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第二部
パーフェクト・ワールド・レインⅠ ①
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[1]
目の前に山と積まれた決裁書に、成瀬は小さく溜息を吐いた。切り崩したところで、新しいものがすぐに積み上がっていくのだから、際限がない。
篠原いわく「会長と副会長のえり好みの激しさが招いた人手不足の結果」であり、「自業自得」であるらしいが、各委員会からみささぎ祭の総括がひっきりなしに上がってくるせいでもあると思う。
一番上のものを取ってぱらぱらと繰っていると、自業自得と言って憚らない男が声をかけてきた。
「おまえってわりと忙しいの好きだよな」
「好きで忙しくしてるわけじゃねぇよ」
「そう言うけど、おまえ暇なの嫌いじゃん。いつもなにかしらやること探してるし」
それはやることが大量にあるからだ、と反論する代わりに、ちらりと見やる。いかにも手持ち無沙汰そうだ。成瀬が来たときにはひとり雑誌を読んでいたのだが、読み終えてしまったらしい。
「マジすることねぇな、ここ。おまえ以外誰も来ないし」
「なら手伝えよ。好きで忙しくしてるわけじゃないって言っただろ」
「それはそれ、これはこれ」
「おまえなぁ」
「じゃあ帰れ、はやめろよ、頼むから。寮に戻っても面倒くせぇんだよ」
「大変そうだな、楓は」
心底げんなりしているという調子に、笑みがもれてしまった。櫻寮でよかった、と他人ごとのていで思いながら、決裁書の訂正箇所に付箋を張り付ける。
「半分はおまえのせいだからな」
「残りの半分は、おまえの寮の後輩だろ」
「それはそうだけど」
うんざりと応じた篠原が、一向に開く気配のない扉に視線を向ける。人員不足との主張どおり、在室しているのはふたりだけなのだ。もう少し前は、あとひとりよく顔を出している男がいたのだけれど。
「なぁ、向原は? 今日も来ねぇの、あいつ。最近サボりすぎじゃね?」
「さぁ。俺はべつに聞いてないけど」
「……もしかして、まだ喧嘩してんのか、おまえら」
先ほどの比ではなく嫌そうなトーンに、「まさか」と軽い調子で否定する。そうだ、べつに喧嘩をしているわけではない。
「じゃあ、ちゃんと話したのか? どうせ適当に流したんだろ」
いいかげんにやめろって何度も言ってるだろ、と続いた苦言に、成瀬は首を傾げた。
「みささぎ祭のことか?」
「なに解決済みみたいな顔してんだ。絶対、ちゃんと話し合ってないだろ。賭けてもいい」
力強く言い切られて、思わず苦笑いになる。
「そんなことはないと思うけど」
「よく言うよ。俺はおまえともあいつとも『お友達』だけどな、たまにあいつが気の毒になるわ、冗談抜きで」
「似合わなすぎるだろ」
あの、なんでも持っている男に「気の毒」なんて、一番縁遠い単語ではないだろうか。受け流して、成瀬は次の決裁書を取った。
「やめろ、それも」
「それって?」
「そうやって、都合が悪くなるたびに適当なこと言って誤魔化す、おまえお得意の『それ』だよ」
まぁ、そうかもな。声には出さず同意して、淡々と決裁印を押していく。その様子にか、篠原があきれ顔で肩をすくめた。
「おまえのどこがそんなに立派に見えるのか、一回榛名に聞いてみたいね」
「それは俺も聞いてみたいかも。どこなんだろうな」
篠原の言うところの適当なことを口にして、新しいものに着手する。紙を繰る音だけが響いていた室内の空気を破ったのは、苛立った溜息だった。
「あのな、成瀬。ただの忠告だけどな。聞き入れる気はなくても、せめて聞いとけ」
「人聞きが悪いな。必要だと思ったらちゃんと聞き入れる」
