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第一部
パーフェクト・ワールド・ハルⅡ ③
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賑やかな声が響いていた昼休みから、一瞬、騒音が消えた。そしてちらほらと自席に集まるクラスメイトの視線。
廊下に面した列の後ろから二番目が行人の席だ。良席だが話しかけにくる生徒はあまり居ない。それも自分が周囲を遮断しているからだと理解している。だからすぐに誰かと分かった。その自分にわざわざ話しかけに来る変わり種。
「榛名」
落ちた影に、広げていた文庫本から視線を上げる。予想していた通りの顔が、見覚えのあるノート片手に立っていた。
「ごめん。おまえが昨日、広げてたノート、俺の方に紛れ込んでたみたいで」
「あぁ」
そう言えば、机の上の一式をまとめて、借りていた参考書とともに高藤の机に置いた記憶がある。そのときに紛れ込んだのか。
「悪い。俺だな、紛れ込ませたの」
「俺も確認してなかったから。というか、午後からで良かった?」
「そう、ラスト」
「なら良かった」
ノートを机上に置いて、高藤はそのまま空いていた前の席に腰を下ろした。クラス内の視線は相変わらず刺さるようなのに、気づいているのかいないのか、あるいはもはや注目されることに慣れているのか。高藤は寮にいるときと変わらない顔で笑う。
「それにちょうど良かったわ。ちょっとウチのクラスのテンションに付いて行けなくて。休憩させて」
「すごいらしいな」
「いや、……その、水城がどうと言うわけじゃないんだけどね、あくまで。浮ついてる連中が多いってだけで」
その言い方は、いかにもらしかった。学年の中でもかなり目立つ部類のアルファであるはずなのに、高藤には驕ったところがないのだ。
ともすれば、アルファであることを忘れてしまいそうなほどに。
「荻原が言ってた。ウチのお姫様だって」
「あー……、うん、でも、荻原はそこまでじゃないから。言い方は軽いかもしれないけど、ちゃんとしてるし」
「別に何も言ってねぇだろ。そんな必死にフォローしなくても」
「だって、榛名。好き嫌いをすぐ顔に出すから。あと三年、どう転んでも同じ寮なんだから、それなりには仲良くしろって」
「はいはい。大変だな、フロア長」
「そう思うなら協力しろよな。おまえ、昨日も……」
不意に言葉を途切れさせた高藤の視線を追って、行人は息を落とした。
「おまえのところも風紀の見回り多いんだってな」
「なんだかんだ理由付けてるらしいけど、絶対必要以上に多い。篠原さんも言ってた。って、うげ」
心底嫌そうに下がった声に、もう一度その視線の先を辿って、後悔することになった。
「なんで、風紀委員長がこんな一年の一般棟、周ってんだよ……」
おまけに思い切り目が合ってしまった。大名行列とまでは言わないが、風紀の腕章を付けた長身の生徒が三人、廊下を闊歩する姿はなかなかに威圧的だ。その先頭を行く男が、ふっと唇を釣り上げた。そして、後方のドア付近で足が止まる。
本尾仁成。家柄は良いが素行不良の生徒が多いことで知られる風紀委員を束ねる委員長である。
「久しぶりだな、高藤に榛名。相変わらず、金魚の糞みてぇにくっついてんのか」
「どうも。お久しぶりです、本尾先輩」
さりげなく席を立った高藤が、行人の椅子の後方に立つ。庇われているかのような立ち位置に、行人も無言で席を立った。教室内は先ほどとはまた違う緊張感で、しんと静まっている。
隣からの呆れた風な視線を無視していると、高藤は本尾に向かって笑みを取り繕った。
「お忙しそうですね、見回りで」
「おまえらが入学してから、妙に浮足立ってるからな。引き締めてやらないと仕方ねぇだろう。会長様が仕事をしねぇから」
ムッとしたのが伝わったのか、高藤に制服の袖をひっそりと引かれてしまった。反撃したところで、より面倒な目に遭うだけだ。釘を刺されなくとも行人にも分かってはいる。
「まぁ、風紀を正すのが風紀委員会ですもんね」
煽っているのか、それとも素なのか。さらりと受け流した高藤に、本尾が軽く眉を上げた。そして、行人の方を向いた。
「榛名」
あの人と目が合うと蛇に睨まれた気分になる。零していたのが誰だったかは覚えていないが、つまるところ、そんな男なのだ。いかにもアルファらしい見栄えであるのに「怖い」イメージが先行する。
風紀委員長と言う役目柄もあるのかもしれないが、間違いなくそれだけではない。
「根も葉もない噂で困ってんなら、風紀が火消しでもしてやろうか?」
ドアに悠然ともたれかかったまま、本尾が微かに笑った。
「根も葉もあるなら、おまえの大好きな会長様に泣きついた方が良いかもしれねぇけどな」
噂。その単語に、より一層、クラスの視線が集まったような気がした。「噂」。高等部に入ってから、そこかしこに囁かれるようになった、それ。行人は眉間に力を込めて睨み返した。戸惑うような高藤の気配に少しだけ、頭が冷える。
「噂は噂ですから。風紀の仕事の一環として、これ以上、蔓延しないうちに統制して頂けるなら助かりますが、そうでなくとも問題はありませんので」
「心配して頂かなくて結構です、ってか?」
面白そうに瞳を細めて本尾が戸からゆっくりと背を離す。その重心がこちらに向くのかと強めた行人の警戒心を哂って、本尾が身を翻した。
「精々、問題は起こしてくれるなよ。ここで起こしたら、どうなるかぐらいは分かってるよな」
行人の返事を待たないまま、本尾が巡回を再開する。すぐ後ろを着いて歩く風紀委員が最後にちらりと行人の方を見て笑った。
様子を窺うように静まり返ったままの教室の雰囲気に、乱暴に行人は椅子を引いた。そのまま勢い良く腰を下ろそうとしたのを、高藤が腕を引いて押し止める。
「喉、乾いた」
「は?」
「まだ時間あるだろ。榛名、ちょっと自販まで行くの付き合って」
苛立ちそのままに悪いだろう自分の態度なんてお構いなしに、高藤が微笑う。掴んでいた腕から手を放して、先程まで本尾たちが居たドアの方へ足を向ける。
教室を出る前に、なんで来ないのだと言わんばかりに振り返られてしまって、行人は茶色い髪を乱雑に掻き回した。溜息一つで席を立ったのは、半ば以上ポーズだった。
きっと高藤には気づかれてしまっていただろうけれど。
廊下に面した列の後ろから二番目が行人の席だ。良席だが話しかけにくる生徒はあまり居ない。それも自分が周囲を遮断しているからだと理解している。だからすぐに誰かと分かった。その自分にわざわざ話しかけに来る変わり種。
「榛名」
落ちた影に、広げていた文庫本から視線を上げる。予想していた通りの顔が、見覚えのあるノート片手に立っていた。
「ごめん。おまえが昨日、広げてたノート、俺の方に紛れ込んでたみたいで」
「あぁ」
そう言えば、机の上の一式をまとめて、借りていた参考書とともに高藤の机に置いた記憶がある。そのときに紛れ込んだのか。
「悪い。俺だな、紛れ込ませたの」
「俺も確認してなかったから。というか、午後からで良かった?」
「そう、ラスト」
「なら良かった」
ノートを机上に置いて、高藤はそのまま空いていた前の席に腰を下ろした。クラス内の視線は相変わらず刺さるようなのに、気づいているのかいないのか、あるいはもはや注目されることに慣れているのか。高藤は寮にいるときと変わらない顔で笑う。
「それにちょうど良かったわ。ちょっとウチのクラスのテンションに付いて行けなくて。休憩させて」
「すごいらしいな」
「いや、……その、水城がどうと言うわけじゃないんだけどね、あくまで。浮ついてる連中が多いってだけで」
その言い方は、いかにもらしかった。学年の中でもかなり目立つ部類のアルファであるはずなのに、高藤には驕ったところがないのだ。
ともすれば、アルファであることを忘れてしまいそうなほどに。
「荻原が言ってた。ウチのお姫様だって」
「あー……、うん、でも、荻原はそこまでじゃないから。言い方は軽いかもしれないけど、ちゃんとしてるし」
「別に何も言ってねぇだろ。そんな必死にフォローしなくても」
「だって、榛名。好き嫌いをすぐ顔に出すから。あと三年、どう転んでも同じ寮なんだから、それなりには仲良くしろって」
