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第六章
降臨祭 ⑶
しおりを挟むその日。
朝とは打って変わって、聖女アンジェリカは苛立っていた。
(王族のお出迎えも、聖女の挨拶や祈りも、本当は煩わしくてしょうがない。それでも、私は聖女だから? 仕方なく我慢してやっているっていうのに、何でこう、みんな私の気に触ることばかりするの? 腹立たしいったらないわっ)
カツカツとヒールを床にぶつけながら、事務局へ向かうアンジェリカの周囲には、これ以上の逆鱗に触れぬよう、側付きの使用人や聖騎士らが、息を潜めて付き従っている。
普段ならば、軽口を叩いて上手くアンジェリカを宥める筆頭聖騎士のエンリケも、今日ばかりは口を噤んでいた。
(それにしても、何だって今日に限って、わざわざ聖騎士事務室までおりてきたんだろうな? このお嬢さんは。タイミングが悪いにもほどがある)
アンジェリカの前を歩いているのを良いことに、エンリケは眉を下げながら、気づかれぬよう静かにため息を落とした。
(ああ……いや。それを言うなら、レンもレンだがな。朝っぱらから何を持ってきたかと思えば、見合いの身上書って、今日は降臨祭だぞ⁈ 全く。まぁ、黙っていて変な疑いをかけられても、ってことなんだろうが。……つい最近まで痩せっぽっちのチビだったくせに、子どもの十年ってのは……)
拾われたときの、力無くボロ雑巾のように路上に転がっていた少年を思い出せば、エンリケとしては、何とも感慨深いものがある。
当時の聖女、セリーヌの頼みで、仕方なく世話を焼くことになったのだが、健気で打たれ強いその少年をいじらしく思うようになるまで、そう時間はかからなかった。
今では、すっかり息子の様な存在になっている。
そのレンが、今朝事務室にやって来るなり、いつも通りの無表情で、こともなげに こう言った。
『世話になっている商人の方から、縁談を頂戴しました。このようなお話を頂くことは、そうないと思いますし、良い機会ですので、どちらかに決めようと考えています』と。
エンリケは、唖然としてしまった。
(色恋なんかにまったく興味を示さなかった、あのレンがなぁ。いや。興味がないから、あっさり承諾出来るのか? )
エンリケ眉を寄せる。
(出来れば、人を愛することを知って欲しかった。そうすれば、ちったぁ人間らしい表情になるだろうと思ったんだがなぁ。まぁ、セリーヌ様と俺で育てただけあって、それなりにしっかりしてはいるが……)
聖堂へ繋がる通路はわずかに上っているので、足元確認のため、エンリケは一度後ろを振り返った。
そこには、予想通り仏頂面のアンジェリカ。そして、その後方には、これまた予想通り無表情のレン。
(結局、レンが聖女様を意識することは無いだろう。そりゃまぁ、そうか。普通に好意を向けられても気づかないほど鈍感な奴だ。まして、顔を合わせるたびに自分を蔑んでくる相手が自分を好いているなんで、気づくはずもない。
それを考えると、今回の縁談は案外良いタイミングなのかもな。聖女様は、まだ自分の気持ちを理解していないから、レンが結婚すれば、別の男性に目を向けるだろう。
降臨祭が終わったところで、二人の補佐に相談してみるか)
楽観的に考えながら、エンリケは、アンジェリカが転ばないよう、そっと手を差し出しエスコートする。
(この件に関しては、今日だけは口を噤んでおこう。迂闊なことを言って、降臨祭がぶち壊しになることだけは、避けねば。
この後は、聖堂内にて聖女の演説と祈りがあるし、更に王都を一周するパレードも控えている)
とりあえず何事もなく聖堂横、待機室に辿り着いたことに安堵し、エンリケは部屋の扉を開けた。
そこで、一同は硬直することになる。
待機室の中に、何故か神官長がいたから。
予定では、神官長は二人の補佐と同様、神官長室で待機することになっていたはず。
眉を寄せたエンリケが口を開こうとしたが、それより先に神官長が口を開いた。
「聖女様。王族のお出迎え、ご苦労様でした。そのとき気になったんですが、もしやして、体調が優れないのでは?」
(余計なことを!)
エンリケは歯噛みするが、後の祭り。
「もしそうならば、不肖私、マヌエルが、演説変わりましょうか?」
アンジェリカはぴくりと眉を動かした後、ニヤリと笑った。
「まぁ、神官長。実は、その通り体調が優れないの。流石ね。演説、本当に変わって頂けて?」
「もちろんです」
「それでは、お願い」
「畏まりました。では、原稿を……」
ニタニタ笑い両手を差し出した神官長に対し、アンジェリカは冷笑を返した。
「原稿? ああ。ここにあるの」
アンジェリカは、自分のこめかみ付近を、人差し指でトントンと叩く。
「私いつも、その日思ったことを、その場の雰囲気に合わせて語っているのね? 私に出来て、神官長に出来ないことなんて、きっとないわ! 素晴らしいスピーチを期待しています」
そう言って微笑み、アンジェリカは神官長をそのまま部屋の外へ追い出してしまった。
それを見ていた聖女付きの一同は、一斉に顔を青ざめさせた。
数分後、演説交代の知らせを聞いた二人の神官長補佐が、同時に天を仰いだのは、言うまでもない。
◆
(sideローズ)
『聖女様の体調不良につき、急遽、神官長が、降臨祭開始を祝う演説を行うことになった』と言うアナウンスを受けて、既に聖堂内で待機していたわたしたちは、一斉に眉を寄せた。
まず思ったのが、『神官長、相変わらず目立ちたがりやだなぁ』ってこと。
次に、『ちゃんと出来るのかな?』と、一抹の不安を感じた。
だって、聖女様はいつも、スピーチ原稿を完全に暗記していらっしゃるのよね。
彼女が原稿を控え室まで持ってきているのを、わたしは見たことがない。
性格に関しては色々思うところもあるけれど、そういった点において、聖女様はストイックで素晴らしい方だと思う。
で、そんな聖女様が、ご自身が苦心して作った大切な原稿を、わざわざ自室に取りに行かせてまで、神官長に渡してあげるとは思えない。
大丈夫かな?
今、聖堂の中って、聖堂関係者の他、王侯貴族がひしめき合っているんですけど?
わたしたち聖女候補は、お互いに視線を送り合っていたんだけど、全員が全員、不安そうな顔をしていた。
そして、その予感は的中することになる。
それはもう、あくびが出るほど長ったらしくて大した内容のない演説が、予定の時間を大幅に超過して繰り広げられ、そのあまりの辿々しさに、賓客の間から失笑が漏れる始末。
最終的に、神官長は顔を真っ赤にしてややキレ気味で、降壇していった。
そんなわけで、結局時間が押しまくり、わたしたち聖女候補の移動組は、聖女様の祈りを最後まで見られずに、所定の位置へ動くことになった。
いやもう、酷い。
聖堂のイメージが悪化しちゃうと思うのだけど、神官長、責任取れるのかな?
補佐の二人に責任転嫁されそうな気がして、心配になっちゃうよね。
ともあれ、わたしは現在、第三の城壁南門に来ています。
何をしているかと言うと、お花を配っていたりして。
聖女候補たちは、それぞれが違うお花を持って、各城門にスタンバイすることになっている。因みに門は四つ、候補は五人なので、わたしとリリアさんは、同じ南門出発。
どの候補がどの門にいるかは、事前に掲示されていて、都民や観光客の皆さんは、推しの候補から花を貰いにやってくる。
何でも、『花をゲットできれば、その年一年幸福に過ごせる』みたいな、ゲン担ぎがあるとかないとか。
花で山盛りのカゴから、鮮やかな赤色のオールドローズを一輪ずつ手に取り、わたしは目の前に並んでくれた方々に手渡していく。
受け取った方々に、幸せが訪れることを願って。
南門で配るのは、聖堂を出発した聖女様のパレードがここに到着するまでの間だけ。
だから、折角ここまで来てくれた方々のために、可能な限り渡したい。
わたしの横で、リリアさんもせっせと白百合の花を配っている。
と言うのも、聖女候補側にもゲン担ぎ、あるのよね。
『一番早く花がなくなった候補が、次の聖女に選ばれる』っていうジンクス。
本当かどうか知らないけど、物語の中では、ちゃんとヒロインが一位になってたわ。
エミリオ様が部下を総動員して、秒で無くなる描写があったっけ。
とりあえず、今のところ、騎士の皆さんが押し寄せている感じではないから、今年ではないのかな?
次の聖女選抜まで、今年含めてあと三回あるものね。
と、そんなこと考えていたら、環状道路が賑やかになって来ました。
そろそろパレードの先頭が来るみたい。
お花は、残すところ百本くらい。
え? 想像以上に減りが早い。
ラルフさんに残しておいて欲しいって頼まれたのだけど、足りるかな?
少し心配になっていたところに、警戒中のジェフ様が、二人の同僚魔導士さんを連れて立ち寄ってくれた。
とりあえず、ジェフ様に渡せて良かった。
そこで、南門での配布はタイムオーバー。
残りのお花は、お手伝いをしてくれていたヨハンナが、ブーケ状にまとめてくれた。
続きは聖堂前で配ることになるんだけど、もう配り終わった人いるのかな?
聖女様や王族の皆様を乗せた馬車のパレードは、人が歩くほどの速度で、ゆっくりとわたしたちのいる南門前広場に入って来た。
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