「本当かよ。まぁ、ただのお節介だから、おまえの好きにしたらいいけど。おまえらの関係に口挟むのも野暮だと思うし」
「野暮って」
成瀬は笑ったが、篠原は笑わなかった。向原と自分の関係をいったいなんだと思っているのだと聞いてみたい気もしたが、やめた。無用なやぶをつつきたくはない。
その代わりに、手元に落としていた視線を持ち上げる。邪険にしたいわけでもないのだ。五年以上の付き合いになる悪友は、「忠告」というだけある神妙な面持ちをしていた。
「いつか爆発するぞ、そうやって逃げてばっかりいると」
「俺が?」
「おまえもだけど、あいつが、だよ」
爆発、と心のうちで繰り返す。それもやはり、向原に似合わない表現だとしか思えなかった。あの男は自分の感情を完璧に制御しているように見える。
――でも、まぁ、そうだな。
静かな声に潜む諦念。それが顕著になり始めた時期は覚えていないが、そうさせているのが自分だということはわかっていた。その制御された感情の上に、甘えているのだということも。
だから、「そうだな」と頷く。本心だったのだが、篠原は信じていない顔をしていた。必要以上に不安を与えたかったわけでもないので、成瀬は真面目に言い足した。
「大丈夫。ちゃんとわかったから」
「マジで頼んだからな」
数秒のせめぎあいのあとで念を押した篠原の声には、多分に諦めが含まれていた。
「あいつが本気でキレたら、おまえでも手に負えるかわかんねぇぞ」
まぁ、そりゃ、この学園トップのアルファ様だからな。そんなことを考えながら、いかにも適当な調子で応じてみせる。
「そうかもな」
「おまえなぁ。本当に知らないからな、俺は」
知らないと言いながらも匙を投げきれないらしい。透けて見えるお人よしの性分に、わかってるよ、ともう一度成瀬は頷いた。そうだ、わかってはいる。
新年度を迎えてから、自分たちのあいだに齟齬が見え隠れしていることも。そしてその原因が、自分にあるということも。
目の前に山と積まれた決裁書に、成瀬は小さく溜息を吐いた。切り崩したところで、新しいものがすぐに積み上がっていくのだから、際限がない。
篠原いわく「会長と副会長のえり好みの激しさが招いた人手不足の結果」であり、「自業自得」であるらしいが、各委員会からみささぎ祭の総括がひっきりなしに上がってくるせいでもあると思う。
一番上のものを取ってぱらぱらと繰っていると、自業自得と言って憚らない男が声をかけてきた。
「おまえってわりと忙しいの好きだよな」
「好きで忙しくしてるわけじゃねぇよ」
「そう言うけど、おまえ暇なの嫌いじゃん。いつもなにかしらやること探してるし」
それはやることが大量にあるからだ、と反論する代わりに、ちらりと見やる。いかにも手持ち無沙汰そうだ。成瀬が来たときにはひとり雑誌を読んでいたのだが、読み終えてしまったらしい。
「マジすることねぇな、ここ。おまえ以外誰も来ないし」
「なら手伝えよ。好きで忙しくしてるわけじゃないって言っただろ」
「それはそれ、これはこれ」
「おまえなぁ」
「じゃあ帰れ、はやめろよ、頼むから。寮に戻っても面倒くせぇんだよ」
「大変そうだな、楓は」
心底げんなりしているという調子に、笑みがもれてしまった。櫻寮でよかった、と他人ごとのていで思いながら、決裁書の訂正箇所に付箋を張り付ける。
「半分はおまえのせいだからな」
「残りの半分は、おまえの寮の後輩だろ」
「それはそうだけど」
うんざりと応じた篠原が、一向に開く気配のない扉に視線を向ける。人員不足との主張どおり、在室しているのはふたりだけなのだ。もう少し前は、あとひとりよく顔を出している男がいたのだけれど。
「なぁ、向原は? 今日も来ねぇの、あいつ。最近サボりすぎじゃね?」
