パーフェクトワールド

木原あざみ

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第一部

パーフェクト・ワールド・ハルⅨ ⑥

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 ミニ運動会が行われていたグラウンドの中心に設置されたステージは、今日一日中で一番の華やぎを見せていた。最後の結果発表を前にして、集う人数も本日一である。
 集計を担当していたメンバー以外は混乱を防ぐためにと警備に充てられていて、皓太も観客の最後列から周囲を見ていた。
 無駄に騒ぐような集団も、カメラを構えているような人物もいないのは幸いだが、中等部の文化祭に比べても人出は雲泥の差だ。
 噂には聞いていたが、活気が違う。

 ――その中で、一位を選ぼうというのだ。盛り上がるのは、ある意味で当然なのかもしれない。

 ただの人気投票ではないかと投げやりに思っていたのは事実だが、それだけには納まらないことも実感してしまう。

 舞台のマイクの音が若干割れて響いているのは、ご愛敬だ。客席からも文句は出る気配はなく、視線は一心にステージへと集まっている。
 そちらの問題はないのだろうけれど、と。何とも言えない感情が込み上げそうになるのを、皓太は無理やり呑み込んだ。今はあまり思い出したくない。
 溜息を吐いて視線を上げた瞬間。不意に誰かが隣に立っているのに気が付いた。

「本尾先輩」

 何か事務連絡でもあっただろうかと振り仰いだ先にいたのは、意外な人物で。驚いた声になった皓太を、本尾が笑った。

「さっき、見てただろ、おまえ」
「……すみません」
「べつに、誰も謝れとは言ってねぇよ。見られたくなかったら、場所くらい考える」

 威圧的なそれというよりは苦笑に近い。案外、それは本音に近いのではないかと思えた。見せたい相手は自分ではなかっただろうけれど。

「そう言えば、おまえ、あいつの幼馴染みなんだって?」

 本尾の言うところの「あいつ」が、ちょうどステージの中央に立ったところだった。マイクを持つと、桁違いの歓声が上がる。華やかな人だと遠目でも思う。先ほどの校舎裏でのやりとりが嘘のようだとさえ。
 皓太は答えなかったが、構わず本尾は続ける。

「あいつが泣いてるところ、見たことあるか?」
「え?」

 思わず視線をステージから逸らす。本尾は変わらず前方を見据えたまま、鼻で笑った。

「泣かしてやりてぇよな。昔から、何をやっても、あの顔から変わらねぇんだよ」

 泣いている顔どころか、怒っている顔もほとんど見たことがないかもしれないと思い至った。
 今は、ではない。あの頃から、だ。彼は子どもの頃から、彼として完成していた。基本的にいつもあの通りだ。あの通りを十八年、貫き続けている。
 ひび割れたマイクの音量が一層、けたたましくなって、場内が沸いた。いつの間にか、雌雄が決していたらしい。みささぎ祭のメインイベント。終わらなければ良いとさえ思ったそれも、あっというまに流れ落ちていく。
 中心にいるのは成瀬で、そのすぐ傍に茅野がいる。櫻寮だ。

「ほら、見てやれよ。櫻寮のご優勝だ」

 喧騒をものともしない冷めた声で、本尾が哂う。

「しかしまぁ、茅野も自分が寮生委員会のトップだからって、好き勝手やるよなぁ。ある意味で、会長様と良い勝負だ」
「茅野さんが?」
「おまえがどう思ってるのか知らねぇが、あいつは昔から強硬な会長派だぞ」

 強硬な会長派という台詞は、皓太の中の茅野のイメージと上手く合致しなかった。

「中立派を気取っている分、柏木なんかよりよっぽど性質が悪いと俺は思うが」

 皓太の反応を見るように、本尾の視線が落ちる。

「今回のこれも、どうせあいつが仕組んだんだろ。あいつが一瞬でも下に見られるのが、我慢ならなかったんじゃねぇのか?」

 表彰の挨拶に切り替わったステージで、準優勝の花を受け取った水城がマイクを持つ。涙交じりの声が健気に感謝と至らなさとを告げていて、応援する声があちこちから飛び交っていた。その声が、どこか遠い。

「まぁ、あいつが狙ったとおりに転んだとしても、一波乱あるぞ、間違いなく」

 一波乱。その声を受けて、皓太はゆっくりと本尾に視線を向け直した。

「本尾先輩は、波乱を起こして欲しいんですか」

 水城に。あるいは、楓寮に。問う声は、思っていたよりもずっと平たいものになった。

「おまえのそれ、あいつに似てるな」

 皓太を見降ろしていた本尾の瞳に、面白がる色が乗った。その眼がゆっくりと細くなって、こう吐き捨てる。

「冗談。入って来たばっかりの一年に、潰させてたまるかよ。何のために、俺がここまで待ったと思ってるんだ」

 とうとう言葉に詰まった水城の華奢な肩を、楓寮の寮長が抱きかかえ健闘を讃えている。とんだ茶番だ、と確かに思った。けれど、それはきっと少数派だ。

「高藤」

 その声に引きずられるようにして、皓太はステージから背を向けた。ステージは益々の盛り上がりを見せている。榛名も舞台袖で見ているのだろうかと、なぜか急にそんなことを思った。笑っているだろうか、と。

「見限りたくなったらいつでも言えよ。風紀に迎え入れてやる」

 本尾の声は笑っていた。

「それはないですよ、俺は」

 すげなく断った皓太を責めるでもなく、本尾が言葉を継いだ。

「それは残念だ。でもな、高藤。断言しても良い。会長様に言ったところで、あいつは結局のところ、何もしねぇぞ。動くのはいつも向原だ」

 大丈夫、と言った成瀬の顔が思い浮かんで、本尾に弁明しても意味はないのに否定しようと皓太は試みた。けれどそれより先に、本尾がどこか苛立たし気に言い足す。

「あの夢みたいなことばかりほざく理想論者のどこが良いのか知らねぇが、絆されてから、ずっとそうだ」

 音響からは明るい音楽が流れ始めていた。数年ぶりに櫻寮の優勝です。そんな煽るような声とともに。
 盛り上がる会場の中で上がった野次は、消えきらない。

「俺は、あいつと出逢う前の向原のほうが、ずっと真面だったと思うがな。今のあいつは、あいつじゃねぇよ」

 ゆっくりと本尾の視線が皓太からステージに移る。そこにいるのは、あの人たちだ。

「なぁ。おまえは、今が気に喰わないって顔をしてるが。そもそも今を創り上げたのはあいつだろう? それを気に喰わないと思いながらも、俺は四年間ここで過ごしてきた。だったら、今、俺がそれを壊したところで、あいつに文句を言う筋合いはないと思わないか」
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