「はいはい。大変だな、フロア長」
「そう思うなら協力しろよな。おまえ、昨日も……」
不意に言葉を途切れさせた高藤の視線を追って、行人は息を落とした。
「おまえのところも風紀の見回り多いんだってな」
「なんだかんだ理由付けてるらしいけど、絶対必要以上に多い。篠原さんも言ってた。って、うげ」
心底嫌そうに下がった声に、もう一度その視線の先を辿って、後悔することになった。
「なんで、風紀委員長がこんな一年の一般棟、周ってんだよ……」
おまけに思い切り目が合ってしまった。大名行列とまでは言わないが、風紀の腕章を付けた長身の生徒が三人、廊下を闊歩する姿はなかなかに威圧的だ。その先頭を行く男が、ふっと唇を釣り上げた。そして、後方のドア付近で足が止まる。
本尾仁成。家柄は良いが素行不良の生徒が多いことで知られる風紀委員を束ねる委員長である。
「久しぶりだな、高藤に榛名。相変わらず、金魚の糞みてぇにくっついてんのか」
「どうも。お久しぶりです、本尾先輩」
さりげなく席を立った高藤が、行人の椅子の後方に立つ。庇われているかのような立ち位置に、行人も無言で席を立った。教室内は先ほどとはまた違う緊張感で、しんと静まっている。
隣からの呆れた風な視線を無視していると、高藤は本尾に向かって笑みを取り繕った。
「お忙しそうですね、見回りで」
「おまえらが入学してから、妙に浮足立ってるからな。引き締めてやらないと仕方ねぇだろう。会長様が仕事をしねぇから」
ムッとしたのが伝わったのか、高藤に制服の袖をひっそりと引かれてしまった。反撃したところで、より面倒な目に遭うだけだ。釘を刺されなくとも行人にも分かってはいる。
「まぁ、風紀を正すのが風紀委員会ですもんね」
煽っているのか、それとも素なのか。さらりと受け流した高藤に、本尾が軽く眉を上げた。そして、行人の方を向いた。
「榛名」
あの人と目が合うと蛇に睨まれた気分になる。零していたのが誰だったかは覚えていないが、つまるところ、そんな男なのだ。いかにもアルファらしい見栄えであるのに「怖い」イメージが先行する。
風紀委員長と言う役目柄もあるのかもしれないが、間違いなくそれだけではない。
「根も葉もない噂で困ってんなら、風紀が火消しでもしてやろうか?」
ドアに悠然ともたれかかったまま、本尾が微かに笑った。
「根も葉もあるなら、おまえの大好きな会長様に泣きついた方が良いかもしれねぇけどな」
噂。その単語に、より一層、クラスの視線が集まったような気がした。「噂」。高等部に入ってから、そこかしこに囁かれるようになった、それ。行人は眉間に力を込めて睨み返した。戸惑うような高藤の気配に少しだけ、頭が冷える。
「噂は噂ですから。風紀の仕事の一環として、これ以上、蔓延しないうちに統制して頂けるなら助かりますが、そうでなくとも問題はありませんので」
「心配して頂かなくて結構です、ってか?」
面白そうに瞳を細めて本尾が戸からゆっくりと背を離す。その重心がこちらに向くのかと強めた行人の警戒心を哂って、本尾が身を翻した。
「精々、問題は起こしてくれるなよ。ここで起こしたら、どうなるかぐらいは分かってるよな」
行人の返事を待たないまま、本尾が巡回を再開する。すぐ後ろを着いて歩く風紀委員が最後にちらりと行人の方を見て笑った。
様子を窺うように静まり返ったままの教室の雰囲気に、乱暴に行人は椅子を引いた。そのまま勢い良く腰を下ろそうとしたのを、高藤が腕を引いて押し止める。
「喉、乾いた」
「は?」
「まだ時間あるだろ。榛名、ちょっと自販まで行くの付き合って」
苛立ちそのままに悪いだろう自分の態度なんてお構いなしに、高藤が微笑う。掴んでいた腕から手を放して、先程まで本尾たちが居たドアの方へ足を向ける。
教室を出る前に、なんで来ないのだと言わんばかりに振り返られてしまって、行人は茶色い髪を乱雑に掻き回した。溜息一つで席を立ったのは、半ば以上ポーズだった。
きっと高藤には気づかれてしまっていただろうけれど。
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