267 / 272
第六章
忍び寄る気配 ⑵
しおりを挟む(side レン)
子どものすすり泣き聞こえる。
気づけば、朧げな記憶にある部屋の中。
足元には、叩きつけられた野草の花束が散らばっている。
十一年前の降臨祭の日の記憶。
祖父が亡くなったあと、父に連れられ生まれた家に帰ったあの日。
何も持たなかった私は、その地域の聖堂で花を配っていた神官に、祝福の花をねだった。
母への土産のつもりだった。
王国に住む者ならば、誰もが与えられるはずのその花。
しかし、その神官は私の手を払いのけ、嘲るようにこう言った。
『貴様のような穢れた餓鬼が、女神様の祝福を受けられる訳がないだろう』と。
仕方なしに、帰る道々に咲く花を摘んで、何とか小さな花束を作り上げた。
幼児の時から離れて暮らしていた両親と妹。
殆ど記憶は無いが、疎まれていることだけは覚えている。
……幼少期の私は、相当素行が悪かったのかもしれない。
だから、この日からは良好な関係を築いていきたいと、花束に願いを込める。
玄関で出迎えた母に花をさしだし、可能な限り人好きのする笑みで笑いかけた。
「ただいま」と。
そして、結果は冒頭に戻る。
「歯を剥き出しにして笑うなっ。何なの?牙まで生やしてっ。この悪魔! 穢らわしい」
そう言って、花束を払い落とし、力任せに何度も私の頬を叩いた母の顔を、私は殆ど覚えていない。
置き去りにされた玄関で、声を殺してすすり泣いていたのは、当時の私。
ああ。昔の夢だ。
そう意識した途端、場面が切り替わった。
温かな日差しが降り注ぐ草原。
柔らかな声が耳に届く。
「わたしは、レンさんがわたしの花を飾ってくれたら嬉しいです」
「わたしは、寧ろ可愛いと……口を開けて笑っているところ、いつか見せて欲しいなって……」
優しい空気をまとって、私に微笑みかけているローズさんの顔が瞼に浮かんだところで、急激に意識が浮上した。
夜明け前の薄明かりが、窓から部屋の中に差し込んでいる。
普段よりすっきりした気分で目覚めた私は、ゆっくりと全身を伸ばしてから立ち上がった。
夜間、風を通すために僅かばかり開けていた窓を閉め、鍵をかけると、窓の下、机上に飾られた薔薇に目をとめる。
自分の部屋に花が飾られているのは、これが初めてのことだった。
故に、当然の如く花を生けるための花器などなく、かといって、祭りの夜に聖堂の外に買いに出るのも億劫で、花には申し訳ないことだが、現在、私の普段使いのカップにおさまってもらっている。
丸一日も胸ポケットに飾られていれば、普通ならしおれてしまうところだが、ジャンが 長持ちするよう濡れた綿を切り口に巻いておいてくれたおかげで、その花は現在も生き生きと咲いていた。
穏やかな気持ちで しばし花を眺めた後、私はいつもの如く普段使いの制服に着替え、最低限の装備だけ身につけると、備え付けの収納庫から剣を取り出し、部屋をでた。
まだ、寮内は眠りについている時間。
音を立てぬよう階段を下り、一階、管理棟付近を通りかかると、周辺の応接室や会議室などそこかしこから、豪快なイビキが聞こえてきた。
昨晩から、聖騎士寮の一階は、特別枠聖騎士たちの仮眠場所になっている。
『貴族特別枠聖騎士』の存在は、聖騎士を『見てくれ重視のお飾り騎士』といった印象にしてしまうため、害悪だという者もいる。
特に、国をあげての華やかなイベントごとでは、正規採用枠は一般業務をこなし、特別枠組が華やかなパートを担当するため、やっかむ者もいるのだろう。
だが、私は彼らの存在に感謝していた。
降臨祭前の数日間は、準備に追われ部屋に戻って寝る暇もなかったが、昨晩は彼らが夜のパレードと夜間警邏を受け持ってくれたため、久しぶりにゆっくり休むことができたから。
すると、頭の中がやけにすっきりしたのも、彼らのおかげ?
