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第六章
それぞれの思いと葛藤 ⑶
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聖堂裏口のロータリーに沿って、緩やかにカーブしながら鍛錬場へと伸びている石畳の歩道。
私は 気配を希薄な状態に保ちつつ、しかし、一歩でジェファーソン様とローズさんの間に入れる距離をキープして、二人の後を付いて歩く。
二人の時間の邪魔にならぬように。……有事の際は、瞬時にローズさんを守れるように。
これまで、これほどの緊張感をもって、彼、ジェファーソン様を警戒したことなど無かった。
それは、ある種の信頼だったように思う。
彼は、いつも飄々として何処か軽薄でありながら、その実、彼自身を含めた周囲の状況を俯瞰で冷静に眺めている……そんな、余裕のある聡明な人物だと認識していた。
だから、彼が自分勝手にローズさんを害することは決して無いと……漠然とそう思っていた。
それ故に、これまで この二人の護衛を務める際は、外部の脅威から二人を守ることだけに集中出来たのだが……。
先ほど、事務局の前でのことを思い出し、私は首を伝う汗を、左手の甲で拭う。
女神降臨の儀を終え、聖女様一向が事務局前に戻った時、私は、エンリケ様から先に仕事を終えるよう告げられた。
聖女様に気付かれぬよう、彼女の視線が外れたタイミングを見計らい、顎で救護室を示したことから、どうやらエンリケ様は、私の右手の状態を心配してくれたようだった。
感謝して一礼すると、やはり聖女様に見られぬよう、背中に回した手で『さっさといけ』と指示される。
現状出来る限りの処置は行なったので、救護室に行く必要は無いが、気遣ってくれる養父の気持ちを有り難く受け止め、私は隅に避けて、各控室へ移動していく貴賓らを見送った。
その数分後。
殆どの貴賓が目の前を通過したので、宿舎に戻るべく踵を返したところ、入り口付近を見据え一人佇んでいるジェファーソン様を見つけた。
その普段とは異なる様子に、何となく足が止まる。
眉を寄せて下唇を噛んでいる、その表情は、不安?憂い?それとも、焦燥?……或いは、何かに怯えているかのような……。
普段の常に笑みを崩さない彼からは想像もつかないほどの、感情的な表情。
他にも、胸元で固く握りしめられた右手は、僅かに震えており、青ざめた顔は、何かに絶望しているかのように見える。
そして、ゆらゆらと揺れるように瞳に浮かぶ色は……怒り? それとも憤りだろうか。
一体何に?
その視線を追った先には、ぼんやりと虚空を見上げて立ち尽くす、ローズさんの姿。
その頬はわずかに蒸気して薄紅色に染まり、目元は涙を湛えて潤んでいる。
ぞくりと……首から耳元にかけて、寒気とは真逆の……むしろ鳩尾付近に熱が溜まっていくような、不可思議な感覚が走る。
縫い付けられたように目が離せなくなった、その時、聖女候補の二人がローズさんに声をかけたので、私は逃げるように視線を元に戻した。
ジェファーソン様は、口の前に手をかざし、何か考えていたようだが、ローズさんを見つめるその瞳は、先ほどより急激に熱を帯びているように見える。
垣間見えるのは、思いの強さ……というより、寧ろ執着ともいうべき熱情。
一歩。
彼が足を踏み出した時、私は無意識に彼の元へと歩み寄っていた。
その時は、多分『彼はローズさんに声をかけるつもりだ』と考えたのだと思う。そして、それを止めねばならないと……。
……何故?
その疑問が頭に浮かんだのは、ジェファーソン様の元に辿り着いた直後。
今日は、何故こうも勝手に体が動くのだろう。それで痛い目に遭ったばかりだというのに。
彼がローズさんに話しかけることは、何らおかしなことではない。かねてより、二人は親交があるのだから。
そして、それを私が止め立てすることは、聖騎士の立場上おかしなことだ。これまで彼は、ローズさんを守り続けてくれた人であり、危害を加えたことなど無いのだから。
だが、ここまで接近してしまっては、今更引くことも出来なかった。
私はその場で頭を下げ、突然、しかも下位の者から声をかけた無礼を詫びる。
すると、ジェファーソン様は、いつも通りの軽薄な笑顔を浮かべた。
では、これこそが彼の仮面なのだ。
そして、先ほど浮かべていた表情こそが、普段彼が隠している内面。
それが垣間見えたことに、僅かな不安を感じたのかもしれない。止めなければ、と。
だが、大人びていても十五歳の少年。多少感情的になるくらいが自然と言えばその通りだから、警告するのは適切で無いと感じた。
そもそも、先ほど癒しの魔導を施してくれた恩人に対し、私は何をムキになっているのだろう。
そこで謝意を伝える事に切り替えたのが、先ほどの顛末。
その後、結局ローズさんと接触してしまい、現在に至る。
…………。
冷静に思い返してみれば、ジェファーソン様だけがいつもと違うというわけでは無いのかもしれない。
彼は、ローズさんを勝手に連れ出したわけでもなく、『人目に触れる外で話す』『聖騎士の護衛をつける』など、きちんと聖堂の規定に合わせた紳士的な振る舞いをしている。
では、変化しているのは、私の捉え方?
ふと、そう思い立つと、急激に右前頭葉に痛みが走った。また これだ。
ここのところ、職務以外のところで、自分の感情がよく分からないことが増えた。分からないままにしておくのは問題だと思い、落ち着いたタイミングで考えるようにしているのだが、その都度、この原因不明の頭痛に見舞われる。
無理をすれば吐き気がするレベルで痛むので、仕方なく思考を打ち切るのだが、いずれは無理をしてでも理解しなければならないと、焦りも感じていた。
ただ、ここまでくると、ある程度分かってくることもある。
つまり、ここまでの無駄に厳格な警戒は、ただの当てつけだったのかもしれない。
意味不明の感情を持て余した私とは対極に、まっすぐに感情を表現したジェファーソン様が羨ましかったのだろうか?
…………分からない。
近いようで、全く的外れのようにも思える微妙な感覚に、ため息が溢れた。
目の前を一定の距離で歩く二人は、特に会話をするでもなく、緩やかな速度で進んでいく。
やがて、鍛錬場横の並木にあるベンチに到着すると、ジェファーソン様は、胸ポケットからハンカチを抜き取ってベンチに敷き、ローズさんの手をとって、そこに掛けるようエスコートした。
その仕草は、実に紳士的。
やはり、ジェファーソン様は信頼に足る人物で、私の方が神経質になっていたのかもしれない。
二人は並んでベンチに掛け、柔らかい笑顔を浮かべて視線を交わす。
感じたのは、僅かな罪悪感。
以降は、せめてジェファーソン様の邪魔にならぬよう、可能な限り存在を消しておこう。
そう決めて、二人と ある程度距離のある、後方の楓の木の影に身を隠し、片膝をついて控えた。
本来なら、護衛は立ってするべきだが、聖堂の中故に、外敵の心配はまずない。であれば、するべきことは二人の監視だけ。こうしていた方が、存在感はより希薄になる。
これならば、ジェファーソン様の望み通り、落ち着いて二人で話ができるだろう。
そう考えると、なんとなく息苦しい気もするが、会話の内容まで聞き取れてしまうのも気まずいので、この距離が最適解なのだと自分を納得させる。
程なくして、柔らかなローズさんの声音と、囁くようなジェファーソン様のハスキーボイスが微かに耳に届き始めたので、私は周囲に気を配ることにした。
今のところ、周辺に人の気配は無い。
鍛錬場は南北を二つの寮に挟まれているが、寮の窓からの視線も、今は感じられない。
寮内で休んでいる者もいるのだろうが、降臨祭の露店が多く出店を始める時間だから、職員の多くも散策に出ていて、聖騎士らも護衛に駆り出されているのかもしれない。
大勢に見られると、余計な噂を流されるかもしれないから、この状況は寧ろ良かったと安堵する。
このまま静かに時が過ぎれば……そう考えた矢先、聖騎士寮玄関から人が出てくる気配を感じた。……というか、このどこか騒がしい雰囲気は……。
まずい。
いくらこちらが可能な限り気配を消していても、相手が探している対象が私だったら、流石に見つかる。
と言うのも、ここは私がストレッチなどでよく使っている場所で、普段から私の行動をよく知る二人なら、まず最初にここを見るだろうから。
「おっ!いたいた。良かった。レン先輩!部屋にいなかったから、丁度こっちに来てみたところだったんですよ」
「クルスさん!手は大丈夫ですか?」
宿舎入り口から出てくるなり、すぐに私を見つけたラルフとジャンは、大声で明るくそう言うとこちらに向かって駆けてくるようだ。
後方で話していた二人が、こちらを振り返っている気配を感じ、私は額を押さえてため息を落とした。
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