57 / 59
二章
番外,初夜(前)
しおりを挟む
無事に夜会を終えた聖女はすべての任務を達成した満足感でいっぱいであった。
新婚初夜だと気がついたのは屋敷へ戻りふたたびマーヴィー夫人に武装を解かれる前。いまだ気合いの入った夫人にこれからが本番ですよと腕まくりと共に告げられて目を見開いた。
「これから!?」
あれだ、いわゆる初夜ってやつだ。
分からなくもない。自然な流れなのだろう。子供については当分考えなくていいと安心した流れで忘れていたわけではない。
恋人ならいつかはそういう行為をするんだろうと思ってはいた。違った、もう夫だった。
以前デロンデロンに溶かされた聖女は普通に想定していた。だってあんなことされたら考えるでしょ、健全な現代っ子だもの。草食通り越して絶食世代だと言われようが知識はあるのだそれなりに。婚約が決まってからは教育係にそれとなくこちらの事情も刷り込まれていた。
けれどそれが今日とは思わなかった、とてもハードな一日であったので。
まだ小学生の頃、歳の離れた従姉妹の結婚式に参加したことがある。新郎新婦は披露宴後そのままホテルに泊まると聞き、お姉さんに懐いていた幼い私は文句を垂れた。明日会えるからねと宥められて宿泊する叔母の家に俵のように連れ帰られたのを覚えている。
その翌日、約束通り実家に顔を出したお姉さんに、集まっていた親戚のおじさんたちが下品な笑い声をあげて言ったのだ。昨夜はお楽しみだったかと。
あんたらみたいな酔っ払いの相手で疲れ切ってんのに楽しめるわけねぇだろクソがという怒声が響き渡った。朝からどころか昨夜の披露宴からずっとお酒を飲んでいたおじさんたちは揃って正座させられていた。お姉さんは元ヤンであった。
当時は深く理解していなかったが、あれはそういうことなのだろう。挙式当日は疲れてる。今なら分かるよお姉さん。
初夜とは如何なるものであろうか。入籍した夜かはたまた同棲した日か。新婚旅行先とも聞く。
曖昧な基準を悶々と考えているうちに衣装は剥ぎ取られ、湯浴みを済ませればいい香りのするなにかを塗り込まれ揉まれ、肌触り抜群の寝衣を着せられたらあとはごゆっくりと部屋を追い出された。
ごゆっくりとは。ゆっくり休んでねという意味ではないだろう。
このまま部屋に行ってもいいのだろうか。彼がどう考えているのかも分からない。貴族の慣習に従うことはないと常々言われているが、貴族として育った相手の常識をなかったことにするのも違うと思う。
あまり意識しすぎても気を使わせてしまうだろう。平然と行けばいいの? 恥じらって行けばいいの? どっちが正解!?
以前はこっそり忍び込んだ部屋の前で悩んだ。離れたところにいる夜間警備の方がこちらを伺っていたがそれどころではない。
そもそも、マーヴィー夫人に追い出されはしたが一緒に寝る約束などしていないのでは? 暗黙の了解のようなものだと思っていたが、本当に私は今日からこちらで寝てもいいのだろうか……。
気付かぬうちに唸っていたらしい。目の前の扉が開いてデイヴ様が顔を出した。
「遅かったな」
来てよかったようだ。ひとまず安心した。
「鍵を開けておいたのだが」
青年の寝室が奥の扉で自室と繋がっていることは知っていたけれど、表から出されたことですっかり頭から抜けていた。なぜです夫人よ。彼女もうっかりしていたと知るのは後日のことだ。
気付かなかったと言えばどちらでも構わないと返ってくる。もう夫婦なのでいつでも気兼ねなく行き来できますからね。
ーーなんて心の中で同意したが、それどころではなかった。手を引かれて部屋へ踏み入れた瞬間から心臓の音が耳まで響いている。尋常ではない脈動だ。
寝るときの格好を初めて見たわけではない。これまでも就寝の挨拶や寝起きに廊下で遭遇したりしていた。忍び込んだあの日は今より厚手で上着も羽織っていたが、似たような開襟の寝衣だった。
だがじっくりと正面から眺めるのは初めてだ。普段は詰められた首元がガラ空きで防御力が低い。最弱と言っても過言ではない。目が泳いだ。
意識しすぎないようにしようだなんて到底無理なことに気づいてしまった。
経験値が低いどころかゼロの聖女は恥じ入った。これまでも身をもって学んだはずである、知識と経験はまったくの別物であると。
自身の挙動に不安があり、どう足掻いてもやらかす予感しかしなかったので早々に白旗を挙げた。
目が合わせられず俯き気味に繋がれた手を引く。その指に光る銀の指輪を目に留めるたび浮き立っていた心は、もはや天井を突き破る勢いだ。
「今日はしますか、しませんか!?」
雰囲気とか作れるわけがなかった。
返ってきたのは無言だった。嘘でしょ泣いていい?
さらに口を開こうとしたところで手が離され、体が宙に浮く。息を呑んで咄嗟に目の前の頭にしがみついたが、視界が悪いであろうその状態にも関わらず彼は歩き出した。膝裏と腰に回った腕にしっかりと抱き上げられながら部屋の奥へ向かえばなんと、半開きのドアを足で開けていた。育ちのいい青年が! 足で!
