パーフェクトワールド

木原あざみ

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第一部

パーフェクト・ワールド・ハルⅦ ⑥

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「あれ、高藤。大丈夫だった? すごい勢いで戻って行ってたけど。……ん?」

 前方から現れた荻原が、行人の手元を見て、訝しげに首を傾げた。
 その反応に、まるで自分たちが手を繋いでいるような状態だったことを思い出す。離そうとした行人を他所に、高藤は至っていつも通りの声で応じた。

「荻原、応援席のほうにもう戻れるんだよな? 悪いけど、頼むわ。べつにどうと言うほどではないんだけど。榛名が今度は水城に暴言吐いて」

 まだ水城たちの姿の残る櫻寮の応援席を示した高藤に、荻原が困惑を隠さない顔で笑った。

「え……、うーん、分かった。道理で、ハルちゃんというか、ハルちゃんの取り巻きの視線が怖いわけだ」
「面倒なこと頼んで悪い」
「いや、まぁ、……べつに良いけど。お二人は? 委員の仕事で抜けるんですって感じで良かった?」

 慣れた様子で請け負った荻原に、「悪い」ともう一度口にして、高藤が歩き出す。引っ張られる形で足を踏み出したところで、追い抜きざま、荻原が小さく手を振った。怒られておいで、とでもいうように。

 結局、高藤の足が止まったのは、人気のない校舎の方に着いてから、だった。手は離れたけれど、高藤は振り向かない。何も言わない。
 普段なら気にならないはずのそれに耐えかねて、行人は口を開いた。

「あんな愛想良く振舞えたんだな」
「そりゃ、昔から、鉄板の猫かぶりを近くで見てるもので。……というか、おまえこそ、ちゃんと後で四谷に礼言っとけよ。やっと、寮に馴染もうって気も出てきたのかって、俺としては安心してたんだけど」

 そこまで言って、高藤が振り向いた。口調は淡々としていたが、どこか苛立ったふうに息を吐く。

「ちょっとは丸くなったかと思ったけど、やっぱ変わってないね、おまえ。全然」

 変わって、ない。吐き捨てられても仕方がないことだった。なのに。

「場所くらい弁えろよ、いい加減。しかも、一応、おまえ、今、寮生委員会の所属になってんだしさ。茅野さんとか、櫻寮にかかるだろう迷惑も考えて発言しろって」

 俺は、おまえとはどうせ違う、だとか。おまえに言われなくても分かっている、だとか。いつもなら言い返しただろう台詞が出てこなくて、行人は結局、躊躇いがちに言葉を継いだ。

「悪い。その、迷惑かけて」

 収束を図ってくれたのは高藤で、それだけは間違いがない。
 良いよな、おまえは、アルファだから。オメガじゃないから。卑屈な言い訳が浮かんでは消えていく。
 なぜか、以前よりもずっと、そんなことを思う瞬間が増えたような気がする。
 それのすべてを水城の所為だとは、さすがに思わないけれど。でも。

「あー……、嘘、悪い。悪かった」

 視線の先で、高藤が僅かに目を逸らした。

「嘘ではないけど。いや、でも、……気付いてると思うけど、俺も最近苛々してたから、言い過ぎた。変わってるよ、おまえは良いように、ちゃんと。最近、大人しかったもんな。だから、ちょっと久しぶりで、俺もびっくりしたというか」

 実は久しぶりではなく、少し前に寮内でもやらかしている。荻原が高藤に黙っておいてくれたのかもしれないが。
 苛立ちを苦笑に変えて、高藤が続けた。

「これは、俺の……その、なんていうかな。俺が、勝手に感じてることだから、絶対ってわけでもないし、強制するようなものでもないんだけど」

 まどろっこしいその前置きが、いかにもらしいと思った。高藤は、無理に押し付けない。強要しない。そして、それは、ある意味でアルファらしくない。

「あんまり関わるな。水城に。あまり良い気がしない」

 だから、それは、意外だったかもしれない。この男が、特定の誰かを排除しようとしていることが。

「俺だって、必要があれば愛想くらい振る。嫌なことがあっても、揉め事にしたくなかったら、受け流す。誰だって、そうだ。だから」

 言い淀むように言葉を切って、けれど、しっかりと行人を見た。

「前にも言ったけど、俺はおまえのそういう不器用なところも、ある意味で素直なところも嫌いじゃない。でも、それと、これとは別問題だろ。めちゃくちゃ無理しろとは言わないけど、出来るんだったら、受け流し方を覚えた方が良い」
「……うん」
「目立つところで、あいつと揉めるな。かなりの確率で悪者になるのも、弾かれるのも、おまえになる」

 それは、きっとそうだ。言われなくとも、その未来は簡単に予見できる。けれど、と思う。
 もともと行人は受けが良いタイプの立ち位置にいない。誰と揉めたってそうなるだろうし、今までだって、そうだった。

「愚痴くらい、あとで聞いてやるから、俺が、いくらでも。なにかあっても、苛立っても、多少の理不尽は、黙って呑み込め」
「どうかしたのか、おまえ」
「なにが」
「そんなこと、おまえ、言わないじゃん」

 だから、どうとも上手く言えないのだけれど。遮られる形になって、高藤が微かに眉を上げて。けれど、諦めたように笑った。

「俺だって、苦手な人間くらいいるよ」
「そりゃ、そうかもしれないけど」
「優先順位だって、つけるよ。それだけ」

 櫻寮の面倒を看なければならない、という立ち位置として、なのだろうか。どこか投げやりに言って、話を終わらせた高藤に、行人は引き留めるように声をかけた。

「おまえの愚痴も聞くからな、俺で聞けることなら」

 意外だったのか、高藤は、静かに行人を見返して、

「説教してたの、俺のつもりだったんだけどな」

 とだけ言った。
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