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真木って、なにもできないよな。幼い声に悪意はない。ただ単純に、事実として彼が認識したことを悠生に告げただけだ。
「おまえの兄ちゃん、バスケめちゃくちゃ上手いんだぞ」
他人のことをなぜかひどく自慢げに同級生が言う。知ってるに決まってるだろ。口にはしないまま、悠生は思った。知ってる。でも、もう一つ知ってる。
「真木もやってみたらいいのに。もしかしたら上手くなるかもよ」
なるわけないだろ。兄弟だからって、あいつができるからって、なんで俺もできると思うんだよ。
俺はあいつとは違う。あいつのおまけじゃない。いつもいつも、そうだ。表情に感情を乗せないのは、悠生の最後の意地だった。話しかけられて、期待して、けれどそれはいつも自分の話ではない。
「俺ら、バスケやってたんだけど。おまえも混ざるか? おまえの兄ちゃんも言ってたぞ。おまえは引っ込み思案だから心配だって」
だから、余計なお世話だって、そう言ってるだろ。心配していますという表情をなんなく作って見せる次兄の顔が浮かんだ瞬間、かっと胃のふちが熱くなった。
なんでも持ってるくせに。なるべく考えないようにしていたことが頭を巡る。長兄に一番にかわいがられて、勉強もそれなり以上にできて、運動神経なんて抜群で、後輩からもこうして慕われて。そして思い立ったように弟に目をかける。普段は、気にも留めていないくせに。
――うるさい。
唸るような声になった。今までそんな言葉を同級生に向けたことはなかった。お節介と兄への義理とで声をかけてきたに違いない彼らの顔が驚きに歪む。
うるさい。悠生は繰り返した。呼吸が浅くなる。夏の暑い日だった。本当は家にずっといたかったのに。自分の部屋で図鑑を見ていたかったのに。外で遊べと母親に家を追い出され、逃げるように図書館に向かう途中で立ち寄った公園で声をかけられた。その奥にあるのは、バスケットゴールだ。通るんじゃなかった。こんなところ。悔やんでも後の祭りだ。
うるさい、うるさい。俺に構うな。
幼子の駄々のように叫んで、悠生は駆け出した。太陽がじりじりと背を焼く。外で遊ばないと駄目なのだろうか。家の中で星座盤を見ていることは、そんなに駄目なことなのだろうか。
うるさい。誰にともなく悠生は繰り返した。ひたすらに走る。うるさくないところに行きたかった。誰も、自分を邪魔しないところ。誰も、自分を否定しないところ。
あとどれだけ走ればそんなところに辿り着けるのか、悠生自身も知らなかったけれど。
チャイムの音と、ドアを叩く音。その音で、夢がゆっくりと遠のいていく。どこかぼうっとしたまま、時間を確認するためにスマートフォンに手を伸ばす。滅多と光らないそれにいくつものメッセージ。笹原。その名前を認識した瞬間、ばっと目が覚めた。
「悠生ー、もう寝ちゃった?」
隣近所の迷惑なんて考えていない声量に、酔っているらしいとも悟る。枕もとの眼鏡だけを取って、フローリングに足を下ろした。どうせ、いつも家にいるときと変わらない格好だ。ちらりと見た画面に表示されていた時刻は、午前二時に近かった。
……普通、寝てるだろ。
との突っ込みも、酔っ払いには無意味だろう。そもそも通常の笹原だったら、こんな時間にドアの前で騒がない。
「おまえ、今、何時だと思って……、っ」
ドアを開けた途端に汗ばんだ身体に抱きつかれて、言葉が途切れる。
「悠生」
調節のできていない大きな声が耳元で響いた。手の置きどころをどこにすべきなのか分からなくて、無意味に掌を握りしめて開いてを繰り返す。この状態なら気が付かれないだろうことだけが救いだった。
「ただいま」
「……おまえの家は、ここの隣だ」
抱き返すことも突き放すこともできなかった指先をそろそろと持ち上げて、その胸を押す。
「というか、汗臭い」
本当は微塵もそんなことを思ってはいなかったけれど。ぶっきらぼうな応えにも、笹原は楽しそうに笑うだけだ。陽気な酔っ払いだなと思ったが、笹原がこれだけ飲んでいるところは初めて見た。
――やっぱり、家で自分と呑むより、外で大人数で呑む方が楽しいのだろうか。
そんな当たり前の想像で、もやりとしたものが沸く。否定したくて、もう一度、胸を叩いた。これ以上このままでいると、動揺が伝わってしまいそうだった。その腕を笹原が掴む。そして、靴を脱ぐなり、そのまま室内へと入っていく。
