パーフェクトワールド

木原あざみ

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第一部

パーフェクト・ワールド・ハルⅦ ④

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 肌を焼く太陽は、まだ五月に入ったばかりだというのに、じりじりとした熱を孕んでいる。

 ――暑いと、より頭痛が増す気がするんだよなぁ。

 慢性的な頭痛とは慣れた付き合いだが、それでも刺すような痛みが走ると表情は自ずと曇る。元より愛想が良いとは言えないそれが更に硬化してしまっているわけだが、改善しようとまでは思えない。
 そもそも論で言えば、体調の悪いときの己の顔つきまで意識してなどいなかったのだ。良くも悪くも目敏い同室者に指摘されるうちに、最低限レベルでは気に留めようと思うようになったというだけで。


「流して走ってるだけなのに、高藤は速いなぁ」

 格好良い、と。ハートマークが付きそうな四谷の声に、視線をグラウンドに向ける。本番を二日後に控えてのミニ運動会の全校リハーサル。寮別対抗リレーの走者が、一年から二年に渡ったところだった。

「なぁんで、榛名はあんな完璧なのと四六時中一緒に居るくせに、好きにならないかなぁ」
「って、好きになったら、困るの四谷じゃないの? 泣く羽目になるよー」
「なんで俺が負けるのが前提なわけ? 信じられないんですけど」
「まぁ、そもそもが、榛名は会長派だもんね。そういう意味では、良かったじゃん、四谷」
「だから、なんで俺が勝てない感じなの」

 丸い目をつり上げた四谷に周囲から笑いが起こる。その輪の端で、行人も小さく笑った。言っている内容は、さして以前と変わっていないようにも思うのに、滲み出る棘の量は大増減だ。
 そして、眼に見える形で四谷の態度が軟化したことによって、寮での雰囲気もまた少し変わった。
 変わろうと思えば、変えることは誰にでも出来る。茅野はいとも簡単に言っていたが、こういうことなのだろう。
 一匹狼を気取るのは楽だが、理解者が増えることはない。

「会長と言えば、聞いた? 内部投票の結果」

 正式な発表は、みささぎ祭当日となっているが、結果をステージ構成に反映する手法をとっていることも有り、二日前ともなればなんとはなしに知れ渡っている。「あぁ」と短い声を四谷が上げた。

「ウチらしいね、一位」
「みたい、みたい。やっぱり一年はハルちゃんに投票している子が多かったみたいだけど、二年とか三年は会長派が多かったみたいだね」
「寮長の高笑いが特別フロアから響いてたとは聞いたけど。残るは外部投票だけとなれば勝ったも同然だ、って」
「まぁ、確かに。インパクトも見た目もウチのほうが強いかもね」
「ハルちゃんも可愛いけど。三年生の貫禄ってやつかなぁ。あとウチの寮の三年は結託しててずるいって楓のヤツはボヤいてたけど」
「ウチの三年生、豪華だもんねぇ」

 応じる声はどこか嬉しげで誇らしげだ。役職持ちが多い所為で、この寮別で組み分けられた応援席にもほとんど最上級生は座っていない。寮の上級生に学内の有名人が居るというのは、それだけでステイタスなのだ。恐らく、多くの下級生にとって。

「個人的には、俺、柊だけは嫌だったからさぁ、櫻に配属されたときはほっとしたなぁ。宮森は風紀だから知ってるだろ? やっぱり、怖いの? 本尾先輩って」
「委員長が、というか、柊の二、三年がほとんど風紀だから勝手に怖がってんだろ、皆。まぁ、確かに櫻寮とは違って、体育会系っぽい雰囲気はあるけど。そこまでじゃないよ」

 櫻寮生の中で唯一、風紀委員会に所属している宮森が眉を下げた。委員長筆頭に強面のイメージが強い風紀委員にしては、優しげな風貌が風に揺れる。

「それに、委員長も怖いだけじゃなくて、格好良いしさ。あれで、案外、身内には優しかったりもするんだって」

 身内に優しい、本尾先輩。宮森の言葉を脳内で繰り返してみたものの、行人は結局、想像を放棄した。無理だ。
 そりゃ、俺がまかり間違っても身内じゃないから、出来ないだけで、実際はもしかしたら「そう」なのかもしれないけれど。あの成瀬をして、やりづらそうなのだ。その事実だけで行人には十分だった。

 ――高藤に言われなくても、向原さんは怖いだけじゃないって言うのは、分かるは分かるんだけど。

 ただちょっと、嫉妬心が勝るだけで。

「あ」

 華やかな声と、鼻先を掠めた甘い香り。それだけで、誰が近くにいるのかすぐに分かった。水城春弥。もはや誇張ではなく、行人たちの学年の「お姫様」だ。

「ハルちゃん!」

 同期生の弾んだ呼びかけに、取り巻きを連れた水城の足が応援席の前で止まる。相変わらずの美少女のような笑みに、周囲の視線が一瞬で彼に集まる様は圧巻で。

「本番もがんばってね、ハルちゃん。明後日のステージ楽しみにしてる」
「矢中くん、櫻寮なのに、そんなこと言っていいの? でも、ありがとう」

 揶揄う調子のそれに笑いが起こって、けれどその波には行人は乗れなかった。苦手だという意識は取れるどころか、近づくたびに増していく。同じ性だという同族嫌悪の一種なのかもしれないと思いながら。
 視線を逸らし掛けた行人を見咎めるように、水城がにこりと微笑んだ。
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