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第二部
パーフェクト・ワールド・レインⅡ ①
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[2]
ひさしぶりに生徒会室に顔を出した向原を迎えたのは、机にかじりついて書類と格闘している篠原と、処理済みの箱に山と積まれた決裁書だった。
予想の範疇ではあったものの、なかなかの惨状である。篠原の横を素通りして、箱の置かれた台の前に立つ。
「いいのか、これ。風紀に届けなくて」
「あぁ、それか。書記の一年がビビってんだよ」
「ビビってって、情けねぇな」
抜き取った書類を何枚か繰ってみたが、出てくるのは風紀委員会に返却すべきものばかりだ。一番古い決済印が五日前。
「その一年いわく、あたりがきついのは、おまえらのせいらしいぞ。それで、できるだけ行く回数を減らしたいって言って、成瀬に叱られるギリギリまで溜め込んでんの。どう思うよ、副会長」
「せめて翌日には返しに行けよ。五分で終わるだろ」
「自分のこと棚に上げすぎだろ、おまえ」
最近ずっと顔も出していなかったくせに、とでも言いたげな口ぶりに、向原は小さく笑った。
「だから今日来てやってるだろうが」
「わざわざ成瀬がいないタイミングでな」
対照的に連日生徒会室に居座っている悪友が、無人の会長席をあきれ顔で一瞥する。
居座っている理由の半分は寮の居心地が悪いからだろうが、残り半分は自分の不在を埋めるためだったのだろう。わかるからと言って、改めるつもりはないが。だから、向原はなんでもない調子でやり返した。
「たまたまに決まってるだろ」
「……おまえが来ないから、成瀬死にかけてたぞ。たまたまだって言い張りたいなら、もうちょい頻繁に顔出してやれよ」
今日もおまえが来るまで俺しかいなかったし、と言いながらも、その手は動き続けていた。勤勉にやらないと終わらないらしい。その様子だけで窮状は伝わってきたが、だからどうとは思わなかった。
仕事量と人員のバランスが取れていないのなら、早いうちに補充してしまえばいいだけのことだ。
「そうだな」
その気もない相槌ひとつで、箱の中から残りをさらう。念のために確認してみたが、すべて風紀からのものだ。
「じゃあ、代わりに風紀まで持って行ってやるよ」
「喧嘩しに行く、の間違いじゃねぇだろうな」
嫌そうな声に、「なんだ」と向原は眉を上げた。
「おまえの耳にも入ってんのか」
「まぁ、ほら、なんだ。うちの寮はあれだし。でも、あの噂の出所が風紀とは限らねぇ……」
「違ったら、おまえのところで決まりだな」
「やめろって、マジで。おまえにまで乗り込んでこられたら、さすがに長峰もキレると思うぞ」
寮長名を出しての牽制に視線を向けると、面倒ごとはごめんなのだと肩をすくめられてしまった。
「長峰、めちゃくちゃかわいがってるんだよ。あの一年のこと」
「かわいがるなら、管理もちゃんとしろって言っとけ」
「俺らが言えた台詞でもないだろ。成瀬も放置してるんだし」
「放置?」
「放置は言いすぎかもしれねぇけど、似たようなもんだろ。みささぎ祭終わってからこっち、いやに大人しいというか、なんというか」
「なんでもかんでも会長のせいにしてやるなよ」
正論ぶって苦笑してみせる。
「そもそもとして、編入生指導の責任は生徒会じゃなくて所属寮にあるだろ」
「まぁ、そうだけど。でも、なんか引っかかるんだよなぁ」
すっきりしない様子で首を捻っていた篠原が、思い至ったらしい疑問を口にした。
「なぁ、なんであいつ、水城のこと完全に潰さなかったんだと思う?」
「そりゃ、丸くなったんだろ。昔に比べれば」
「昔って、……中等部のときの話か。あいつが風紀叩き潰したときね。たしかにあのころに比べたら、丸くなったかもな」
容赦なかったからなぁ、と続いた言葉に、そうだな、と同意を示す。この男の言うとおり、あの当時の成瀬は良くも悪くも今よりずっと明瞭だった。
「三年も経ったら、多少は変わるだろ」
「相手も違うしな。あいつ年下に無駄に甘いし。相手が同学年のアルファじゃなくて、オメガの一年だったら、仏心出してもおかしくないか」
「そういうことだろ」
「おまえは?」
「俺がなんだよ」