「おまえの兄ちゃん、バスケめちゃくちゃ上手いんだぞ」
他人のことをなぜかひどく自慢げに同級生が言う。知ってるに決まってるだろ。口にはしないまま、悠生は思った。知ってる。でも、もう一つ知ってる。
「真木もやってみたらいいのに。もしかしたら上手くなるかもよ」
なるわけないだろ。兄弟だからって、あいつができるからって、なんで俺もできると思うんだよ。
俺はあいつとは違う。あいつのおまけじゃない。いつもいつも、そうだ。表情に感情を乗せないのは、悠生の最後の意地だった。話しかけられて、期待して、けれどそれはいつも自分の話ではない。
「俺ら、バスケやってたんだけど。おまえも混ざるか? おまえの兄ちゃんも言ってたぞ。おまえは引っ込み思案だから心配だって」
だから、余計なお世話だって、そう言ってるだろ。心配していますという表情をなんなく作って見せる次兄の顔が浮かんだ瞬間、かっと胃のふちが熱くなった。
なんでも持ってるくせに。なるべく考えないようにしていたことが頭を巡る。長兄に一番にかわいがられて、勉強もそれなり以上にできて、運動神経なんて抜群で、後輩からもこうして慕われて。そして思い立ったように弟に目をかける。普段は、気にも留めていないくせに。
――うるさい。
唸るような声になった。今までそんな言葉を同級生に向けたことはなかった。お節介と兄への義理とで声をかけてきたに違いない彼らの顔が驚きに歪む。
うるさい。悠生は繰り返した。呼吸が浅くなる。夏の暑い日だった。本当は家にずっといたかったのに。自分の部屋で図鑑を見ていたかったのに。外で遊べと母親に家を追い出され、逃げるように図書館に向かう途中で立ち寄った公園で声をかけられた。その奥にあるのは、バスケットゴールだ。通るんじゃなかった。こんなところ。悔やんでも後の祭りだ。
うるさい、うるさい。俺に構うな。
幼子の駄々のように叫んで、悠生は駆け出した。太陽がじりじりと背を焼く。外で遊ばないと駄目なのだろうか。家の中で星座盤を見ていることは、そんなに駄目なことなのだろうか。
うるさい。誰にともなく悠生は繰り返した。ひたすらに走る。うるさくないところに行きたかった。誰も、自分を邪魔しないところ。誰も、自分を否定しないところ。
あとどれだけ走ればそんなところに辿り着けるのか、悠生自身も知らなかったけれど。
チャイムの音と、ドアを叩く音。その音で、夢がゆっくりと遠のいていく。どこかぼうっとしたまま、時間を確認するためにスマートフォンに手を伸ばす。滅多と光らないそれにいくつものメッセージ。笹原。その名前を認識した瞬間、ばっと目が覚めた。
「悠生ー、もう寝ちゃった?」
隣近所の迷惑なんて考えていない声量に、酔っているらしいとも悟る。枕もとの眼鏡だけを取って、フローリングに足を下ろした。どうせ、いつも家にいるときと変わらない格好だ。ちらりと見た画面に表示されていた時刻は、午前二時に近かった。
……普通、寝てるだろ。
との突っ込みも、酔っ払いには無意味だろう。そもそも通常の笹原だったら、こんな時間にドアの前で騒がない。
「おまえ、今、何時だと思って……、っ」
ドアを開けた途端に汗ばんだ身体に抱きつかれて、言葉が途切れる。
「悠生」
調節のできていない大きな声が耳元で響いた。手の置きどころをどこにすべきなのか分からなくて、無意味に掌を握りしめて開いてを繰り返す。この状態なら気が付かれないだろうことだけが救いだった。
「ただいま」
「……おまえの家は、ここの隣だ」
抱き返すことも突き放すこともできなかった指先をそろそろと持ち上げて、その胸を押す。
「というか、汗臭い」
本当は微塵もそんなことを思ってはいなかったけれど。ぶっきらぼうな応えにも、笹原は楽しそうに笑うだけだ。陽気な酔っ払いだなと思ったが、笹原がこれだけ飲んでいるところは初めて見た。
――やっぱり、家で自分と呑むより、外で大人数で呑む方が楽しいのだろうか。
そんな当たり前の想像で、もやりとしたものが沸く。否定したくて、もう一度、胸を叩いた。これ以上このままでいると、動揺が伝わってしまいそうだった。その腕を笹原が掴む。そして、靴を脱ぐなり、そのまま室内へと入っていく。
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