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第六章

壁に耳あり、物陰に目あり? ⑷

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「失礼します!アンジェリカ様っ!」


 パタパタと慌ただしい足音を響かせ聖女の居室にやってきたセディーは、扉前で警護していた聖騎士の静止の声をスルーして、その扉を開けた。

 窓際に置かれた椅子に腰をかけ、侍女にフットケアを施されていた聖女アンジェリカは、呆れたように眉を寄せ、ため息を一つ。


「何事なの? 全く。貴方だから許すけど、私が着替え中だったらどうするつもり?」

「それはもう、目の保養としか……おっと、つい本音が。どうかご無礼をお許しください」


 
 冗談ぽくちゃめっ気たっぷりに、そう言ったセディー。
 彼を取り押さえていた聖騎士が、聖女の許可を聞きその手を離すと、その場で片膝をつき頭を下げる。
 アンジェリカは、満更でもなさそうな微妙な笑顔で、もう一度ため息をついた。


「はぁ。怒る気も失せるわね。それで? 何か急ぎで伝えたいことがあったのでしょう?」


 入室の許可を受けたと判断したセディーは、一礼して室内に入ると、アンジェリカの側に立った。


「さすがは、アンジェリカ様。その通りです。実は、クルスさんのことで……」

「レン? ああ。彼ね。さっきは可愛かったのよ」


 アンジェリカは、昼までの不機嫌さが嘘のように、ウキウキした様子で両手を組んだ。


「あれ? 何か良いことでもあったんです?」


 セディーは首を傾げる。


(今朝方の、奴のお見合い騒動から、アンジェリカ様は不機嫌モードになっていたはず。
 今日は側仕えの仕事が無かったから、雑用しながら奴の噂を流すことに集中していたんだけど、そこで聞いたんだよな。聖女候補の花を奴が胸に飾っていて、アンジェリカ様が怒髪天だったって。それが、どうしてこうなった?)


「それがね? ふふっ。ほら、女神降臨の儀の前に、哀れなプリシラの花を聖堂関係者に配ったでしょ?」

「ええ (あぁ。昼休憩なのに手伝わされて、面倒だったな)」


 心中で悪態を吐きつつ、セディーはきららかな笑みを浮かべてうなずく。


「で、レンだけ声をかけないわけにはいかないから、一応ね? エンリケ伝いで渡すようにしたんだけど、そしたら彼、何て言ったと思う?」

「えー?見当もつきません (ええと。僕、急いでいるんだけどなぁ?)」

「『私には、聖女様から頂いた花がありますので』って。私は少し離れて二人の様子を見ていたんだけど、俯き加減に首を横に振って……きっと顔が赤くなってしまって恥ずかしかったのね。 『私の花以外いらない』って、これは最早『私のことが好きだ』と言っているようなものだわ。
 もしかして……今朝の見合い話も、私の気を引くためにわざと? それじゃ、赤薔薇の花を受け取ったのも?
 んもーう。困るわ!彼と私じゃ、格が違いすぎるっていうのに。
 でも。でもね? どうしてもっていうのならば、ちょっとくらい考えてあげても良いかなぁ?って。いえ。ほんのちょっとだけよ? なんてねっっ。きゃーっっ」


 頬を赤く染めたアンジェリカに、はしゃぐように腕をてちてちと叩かれ、セディーは彼女に気づかれない程度、笑顔を引き攣らせる。
 淡々と、彼女の足についたオイルを桶の水で洗い流していた侍女も、この時ばかりは遠い目をした。


「そうでしたか。それは、随分思わせぶりですね ? (そりゃぁ、だって。その前の段階で、別の聖女候補の花を受け取ったら、平手打ちされたり、花を捨てられたりしたんだろう? そんなの、誰だって全力で辞退するに決まってる。よくもまぁ、『恥ずかしさに頬を染めたに違いない』なんて妄想出来たものだな)」


 心底嫌いで排除したい対象ではあるが、流石にほんの僅か気の毒に思いつつ、セディーは頬を掻く。


(まぁ、これから更に、追い込むつもりなんだけどね? あぁ、無情かな)


「でしたら、もそうなのかな? 聖女様にヤキモチを妬かせるための作戦? 何だ。それなら、慌てて伝えに来る必要なかったかな?」


 言いながら、セディーはこてんと可愛らしく小首を傾げた。
 それを聞き、アンジェリカはぴくりと眉を動かす。
 ようやく本題に入れそうだ、と、セディーはほくそ笑んだ。


?」

「ええ。今ね、クルスさん、鍛錬場のすみっこで軽食を摘んでいたんですけど、その中に聖女候補の娘が一人いたんです……僕、外から事務局に戻ったから、偶然見てしまって」

「え……二人で食べていたの?」

「いえ。一応、聖騎士は彼を含めて三人いましたけど……」

「何だ。だったら、同僚と遅めのランチをしていたところに、偶然聖女候補が通りかかって、声をかけないわけにもいかないから、仕方なく誘ったのではなくて?」

(否定するのに必死だな。偶然通りかかったにしても、普通は挨拶程度で済ますだろに)


