38 / 484
第一部
パーフェクト・ワールド・ハルΦ ⑥
しおりを挟む**
肌に触れる夜風は、まだ冷たい。蒸し暑いと感じるようになれば、卒業までもあっというまなのかもしれない。
――どちらにしても、あと、一年か。
「向原さん」
近づいてくる砂利を踏む足音に視線を持ち上げた。高藤皓太。この学園に入学する前から向原のことを知っているからか、自分に対して必要以上に物怖じしない変わり者で、成瀬の可愛がっている子どもだ。
「向原さん、こういうのに姿現さないって思ってた」
「あいつらが煩いからな、顔だけ」
「それだって、どうとだって出来るじゃないですか。その気があれば」
ある意味で、それは正しい。否定も肯定もせず、成瀬の方を見やる。輪の中で笑っている姿に、嫉妬するというよりは、ほっとした。
この空間でなら、ある程度は肩の力を抜いていると分かるから。
「ところで、また機嫌悪いんですか?」
「篠原か」
どこか笑いを含んだ言い様に、向原も小さく笑った。
「まさか。そんな面倒なこと続けるわけねぇだろ。まぁ、――多少は気にするかとも思ったが、あの通りだしな」
「……でしょうね」
諦めを含んだ応えに、なんとはなしに向原は言葉を継いだ。
「面倒なことになるから止めとけば良いのに、と思ったのも事実だけどな。あいつ、言うこと聞かねぇから」
「仕方ないと思うしかないですもんね」
「あいつの、母親」
「え?」
「絶対、良い顏しねぇぞ。知ったら」
また電話なりなんなりで猛抗議を受けて、頭を抱えるだろう未来は簡単に予見できるのに。アルファであれ。有能なアルファであれ。アルファの中でも飛びぬけた一握りであれ。あいつにその呪いをかけた張本人。
「上手く立ち回れるつもりなんでしょう、本人は」
その家庭環境を、――根本的なところは知らないだろうが――、知っている察しの良い子どもは、困ったように息を吐いた。
「本人は、な」
答えを求めていたわけでもなかったが、子どもは何も言わない。つまり、そういうことだ。
二つの輪が出来上がっている中庭はいかにも長閑な風情だった。手持ち花火の煙と、火薬の匂い。
――箱庭の、楽園。
そんなことを言っていたのは、まだ中等部に在籍していたころの成瀬だ。
「なんか、甘い匂いがする」
不意に声が耳に届いたのは、懐かしいことを思い出していた折だった。
「たぶん、榛名ちゃんですよ。あの子、いつも甘い香水付けてるから」
「どうりで。確かにあっちからだわ。嫌な臭いでは全然ないけど」
「よく分かりますね。この火薬の匂いの中で」
驚きの混じった皓太の声に、風上だからな、と短く答えて、向原はゆっくりと足を中庭へと向けた。
「あ、向原」
近づいてきたのを見とめて、成瀬が顔を上げる。
「花火する? まだ選べるくらいあるらしいけど」
「しない」
「なんだ、向原。やっと出てきたと思ったらやる気のない。確かにねずみ花火の類は危険だからないけどな、それ以外なら揃っているぞ」
「誰が投げつけたいって言ったよ、おまえに」
「そもそもとして、なんで投げつけられないといけないんだ。ねずみ花火の楽しみ方はそれではないからな。というか、なんだ。おまえ、まだ俺に対して思うところでもあるわけか」
ちらちらとこちらを窺う小動物に、溜息を吐きかけて、止めた。「分かりやすく優しくしてやれ」と煩い手合いがもう一人いる。
ある意味で、おまえよりずっと俺のほうがそいつに対して優しいだろうと思うのだが。
甘やかしすぎだろう、どいつもこいつも。との本音も呑み込んで、「成瀬」と当初の目的を呼ぶ。
「上着」
羽織っていたそれを突き出すと、瞳が瞬いた。
「いらないけど」
「成瀬ー。おまえが今ここで不精して風邪でも引いてみろ、卒業するまで恨むからな」
「長ぇよ、分かった、分かった」
伸びてきた白い手が攫って、肩から羽織る。ふわり、と匂いが変わったような気がした。
おまえのそれって、マーキングのつもりなの。呆れたふうに一度、昔、篠原に言われたことがある。そうやって、あいつの部屋にやたら入り浸っているのとか、あいつの服とおまえの服がよく入れ替わっているのとか。
意識していたつもりはなかったが、そうだったのかもしれないとは思った。相変わらず、野生の勘のようなものかもしれないが、よく見ている。
花のような、甘い香り。引き寄せられるのは、アルファとしての本能なのだろうか。この男の運命は、どこにいるのだろう。ずっと遠いところにいればいい。そうすれば、出逢うこともないだろうから。あるいは、ずっと近くにいればいい。そうすれば、出逢えなくさせてやれるから。
向原のつがいは幸せだろうな。いつか何の他意もなさそうに成瀬が言っていた言葉を思い出した。俺は、おまえに現れるかもしれない運命を握りつぶしたいと思っている。そんなことを知ろうともしないで、信頼していますと言わんばかりの顔で笑う。
本当は、誰も信じてなどいないくせに。
11
お気に入りに追加
139
あなたにおすすめの小説
とある金持ち学園に通う脇役の日常~フラグより飯をくれ~
無月陸兎
BL
山奥にある全寮制男子校、桜白峰学園。食べ物目当てで入学した主人公は、学園の権力者『REGAL4』の一人、一条貴春の不興を買い、学園中からハブられることに。美味しい食事さえ楽しめれば問題ないと気にせず過ごしてたが、転入生の扇谷時雨がやってきたことで、彼の日常は波乱に満ちたものとなる──。
自分の親友となった時雨が学園の人気者たちに迫られるのを横目で見つつ、主人公は巻き込まれて恋人のフリをしたり、ゆるく立ちそうな恋愛フラグを避けようと奮闘する物語です。
嫌われものの僕について…
相沢京
BL
平穏な学校生活を送っていたはずなのに、ある日突然全てが壊れていった。何が原因なのかわからなくて気がつけば存在しない扱いになっていた。
だか、ある日事態は急変する
主人公が暗いです
【BL】男なのにNo.1ホストにほだされて付き合うことになりました
猫足
BL
「浮気したら殺すから!」
「できるわけがないだろ……」
相川優也(25)
主人公。平凡なサラリーマンだったはずが、女友達に連れていかれた【デビルジャム】というホストクラブでスバルと出会ったのが運の尽き。
碧スバル(21)
指名ナンバーワンの美形ホスト。博愛主義者。優也に懐いてつきまとう。その結果、恋人に昇格。
「僕、そのへんの女には負ける気がしないから。こんな可愛い子、ほかにいるわけないしな!」
「スバル、お前なにいってんの…?」
美形病みホスと平凡サラリーマンの、付き合いたてカップルの日常。
※【男なのになぜかNo. 1ホストに懐かれて困ってます】の続編です。
私の事を調べないで!
さつき
BL
生徒会の副会長としての姿と
桜華の白龍としての姿をもつ
咲夜 バレないように過ごすが
転校生が来てから騒がしくなり
みんなが私の事を調べだして…
表紙イラストは みそかさんの「みそかのメーカー2」で作成してお借りしています↓
https://picrew.me/image_maker/625951
チャラ男会計目指しました
岬ゆづ
BL
編入試験の時に出会った、あの人のタイプの人になれるように…………
――――――それを目指して1年3ヶ月
英華学園に高等部から編入した齋木 葵《サイキ アオイ 》は念願のチャラ男会計になれた
意中の相手に好きになってもらうためにチャラ男会計を目指した素は真面目で素直な主人公が王道学園でがんばる話です。
※この小説はBL小説です。
苦手な方は見ないようにお願いします。
※コメントでの誹謗中傷はお控えください。
初執筆初投稿のため、至らない点が多いと思いますが、よろしくお願いします。
他サイトにも掲載しています。
悪役令息の兄には全てが視えている
翡翠飾
BL
「そういえば、この間臣麗くんにお兄さんが居るって聞きました!意外です、てっきり臣麗くんは一人っ子だと思っていたので」
駄目だ、それを言っては。それを言ったら君は───。
大企業の御曹司で跡取りである美少年高校生、神水流皇麗。彼はある日、噂の編入生と自身の弟である神水流臣麗がもめているのを止めてほしいと頼まれ、そちらへ向かう。けれどそこで聞いた編入生の言葉に、酷い頭痛を覚え前世の記憶を思い出す。
そして彼は気付いた、現代学園もののファンタジー乙女ゲームに転生していた事に。そして自身の弟は悪役令息。自殺したり、家が没落したり、殺人鬼として少年院に入れられたり、父に勘当されキャラ全員を皆殺しにしたり───?!?!しかもそんな中、皇麗はことごとく死亡し臣麗の闇堕ちに体よく使われる?!
絶対死んでたまるか、臣麗も死なせないし人も殺させない。臣麗は僕の弟、だから僕の使命として彼を幸せにする。
僕の持っている予知能力で、全てを見透してみせるから───。
けれど見えてくるのは、乙女ゲームの暗い闇で?!
これは人が能力を使う世界での、予知能力を持った秀才美少年のお話。
元生徒会長さんの日常
あ×100
BL
俺ではダメだったみたいだ。気づけなくてごめんね。みんな大好きだったよ。
転校生が現れたことによってリコールされてしまった会長の二階堂雪乃。俺は仕事をサボり、遊び呆けたりセフレを部屋に連れ込んだりしたり、転校生をいじめたりしていたらしい。
そんな悪評高い元会長さまのお話。
長らくお待たせしました!近日中に更新再開できたらと思っております(公開済みのものも加筆修正するつもり)
なお、あまり文才を期待しないでください…痛い目みますよ…
誹謗中傷はおやめくださいね(泣)
2021.3.3
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる