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第六章
忍び寄る気配 ⑵
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子どものすすり泣きが聞こえる。
気づけば、朧げな記憶にある部屋の中。
足元には、叩きつけられた野草の花束が散らばっている。
十一年前の降臨祭の日の記憶。
祖父が亡くなったあと、父に連れられ生まれた家に帰ったあの日。
何も持たなかった私は、その地域の聖堂で花を配っていた神官に、祝福の花をねだった。
母への土産のつもりだった。
王国に住む者ならば、誰もが与えられるはずのその花。
しかし、その神官は私の手を払いのけ、嘲るようにこう言った。
『貴様のような穢れた餓鬼が、女神様の祝福を受けられる訳がないだろう』と。
仕方なしに、帰る道々に咲く花を摘んで、何とか小さな花束を作り上げた。
幼児の時から離れて暮らしていた両親と妹。
殆ど記憶は無いが、疎まれていることだけは覚えている。
……幼少期の私は、相当素行が悪かったのかもしれない。
だから、この日からは良好な関係を築いていきたいと、花束に願いを込める。
玄関で出迎えた母に花をさしだし、可能な限り人好きのする笑みで笑いかけた。
「ただいま」と。
そして、結果は冒頭に戻る。
「歯を剥き出しにして笑うなっ。何なの?牙まで生やしてっ。この悪魔! 穢らわしい」
そう言って、花束を払い落とし、力任せに何度も私の頬を叩いた母の顔を、私は殆ど覚えていない。
置き去りにされた玄関で、声を殺してすすり泣いていたのは、当時の私。
ああ。昔の夢だ。
そう意識した途端、場面が切り替わった。
温かな日差しが降り注ぐ草原。
柔らかな声が耳に届く。
「わたしは、レンさんがわたしの花を飾ってくれたら嬉しいです」
「わたしは、寧ろ可愛いと……口を開けて笑っているところ、いつか見せて欲しいなって……」
優しい空気をまとって、私に微笑みかけているローズさんの顔が瞼に浮かんだところで、急激に意識が浮上した。
夜明け前の薄明かりが、窓から部屋の中に差し込んでいる。
普段よりすっきりした気分で目覚めた私は、ゆっくりと全身を伸ばしてから立ち上がった。
夜間、風を通すために僅かばかり開けていた窓を閉め、鍵をかけると、窓の下、机上に飾られた薔薇に目をとめる。
自分の部屋に花が飾られているのは、これが初めてのことだった。
故に、当然の如く花を生けるための花器などなく、かといって、祭りの夜に聖堂の外に買いに出るのも億劫で、花には申し訳ないことだが、現在、私の普段使いのカップにおさまってもらっている。
丸一日も胸ポケットに飾られていれば、普通ならしおれてしまうところだが、ジャンが 長持ちするよう濡れた綿を切り口に巻いておいてくれたおかげで、その花は現在も生き生きと咲いていた。
穏やかな気持ちで しばし花を眺めた後、私はいつもの如く普段使いの制服に着替え、最低限の装備だけ身につけると、備え付けの収納庫から剣を取り出し、部屋をでた。
まだ、寮内は眠りについている時間。
音を立てぬよう階段を下り、一階、管理棟付近を通りかかると、周辺の応接室や会議室などそこかしこから、豪快なイビキが聞こえてきた。
昨晩から、聖騎士寮の一階は、特別枠聖騎士たちの仮眠場所になっている。
『貴族特別枠聖騎士』の存在は、聖騎士を『見てくれ重視のお飾り騎士』といった印象にしてしまうため、害悪だという者もいる。
特に、国をあげての華やかなイベントごとでは、正規採用枠は一般業務をこなし、特別枠組が華やかなパートを担当するため、やっかむ者もいるのだろう。
だが、私は彼らの存在に感謝していた。
降臨祭前の数日間は、準備に追われ部屋に戻って寝る暇もなかったが、昨晩は彼らが夜のパレードと夜間警邏を受け持ってくれたため、久しぶりにゆっくり休むことができたから。
すると、頭の中がやけにすっきりしたのも、彼らのおかげ?
……いや。それは多分違う。
静かに寮の外に出て、鍛錬場、いつもの位置に移動し、一度剣を下ろした。
今日から秋に移行したというのに、今朝はまだ汗ばむほどに暑い。
聖堂から支給されている制服は、聖女付きのものも含めて三枚のみで、当然毎日洗えるようなものでもないから、制服のジャケットを脱いでたたみ、汚さぬようベンチに置いた。
芝生に足を伸ばし、ストレッチをしながら考える。
頭がスッキリしたのは、恐らく気持ちの整理がついたからだろう。
今朝の夢が、正にそれを表している。
祝福の花も、母の愛も、得ることは叶わず、声を殺して泣いていた子どもの自分。
あの時、確かに私は憎んでいた。
自らの生まれも、両親も、王国の在り方も。
その子どもの頭を よしよしと撫でるように、渇望するほど欲しかった言葉を、あっさりと与えてくれる、信頼できる女性の存在。
もう、憎まなくて良い。
ローズさんが聖女になったなら、きっとこの国は、私が正しいと思える方向へと進んでいくだろう。
あの時、最悪な選択をせずに済んで良かった。
セリーヌ様が拾って下さった時、身動きが取れないほど衰弱していたことを……母が私をそこまで追い込んだことを、まさか感謝する日がくるとは。
深く息を吐きながら前屈して、ため息を誤魔化した。誰に見られるわけでも無いのに。
感情を隠すのが当たり前になりすぎたから、ラルフから『表情筋がない』などと言われて揶揄われるのだろう。
これからは、もう少し人間らしく生きていけるかもしれない。
そう思ったら、何となく頬が緩んだ気がした。
体が温まってきたので、走り込みに移行するべく立ち上がった時、背後から気配を感じて、瞬間的に前方へ跳んだ。
殺気ではないが、凄まじいプレッシャー。
この気には、一度当てられたことがある。
左手をついて方向転換しながら着地しようとしたが、今度はその着地点を狙って、スライディングが来る。
上体を反らせてバランスをとり、何とか着地点と着地のタイミングをずらしたが、結局回し蹴りの要領で足を取られ、地面に転がされた。
「あっは~。体術もまぁまぁできるじゃない」
上から覆い被さるようにのしかかってきたのは、やはりスティーブン様。
分かっていたから、それ以上の悪足掻きはしなかった。
ただ、今、この体勢は、心底嫌だ。
先ほどからもう一つ。トントンと跳ねるような軽やかな足音とともに、柔らかな気配が近寄って来ていたから。
「……どいて下さい」
「だーめっ」
低い声ではっきり拒絶を口にするも、スティーブン様はにやにや笑って、私の耳元に口を近づけてくる。
「こんなところをローズマリーちゃんに、見られたくないってわけ? 可愛い。でも、こっちも伝言があるのよ」
「普通に話せば良いのでは?」
「ローズマリーちゃんに聞かれても良いなら、私は別にいーけどー? 今日から、貴方の監視、外れるわよ」
「? それは、つまり?」
「魔王軍が攻めてくるかもしれないってこと」
私は、息を呑んでスティーブン様に視線を向ける。
昨晩寝ていないのか、彼の顔はやつれ、目は真っ赤に充血していた。
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