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第六章
壁に耳あり、物陰に目あり? ⑶
しおりを挟む(side ローズ)
瞳を輝かせて、お菓子の入ったバスケットを物色しているラルフさん。
毎度のことながら、垂れた耳と尻尾を振っている幻影が見えるわ。
年上の男性と分かっていても、弟のように感じてしまうよね。
腹ペコ後輩キャラ故に、年上ばかりの聖騎士さんたちから可愛がられるのは当たり前と言えそうだけど、これでいて、案外面倒見が良い印象があるの何でかな?
そうぼんやり考えながら、前に座る三人の様子を眺めていると、ラルフさんはバスケットの中からお菓子を一つ手に取って、レンさんの前に置いた。
あ。素焼きのクッキー?
それは、わたしが持ってきたお菓子の中で、最も素朴な品。
甘さ控えめで、比較的油分も少なめなのよね。
お菓子に興味津々と見せかけて、自分の分より先に、甘いものが苦手なレンさんが食べやすそうな物を探っていたのかな?
ラルフさんが面倒見良く感じるのは、こう言ったところなのかもしれない。結構周りをよく見ていて、周囲の人が気付かないほど自然に気配りをしているというか。
そういうところ、素敵だな。
「ローズさん!オレ、これ食べて良いです? ベリーパイかな?めっちゃ美味そう♡」
「私も、こちらを頂戴します。差し入れをありがとうございます」
ウキウキと許可をとってくるラルフさんに続き、レンさんは置かれたクッキーを手で示し頭を下げた。
「どうぞどうぞ。召し上がってください」
笑顔を返した時、ジャンカルロさんがラルフさんに手を差し出す。
「僕にも見せてくれ」
「え。嫌ですけど?」
「は? ローズマリーさんがみんなのために持ってきてくれたものだろ? 僕にももらう権利はあるはずだ!」
「え~? ダメっす」
「ふざけるなっ!よこせ!」
あらら。
喧嘩が始まってしまいました。
まぁ、以前のような険悪さはなく、じゃれている感じだから、放っておいても大丈夫そうかな?
ともあれ、ラルフさんとジャンカルロさんは、甘党と。
一方、傍らで食事を続けるレンさんは、何か考え込むかのように視線を地面に向けていたのだけど、賑やかな二人の様子に視線を上向け、目元を優しげに細めている。
彼のこと、これまで無表情だと思い込んでいたの何でかしら?
眉を寄せたり目を細めたり、咀嚼している今は、ちゃんと顎も動いている。
気をつけて見ていれば、結構表情筋が動いていることがわかるのにね。その動きが他の人と比べて大きくないからかな?
切れ長だけど、ぱっちり二重の涼しげな瞳。
眉毛は太すぎず、綺麗なアーチを描いていて、鼻筋もスッキリ通っている。
唇の色は、幾分ベージュがかったピンクなんだけど、口の中の色が他の人に比べて赤いからか、清楚な中に色気がある。
よく見ると、とんでもない美人さんだわ!
いえ。知ってたけど。
この国に多くいる種族は、全体的に顔を構成するパーツが大きいし、感情表現も豊かだから、繊細に動くレンさんの表情の動きが分かりにくかっただけなのかも。
その点、元日本人のわたしには有利なわけで、あれ? 何だか、優越感。
良い気になっていたら、わたしの視線に気付いていたらしいレンさんが、控えめな視線でこちらを見た。
わー!すみません。
ガン見しちゃってたかな?
「どうか されましたか? ローズさん」
「あ、えーと、その……」
貴方に見惚れてました!などと言えるわけもなく、何とか誤魔化そうと、わたしの頭はフル回転。
そのとき、丁度レンさんの右手の手袋が視界に入り、花の件を詫びることを思いついた。
「聖女候補の花のことなのですが……ごめんなさい。わたしが考えなしにお渡ししたせいで、その、お怪我をなさったと……」
レンさんは目を瞬き、次の瞬間きっぱりと首を横に振った。
「いえ。私が不注意だっただけで」
「でも、聖女様付きですから、聖女様の花を飾るのが、当然ですよね」
今、レンさんの胸元には、大輪のリシアンサスが一輪だけ飾られている。
つまり、パレードで見たときは偶然飾っていないタイミングだったってことよね?
状況から察するに、聖女付き聖騎士のブートニアが、足りなかったのかな?
そして、レンさんの胸に飾りが何もない隙に、聖女候補が花を渡してしまったから、聖女様がお怒りになった……ということらしいのよね。ジャンカルロさんの話によると。
ええと。
聖騎士は、自分を飾るためのアクセサリーみたいな感覚なのかしら? 聖女様の思考はちょっと理解できないわ。
でも、大怪我をさせてしまった一因がわたしにあるなら、謝っておきたかった。
レンさんは、困ったように眉を寄せ、一つ息を吐き出した後、ゆっくり口を開いた。
「正直に申しますと、どうするのが正解だったのか、未だに分かりません。ただ、今朝、聖女付きのブートニアは頂けませんでしたから、ローズさんの花をラルフが持ってきてくれたときは、有り難く、嬉しかったです。その、花を飾ることを許されたのは、初めてでしたし」
「え?」
聖女候補の花は、誰でも貰えるものよね?
わたしが首を傾げると、レンさんは目元を和らげた。
先ほどの彼の発言によると笑顔なのだと思うけど、何だか少し寂しげだ。
「聖女候補の方からすれば、私の様な者に応援されるのは不名誉な事でしょう」
「そんなこと無いです!」
思わず強めに言い返してしまった。
でも、後悔は無い。
レンさんの、この不必要なまでの自信のなさって何なのかしら?
自己肯定感が低すぎる。
そこで、先ほどの彼の母親の話を思い出した。
ここまで来ると、親による虐待があったのはまず間違いなさそう。
幼い頃に行き倒れたのは、或いは家から逃げ出したのかもしれない。
「わたしは、レンさんがわたしの花を飾ってくれたら嬉しいです。今後の貴方の人生が、より豊かで幸せである様にと、願いを込めて渡しました。だから、そんな悲しい事言わないで?」
そう告げると、レンさんは息を呑んで目を瞬いた。
驚いているのかな?
でも、わたしだけでなく、もっとたくさんの人が、貴方に幸せになってほしいと願っていると思う。
近いところでは、ラルフさんやジャンカルロさんが。そして、ミゲルさん、マルコさん、エンリケ様も。
「ありがとうございます」
レンさんは、もう一度目元を和らげた。
その顔は、今度はちゃんと微笑んでいる様に見えた。
◆
それからしばらくして、軽食会は解散になったのだけど、現在、わたしは、寮までの短い距離を、レンさんに送ってもらっていたりします。
だいぶ日が傾いてきたから『それでは、そろそろ』と立ち上がったところ、普段なら『自分が送る』と申し出てくれがちなラルフさんが、『それじゃ、先輩。しっかり送ってきてくださいね!』と宣ったので。
レンさんは頷いて立ち上がり、横に置かれたバスケットを持ってくれた。
先ほど強い口調で言ってしまったからか、現在わたしたちの間に会話はない。
正直何を話せば良いのか分からない。
いつも、わたし、どうしていたっけ?
悩んでいると、小さく息を吸う音の後、穏やかな声音が降ってきた。
「おにぎりを知っていたのは、驚きました」
それまで少し緊張していた空気が、一気に和む。
おにぎり効果半端ないわ。
そして、これはわたしも話したかった話題だから助かった。
「随分前に食べたことがあって。何処で?とか覚えてないんですが。レンさんは、お米をどうやって手に入れているんですか?」
これは、是非とも知っておきたい。
だってだって、お米があったら、白いご飯が食べられるのよ? 卵かけご飯もオムライスなんかも思いのままだし。
「聖堂正門前の通りに、多国籍の料理を取り扱う店があるのをご存知ですか?」
「いえ」
「私も、ジャンに連れて行ってもらって知ったのですが、そこのメニューに白米がありまして」
何と言う事でしょう!
そんな近くに白米あった!
灯台下暗しって、このことね。
「お恥ずかしながら、通い詰めていましたら……」
え~。
通い詰めたって、可愛すぎか。
「在庫入れ替えのタイミングで、古いコメが余ったと言うので、買い取りました」
「なるほど!」
って言うか、店員さんが廃棄する前に声をかけてくれるって、レンさん何気に、友達作るの上手よね。
「その、まだご飯はメニューにあるのでしょうか?」
「ありますよ」
「でしたら、是非お店を教えて下さいませんか?」
「分かりました。コメも召し上がるなら、まだ幾らか有りますが?」
「え?でも、そこまでしていただくわけには」
「構いません。明日にでもお渡ししますね」
「うぁ~。嬉しいです」
何と!とんとん拍子でお米をゲットだぜ!
最初の沈黙が嘘の様に、楽しくお話ししているうちに、あっという間に寮に到着です。
「ピクニック楽しかったです。送り迎えも、ありがとうございました!」
頭を下げると、レンさんは目元を和らげ……少し考える様に視線を下げた。
やがて口を開くと、言葉を選ぶ様にゆっくりと話す。
「こちらこそ、色々ありがとうございました。その、普段から笑顔を返していたつもりだったのですが、礼を欠き、すみません」
「いえ。わたしには、微笑んで見えてましたよ」
笑顔で答えると、レンさんは口元に手を当て、数秒考えた様だった。
人差し指が触れているのは、丁度犬歯のあたり。
「吸血鬼の牙の様になっているのですが、本当に、怖くないですか?」
「先ほども言いましたが、怖くないですよ。むしろ、可愛いイメージです。……いつか」
「いつか、だと、いつまでも決心がつかなそうですので。怖かったらすぐやめますから、仰ってください」
そう言って、レンさんは真っ直ぐわたしに視線を向けると、次の瞬間、口角を上げて柔らかく微笑んだ。
「っっっ?!?!」
「いつも、ありがとうございます。明日も忙しいですから、どうぞ、ゆっくりお休みください」
そうして一礼。
もう一度、いつもの柔らかい目で目礼して、レンさんは、早足に聖騎士寮へと戻って行った。
その後ろ姿を見送りながら、わたしはその場で腰を抜かしたのだった。
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