 再度頬を掻きながら、セディーは頷いてみせた。


「ええ。多分そうです。彼は相変わらずの無表情でしたし。ただ、その聖女候補がローズマリーさん……赤薔薇の聖女候補だったので、念の為に耳に入れといた方が良いかなぁ?と、思って?」

「ああ……そう」


 アンジェリカが、少し不愉快そうに鼻を鳴らしたので、セディーはしめしめと舌舐めずりをする。


「……まだ、ピクニックしているのなら、私も行ってみようかしら。お腹が空いていないこともないし」


 まんまと釣り餌に食いついたアンジェリカに、セディーは片膝をついて恭しく頭を下げた。彼女に歪んだ笑顔が見られないように。


「そろそろお開きかもしれませんが、或いは間に合うやも。お供します」

「聖女様を、許可なく勝手に連れ出されては困るのだが?」


 唐突に、部屋の入り口付近からダンディーな低音が聞こえて、セディーは肩をすくませた。


「いえ、でもほら。聖堂の中ですし……」

「それでもだ」


 ピシャリと言われて、セディーは歯噛みする。
 

(ローズマリーさんと話していたクルスさんは、これまで見たことが無いような柔らかい表情をしていたから、それをアンジェリカ様に見せつけて、二人の排除を促そうと考えていたのに!) 


 アンジェリカの前にやって来たエンリケにじろりと睨まれ、セディーは身をすくめた。聖女付き筆頭の威厳は伊達ではない。
 そこに、今すぐレンの元へ駆けつけたいとか思っていそうな、アンジェリカが割り込む。


「良いじゃない、エンリケ。貴方も付いてきてくれれば、より話しかけやすいし」

「そういうものではありません」

「でも!」

「そもそも、何をどう間違えたら、聖女様が偶然あのような場所を通りがかるというのです? 特に、本日は聖堂内を様々な人間が行き交っているというのに……!」

「それは、そうだけど……」


 しゅんとうなだれるアンジェリカ。
 セディーは何とか説得を試みる。


「それなら、こうしたらどうです? 物陰から様子を伺うだけなら……」

「そのような無粋な真似を、聖女様にさせると申すか!この、無礼者め!」


 声を荒らげるエンリケに、アンジェリカは眉を寄せながら立ち上がった。


「なら、変装していくわ。折角のお祭りだもの。たまには私だって、ハメを外したって良いでしょう? 絶対彼らと接触しないと誓うわ!それとも、いつも健気に働いているのに、私にはお祭りを楽しむ権利すらないというの?」


(((いつも……健気に? ……というか、それ。『お祭り』関係ないのでは?)))
 

 その場の三人は、全く同じことを考えたという。


 ただ、こうなってしまうと、アンジェリカが絶対我を通すことをエンリケは知っているので、恨めしげにセディーを睨みつけることしか出来ない。
 一方のセディーは知らぬふり。 どこ吹く風で笑みを浮かべながら提案した。


「それでは、変装メイクしちゃいますか? 僕、得意なんですよ。ええ。お任せください」

「ええ。お願いするわ」


 双方言うことを聞きそうもないので、エンリケは仕方なく、部下の聖騎士に少し離れて付いていくよう指示を出した。

 それから程なくして、神官風に変装したアンジェリカとセディーが部屋を出ようとした折り、エンリケは、ため息混じりに告げる。


「近づきすぎないように! アレは、気配に敏感故、100メートル圏内に侵入すれば、気配で人すら判別しかねない」

「はぁ。かいかぶりすぎじゃないかな?」


 ぼそっと呟いたセディーに対し、エンリケは眉を寄せたが、それ以上は何も言わずに、一向を見送った。





(そもそも僕って、スティーブン様の斥候として訓練されていたわけだから、人を隠して連れていくのも、ましてや気配を消すのなんて余裕なんだけどね。
 多分、奴も『誰か人が通ったな』くらい気づくだろうけど、それがまでは、分からないと思うけどな)


 余裕綽々で、事務局から鍛錬場へ向かって歩いていく二人。

 その時は、奇しくも宿舎へ戻るべく、ローズマリーとレンが二人で歩き出したタイミングだった。

 その様子を視界にとらえたセディーは、すぐさま行き先を変更。

 神官らが住まう一番南側の宿舎へ アンジェリカを誘導し、手早く管理室の職員に応接室を借りる許可をとると、その窓からこっそりと女子寮入り口付近をのぞいた。


「なんだか、悪いことをしている気分」

「遠いので声は聞こえないでしょうけど、まぁ、様子だけでも……」
 
「ええ。どうせ普通に送ったことがわかるだけでしょうけどね。だって、レンは私の前でしか顔色を変えないもの」


 アンジェリカがワクワクしながら窓の外に視線を向けているのを良いことに、セディーは酷薄に笑む。


 それから数秒後、事態はセディーの思っていた通り、否、思っていた以上の方向へ進んだ。

 アンジェリカは顔を蒼白にし、ただただその場に立ち尽くしていた。


「……どうして? あんな笑顔、私にむけたことないじゃない。あの女なんなの?……ローズマリー。ただの候補如きが生意気よ!絶対許さないわ」

 
 アンジェリカは、ワナワナと震える唇を噛み締めると、その場で勢いよく立ち上がり、ヒールの音を響かせながらイライラと応接室を飛び出した。
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