった。
赤く染まった顔を見下ろしたまま、向原は口元に小さな笑みを浮かべた。
「悪いけど、ここでつがいを選ぶ気はないから」
「そう、ですか」
ていのいい断り文句に、消沈したふうに水城が肩を落とす。場所は同じ屋上だった。
自分の根城のように評されているせいでめったに生徒が立ち入らないはずのここにも、平気な顔で水城はやってくるようになっていた。
どこぞの馬鹿と違って、警戒していないのではない。フェロモンを駆使して絡め取りたいのだ。あわよくばを望んでいる。
「あの、それって」
少しの間のあとで、水城が意を決したように顔を上げた。
「会長がいるからですか」
「なんで?」
「僕の寮の三年生の先輩たちが言っていたことを思い出したんです。あなたと会長は中等部のころからずっと一緒にいるって。まるで」
そこまで言っておいて、自分の口からはそれ以上は言えないというふうに黙り込む。じっと見上げてくる瞳には、一言では言い表せない様々な感情が交ざっていた。似ていると思ったのはそのときだった。
仮面の下に隠しきれていない、利己的でいて物欲しそうな瞳。似ているのはあの男だ。ずっと自分を敵視している、風紀委員長。そしてこのオメガもきっとそのことを知っている。
どうするのが一番おもしろいだろうか。思案してから、意味深に囁くことを向原は選んだ。
出逢って――、あの約束を交わしてから半年ほどが経ったころに、あの男が大真面目な顔で言っていたことだ。上に立った人間の思想が正義だと、いかにもアルファといった顔で笑っていた。真理ではあると思う。
そうして実際に、ここは変わった。乾いた声で笑って、煙草に火をつける。
うかがう視線を無視し続けていると、諦めたような溜息ひとつで茅野が手すりから手を離した。「先に戻るからな」という一言を最後に屋上の扉が閉まる。
ようやくひとりになった空間で、向原は深く紫煙を吐き出した。
魔窟とはよく言ったものだ、と思いながら。
水城春弥が典型的な「かわいそうなオメガ」だということは知っていた。水城の存在を知ってすぐに経歴をさらったからだ。
ここに来るまで苦労の多い人生だったようだが、オメガであれば珍しいことではない。アルファと結婚し社会的な幸せを得ることができるオメガは、決して多くないのだ。
現に、水城は恵まれた家庭の生まれではない。アルファに捨てられた母親が女手ひとりで育ていたようだが、その母親も情緒不安定でネグレクト気味だったらしいと聞いた。
そんなふうだった環境から抜け出すために、特待生の座を掴んだのだろう。努力家だが、野心家だ。
その野心でもって、あれはここを壊す。入学式の朝、一目見たときにわかった。あのオメガはここを内部から壊していく存在になる、と。
頑なに成瀬が使わなかった第二の性を思う存分に利用するやり方で、成瀬がつくりあげた「ここ」を。
平和で平等な学園が、水城は気に入らなかったはずだ。
恵まれたお坊ちゃまが平和に青春を謳歌している現状もだろうが、なによりも、オメガもアルファも平等だとする成瀬のやり方が気に食わなかったことだろう。
なにしろ、主導しているのが自分とは違う「恵まれたオメガ」なのだ。笑顔の裏からにじみ出る敵意が、言葉にせずとも向原に教えていた。
とはいえ、とも思う。気に食わないと感じる気持ちはわからなくもない。変なのは、あの男のほうなのだ。
ぱらり、と宙に舞った灰が地上へと落ちていく。その行方を追いながら、向原は半月ほど前のことを思い出していた。
その、かわいそうなオメガに想いを告げられた日のことを。
自分の周りに水城が出没するようになったのは、みささぎ祭が終わってしばらくしてからだった。
篠原などは嫌な顔を隠しもせず「追い払えよ」と口うるさかったが、向原は好きにさせていた。その許容にいち早く気がついたのは、あのオメガだった。
こちらがひとりのときばかりを狙って会いにくるようになった。甘い匂いを振りまきながら近づいてくるオメガに好きだと言われたのは、そんな逢瀬が幾度か続いた日のことだった。
赤く染まった顔を見下ろしたまま、向原は口元に小さな笑みを浮かべた。
「悪いけど、ここでつがいを選ぶ気はないから」
「そう、ですか」
ていのいい断り文句に、消沈したふうに水城が肩を落とす。場所は同じ屋上だった。
自分の根城のように評されているせいでめったに生徒が立ち入らないはずのここにも、平気な顔で水城はやってくるようになっていた。
どこぞの馬鹿と違って、警戒していないのではない。フェロモンを駆使して絡め取りたいのだ。あわよくばを望んでいる。
「あの、それって」
少しの間のあとで、水城が意を決したように顔を上げた。
「会長がいるからですか」
「なんで?」
「僕の寮の三年生の先輩たちが言っていたことを思い出したんです。あなたと会長は中等部のころからずっと一緒にいるって。まるで」
そこまで言っておいて、自分の口からはそれ以上は言えないというふうに黙り込む。じっと見上げてくる瞳には、一言では言い表せない様々な感情が交ざっていた。似ていると思ったのはそのときだった。
仮面の下に隠しきれていない、利己的でいて物欲しそうな瞳。似ているのはあの男だ。ずっと自分を敵視している、風紀委員長。そしてこのオメガもきっとそのことを知っている。
どうするのが一番おもしろいだろうか。思案してから、意味深に囁くことを向原は選んだ。
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