……いや。それは多分違う。
静かに寮の外に出て、鍛錬場、いつもの位置に移動し、一度剣を下ろした。
今日から秋に移行したというのに、今朝はまだ汗ばむほどに暑い。
聖堂から支給されている制服は、聖女付きのものも含めて三枚のみで、当然毎日洗えるようなものでもないから、制服のジャケットを脱いでたたみ、汚さぬようベンチに置いた。
芝生に足を伸ばし、ストレッチをしながら考える。
頭がスッキリしたのは、恐らく気持ちの整理がついたからだろう。
今朝の夢が、正にそれを表している。
祝福の花も、母の愛も、得ることは叶わず、声を殺して泣いていた子どもの自分。
あの時、確かに私は憎んでいた。
自らの生まれも、両親も、王国の在り方も。
その子どもの頭を よしよしと撫でるように、渇望するほど欲しかった言葉を、あっさりと与えてくれる、信頼できる女性の存在。
もう、憎まなくて良い。
ローズさんが聖女になったなら、きっとこの国は、私が正しいと思える方向へと進んでいくだろう。
あの時、最悪な選択をせずに済んで良かった。
セリーヌ様が拾って下さった時、身動きが取れないほど衰弱していたことを……母が私をそこまで追い込んだことを、まさか感謝する日がくるとは。
深く息を吐きながら前屈して、ため息を誤魔化した。誰に見られるわけでも無いのに。
感情を隠すのが当たり前になりすぎたから、ラルフから『表情筋がない』などと言われて揶揄われるのだろう。
これからは、もう少し人間らしく生きていけるかもしれない。
そう思ったら、何となく頬が緩んだ気がした。
体が温まってきたので、走り込みに移行するべく立ち上がった時、背後から気配を感じて、瞬間的に前方へ跳んだ。
殺気ではないが、凄まじいプレッシャー。
この気には、一度当てられたことがある。
左手をついて方向転換しながら着地しようとしたが、今度はその着地点を狙って、スライディングが来る。
上体を反らせてバランスをとり、何とか着地点と着地のタイミングをずらしたが、結局回し蹴りの要領で足を取られ、地面に転がされた。
「あっは~。体術もまぁまぁできるじゃない」
上から覆い被さるようにのしかかってきたのは、やはりスティーブン様。
分かっていたから、それ以上の悪足掻きはしなかった。
ただ、今、この体勢は、心底嫌だ。
先ほどからもう一つ。トントンと跳ねるような軽やかな足音とともに、柔らかな気配が近寄って来ていたから。
「……どいて下さい」
「だーめっ」
低い声ではっきり拒絶を口にするも、スティーブン様はにやにや笑って、私の耳元に口を近づけてくる。
「こんなところをローズマリーちゃんに、見られたくないってわけ? 可愛い。でも、こっちも伝言があるのよ」
「普通に話せば良いのでは?」
「ローズマリーちゃんに聞かれても良いなら、私は別にいーけどー? 今日から、貴方の監視、外れるわよ」
「? それは、つまり?」
「魔王軍が攻めてくるかもしれないってこと」
私は、息を呑んでスティーブン様に視線を向ける。
昨晩寝ていないのか、彼の顔はやつれ、目は真っ赤に充血していた。
0
お気に入りに追加
46
あなたにおすすめの小説
強制力がなくなった世界に残されたものは
りりん
ファンタジー
一人の令嬢が処刑によってこの世を去った
令嬢を虐げていた者達、処刑に狂喜乱舞した者達、そして最愛の娘であったはずの令嬢を冷たく切り捨てた家族達
世界の強制力が解けたその瞬間、その世界はどうなるのか
その世界を狂わせたものは
王命を忘れた恋
須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』
そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。
強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?
そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
追放された聖女の悠々自適な側室ライフ
白雪の雫
ファンタジー
「聖女ともあろう者が、嫉妬に狂って我が愛しのジュリエッタを虐めるとは!貴様の所業は畜生以外の何者でもない!お前との婚約を破棄した上で国外追放とする!!」
平民でありながらゴーストやレイスだけではなくリッチを一瞬で倒したり、どんな重傷も完治してしまうマルガレーテは、幼い頃に両親と引き離され聖女として教会に引き取られていた。
そんな彼女の魔力に目を付けた女教皇と国王夫妻はマルガレーテを国に縛り付ける為、王太子であるレオナルドの婚約者に据えて、「お妃教育をこなせ」「愚民どもより我等の病を治療しろ」「瘴気を祓え」「不死王を倒せ」という風にマルガレーテをこき使っていた。
そんなある日、レオナルドは居並ぶ貴族達の前で公爵令嬢のジュリエッタ(バスト100cm以上の爆乳・KかLカップ)を妃に迎え、マルガレーテに国外追放という死刑に等しい宣言をしてしまう。
「王太子殿下の仰せに従います」
(やっと・・・アホ共から解放される。私がやっていた事が若作りのヒステリー婆・・・ではなく女教皇と何の力もない修道女共に出来る訳ないのにね~。まぁ、この国がどうなってしまっても私には関係ないからどうでもいいや)
表面は淑女の仮面を被ってレオナルドの宣言を受け入れたマルガレーテは、さっさと国を出て行く。
今までの鬱憤を晴らすかのように、着の身着のままの旅をしているマルガレーテは、故郷である幻惑の樹海へと戻っている途中で【宮女狩り】というものに遭遇してしまい、大国の後宮へと入れられてしまった。
マルガレーテが悠々自適な側室ライフを楽しんでいる頃
聖女がいなくなった王国と教会は滅亡への道を辿っていた。
番から逃げる事にしました
みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。
前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。
彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。
❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。
❋独自設定有りです。
❋他視点の話もあります。
❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。
【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました
ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。
神のいとし子は追放された私でした〜異母妹を選んだ王太子様、今のお気持ちは如何ですか?〜
星井柚乃(旧名:星里有乃)
恋愛
「アメリアお姉様は、私達の幸せを考えて、自ら身を引いてくださいました」
「オレは……王太子としてではなく、一人の男としてアメリアの妹、聖女レティアへの真実の愛に目覚めたのだ!」
(レティアったら、何を血迷っているの……だって貴女本当は、霊感なんてこれっぽっちも無いじゃない!)
美貌の聖女レティアとは対照的に、とにかく目立たない姉のアメリア。しかし、地味に装っているアメリアこそが、この国の神のいとし子なのだが、悪魔と契約した妹レティアはついに姉を追放してしまう。
やがて、神のいとし子の祈りが届かなくなった国は災いが増え、聖女の力を隠さなくなったアメリアに救いの手を求めるが……。
* 2023年01月15日、連載完結しました。
* ヒロインアメリアの相手役が第1章は精霊ラルド、第2章からは隣国の王子アッシュに切り替わります。最終章に該当する黄昏の章で、それぞれの関係性を決着させています。お読みくださった読者様、ありがとうございました!
* 初期投稿ではショートショート作品の予定で始まった本作ですが、途中から長編版に路線を変更して完結させました。
* この作品は小説家になろうさんとアルファポリスさんに投稿しております。
* ブクマ、感想、ありがとうございます。
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる