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第二部
パーフェクト・ワールド・レインⅢ ①
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[3]
食堂にひとり立ち尽くしている小柄な後ろ姿に気がついて、あれと首を捻る。行人である。
消灯時間を過ぎているわけでもないし、ひとりになることのできる場所を求めてここにいるのなら、そっと立ち去るべきかもしれない。
悩んだものの、どうにも気落ちした雰囲気が気になって、成瀬は声をかけることを選んだ。
「行人」
「あ、……成瀬さん」
振り向いた顔が浮かべた笑顔は、どこかぎこちないものだった。幼馴染みから聞いた鍵の話を連想してしまって、そっとほほえみかける。
そういえば、最近はあまり話せていなかった。
「どうした? また鍵でもなくした?」
「なんで知って……。高藤ですか? あいつ、口軽すぎ」
「たまたまだよ。皓太が、茅野に鍵の付け替えの相談をしたときに俺も隣にいたから。それだけ」
「それも俺はいいって言ったんですよ。茅野さんに報告するようなことじゃないし。それなのに勝手に相談して、付け替えも勝手に。安心料だって思えば安いからって」
「付け替え料で安心が買えるなら安いもんじゃないかって言ったのは俺だけど」
「……その、すみません」
バツの悪い顔に、つい笑みがもれてしまった。恐縮に拍車がかかった様子に、からかいすぎたことを謝ってから、気になっていたもうひとつを問いかける。
「でも、大丈夫? 皓太も心配してたけど」
「高藤が、ですか」
「うん。心配というか、気にしてたというか。ちょっと苛々してるのかな、とは俺も話してて思ったかな」
「すみません、そのたいしたことじゃないんですけど」
少しの間のあとで、行人はそう認めた。ぎこちなさを拭えていない笑顔のまま、ぽそりぽそりと言葉を続ける。
「いろいろ積み重なったというか、それで。鍵がなんで見つからなかったのかも、よくわからないし。いまさらなんですけど、それもちょっと気になっちゃって」
「ここでなくしたんだっけ」
寮の食堂での置き忘れなら、誰かが見つけてくれる公算が大きかっただろうけれど。ぐるりと食堂を見渡すと、行人も同じように視線を動かした。
使用するのは基本的に寮生だけだし、掃除も毎日されている。なにか忘れ物があれば寮長のところに届くはずだ。そう考えると、「なんでだろう」と疑問を抱いても不思議はない。
「校舎から戻ってきたときは、まちがいなく自分の鍵で部屋に入ったんです。だから、置き忘れたとしたら、食堂しか考えられないんですけど」
「そっか。行人、もし気になるなら……」
「でも、大丈夫です。すみません。鍵も付け替えたんだし。そういえば、成瀬さんはどうしてここに?」
「うん、ちょっと」
思いきり提案を遮られてしまった。そのまま強引に変わった話題に、成瀬は小さく笑った。
皓太も「あいつは頑固だから認めない」と評していたけれど、この一件によほど触れられたくないらしい。
「人探しかな」
無理にここで聞き出す必要もないかと割り切って応じる。嘘ではなかったのだが、行人は不思議そうに眉を寄せた。
「人探し、ですか」
「そう。でも、あと十分くらいで消灯だし、戻ろうかな。行人は?」
「あ、じゃあ、俺も」
戻ります、と慌てたように頷いた行人が食堂の電気を消した。自動販売機の薄明かりだけが暗がりに光っている。廊下に出ると、そこもすでに静まり返っていた。生徒の気配はない。消灯前にもかかわらず、みな寮室に戻っているらしかった。
自分が中等部に入学したばかりだったころと比べると、嘘のように規律正しい。
「あの、探してたのって、もしかして向原先輩でした?」
そう問われたのは、階段に足をかけたときだった。
「どうして?」
「えっと、最近あんまり向原先輩ここで見ないし、その……」
言いづらそうに細くなる語尾に、大丈夫だよ、と軽く請け負う。
「気にしなくていいよ。もし本当に消灯時間外も外に出てるなら、茅野が雷落としてるから」
「あ、いや、……その、噂を信じてるわけじゃないんです、けど」
「心配してくれてありがとうな」
二階の踊り場で、ぽんぽんと行人の背を叩く。もの言いたげな視線に気づかないふりでほほえめば、諦めたように眉が下がった。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
つくり慣れた笑顔で見送って、上階に足を踏み出す。噂話と縁遠そうな後輩の耳にまで入っているとなると、かなり広まっているらしい。
――いい噂ではないけど、まぁ、しかたないよな。
学園のトップふたりに亀裂が走っているというのは。篠原に勘繰られたときは適当に受け流して終わらせたが、かわいい後輩に心配をかけるのは本意ではない。
でもなぁ、と成瀬は内心で苦く笑った。
