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第一部
パーフェクト・ワールド・ハルⅧ ①
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[8]
「あぁ、おまえが気にするようなことじゃない」
点呼の報告がてら茅野の部屋を訪れたのは、十時を少し過ぎた時間だった。昨日の演習中の出来事を謝った皓太に、茅野は椅子に座ったまま、あっさりと笑った。
「少しばかり楓には嫌味は言われたが、あいつら、今は虫の居所が悪いんだ。ミスコンの当てが外れたからな」
前日にバタバタと準備をするのは性に合わないとの茅野の仕切りで、櫻寮は昨日の夜でみささぎ祭の準備を終えている。
今日の午後の最終チェックも問題なく済み、寮長の号令で全員が揃った夜の食堂は、和やかな雰囲気で閉幕した。あとはもう明日を待つばかりで、忙しなさも終わりを告げるというのに、皓太の心境は少しも穏やかにならない。
――終われば、いつもの日常に戻って、いつもの自分に戻るのだろうか。こんな、苛々したりもせずに。
あれは、……いや、まぁ、榛名も悪かったとは思うけど。でも、それにしても、俺の八つ当たりも入っていたような気もするし。
「すみません。もう少し、俺が上手くやれたら良かったんですけど」
「確かにおまえは一年のフロア長だが、一年全体の責任を負う必要はないし、あいつの保護者でもなんでもないだろう」
「それはそうですけど」
「同室者が可愛いと苦労するな、おまえも」
仮に、榛名が可愛いだけだったらば、ここまで気苦労をかけられなかった、とも思う。あいつの場合、問題なのは、あの性格だ。猪かと言いたくなるような、アレ。
「おまえにばかり押し付けて多少は悪いかと思ったんだが、バランスを優先させるとそうなってしまってな」
「バランス……」
「おまえと同室、というのが、一番問題が起こりにくい」
さも当然と茅野が口にしたそれに、皓太は上手く頷くことが出来なかった。
「逆に、俺といるから、眼を付けられているんじゃないですかね、あいつは」
「そうとは限らんだろう。本人にとっては残念な話かもしれんが、目立つ面をしているからな、あいつも」
苦笑気味に、茅野が言葉を継いだ。
「榛名が、まぁ……なんというか、異性しか対象に出来ないというタイプであれば、また違ったかもしれんが。あの顔で、『成瀬さん、成瀬さん』と尻尾を振っていれば、同性もイケると思われても致し方ない」
「……」
「もともと、この学園はアルファが多いから。そういう意味での垣根も低いしな」
「珍しいですね、茅野さんがそんな話をするのも」
「寮長としては自由恋愛を勧める訳にはいかんからな、当然だろう。おまえもそうなりたい相手がいるのなら、止めはせんが、寮内で手は出すなよ」
この学園の中で、そんなことをするつもりは、皓太にはなかった。ただそれはあくまで自分の感覚で、そうでない人間が多いことも知っているけれど。
「茅野さんは、オメガでなくても男をそういう意味で対象に出来ますか?」
「どうだろうな、分からん」
躊躇いの末、皓太が吐き出した問いかけを、長考することもなく答えてから、茅野がふと真顔になった。
「ところで、おまえのその顔の理由は、それだけか?」
「え?」
「随分、煮詰まった顔をしているぞ。このところ」
とん、と茅野が自身の眉頭のあたりを叩いた。煮詰まった顔。しているのだろうなと諦めて、皓太は吐き出した。
あの榛名にまで似たようなことを言われたのだ。相当やられていることは、間違いない。
「俺は……語弊があるかもしれませんが、今のこの学園の空気が気持ち悪いんです。なんだか、落ち着かない」
茅野は何も言わなかった。時計の針の音がやけに響く気がする室内で、皓太は続けた。
「オメガだ、アルファだ。本来なら口にすべきではないと誰もが分かっていたはずのことが、当たり前のように口から飛び出す。あいつはオメガかも知れない。あいつはアルファだ」
オメガだろうがアルファだろうが関係ない。この学園で生活していく上で。何の関係もないことだと思っていた。
「俺は、それがすごく嫌です」
いつのまにか溜まり込んでいた淀みが言葉になった瞬間、実感した。あぁ、嫌だったのだと。それが腑に落ちていなかったのだと。
じっと黙って耳を傾けていた茅野が、おもむろに口を開いた。
「あぁ、おまえが気にするようなことじゃない」
点呼の報告がてら茅野の部屋を訪れたのは、十時を少し過ぎた時間だった。昨日の演習中の出来事を謝った皓太に、茅野は椅子に座ったまま、あっさりと笑った。
「少しばかり楓には嫌味は言われたが、あいつら、今は虫の居所が悪いんだ。ミスコンの当てが外れたからな」
前日にバタバタと準備をするのは性に合わないとの茅野の仕切りで、櫻寮は昨日の夜でみささぎ祭の準備を終えている。
今日の午後の最終チェックも問題なく済み、寮長の号令で全員が揃った夜の食堂は、和やかな雰囲気で閉幕した。あとはもう明日を待つばかりで、忙しなさも終わりを告げるというのに、皓太の心境は少しも穏やかにならない。
――終われば、いつもの日常に戻って、いつもの自分に戻るのだろうか。こんな、苛々したりもせずに。
あれは、……いや、まぁ、榛名も悪かったとは思うけど。でも、それにしても、俺の八つ当たりも入っていたような気もするし。
「すみません。もう少し、俺が上手くやれたら良かったんですけど」
「確かにおまえは一年のフロア長だが、一年全体の責任を負う必要はないし、あいつの保護者でもなんでもないだろう」
「それはそうですけど」
「同室者が可愛いと苦労するな、おまえも」
仮に、榛名が可愛いだけだったらば、ここまで気苦労をかけられなかった、とも思う。あいつの場合、問題なのは、あの性格だ。猪かと言いたくなるような、アレ。
「おまえにばかり押し付けて多少は悪いかと思ったんだが、バランスを優先させるとそうなってしまってな」
「バランス……」
「おまえと同室、というのが、一番問題が起こりにくい」
さも当然と茅野が口にしたそれに、皓太は上手く頷くことが出来なかった。
「逆に、俺といるから、眼を付けられているんじゃないですかね、あいつは」
「そうとは限らんだろう。本人にとっては残念な話かもしれんが、目立つ面をしているからな、あいつも」
苦笑気味に、茅野が言葉を継いだ。
「榛名が、まぁ……なんというか、異性しか対象に出来ないというタイプであれば、また違ったかもしれんが。あの顔で、『成瀬さん、成瀬さん』と尻尾を振っていれば、同性もイケると思われても致し方ない」
「……」
「もともと、この学園はアルファが多いから。そういう意味での垣根も低いしな」
「珍しいですね、茅野さんがそんな話をするのも」
「寮長としては自由恋愛を勧める訳にはいかんからな、当然だろう。おまえもそうなりたい相手がいるのなら、止めはせんが、寮内で手は出すなよ」
この学園の中で、そんなことをするつもりは、皓太にはなかった。ただそれはあくまで自分の感覚で、そうでない人間が多いことも知っているけれど。
「茅野さんは、オメガでなくても男をそういう意味で対象に出来ますか?」
「どうだろうな、分からん」
躊躇いの末、皓太が吐き出した問いかけを、長考することもなく答えてから、茅野がふと真顔になった。
「ところで、おまえのその顔の理由は、それだけか?」
「え?」
「随分、煮詰まった顔をしているぞ。このところ」
とん、と茅野が自身の眉頭のあたりを叩いた。煮詰まった顔。しているのだろうなと諦めて、皓太は吐き出した。
あの榛名にまで似たようなことを言われたのだ。相当やられていることは、間違いない。
「俺は……語弊があるかもしれませんが、今のこの学園の空気が気持ち悪いんです。なんだか、落ち着かない」
茅野は何も言わなかった。時計の針の音がやけに響く気がする室内で、皓太は続けた。
「オメガだ、アルファだ。本来なら口にすべきではないと誰もが分かっていたはずのことが、当たり前のように口から飛び出す。あいつはオメガかも知れない。あいつはアルファだ」
オメガだろうがアルファだろうが関係ない。この学園で生活していく上で。何の関係もないことだと思っていた。
「俺は、それがすごく嫌です」
いつのまにか溜まり込んでいた淀みが言葉になった瞬間、実感した。あぁ、嫌だったのだと。それが腑に落ちていなかったのだと。
じっと黙って耳を傾けていた茅野が、おもむろに口を開いた。
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