「さぁ。俺はべつに聞いてないけど」
「……もしかして、まだ喧嘩してんのか、おまえら」
先ほどの比ではなく嫌そうなトーンに、「まさか」と軽い調子で否定する。そうだ、べつに喧嘩をしているわけではない。
「じゃあ、ちゃんと話したのか? どうせ適当に流したんだろ」
いいかげんにやめろって何度も言ってるだろ、と続いた苦言に、成瀬は首を傾げた。
「みささぎ祭のことか?」
「なに解決済みみたいな顔してんだ。絶対、ちゃんと話し合ってないだろ。賭けてもいい」
力強く言い切られて、思わず苦笑いになる。
「そんなことはないと思うけど」
「よく言うよ。俺はおまえともあいつとも『お友達』だけどな、たまにあいつが気の毒になるわ、冗談抜きで」
「似合わなすぎるだろ」
あの、なんでも持っている男に「気の毒」なんて、一番縁遠い単語ではないだろうか。受け流して、成瀬は次の決裁書を取った。
「やめろ、それも」
「それって?」
「そうやって、都合が悪くなるたびに適当なこと言って誤魔化す、おまえお得意の『それ』だよ」
まぁ、そうかもな。声には出さず同意して、淡々と決裁印を押していく。その様子にか、篠原があきれ顔で肩をすくめた。
「おまえのどこがそんなに立派に見えるのか、一回榛名に聞いてみたいね」
「それは俺も聞いてみたいかも。どこなんだろうな」
篠原の言うところの適当なことを口にして、新しいものに着手する。紙を繰る音だけが響いていた室内の空気を破ったのは、苛立った溜息だった。
「あのな、成瀬。ただの忠告だけどな。聞き入れる気はなくても、せめて聞いとけ」
「人聞きが悪いな。必要だと思ったらちゃんと聞き入れる」
「本当かよ。まぁ、ただのお節介だから、おまえの好きにしたらいいけど。おまえらの関係に口挟むのも野暮だと思うし」
「野暮って」
成瀬は笑ったが、篠原は笑わなかった。向原と自分の関係をいったいなんだと思っているのだと聞いてみたい気もしたが、やめた。無用なやぶをつつきたくはない。
その代わりに、手元に落としていた視線を持ち上げる。邪険にしたいわけでもないのだ。五年以上の付き合いになる悪友は、「忠告」というだけある神妙な面持ちをしていた。
「いつか爆発するぞ、そうやって逃げてばっかりいると」
「俺が?」
「おまえもだけど、あいつが、だよ」
爆発、と心のうちで繰り返す。それもやはり、向原に似合わない表現だとしか思えなかった。あの男は自分の感情を完璧に制御しているように見える。
――でも、まぁ、そうだな。
静かな声に潜む諦念。それが顕著になり始めた時期は覚えていないが、そうさせているのが自分だということはわかっていた。その制御された感情の上に、甘えているのだということも。
だから、「そうだな」と頷く。本心だったのだが、篠原は信じていない顔をしていた。必要以上に不安を与えたかったわけでもないので、成瀬は真面目に言い足した。
「大丈夫。ちゃんとわかったから」
「マジで頼んだからな」
数秒のせめぎあいのあとで念を押した篠原の声には、多分に諦めが含まれていた。
「あいつが本気でキレたら、おまえでも手に負えるかわかんねぇぞ」
まぁ、そりゃ、この学園トップのアルファ様だからな。そんなことを考えながら、いかにも適当な調子で応じてみせる。
「そうかもな」
「おまえなぁ。本当に知らないからな、俺は」
知らないと言いながらも匙を投げきれないらしい。透けて見えるお人よしの性分に、わかってるよ、ともう一度成瀬は頷いた。そうだ、わかってはいる。
新年度を迎えてから、自分たちのあいだに齟齬が見え隠れしていることも。そしてその原因が、自分にあるということも。
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