篠原が言うような爆発が起こるとは考えていないが、いろいろなことを「流して」きたのは自分自身だ。それを棚に上げて、今までどおりを貫いてくれと言うのは、さすがに虫が良すぎるだろう。
食堂にひとり立ち尽くしている小柄な後ろ姿に気がついて、あれと首を捻る。行人である。
消灯時間を過ぎているわけでもないし、ひとりになることのできる場所を求めてここにいるのなら、そっと立ち去るべきかもしれない。
悩んだものの、どうにも気落ちした雰囲気が気になって、成瀬は声をかけることを選んだ。
「行人」
「あ、……成瀬さん」
振り向いた顔が浮かべた笑顔は、どこかぎこちないものだった。幼馴染みから聞いた鍵の話を連想してしまって、そっとほほえみかける。
そういえば、最近はあまり話せていなかった。
「どうした? また鍵でもなくした?」
「なんで知って……。高藤ですか? あいつ、口軽すぎ」
「たまたまだよ。皓太が、茅野に鍵の付け替えの相談をしたときに俺も隣にいたから。それだけ」
「それも俺はいいって言ったんですよ。茅野さんに報告するようなことじゃないし。それなのに勝手に相談して、付け替えも勝手に。安心料だって思えば安いからって」
「付け替え料で安心が買えるなら安いもんじゃないかって言ったのは俺だけど」
「……その、すみません」
バツの悪い顔に、つい笑みがもれてしまった。恐縮に拍車がかかった様子に、からかいすぎたことを謝ってから、気になっていたもうひとつを問いかける。
「でも、大丈夫? 皓太も心配してたけど」
「高藤が、ですか」
「うん。心配というか、気にしてたというか。ちょっと苛々してるのかな、とは俺も話してて思ったかな」
「すみません、そのたいしたことじゃないんですけど」
少しの間のあとで、行人はそう認めた。ぎこちなさを拭えていない笑顔のまま、ぽそりぽそりと言葉を続ける。
「いろいろ積み重なったというか、それで。鍵がなんで見つからなかったのかも、よくわからないし。いまさらなんですけど、それもちょっと気になっちゃって」
「ここでなくしたんだっけ」
寮の食堂での置き忘れなら、誰かが見つけてくれる公算が大きかっただろうけれど。ぐるりと食堂を見渡すと、行人も同じように視線を動かした。
使用するのは基本的に寮生だけだし、掃除も毎日されている。なにか忘れ物があれば寮長のところに届くはずだ。そう考えると、「なんでだろう」と疑問を抱いても不思議はない。
「校舎から戻ってきたときは、まちがいなく自分の鍵で部屋に入ったんです。だから、置き忘れたとしたら、食堂しか考えられないんですけど」
「そっか。行人、もし気になるなら……」
「でも、大丈夫です。すみません。鍵も付け替えたんだし。そういえば、成瀬さんはどうしてここに?」
「うん、ちょっと」
思いきり提案を遮られてしまった。そのまま強引に変わった話題に、成瀬は小さく笑った。
皓太も「あいつは頑固だから認めない」と評していたけれど、この一件によほど触れられたくないらしい。
「人探しかな」
無理にここで聞き出す必要もないかと割り切って応じる。嘘ではなかったのだが、行人は不思議そうに眉を寄せた。
「人探し、ですか」
「そう。でも、あと十分くらいで消灯だし、戻ろうかな。行人は?」
「あ、じゃあ、俺も」
戻ります、と慌てたように頷いた行人が食堂の電気を消した。自動販売機の薄明かりだけが暗がりに光っている。廊下に出ると、そこもすでに静まり返っていた。生徒の気配はない。消灯前にもかかわらず、みな寮室に戻っているらしかった。
自分が中等部に入学したばかりだったころと比べると、嘘のように規律正しい。
「あの、探してたのって、もしかして向原先輩でした?」
そう問われたのは、階段に足をかけたときだった。
「どうして?」
「えっと、最近あんまり向原先輩ここで見ないし、その……」
言いづらそうに細くなる語尾に、大丈夫だよ、と軽く請け負う。
「気にしなくていいよ。もし本当に消灯時間外も外に出てるなら、茅野が雷落としてるから」
「あ、いや、……その、噂を信じてるわけじゃないんです、けど」
「心配してくれてありがとうな」
二階の踊り場で、ぽんぽんと行人の背を叩く。もの言いたげな視線に気づかないふりでほほえめば、諦めたように眉が下がった。
「おやすみなさい」
「おやすみ」
つくり慣れた笑顔で見送って、上階に足を踏み出す。噂話と縁遠そうな後輩の耳にまで入っているとなると、かなり広まっているらしい。
――いい噂ではないけど、まぁ、しかたないよな。
学園のトップふたりに亀裂が走っているというのは。篠原に勘繰られたときは適当に受け流して終わらせたが、かわいい後輩に心配をかけるのは本意ではない。
でもなぁ、と成瀬は内心で苦く笑った。
篠原が言うような爆発が起こるとは考えていないが、いろいろなことを「流して」きたのは自分自身だ。それを棚に上げて、今までどおりを貫いてくれと言うのは、さすがに虫が良すぎるだろう。
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