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第二部
パーフェクト・ワールド・ゼロⅡ ②
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赤と白のカプセル剤がふたつに、オレンジ色の錠剤がふたつ。そして、白色の錠剤がひとつ。
こんなにたくさんの薬が必要だなんて、かわいそう。手のひらに広げた薬を見つめながら、水城春弥はうっすらとほほえんだ。
本当に、かわいそうだ。言葉の響きを楽しむように、口の中で繰り返す。かわいそう。かわいそう。オメガはみんな、かわいそう。ベッドの縁に腰かけて、白い足をゆらゆらと揺らしながら。
第二の性を隠すために、これだけの涙ぐましい努力を重ねているのだ。かわいそうだ、くらいのことは思う。本当にオメガは、哀れな生き物だ。
「ハルちゃん?」
甘い呼びかけに、水城はいったん思考を止めた。そうしてから、事後の余韻が色濃く残るベッドを振り返る。
「大丈夫? 無理させちゃったかな」
「ううん」
抱き寄せる先輩の腕に身を預けて、そっとほほえむ。浮かべたのは、彼らがこぞって天使のほほえみと評するものだ。
「大丈夫です。心配してくれるなんて、先輩は優しいな」
「ハルちゃんだからね」
優しくするのはきみだからだよ、という甘い囁きに、まんざらでもなく水城は頷いた。
自分に従順なアルファは好きだ。優しくされることも、愛されることも、ぜんぶ好きだ。自分自身の価値を実感することができる。だから、好き。
楓寮では寮長に次ぐ権力を持ち、学内でも風紀委員として大きな顔をしている男が、自分にだけとびきりの甘い声を出すのだ。こんなに楽しいことはないだろうと思う。
優越感を噛み締めながら、水城は薬を一気に飲み込んだ。副作用があったとしてもかまわない。そのときは、誰かに看病させてやればいいだけなのだから。
「そんなにたくさん薬を飲まないといけないんだ。大変だね、オメガは」
僕じゃない、オメガはね。そう嘯きたいのを我慢して、控えめに目を伏せる。
「でも、オメガだから、あなたと一緒にいることができるんです。僕がベータだったら、こうはいかなかったでしょう? そのためだったら、このくらいのことなんでもないんです」
健気に訴えると、抱きしめる腕の力が強くなった。その反応に気を良くして幸せそうに笑ってやる。それなのに甘ったるい愛の囁きは返ってこない。その代わりのように男は黙り込んでいる。
「先輩?」
「前から考えてたことなんだけど。ハルちゃん、俺のつがいになる気ないかな?」
「……え?」
「そうすれば、ハルちゃんは俺だけのものになる。俺が卒業したあとも」
真剣な声音に口元が綻びそうになってしまって、膝に視線を落とす。アルファの先輩の目には、突然の申し出に思い悩んでいるように映っただろうけれど。
本当に簡単だ。この顔でほほえめばアルファは喜び、悲しめば頼まずとも力になろうとする。
オメガを社会の底辺だと嘲笑う連中は、使い方をわかっていないだけなのだ。搾取される側じゃない。する側にだってなれる。
違うと否定したいのなら、僕に勝ってから言うべきだ。だって、ほら、今この場で主導権を握っているのは、アルファではなく僕じゃないか。
こそこそとベータに擬態して生きる必要なんて、どこにもないのだ。
たっぷりと効果的な間を挟んでから、水城は細い声を絞り出した。
「僕と先輩じゃ、家もなにもかもが釣り合わない。だから、今だけでいいんです」
だからお願い、と切なくまつげを震わせる。
「そんなこと、言わないで」
僕にふさわしいのは、あなたレベルのアルファじゃない、との本心はかけらも見せずに、そう訴える。言い終わるやいなや、男が華奢な肩を抱きしめる。息苦しいほどの強さだった。
「ごめんね、ハルちゃん」
「いいんです。だって、あたりまえのことだから」
寂しそうに頷いてやれば、ますます腕の力が強くなった。その単純さは嫌いではないし、これからも優しくしてやろうと思う。
くさってもアルファなのだ。いつか必ず役に立つはずだ。
――でも、僕が欲しいのは、そんな並のアルファじゃない。
そう。欲しいのは、ただひとつ、もっと上のアルファだ。アルファの上位種と評される人間が、この学園にはただひとり存在している。水城はそれが欲しい。
幸せなオメガに必要なのは、唯一無二の強いアルファだ。本当に一握りの彼らの前でなら、屈服していいとさえ思う。それが、オメガの本能だ。
「あたりまえ、か」
やるせない呟きに首を傾げると、はっとしたように男が取り繕った。
「あぁ……。いや、ハルちゃんの運命はどんなやつなんだろうなと思って」
「運命なんて。出逢える確率はほとんどゼロなんでしょう? よく知らないですけど」
「俺もハルちゃんに会うまではそう思ってたし、どうでもいいって思ってた。でも、ハルちゃんに会って、ちょっとだけね、考えが変わったんだ」
「変わった?」
「うん。みっともない話だけど、ハルちゃんの運命のアルファが羨ましいなって」
なんだ。今日は随分とかわいいことを言うじゃないか。良い気分のまま、困ったような笑みを浮かべてみせる。その水城の頭を撫でながら、男は続けた。
「生徒会のやつらみたいなのがそうだったらって思うと、腹も立つけど」
「腹が立つ、ですか」
「まぁ、風紀にいるといろいろとね。……どうかした? ハルちゃん」
表情を曇らせたことに気がついたのか、男が声をひそめる。その瞳にはありありと慮る色がにじんでいた。
本当におもしろいくらい簡単に事が運ぶ。迷うようなそぶりを披露してから、水城はゆっくりと口を開いた。
「こんなことを言っていいのか、わからないんですけど」
「なんでも言ってよ。絶対に力になるから」
「僕、会長が怖いんです」
「怖い?」
驚きを隠せていない声に、「うん」とたたみかける。
「僕、会長に嫌われてるんじゃないかなって思うことが多くて。だから」
だから。消えてくれたらいいのに。あの人の隣から。オメガのくせに、アルファのような顔で立っている。
一目見たときから、大嫌いだった。
棘を隠したまま、水城は器用に瞳を潤ませた。
「だって、あの人はオメガが嫌いなんでしょう?」
嫌いなのは自分なんでしょう、と内心で笑いながら、ぽろりと涙を一粒こぼしてみせる。
白いシーツに生まれた染みは、箱庭を壊す波紋のようだった。
水城は、利用できるものはすべて利用して、勝ち上がっていくつもりだ。この世界で一番幸福なオメガになるためであれば、なんでもする。それが水城の夢だった。
そのために必要なもの。この歪な箱庭を壊すための駒。たったひとりの愛されるオメガになるにあたって邪魔な存在。
目障りな顔が、いくつもいくつも浮かんでは消えていく。最後に頭に残ったのは、ひとりのアルファだった。うん、とそっと頷く。
――なかなかおもしろいことになるかもしれない。あの人は、少しだけ僕と似ているから。
箱庭を牛耳る生徒会と対立してくれそうな、強いアルファ。彼となら、きっと利害が一致する。
だって彼は、自分と一緒で、あの生徒会長が邪魔でしかたがないはずだ。
「先輩、お願い」
風紀委員である男に、またひとつ利用価値が増えた。やはり愛想は売っておくべきだな。自分の対応に満足しながら、涙を浮かべて水城は縋った。
「あの人から、僕を守って」
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