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第六章
降臨祭当日⑵ それはきっと嫉妬
しおりを挟むその日の朝。
多くの侍女たちに飾り立てられながら、聖女アンジェリカは気怠げに欠伸をした。
降臨祭は聖堂が中心となって開催される、国内最大級のお祭りであり、当然聖女が露出する場面は多い。
聖女は女神の声を聞く存在で、権力で言うなら国王に次いで二位。
(でも、実際のところは、ただのマネキンだもの。私はそれらしく振る舞っているだけで、女神様の声なんて聞こえないし、人を救える力があるわけでもない。何が基準で選ばれるのか知らないけれど、茶番よねぇ)
ぼんやりと考えていたアンジェリカは、鼻で笑う。
途端、周囲の侍女たちがぴくりと体を振るさせたので、アンジェリカは手を振った。
「ああ。気にしないで良いわ。ちょっと鼻がむず痒かっただけ」
「あ……もうしわけありません」
丁度鼻頭にハイライトを入れていた侍女が、震えながら頭を下げる。
アンジェリカはイラッとした。
聖女になった時からずっと、自らを腫れ物のように扱う聖堂職員の態度を、彼女は不快に思っていた。
「良いったらっ!何度も言わせないで」
「はい!申しわけ……」
「もういいっ! この娘を下がらせて。セディーを呼んでちょうだい」
アンジェリカが苛々とそう告げると、その侍女は口元を押さえて涙を落としながら退室していく。
その一方で周囲にいた他の侍女たちは、何も口にせず自分にとばっちりが来ないように、黙々と作業を続けていた。
(何よ。何なの? 私が悪いってわけ? あの娘が鈍臭いだけじゃない。みんな勝手媚びへつらって萎縮して、馬鹿みたい。文句があるなら言えば良いじゃない!)
アンジェリカが苛立ちをつのらせているところに、入室してきたセディーは、朗らかに声をかけた。
「アンジェリカ様。お呼びですか?」
「化粧を担当していた侍女が、気に入らないから下がらせたの。貴方がやりなさい」
「それは光栄です。僕、レディーにメイクを施すのには、ちょっと自信があるんですよ」
自信満々悪びれずに言うセディーに、アンジェリカは少し機嫌を良くした。
セディーは腕まくりをすると、アンジェリカの頬にチークブラシを滑らせながら、歯に衣着せぬ口調で話し始める。
これは、数ヶ月間の試行錯誤の結果、セディーが編み出した対アンジェリカ用の対応。アンジェリカの苛立つ原因が、周囲に崇め奉られことによる疎外感であると、セディーは気付いていた。
それ故に、セディーだけは、彼女を聖女様と呼ばない。
「あれ? アンジェリカ様。ちょっと寝不足?」
「うるさいわよ」
「あはっ。怒られちゃった。でも、ちょっとだけ、目元が気になるから、ハイライト置きますね?」
セディーが来てから、聖女様の準備が随分楽になったと、彼はここでも評価されている。
それでも、稀にとんでも無い発言をするので、侍女らはうかうかしていられないのだが。
今日も今日とて、そんなとんでも発言が飛び出した。
「それはそうと、アンジェリカ様。クルスさんですけど、側付きを辞めさせた方が良いんじゃ無いですか?」
侍女らは固まった。
聖騎士レン=クルスは、アンジェリカのお気に入りであり、以前それについて侍女頭が少し苦言を言った折り、彼女から頬を打たれたことがあったから。
しかし、アンジェリカは気にした風もなく、首を傾げ、
「何故? え。まさかセディーったら、嫉妬でもしているの?」
そう言って、口元を押さえてニヤニヤ笑う。
セディーは眉を寄せた。
「そりゃぁ。アイツずるいですもん。アンジェリカ様に色目を使ってると思ったら、こないだはスティーブン様にも取り入ってたし。そればかりか、最近は聖女候補とも仲良くしてますよ? アンジェリカ様が蔑ろにされるなんて、僕、赦せないですよ!」
アンジェリカは首を傾げる。
「それ、本当?」
「本当もホント!今度、プリシラさんとかに聞いてみてください。聖女候補の娘も良い気になってるみたいだし、まとめてついほ……」
言いかけて、セディーはそこで言葉を止める。
(おっと。ちょっと言いすぎた。そこらの判断は、自分から言い出して貰わないと。さぁ、派手にブチ切れて、周囲にあたり散らせ。これでクルスさんを切ってくれればベストだし、そうならなくとも、暴走状態を宥めてやれば、じゃじゃ馬ならしはクルスさんの専売特許じゃなくなる)
策を巡らせ、ほくそ笑んでいたセディーだったが、アンジェリカは予想外の反応をした。
「まぁ。レンたら。ここのところ、私がセディーを構ってばかりいたから、さては嫉妬して、当てつけにそんなことしたのね? 私のこと、大好きすぎるでしょ。可愛いっ!たまには構ってあげなければね。今日はもう、こっちに来ているの?」
予想の斜め上をいく反応に、セディーは半眼になる。
(どこをどう見ると、そうなるわけ? クルスさんの対応を見る限り、アンジェリカ様には護衛対象以上の感情ないでしょ。思い込みの強い女、こわっ!)
そう胸中でぼやいていると、侍女頭が丁寧に返答した。
「我々がこちらに来る際、聖女様付き聖騎士の事務室ですれ違いました。お呼びしますか?」
「そうねぇ。ん~。セディー、鏡」
考えながら、セディーが手渡した手鏡を受け取り、自分の姿を確認すると、アンジェリカはにんまりと微笑んだ。
「突然、私のこの姿を見たら、結構良い反応すると思うのよね? 頬を真っ赤に染めたりとか……あはっ。よし。今日のところは、私が行ってあげようかしら。ここのところ、淋しい思いをしていただろうし」
侍女頭はぴくりと頬を動かしたが、何も言わず、規定の角度に首を垂れる。
何を言っても無駄なのは、この二年半仕えてわかり切っている。
セディーと侍女数名を伴い、アンジェリカはお気に入りのヒール靴を履いて、聖騎士事務室へ向かった。
聖女居住区の一階に、聖女付き聖騎士事務室はある。
そこに、アンジェリカがひょっこり顔を出すと、室内にいた聖騎士たちが何故か狼狽し始めた。
「ねぇ。レンはどこ?」
一番扉に近い席のトリスタンに尋ねると、彼は滝のような汗を拭いながら、何とか笑みを浮かべる。
「え。あ、はい。その、エンリケ様に個人的な相談があると、団長室に……今は、取り込んでいるかと」
話の途中で、奥の部屋に視線を向けるトリスタン。
アンジェリカは小首を傾げた後、ぱぁっと表情を明るくした。
「もしかして、いよいよ私に求愛する気になった?」
((思い込みも、ここまで来ると病気だ))
室内にいた聖女付き聖騎士たちは、一斉にあさっての方向を向きながら、小さくため息を落とした。
対応を放棄する先輩諸氏に、恨みがましい視線を向けつつ、トリスタンは無難な返答をする。
「う。あ。どうでしょうか。内容までは分かりませんので……」
「ああ、そ? いいわ。直接聞いてくる」
「えっ!あ、ちょ……」
トリスタンの横を通り抜けたアンジェリカは勢いよく団長室の扉を開け、開口一番。
「エンリケに、個人的な相談って何かしら? ねぇ。レン。私に思いを伝えようなんて、五年ほど早いんじゃなくて?」
生き生きとした笑顔でそう宣うアンジェリカに対し、室内にいた二人は硬直した。
事務机の上には、冊子が二冊、開かれた状態で置かれている。
それは、昨日レンが ンガバ氏から受け取った、見合いの身上書。
降臨祭で気忙しい補佐たちには、後日相談する予定だったが、監視がついている今、レンとしては、この件を早急に聖堂の誰かに伝えておいた方が良いと判断した。
聖騎士最高位で、自身の父親がわりであるエンリケは、相談する相手として適任。
そこに、アンジェリカが勝手に飛び込んで来たのは、間が悪いとしか言いようがない。
「何これ?」
その問いに、エンリケは顔を強張らせて沈黙。
レンは、いつも通りの穏やかな口調で、それに応じる。
「お世話になっている商人の方から、見合いの話を頂きましたので、相談を……」
アンジェリカは、みるみる表情を強張らせて、二人に歩み寄ると、冊子を机から払い落とし、踏みつけた。
「何言ってるの? 貴方にそんな話、分不相応だわ」
震える声でそう言ったアンジェリカを前に、レンは膝をついた。
エンリケは、冷や汗を拭きながら、やんわりと弁解する。
「まぁ。今回は、話を頂いたって報告に来ただけでして、まだ何も決まっちゃいませんので、ご安心下さい」
「まだ……ね。誰がこんな男に娶られたいと思うのよ。断られて泣きを見るに決まっているのだから、最初から話しを受けないのが上策よ。それから、私が何に安心すると言うの? 関係無いわ」
そう吐き捨てて、アンジェリカは踵を返し、部屋を後にした。
残された二人は、顔を見合わせて ため息を落とす。レンは投げ捨てられた身上書を拾い上げ、ホコリを払った。
部屋の外でそれを見ていたセディーは、ニヤニヤ笑いを浮かべて、メモをとる。
その情報が聖堂内に拡散されたのは、その日の夕方のこと。
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