向かった先、寝室へ入るのは初めてだ。だだっ広いベッドが目に入る。横向きに寝ても問題ない広さだと思ったそこへゆっくりと降ろされた。
仰向けになったこちらの顔の両脇に手をつき、覆い被さるように片側だけ乗り上げた彼の足元からわずかに軋む音がした。
「どちらがいい?」
どちらがいいとは!?
新婚初夜だと気がついたのは屋敷へ戻りふたたびマーヴィー夫人に武装を解かれる前。いまだ気合いの入った夫人にこれからが本番ですよと腕まくりと共に告げられて目を見開いた。
「これから!?」
あれだ、いわゆる初夜ってやつだ。
分からなくもない。自然な流れなのだろう。子供については当分考えなくていいと安心した流れで忘れていたわけではない。
恋人ならいつかはそういう行為をするんだろうと思ってはいた。違った、もう夫だった。
以前デロンデロンに溶かされた聖女は普通に想定していた。だってあんなことされたら考えるでしょ、健全な現代っ子だもの。草食通り越して絶食世代だと言われようが知識はあるのだそれなりに。婚約が決まってからは教育係にそれとなくこちらの事情も刷り込まれていた。
けれどそれが今日とは思わなかった、とてもハードな一日であったので。
まだ小学生の頃、歳の離れた従姉妹の結婚式に参加したことがある。新郎新婦は披露宴後そのままホテルに泊まると聞き、お姉さんに懐いていた幼い私は文句を垂れた。明日会えるからねと宥められて宿泊する叔母の家に俵のように連れ帰られたのを覚えている。
その翌日、約束通り実家に顔を出したお姉さんに、集まっていた親戚のおじさんたちが下品な笑い声をあげて言ったのだ。昨夜はお楽しみだったかと。
あんたらみたいな酔っ払いの相手で疲れ切ってんのに楽しめるわけねぇだろクソがという怒声が響き渡った。朝からどころか昨夜の披露宴からずっとお酒を飲んでいたおじさんたちは揃って正座させられていた。お姉さんは元ヤンであった。
当時は深く理解していなかったが、あれはそういうことなのだろう。挙式当日は疲れてる。今なら分かるよお姉さん。
初夜とは如何なるものであろうか。入籍した夜かはたまた同棲した日か。新婚旅行先とも聞く。
曖昧な基準を悶々と考えているうちに衣装は剥ぎ取られ、湯浴みを済ませればいい香りのするなにかを塗り込まれ揉まれ、肌触り抜群の寝衣を着せられたらあとはごゆっくりと部屋を追い出された。
ごゆっくりとは。ゆっくり休んでねという意味ではないだろう。
このまま部屋に行ってもいいのだろうか。彼がどう考えているのかも分からない。貴族の慣習に従うことはないと常々言われているが、貴族として育った相手の常識をなかったことにするのも違うと思う。
あまり意識しすぎても気を使わせてしまうだろう。平然と行けばいいの? 恥じらって行けばいいの? どっちが正解!?
以前はこっそり忍び込んだ部屋の前で悩んだ。離れたところにいる夜間警備の方がこちらを伺っていたがそれどころではない。
そもそも、マーヴィー夫人に追い出されはしたが一緒に寝る約束などしていないのでは? 暗黙の了解のようなものだと思っていたが、本当に私は今日からこちらで寝てもいいのだろうか……。
気付かぬうちに唸っていたらしい。目の前の扉が開いてデイヴ様が顔を出した。
「遅かったな」
来てよかったようだ。ひとまず安心した。
「鍵を開けておいたのだが」
青年の寝室が奥の扉で自室と繋がっていることは知っていたけれど、表から出されたことですっかり頭から抜けていた。なぜです夫人よ。彼女もうっかりしていたと知るのは後日のことだ。
気付かなかったと言えばどちらでも構わないと返ってくる。もう夫婦なのでいつでも気兼ねなく行き来できますからね。
ーーなんて心の中で同意したが、それどころではなかった。手を引かれて部屋へ踏み入れた瞬間から心臓の音が耳まで響いている。尋常ではない脈動だ。
寝るときの格好を初めて見たわけではない。これまでも就寝の挨拶や寝起きに廊下で遭遇したりしていた。忍び込んだあの日は今より厚手で上着も羽織っていたが、似たような開襟の寝衣だった。
だがじっくりと正面から眺めるのは初めてだ。普段は詰められた首元がガラ空きで防御力が低い。最弱と言っても過言ではない。目が泳いだ。
意識しすぎないようにしようだなんて到底無理なことに気づいてしまった。
経験値が低いどころかゼロの聖女は恥じ入った。これまでも身をもって学んだはずである、知識と経験はまったくの別物であると。
自身の挙動に不安があり、どう足掻いてもやらかす予感しかしなかったので早々に白旗を挙げた。
目が合わせられず俯き気味に繋がれた手を引く。その指に光る銀の指輪を目に留めるたび浮き立っていた心は、もはや天井を突き破る勢いだ。
「今日はしますか、しませんか!?」
雰囲気とか作れるわけがなかった。
返ってきたのは無言だった。嘘でしょ泣いていい?
