13 / 484
第一部
パーフェクト・ワールド・ハルⅡ ④
しおりを挟む
風紀委員たちが進んだのとは逆方向の、旧校舎に続く渡り廊下。そこに一台だけ設置されている自販機は種類が少ない所為もあってか、利用者は少ない。今日も、終わりかけとは言え昼休み中なのに、先客の姿はなかった。
「なんか飲む? ついでに奢ろうか」
「いらね」
「まぁ。そう言わず。好きだよな、これ」
行人の答えをさらりと無視して、高藤がボタンを押した。短い電子音の後、ホットコーヒーが出来上がる。湯気とともに甘い匂いが漂い上ってきた。
「たまには甘いの飲んで、休憩したら? 俺はブラックしか飲みませんって顔で、嫌そうに飲むの止めたらどうよ、いい加減」
「ほっとけ」
なんで一々細かいことに気が付くのだろう、この男は。
視線を落としたまま、行人は諦めてそれを受け取った。まだ少し風が吹けば肌寒い季節だ。持った指先からぬくもりが伝わってくる。
「それで、なんでそんなにピリピリしてたの? 言っても、今更だろ。本尾先輩の挑発なんて」
「べつに。ちょっと虫の居所が悪かっただけと言うか」
自分の紙コップに口を付けて、高藤が首を傾げた。
「そんなに大変なわけ?」
「なにが」
「なにがって、……ミスコン。その勧誘がストレスになってんのかな、と。ほら、おまえ、昨日も茅野さんが食堂に入って来た途端、逃げ出してたから」
そっちか、と。行人はひそかに肩から力を抜いた。
「まぁ、そりゃ、ストレスっちゃストレスだけど。でも、あと一週間くらい逃げ切ったら、なんとかなるだろ。たぶん」
「榛名には悪いけど、茅野さん、なかなか諦めないと思うよ? ミスコンにかなり力いれてるから」
「だから、適当に折れろってか」
苛々と行人は吐き捨てた。それが一年生として正しい判断なのだろうとは分かるが、受け入れようとは到底、思えない。
「いや、そうじゃなくて。もっと上手く成瀬さん使ったら良いのにと思って。相談してみたら?」
「上手く使え、って」
「言い方が悪かったなら謝るけど。あの人、なんだかんだ言って、気に入ってる人間の為に権力行使することは嫌がらないから」
それは幼馴染みのおまえで、あの人と同じアルファのおまえだから言える台詞だろう。前半はともかくとして後半を口に出来るわけもない。
だから、行人はただ不服を表すようにして眉を寄せた。
「絶対、言うなよ。成瀬さんに」
「そんなに意地張らなくても」
「俺がどうにかするから、だから、余計なこと、あの人に言うなよ」
はっきりとした策があるわけでもないけれど。この程度の問題を自分で解決できなければ、ここで「ベータ」として生きていけない。
意地を張らなくともと言われても、張らないわけにはいかない行人の意地だ。
「俺の問題だから。俺がケリ、付ける」
言い切った行人に、高藤は仕方がないとでも言いたげに嘆息した。
「本当、おまえって」
「なんだよ」
艶やかな黒髪を指先で引っ張って、高藤が苦笑を零した。困ったときや照れたとき。反応に困ったときにする癖だ。
「なんか、その妙に頑ななところ、昔の成瀬さんに似てるよ。いくら憧れてるからって、どうせ真似するならもっと有意義なところ、真似したら良いのに」
「有意義……」
「次の中間考査、学年一位取るとか」
「無理に決まってるだろ」
「冗談だって。榛名は榛名のやれるところ伸ばしたら良いよ。同じ人間なんていないんだから」
勢い良く嚙みついた行人になぜか安心したように笑って、高藤が手にしていた紙コップを空にした。
「まぁ、きつくなったら言えよ。力になれるところはなるから」
「……おう」
「おまえはそれ飲み切って、落ち着いてから戻れよ、教室。また怖い顔って言われるぞ」
「うるさい、おまえは俺の保護者か」
自分で言っておいてなんだが、ひどく落ち着きが悪い。そんなもの、求めていないはずで、あってはならないものだ。
「同室者でフロア長ではあるな」
何でもないことのよう応えたかと思うと、高藤は「じゃあな」とそのまま校舎の方へと戻って行ってしまった。
その背を見送って、行人はようやく手にしたままだった紙コップに口を付けた。甘いそれがじんわりと口中に広がっていく。
水城春弥がオメガであると告白した入学式以来、この学園は浮足立っている。
