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第一部
パーフェクト・ワールド・ハルⅧ ③
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「オメガの番人」
もちろんオメガなんていないから、比喩だけどな、と。茅野が言う。噛み砕ききれていない情動を呑み込むと、次に頭に浮かんだのは同室者の顔だった。
「襲われそうな線の細いベータは、みんなあいつに纏わりついていた」
どこか懐かしそうに茅野が眼を細める。直接見た記憶はないが、その光景の想像は簡単に出来た。
「ついでに言えば、あのころは、今よりずっと荒れていたんだ、学園が。おまえたちの代でも襲われかけただなんだはあったとは思うが、俺たちが中等部に入学してすぐのころは本当にひどかった」
「そんなに……ですか?」
「あぁ。殴り合いだってザラで、制服の下は痣だらけなんてこともあったんだぞ。信じられないかも知れないが」
眼を瞬かせた皓太に、茅野は簡単に応じて見せる。それは皓太の知らない世界の話だ。
「それを時間をかけて宥めていったのが、成瀬であり、向原だ」
そうして出来上がったのが、俺が知っているここだとでも言うのだろうか。わだかまりを消化できないまま、皓太は曖昧に頷いた。
生徒会に、そんなに力があると思ったことはない。だとすれば、あの人たちだから、なのだろう。
「まぁ、向原は……成瀬が求めていたから、その一端を担っただけ、かもしれないが。どちらにせよ、同じだな。影響力の強い人間が二人そろって、平和志向を促すんだ」
「そうなんでしょうね、きっと」
「おまけに、……おまえは知っているかもしれんが、向原だけじゃなく、あの顔で成瀬も腕っぷしが強いからな。性質が悪い」
苦笑いとしか言えない声で茅野が続ける。
「最後の番人とも言われていたな、そう言えば。あいつに面と向かって逆らうヤツもあまりいなかった。まぁ、本尾だとか、そういった一派を除いて、だが」
「……」
「そうしてある意味で今までの常識を押し込められていたおまえたちの前に今度現れたのが、あの『ハルちゃん』だったわけだ」
そう言えば、篠原さんも似たようなことを言っていたなと思った。異分子。平穏を乱す一手。
「僕はオメガです。けれど仲良くしてください。襲わないでください」
それは、入学式の朝の宣誓だった。皓太たちの世界を揺るがした、少年の天使のような美貌。
彼が――悪いわけでもないのだと思う。分かっている。ただ、でも、と思ってしまう。
「成瀬の主張と似ているようで、大きく違う」
茅野の声がゆっくりと身体に侵食していくように響く。彼がかつて挙げていた主張と、水城がほんの少し前、掲げた主張。
「成瀬の世界にはアルファもオメガもないが、水城の世界にはアルファとオメガしかいないんだ」
皓太を見据えたまま、茅野が小さく笑った。
「可哀そうだと思うよ、俺は。おまえたちの代が」
俺は、このままでいたかったのだろうと改めて思った。水城と同じ世界を望んでいる誰かがいたとしても、多数派だったとしても。俺は現状を維持したいと思っていたのだろう。
「おまえたちの学年で、特にアルファだオメガだ、そんな噂が蔓延しているのは、もちろん水城が在籍しているということもあるのだろうが、俺の目にはそれだけじゃなく映る」
「どういう意味ですか?」
「今まで抑圧されていたものが溢れ出したように映ると、そういうことだ」
それが倫理観だとでもいうのだろうか。だとすれば、今までのもので何が不満だったのだと、そう思う。少なくとも、皓太はそう思う。
無理やり抑え込まれていたわけではなく、この世界で生きていく上での当然だと思う。そう考えている寮生も何名もいるとも思いたいのに。
「その責任の一端は成瀬だろうし、当時の寮長だった俺にもあるんだろう。だから、出来得る限り、乱したくはないと思ってはいるんだけどな、これでも」
珍しく自嘲気味に茅野が笑って、脚をゆっくりと組み替えた。どこかに不遜さまで滲ませながら。
「俺は明日、ウチが優勝すべきだと思っている。それは、俺が寮長だからだというだけではなく、――この学園の現状を維持させるために必要だと思うからだ」
「成瀬さんが、今のトップだから?」
今を創り上げた張本人だから。その問いに明確に答えないまま、茅野が頷いた。
「現状ではなく、水城が勝ってみろ。盆がひっくり返るぞ」
「そんな怖い賭けを仕掛けないでくださいよ、茅野さん」
篠原も、同じようなことを言っていた。つまり、そう感じている人間は、いるということだ。茅野や、篠原だけではなく。二年生や、あるいは一年生にも。いる以上、変わる。どちらに転んでも。
――榛名が出ていれば、あるいは。と、考えて止めた。意味のないことだ、もうそれは。
そして、結果として、それを導いたのは、茅野だ。責める口調になった皓太に茅野は笑った。
「おまえは、あいつが負けると思っているのか? あの新入生に」
もちろんオメガなんていないから、比喩だけどな、と。茅野が言う。噛み砕ききれていない情動を呑み込むと、次に頭に浮かんだのは同室者の顔だった。
「襲われそうな線の細いベータは、みんなあいつに纏わりついていた」
どこか懐かしそうに茅野が眼を細める。直接見た記憶はないが、その光景の想像は簡単に出来た。
「ついでに言えば、あのころは、今よりずっと荒れていたんだ、学園が。おまえたちの代でも襲われかけただなんだはあったとは思うが、俺たちが中等部に入学してすぐのころは本当にひどかった」
「そんなに……ですか?」
「あぁ。殴り合いだってザラで、制服の下は痣だらけなんてこともあったんだぞ。信じられないかも知れないが」
眼を瞬かせた皓太に、茅野は簡単に応じて見せる。それは皓太の知らない世界の話だ。
「それを時間をかけて宥めていったのが、成瀬であり、向原だ」
そうして出来上がったのが、俺が知っているここだとでも言うのだろうか。わだかまりを消化できないまま、皓太は曖昧に頷いた。
生徒会に、そんなに力があると思ったことはない。だとすれば、あの人たちだから、なのだろう。
「まぁ、向原は……成瀬が求めていたから、その一端を担っただけ、かもしれないが。どちらにせよ、同じだな。影響力の強い人間が二人そろって、平和志向を促すんだ」
「そうなんでしょうね、きっと」
「おまけに、……おまえは知っているかもしれんが、向原だけじゃなく、あの顔で成瀬も腕っぷしが強いからな。性質が悪い」
苦笑いとしか言えない声で茅野が続ける。
「最後の番人とも言われていたな、そう言えば。あいつに面と向かって逆らうヤツもあまりいなかった。まぁ、本尾だとか、そういった一派を除いて、だが」
「……」
「そうしてある意味で今までの常識を押し込められていたおまえたちの前に今度現れたのが、あの『ハルちゃん』だったわけだ」
そう言えば、篠原さんも似たようなことを言っていたなと思った。異分子。平穏を乱す一手。
「僕はオメガです。けれど仲良くしてください。襲わないでください」
それは、入学式の朝の宣誓だった。皓太たちの世界を揺るがした、少年の天使のような美貌。
彼が――悪いわけでもないのだと思う。分かっている。ただ、でも、と思ってしまう。
「成瀬の主張と似ているようで、大きく違う」
茅野の声がゆっくりと身体に侵食していくように響く。彼がかつて挙げていた主張と、水城がほんの少し前、掲げた主張。
「成瀬の世界にはアルファもオメガもないが、水城の世界にはアルファとオメガしかいないんだ」
皓太を見据えたまま、茅野が小さく笑った。
「可哀そうだと思うよ、俺は。おまえたちの代が」
俺は、このままでいたかったのだろうと改めて思った。水城と同じ世界を望んでいる誰かがいたとしても、多数派だったとしても。俺は現状を維持したいと思っていたのだろう。
「おまえたちの学年で、特にアルファだオメガだ、そんな噂が蔓延しているのは、もちろん水城が在籍しているということもあるのだろうが、俺の目にはそれだけじゃなく映る」
「どういう意味ですか?」
「今まで抑圧されていたものが溢れ出したように映ると、そういうことだ」
それが倫理観だとでもいうのだろうか。だとすれば、今までのもので何が不満だったのだと、そう思う。少なくとも、皓太はそう思う。
無理やり抑え込まれていたわけではなく、この世界で生きていく上での当然だと思う。そう考えている寮生も何名もいるとも思いたいのに。
「その責任の一端は成瀬だろうし、当時の寮長だった俺にもあるんだろう。だから、出来得る限り、乱したくはないと思ってはいるんだけどな、これでも」
珍しく自嘲気味に茅野が笑って、脚をゆっくりと組み替えた。どこかに不遜さまで滲ませながら。
「俺は明日、ウチが優勝すべきだと思っている。それは、俺が寮長だからだというだけではなく、――この学園の現状を維持させるために必要だと思うからだ」
「成瀬さんが、今のトップだから?」
今を創り上げた張本人だから。その問いに明確に答えないまま、茅野が頷いた。
「現状ではなく、水城が勝ってみろ。盆がひっくり返るぞ」
「そんな怖い賭けを仕掛けないでくださいよ、茅野さん」
篠原も、同じようなことを言っていた。つまり、そう感じている人間は、いるということだ。茅野や、篠原だけではなく。二年生や、あるいは一年生にも。いる以上、変わる。どちらに転んでも。
――榛名が出ていれば、あるいは。と、考えて止めた。意味のないことだ、もうそれは。
そして、結果として、それを導いたのは、茅野だ。責める口調になった皓太に茅野は笑った。
「おまえは、あいつが負けると思っているのか? あの新入生に」
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