納得した顔をしていたくせに、今度はなにを思いついたのか。面倒だという雰囲気を隠しもせずに、向原は問い直した。
「だって、おまえ、成瀬に突っかかるやつは、今までぜんぶ潰して回ってただろ。それなのに今回はほうってるみたいだし」
「なんだ。おまえ、俺にあの一年も潰してほしかったのか」
そう言ってやると、根っこの部分で人のいい男は気まずそうに口を閉ざした。
視線を転じさせた窓の外では、暗い雲が広がり始めていた。寮に戻るころには雨になっているかもしれない。
「さすがに潰したいとまでは言えねぇけど」
沈黙のあとに響いたのは、いかにも物憂げな声だった。
「目に余るところがないとも言わないけど、具体的になにをしたってわけでもないしな。今のところ」
「あいつもそう思ってるってことだろ」
「似非くさすぎる」
一刀両断した篠原が、なにもかも嫌だとばかりにぼやき始める。
「あのな、心配してんだよ、こう見えて。俺も一応。面倒なことになりそうで嫌だっていうのが、本音っちゃ本音だけど。残り一年平和に過ごさせてくれたら、なにも文句言わねぇのに」
「そのわりには皓太に釘刺したらしいな、おまえ」
「なんで知ってんだよ。そうだよ、刺したよ。それで過保護な兄ちゃんに、余計なことすんなって叱られたよ」
投げやりな台詞に、向原は喉を鳴らした。あの男の過保護ぶりは、たしかに群を抜いている。
「笑いごとかよ。年下に向ける優しさの十分の一でいいから俺に向けてほしいね」
人使い荒すぎるんだよ、あいつ、と苦笑しながら、ペンで積み上がった書類を叩いている。単純作業に飽きが来たらしい。基本的に根気がないことを思えば、続いたほうだろう。それだけ仕事が溜まっていたということなのだろうが。
「そういえば、さ」
「なんだよ、今度は」
「いや、皓太の話でちょっと思い出して。その釘刺されたときにさ、あいつがあんまり悪い顔してたから、聞いたんだよ。水城を追い出すつもりなのかって」
「で?」
「まさかって一蹴された。正直信じてなかったんだけど、最近のあいつ見てると本気でそう思ってたのかもって思えてきたなって。年下だから大目に見てるのか、なんでなのかは知らねぇけど」
「病的な平和主義者だからな。あいつ」
遠慮なく噴き出した篠原に向かって、向原は話を切り上げた。
ひさしぶりに生徒会室に顔を出した向原を迎えたのは、机にかじりついて書類と格闘している篠原と、処理済みの箱に山と積まれた決裁書だった。
予想の範疇ではあったものの、なかなかの惨状である。篠原の横を素通りして、箱の置かれた台の前に立つ。
「いいのか、これ。風紀に届けなくて」
「あぁ、それか。書記の一年がビビってんだよ」
「ビビってって、情けねぇな」
抜き取った書類を何枚か繰ってみたが、出てくるのは風紀委員会に返却すべきものばかりだ。一番古い決済印が五日前。
「その一年いわく、あたりがきついのは、おまえらのせいらしいぞ。それで、できるだけ行く回数を減らしたいって言って、成瀬に叱られるギリギリまで溜め込んでんの。どう思うよ、副会長」
「せめて翌日には返しに行けよ。五分で終わるだろ」
「自分のこと棚に上げすぎだろ、おまえ」
最近ずっと顔も出していなかったくせに、とでも言いたげな口ぶりに、向原は小さく笑った。
「だから今日来てやってるだろうが」
「わざわざ成瀬がいないタイミングでな」
対照的に連日生徒会室に居座っている悪友が、無人の会長席をあきれ顔で一瞥する。
居座っている理由の半分は寮の居心地が悪いからだろうが、残り半分は自分の不在を埋めるためだったのだろう。わかるからと言って、改めるつもりはないが。だから、向原はなんでもない調子でやり返した。
「たまたまに決まってるだろ」
「……おまえが来ないから、成瀬死にかけてたぞ。たまたまだって言い張りたいなら、もうちょい頻繁に顔出してやれよ」
今日もおまえが来るまで俺しかいなかったし、と言いながらも、その手は動き続けていた。勤勉にやらないと終わらないらしい。その様子だけで窮状は伝わってきたが、だからどうとは思わなかった。
仕事量と人員のバランスが取れていないのなら、早いうちに補充してしまえばいいだけのことだ。
「そうだな」
その気もない相槌ひとつで、箱の中から残りをさらう。念のために確認してみたが、すべて風紀からのものだ。
「じゃあ、代わりに風紀まで持って行ってやるよ」
「喧嘩しに行く、の間違いじゃねぇだろうな」
嫌そうな声に、「なんだ」と向原は眉を上げた。
「おまえの耳にも入ってんのか」
「まぁ、ほら、なんだ。うちの寮はあれだし。でも、あの噂の出所が風紀とは限らねぇ……」
「違ったら、おまえのところで決まりだな」
「やめろって、マジで。おまえにまで乗り込んでこられたら、さすがに長峰もキレると思うぞ」
寮長名を出しての牽制に視線を向けると、面倒ごとはごめんなのだと肩をすくめられてしまった。
「長峰、めちゃくちゃかわいがってるんだよ。あの一年のこと」
「かわいがるなら、管理もちゃんとしろって言っとけ」
「俺らが言えた台詞でもないだろ。成瀬も放置してるんだし」
「放置?」
「放置は言いすぎかもしれねぇけど、似たようなもんだろ。みささぎ祭終わってからこっち、いやに大人しいというか、なんというか」
「なんでもかんでも会長のせいにしてやるなよ」
正論ぶって苦笑してみせる。
「そもそもとして、編入生指導の責任は生徒会じゃなくて所属寮にあるだろ」
「まぁ、そうだけど。でも、なんか引っかかるんだよなぁ」
すっきりしない様子で首を捻っていた篠原が、思い至ったらしい疑問を口にした。
「なぁ、なんであいつ、水城のこと完全に潰さなかったんだと思う?」
「そりゃ、丸くなったんだろ。昔に比べれば」
「昔って、……中等部のときの話か。あいつが風紀叩き潰したときね。たしかにあのころに比べたら、丸くなったかもな」
容赦なかったからなぁ、と続いた言葉に、そうだな、と同意を示す。この男の言うとおり、あの当時の成瀬は良くも悪くも今よりずっと明瞭だった。
「三年も経ったら、多少は変わるだろ」
「相手も違うしな。あいつ年下に無駄に甘いし。相手が同学年のアルファじゃなくて、オメガの一年だったら、仏心出してもおかしくないか」
「そういうことだろ」
「おまえは?」
「俺がなんだよ」
納得した顔をしていたくせに、今度はなにを思いついたのか。面倒だという雰囲気を隠しもせずに、向原は問い直した。
「だって、おまえ、成瀬に突っかかるやつは、今までぜんぶ潰して回ってただろ。それなのに今回はほうってるみたいだし」
「なんだ。おまえ、俺にあの一年も潰してほしかったのか」
そう言ってやると、根っこの部分で人のいい男は気まずそうに口を閉ざした。
視線を転じさせた窓の外では、暗い雲が広がり始めていた。寮に戻るころには雨になっているかもしれない。
「さすがに潰したいとまでは言えねぇけど」
沈黙のあとに響いたのは、いかにも物憂げな声だった。
「目に余るところがないとも言わないけど、具体的になにをしたってわけでもないしな。今のところ」
「あいつもそう思ってるってことだろ」
「似非くさすぎる」
一刀両断した篠原が、なにもかも嫌だとばかりにぼやき始める。
「あのな、心配してんだよ、こう見えて。俺も一応。面倒なことになりそうで嫌だっていうのが、本音っちゃ本音だけど。残り一年平和に過ごさせてくれたら、なにも文句言わねぇのに」
「そのわりには皓太に釘刺したらしいな、おまえ」
「なんで知ってんだよ。そうだよ、刺したよ。それで過保護な兄ちゃんに、余計なことすんなって叱られたよ」
投げやりな台詞に、向原は喉を鳴らした。あの男の過保護ぶりは、たしかに群を抜いている。
「笑いごとかよ。年下に向ける優しさの十分の一でいいから俺に向けてほしいね」
人使い荒すぎるんだよ、あいつ、と苦笑しながら、ペンで積み上がった書類を叩いている。単純作業に飽きが来たらしい。基本的に根気がないことを思えば、続いたほうだろう。それだけ仕事が溜まっていたということなのだろうが。
「そういえば、さ」
「なんだよ、今度は」
「いや、皓太の話でちょっと思い出して。その釘刺されたときにさ、あいつがあんまり悪い顔してたから、聞いたんだよ。水城を追い出すつもりなのかって」
「で?」
「まさかって一蹴された。正直信じてなかったんだけど、最近のあいつ見てると本気でそう思ってたのかもって思えてきたなって。年下だから大目に見てるのか、なんでなのかは知らねぇけど」
「病的な平和主義者だからな。あいつ」
遠慮なく噴き出した篠原に向かって、向原は話を切り上げた。
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