さらに口を開こうとしたところで手が離され、体が宙に浮く。息を呑んで咄嗟に目の前の頭にしがみついたが、視界が悪いであろうその状態にも関わらず彼は歩き出した。膝裏と腰に回った腕にしっかりと抱き上げられながら部屋の奥へ向かえばなんと、半開きのドアを足で開けていた。育ちのいい青年が! 足で!
向かった先、寝室へ入るのは初めてだ。だだっ広いベッドが目に入る。横向きに寝ても問題ない広さだと思ったそこへゆっくりと降ろされた。
仰向けになったこちらの顔の両脇に手をつき、覆い被さるように片側だけ乗り上げた彼の足元からわずかに軋む音がした。
「どちらがいい?」
どちらがいいとは!?
20
お気に入りに追加
759
あなたにおすすめの小説
獣人の彼はつがいの彼女を逃がさない
たま
恋愛
気が付いたら異世界、深魔の森でした。
何にも思い出せないパニック中、恐ろしい生き物に襲われていた所を、年齢不詳な美人薬師の師匠に助けられた。そんな優しい師匠の側でのんびりこ生きて、いつか、い つ か、この世界を見て回れたらと思っていたのに。運命のつがいだと言う狼獣人に、強制的に広い世界に連れ出されちゃう話
【本編完結】五人のイケメン薔薇騎士団団長に溺愛されて200年の眠りから覚めた聖女王女は困惑するばかりです!
七海美桜
恋愛
フーゲンベルク大陸で、長く大陸の大半を治めていたバッハシュタイン王国で、最後の古龍への生贄となった第三王女のヴェンデルガルト。しかしそれ以降古龍が亡くなり王国は滅びバルシュミーデ皇国の治世になり二百年後。封印されていたヴェンデルガルトが目覚めると、魔法は滅びた世で「治癒魔法」を使えるのは彼女だけ。亡き王国の王女という事で城に客人として滞在する事になるのだが、治癒魔法を使える上「金髪」である事から「黄金の魔女」と恐れられてしまう。しかしそんな中。五人の美青年騎士団長たちに溺愛されて、愛され過ぎて困惑する毎日。彼女を生涯の伴侶として愛する古龍・コンスタンティンは生まれ変わり彼女と出逢う事が出来るのか。龍と薔薇に愛されたヴェンデルガルトは、誰と結ばれるのか。
この作品は、小説家になろうにも掲載しています。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
二度目の召喚なんて、聞いてません!
みん
恋愛
私─神咲志乃は4年前の夏、たまたま学校の図書室に居た3人と共に異世界へと召喚されてしまった。
その異世界で淡い恋をした。それでも、志乃は義務を果たすと居残ると言う他の3人とは別れ、1人日本へと還った。
それから4年が経ったある日。何故かまた、異世界へと召喚されてしまう。「何で!?」
❋相変わらずのゆるふわ設定と、メンタルは豆腐並みなので、軽い気持ちで読んでいただけると助かります。
❋気を付けてはいますが、誤字が多いかもしれません。
❋他視点の話があります。
【完結】甘やかな聖獣たちは、聖女様がとろけるようにキスをする
楠結衣
恋愛
女子大生の花恋は、いつものように大学に向かう途中、季節外れの鯉のぼりと共に異世界に聖女として召喚される。
ところが花恋を召喚した王様や黒ローブの集団に偽聖女と言われて知らない森に放り出されてしまう。
涙がこぼれてしまうと鯉のぼりがなぜか執事の格好をした三人組みの聖獣に変わり、元の世界に戻るために、一日三回のキスが必要だと言いだして……。
女子大生の花恋と甘やかな聖獣たちが、いちゃいちゃほのぼの逆ハーレムをしながら元の世界に戻るためにちょこっと冒険するおはなし。
◇表紙イラスト/知さま
◇鯉のぼりについては諸説あります。
◇小説家になろうさまでも連載しています。
番から逃げる事にしました
みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。
前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。
彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。
❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。
❋独自設定有りです。
❋他視点の話もあります。
❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。
誤解されて1年間妻と会うことを禁止された。
しゃーりん
恋愛
3か月前、ようやく愛する人アイリーンと結婚できたジョルジュ。
幸せ真っただ中だったが、ある理由により友人に唆されて高級娼館に行くことになる。
その現場を妻アイリーンに見られていることを知らずに。
実家に帰ったまま戻ってこない妻を迎えに行くと、会わせてもらえない。
やがて、娼館に行ったことがアイリーンにバレていることを知った。
妻の家族には娼館に行った経緯と理由を纏めてこいと言われ、それを見てアイリーンがどう判断するかは1年後に決まると言われた。つまり1年間会えないということ。
絶望しながらも思い出しながら経緯を書き記すと疑問点が浮かぶ。
なんでこんなことになったのかと原因を調べていくうちに自分たち夫婦に対する嫌がらせと離婚させることが目的だったとわかるお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる