パーフェクトワールド

木原あざみ

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第一部

パーフェクト・ワールド・ハルⅣ ④

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 くわ、と欠伸を噛み殺して、皓太は校内履きに履き替えた。まだ朝も早いというのに、楽しげな空気が昇降口にまで漂ってきている。

 ――あぁ、そうだ。今日からか。

「高藤、おはよう」
「おはよ」

 上がり框で同じクラスの二階に声を掛けられて、皓太はもう一度欠伸を呑み込んだ。

「眠そうじゃん。みささぎ祭の準備、大変なのか?」
「んー、いや、それほどでもないよ。一応、順調」
「高藤も大変だよな。やっと生徒会から解放されたと思えば、今度は寮生委員会だもんな」
「まぁ、でも、中等部の時とはまた違うし。ある意味では楽しいよ」

 そう思わないとやってられない、というだけではあるが。優等生な回答に二階が肩を叩く。

「それだけ期待されてるってことだよ。高藤は目立つから」
「体よく押し付けられてるだけだって。それより、二階はもう見たの、校内新聞」
「まだ。でもどうせ、教室に一歩踏み込んだ瞬間、お祭り騒ぎだろ? そんなに急いで見たいとも思えなくて」

 二階はアルファの多い皓太のクラスでは珍しいベータだ。積極的に聞いたわけではないが本人が言っていたので、「そう」なのだろう。
 だからなのか、水城春弥にさした興味もなく、浮つき続けている教室内の空気に辟易しているらしい。同じく水城に過大な関心を示さない皓太の傍にいることが多くなっていた。
 その二階の顔が、自教室に近づいた途端、嫌そうに歪んだ。

「ほら。さっそく、やってる」
「だな」

 いつもに増して喧しいだろうと覚悟してはいたが、想像以上かもしれない。水城を褒めそやす複数の声が教室に入る前から耳に痛いほどだ。
 いわく、「ハルちゃん、可愛い」「ハルちゃん、すごいね、これ」「陵のお嬢様なんか目じゃないね」「さすがハルちゃん」「ハルちゃん」「ハルちゃん」、である。
 中等部にいたころは偉そうな態度を隠しもしていなかったアルファたちが、たった一人の編入生に猫なで声を振りまいている。
 榛名が見たら二階の比ではなく嫌がるに違いない。そんな想像で精神を和ませてドアを引く。前方にある水城の机に群がる一団は、嫌でも目に付いた。

「この写真、何回見ても可愛いね。ハルちゃんが一番って決まったようなものだね、もう」
「ありがとう、でもちょっと恥ずかしいな」

 アルファに囲まれてはにかんでいた水城の顔がゆっくりと持ち上がる。目が合ってしまったと思った瞬間、なぜか嬉しそうに水城が口を開いた。

「高藤くんも見てくれた? 新聞」
「え、あー……。まぁ」

 見たは見たけれど。水城の取り巻きから送られる視線は、多分に嫉妬を孕んでいる。面倒くさいなと思いながら、皓太は感想をひねり出した。

「すごかったね」
「って、それだけかよ? 可愛い、とか、似合ってる、とか。いくらでもあるだろ、普通」
「いや。だって」

 可愛い、とだけはなんとなく言いたくない。それはおそらくに防衛反応だったのだが、水城の期待にはそぐわなかったらしい。どことなくしょんぼりしたふうに見つめられて、ぎくりとする。

「やっぱり、僕、変だったかな」

 そして、これである。これが、――百歩譲って、学外で、女の子からであれば、とにもかくにも謝ろうという気も起きるかもしれない。だが、皓太からすれば、オメガであろうがなんであろうが、水城は男だ。
 水城のこれに庇護欲をそそられるアルファは多いのかも知れないが、皓太にはよく分からない。
「そんなことないって! ハルちゃん、めちゃくちゃ似合ってるよ。すげぇ可愛い」
「そうそう。高藤は放っとけって。こいつ、櫻だし、同室がアレだから」
「アレって」

 なんだ、アレって。人の同室者を、というか、同級生をアレ呼ばわりしてやるなよ、と。物申し掛けた皓太の気を削ぐには十分な台詞を、取り巻きの一人が口にした。

「櫻って言えばさ」

 手にしていた新聞を繰って、出来れば直視したくないページを彼が広げる。

「これ、すごいよな。会長だろ?」
「うん。まぁ、……見ての通り、そうだけど」

 ぎょっとしたように二階が皓太と紙面とを見比べていたが、苦笑しか出来ない。その間に、あっという間に会話は押し流されていく。

「ハルちゃんの可愛さとは正反対だけど、すごいはすごいよな。美人というか、妖艶というか」
「やりすぎなのにハマってるからやばいんだって。うちの寮も特に三年生がめちゃくちゃ盛り上がってたよ、昨日。フライングで写真を手に入れて来てた先輩がいてさ」
「分かる、分かる。でも、あれは、なんというか、俺らは盛り上がっちゃいけない領域だわ。怖いもん」
「ま、だからこその我らがハルちゃんだけどな」
「だよな、あれは俺らが手ぇ突っ込んだら、後で泣きみるよ、絶対」

 泣きをみる、というか、手を突っ込もうとするな。頼むから。
 こんなことならいっそのこと、水城の話題でずっと盛り上がっていてくれたほうが良かった。まだ一限目すら始まっていないのに、どっと疲れた。飛び交う話は自分からは完璧に逸れている。今のうちに退散しよう。
 そう目論んで動いたのが悪かったのだろうか。それまでにこにこと成り行きを見守っていた水城が不意に声を上げた。
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