パーフェクトワールド

木原あざみ

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第一部

パーフェクト・ワールド・ハルⅡ ④

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 風紀委員たちが進んだのとは逆方向の、旧校舎に続く渡り廊下。そこに一台だけ設置されている自販機は種類が少ない所為もあってか、利用者は少ない。今日も、終わりかけとは言え昼休み中なのに、先客の姿はなかった。

「なんか飲む? ついでに奢ろうか」
「いらね」
「まぁ。そう言わず。好きだよな、これ」

 行人の答えをさらりと無視して、高藤がボタンを押した。短い電子音の後、ホットコーヒーが出来上がる。湯気とともに甘い匂いが漂い上ってきた。

「たまには甘いの飲んで、休憩したら? 俺はブラックしか飲みませんって顔で、嫌そうに飲むの止めたらどうよ、いい加減」
「ほっとけ」

 なんで一々細かいことに気が付くのだろう、この男は。
 視線を落としたまま、行人は諦めてそれを受け取った。まだ少し風が吹けば肌寒い季節だ。持った指先からぬくもりが伝わってくる。

「それで、なんでそんなにピリピリしてたの? 言っても、今更だろ。本尾先輩の挑発なんて」
「べつに。ちょっと虫の居所が悪かっただけと言うか」

 自分の紙コップに口を付けて、高藤が首を傾げた。

「そんなに大変なわけ?」
「なにが」
「なにがって、……ミスコン。その勧誘がストレスになってんのかな、と。ほら、おまえ、昨日も茅野さんが食堂に入って来た途端、逃げ出してたから」

 そっちか、と。行人はひそかに肩から力を抜いた。

「まぁ、そりゃ、ストレスっちゃストレスだけど。でも、あと一週間くらい逃げ切ったら、なんとかなるだろ。たぶん」
「榛名には悪いけど、茅野さん、なかなか諦めないと思うよ? ミスコンにかなり力いれてるから」
「だから、適当に折れろってか」

 苛々と行人は吐き捨てた。それが一年生として正しい判断なのだろうとは分かるが、受け入れようとは到底、思えない。

「いや、そうじゃなくて。もっと上手く成瀬さん使ったら良いのにと思って。相談してみたら?」
「上手く使え、って」
「言い方が悪かったなら謝るけど。あの人、なんだかんだ言って、気に入ってる人間の為に権力行使することは嫌がらないから」

 それは幼馴染みのおまえで、あの人と同じアルファのおまえだから言える台詞だろう。前半はともかくとして後半を口に出来るわけもない。
 だから、行人はただ不服を表すようにして眉を寄せた。

「絶対、言うなよ。成瀬さんに」
「そんなに意地張らなくても」
「俺がどうにかするから、だから、余計なこと、あの人に言うなよ」

 はっきりとした策があるわけでもないけれど。この程度の問題を自分で解決できなければ、ここで「ベータ」として生きていけない。
 意地を張らなくともと言われても、張らないわけにはいかない行人の意地だ。

「俺の問題だから。俺がケリ、付ける」

 言い切った行人に、高藤は仕方がないとでも言いたげに嘆息した。

「本当、おまえって」
「なんだよ」

 艶やかな黒髪を指先で引っ張って、高藤が苦笑を零した。困ったときや照れたとき。反応に困ったときにする癖だ。

「なんか、その妙に頑ななところ、昔の成瀬さんに似てるよ。いくら憧れてるからって、どうせ真似するならもっと有意義なところ、真似したら良いのに」
「有意義……」
「次の中間考査、学年一位取るとか」
「無理に決まってるだろ」
「冗談だって。榛名は榛名のやれるところ伸ばしたら良いよ。同じ人間なんていないんだから」

 勢い良く嚙みついた行人になぜか安心したように笑って、高藤が手にしていた紙コップを空にした。

「まぁ、きつくなったら言えよ。力になれるところはなるから」
「……おう」
「おまえはそれ飲み切って、落ち着いてから戻れよ、教室。また怖い顔って言われるぞ」
「うるさい、おまえは俺の保護者か」

 自分で言っておいてなんだが、ひどく落ち着きが悪い。そんなもの、求めていないはずで、あってはならないものだ。

「同室者でフロア長ではあるな」

 何でもないことのよう応えたかと思うと、高藤は「じゃあな」とそのまま校舎の方へと戻って行ってしまった。
 その背を見送って、行人はようやく手にしたままだった紙コップに口を付けた。甘いそれがじんわりと口中に広がっていく。

 水城春弥がオメガであると告白した入学式以来、この学園は浮足立っている。
 アルファと優秀なベータしか在籍していない。そう信じられていた学園に投じられた石。あの水城春弥がオメガだというのなら。オメガが主席で入学できるというのなら。オメガ性の者が他に居てもおかしくないのではないか。
 まるで異端を探すように。密やかに、囲うように。根拠もない憶測が面白おかしく学内に蔓延し始めていた。
 榛名行人はオメガなのではないか。そう疑われていることを、行人は知っている。何の根拠もない、興味本位が先行した、ただの噂。

 ――けれど。

「あいつ、どれだけ砂糖追加したんだよ、これ」

 慣れない甘さに舌先が痺れてしまいそうで、行人はそっと目を閉じた。 
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