アルファと優秀なベータしか在籍していない。そう信じられていた学園に投じられた石。あの水城春弥がオメガだというのなら。オメガが主席で入学できるというのなら。オメガ性の者が他に居てもおかしくないのではないか。
まるで異端を探すように。密やかに、囲うように。根拠もない憶測が面白おかしく学内に蔓延し始めていた。
榛名行人はオメガなのではないか。そう疑われていることを、行人は知っている。何の根拠もない、興味本位が先行した、ただの噂。
――けれど。
「あいつ、どれだけ砂糖追加したんだよ、これ」
慣れない甘さに舌先が痺れてしまいそうで、行人はそっと目を閉じた。
「なんか飲む? ついでに奢ろうか」
「いらね」
「まぁ。そう言わず。好きだよな、これ」
行人の答えをさらりと無視して、高藤がボタンを押した。短い電子音の後、ホットコーヒーが出来上がる。湯気とともに甘い匂いが漂い上ってきた。
「たまには甘いの飲んで、休憩したら? 俺はブラックしか飲みませんって顔で、嫌そうに飲むの止めたらどうよ、いい加減」
「ほっとけ」
なんで一々細かいことに気が付くのだろう、この男は。
視線を落としたまま、行人は諦めてそれを受け取った。まだ少し風が吹けば肌寒い季節だ。持った指先からぬくもりが伝わってくる。
「それで、なんでそんなにピリピリしてたの? 言っても、今更だろ。本尾先輩の挑発なんて」
「べつに。ちょっと虫の居所が悪かっただけと言うか」
自分の紙コップに口を付けて、高藤が首を傾げた。
「そんなに大変なわけ?」
「なにが」
「なにがって、……ミスコン。その勧誘がストレスになってんのかな、と。ほら、おまえ、昨日も茅野さんが食堂に入って来た途端、逃げ出してたから」
そっちか、と。行人はひそかに肩から力を抜いた。
「まぁ、そりゃ、ストレスっちゃストレスだけど。でも、あと一週間くらい逃げ切ったら、なんとかなるだろ。たぶん」
「榛名には悪いけど、茅野さん、なかなか諦めないと思うよ? ミスコンにかなり力いれてるから」
「だから、適当に折れろってか」
苛々と行人は吐き捨てた。それが一年生として正しい判断なのだろうとは分かるが、受け入れようとは到底、思えない。
「いや、そうじゃなくて。もっと上手く成瀬さん使ったら良いのにと思って。相談してみたら?」
「上手く使え、って」
「言い方が悪かったなら謝るけど。あの人、なんだかんだ言って、気に入ってる人間の為に権力行使することは嫌がらないから」
それは幼馴染みのおまえで、あの人と同じアルファのおまえだから言える台詞だろう。前半はともかくとして後半を口に出来るわけもない。
だから、行人はただ不服を表すようにして眉を寄せた。
「絶対、言うなよ。成瀬さんに」
「そんなに意地張らなくても」
「俺がどうにかするから、だから、余計なこと、あの人に言うなよ」
はっきりとした策があるわけでもないけれど。この程度の問題を自分で解決できなければ、ここで「ベータ」として生きていけない。
意地を張らなくともと言われても、張らないわけにはいかない行人の意地だ。
「俺の問題だから。俺がケリ、付ける」
言い切った行人に、高藤は仕方がないとでも言いたげに嘆息した。
「本当、おまえって」
「なんだよ」
艶やかな黒髪を指先で引っ張って、高藤が苦笑を零した。困ったときや照れたとき。反応に困ったときにする癖だ。
「なんか、その妙に頑ななところ、昔の成瀬さんに似てるよ。いくら憧れてるからって、どうせ真似するならもっと有意義なところ、真似したら良いのに」
「有意義……」
「次の中間考査、学年一位取るとか」
「無理に決まってるだろ」
「冗談だって。榛名は榛名のやれるところ伸ばしたら良いよ。同じ人間なんていないんだから」
勢い良く嚙みついた行人になぜか安心したように笑って、高藤が手にしていた紙コップを空にした。
「まぁ、きつくなったら言えよ。力になれるところはなるから」
「……おう」
「おまえはそれ飲み切って、落ち着いてから戻れよ、教室。また怖い顔って言われるぞ」
「うるさい、おまえは俺の保護者か」
自分で言っておいてなんだが、ひどく落ち着きが悪い。そんなもの、求めていないはずで、あってはならないものだ。
「同室者でフロア長ではあるな」
何でもないことのよう応えたかと思うと、高藤は「じゃあな」とそのまま校舎の方へと戻って行ってしまった。
その背を見送って、行人はようやく手にしたままだった紙コップに口を付けた。甘いそれがじんわりと口中に広がっていく。
水城春弥がオメガであると告白した入学式以来、この学園は浮足立っている。
アルファと優秀なベータしか在籍していない。そう信じられていた学園に投じられた石。あの水城春弥がオメガだというのなら。オメガが主席で入学できるというのなら。オメガ性の者が他に居てもおかしくないのではないか。
まるで異端を探すように。密やかに、囲うように。根拠もない憶測が面白おかしく学内に蔓延し始めていた。
榛名行人はオメガなのではないか。そう疑われていることを、行人は知っている。何の根拠もない、興味本位が先行した、ただの噂。
――けれど。
「あいつ、どれだけ砂糖追加したんだよ、これ」
慣れない甘さに舌先が痺れてしまいそうで、行人はそっと目を閉じた。
21
お気に入りに追加
140
あなたにおすすめの小説
キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。
たかなしポン太
青春
僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。
助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。
でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。
「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」
「ちょっと、確認しなくていいですから!」
「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」
「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」
天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。
異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー!
※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

笑わない風紀委員長
馬酔木ビシア
BL
風紀委員長の龍神は、容姿端麗で才色兼備だが周囲からは『笑わない風紀委員長』と呼ばれているほど表情の変化が少ない。
が、それは風紀委員として真面目に職務に当たらねばという強い使命感のもと表情含め笑うことが少ないだけであった。
そんなある日、時期外れの転校生がやってきて次々に人気者を手玉に取った事で学園内を混乱に陥れる。 仕事が多くなった龍神が学園内を奔走する内に 彼の表情に接する者が増え始め──
※作者は知識なし・文才なしの一般人ですのでご了承ください。何言っちゃってんのこいつ状態になる可能性大。
※この作品は私が単純にクールでちょっと可愛い男子が書きたかっただけの自己満作品ですので読む際はその点をご了承ください。
※文や誤字脱字へのご指摘はウエルカムです!アンチコメントと荒らしだけはやめて頂きたく……。
※オチ未定。いつかアンケートで決めようかな、なんて思っております。見切り発車ですすみません……。

僕のために、忘れていて
ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────
春風の香
梅川 ノン
BL
名門西園寺家の庶子として生まれた蒼は、病弱なオメガ。
母を早くに亡くし、父に顧みられない蒼は孤独だった。
そんな蒼に手を差し伸べたのが、北畠総合病院の医師北畠雪哉だった。
雪哉もオメガであり自力で医師になり、今は院長子息の夫になっていた。
自身の昔の姿を重ねて蒼を可愛がる雪哉は、自宅にも蒼を誘う。
雪哉の息子彰久は、蒼に一心に懐いた。蒼もそんな彰久を心から可愛がった。
3歳と15歳で出会う、受が12歳年上の歳の差オメガバースです。
オメガバースですが、独自の設定があります。ご了承ください。
番外編は二人の結婚直後と、4年後の甘い生活の二話です。それぞれ短いお話ですがお楽しみいただけると嬉しいです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる