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第六章
闇の中で聴く / 降臨祭前日の 普段と変わらない日常?
しおりを挟む暗闇の中。
セディーは、事務局の一階から二階に繋がる階段の途中でしゃがみ込むと、両手を口に当て 息を殺しながら、微かに聞こえてくる会話に耳を 欹てていた。
昨晩、聖堂に戻って来てから、一日中やたらと不機嫌な聖女様。
そして、今日の異常な会議延長。
上が慌てるような何かがあったらしいことは、当然気づいていたが、機密事項であるらしく、周囲から一切の情報が入らない。
それもそのはず。
聖堂で正確な情報を持っている者は、神官長補佐の二人と聖女様のみ。
(スティーブン様に、直談判をかけてみるか。対価には、聖女様周辺の情報を出して)
そんなことを考えつつ、事務局の通路を歩いていたところ、神官長室から当の本人が出てくるのを見かけて、慌てて給湯室に身を隠した。
丁寧に挨拶の言葉を述べて、退出して来たスティーブン。
そのまま出口に向かうかと思いきや、二階へ続く階段を上りはじめたので、距離を空けつつ跡をつけた。
そして、今に至る。
(会話の相手は、クルスさん……まさか、口説いてんのか? 流石に無理があんだろ)
セディーにとっては、それだけで十分予想外の展開だったのに、それをレンがすんなり受け入れたものだから、半ば思考停止状態になりつつ、それでも静かに階段を上って、二人が入っていった応接室の壁に耳をあてた。
途端に聞こえた、鍵を閉める音。
スティーブンの艶っぽく誘う声の後、ソファーが激しく軋む音が続き……静まりかえる。
その後も、時折ソファーが軋む音が聞こえるだけで、他の情報は得られそうも無かった。
セディーは静かに踵を返して階段を下り、一階給湯室に戻った。
そこで、壁伝いに座り込む。
「アイツ、マジかよ。え、そっち?
……いや。まさかな。
聖騎士や、男性の神官と付き合っている、とかいった噂は無いし。
そういや、昨日神官長が、どうこう言ってたっけ。
すると、自分の地位を確立するためなら、誰とでもってことか。節操ないな」
吐き捨てながら、メモ帳を取り出し加筆していく。
その間に、レンはスティーブンをさっさと門まで送っていたのだが、そのことにセディーは気付かなかった。
◆
(side レン)
翌朝。
いつものように、仕事上がりに風呂へ向かった。
今回は、二日も風呂に入れなかったので、流石に汗臭い気がする。
周囲の方々に、不快感を与えていなければ良いが。
制服を臭ってみると、スティーブン様の香水の匂いがうつっていて、何となく嫌な気分になった。
制服も、洗いに出した方が良さそうだ。
当直明けのこの時間は、眠気のピークになる明け方とは異なり、不思議と脳が覚醒状態になる。
ここで、ある程度体を動かしておけば、夕方くらいまで保つし、何より、人がいない朝風呂にゆっくりと浸かれることは、私が聖堂で得た 最高の贅沢でもあった。
夜勤あけの聖騎士がほぼ来ないことは、私の種族の常識から考えると かなり不思議に思えるが、全世界的に、元々毎日風呂に入る習慣がないそうだから、自身の体臭など、さほど気にしないのか?
はたまた、香水で誤魔化せば良いと思っているのかもしれない。
獣臭に近い体臭と強い香水の香りが混ざり合って、吐き気を通り越し、頭痛がするレベルの聖騎士が少なからずいるのは、こういった文化が原因なのだろう。
こちらとしては、そのおかげで、ある程度の距離まで接近されると、個人まで正確に識別できるのだから、ある意味便利とも言える。
全身くまなく洗い、湯船に浸かると、この二日間の疲労が溶けていくようだった。
明日の降臨祭に備えて、体調は万全にしておかなければならない。
普段着に着替えて部屋に戻り、椅子にかけて、昨晩得た情報について、再度考える。
スティーブン様配下の通称トカゲが、今日から私の動きに探りを入れるのは確定だから、外出などは極力控えたいところ。
だが、普段通りでは無い行動をすると、別方向に情報を読み取られ、関係の無い人たちまで、あらぬ疑いをかけられかねない。
つまり、こういうことだ。
今日は、当初から武器屋に行く予定が入っていた。
これを突然やめると、一緒に行く約束をしてたラルフは、不可解に思う。
人懐こくて素直なラルフは、今聖堂に宿泊している王国騎士らと世間話などをする過程で、そういった話題が出れば、包み隠さず話すだろう。
やがて、スティーブン様にまでその情報が流れれば、『我々に、その店を見られたくないということは、その武器屋こそが裏で組織と繋がっているのでは?』などといった、誤解をされかねない。
ただ 私に親切にしてくれただけの優しいご夫妻に迷惑がかかるのは耐えられないから、結局、行かざるを得ないか……。
そうなると、問題はコレだ。
既に空になっている、整備油の茶色の瓶を指先でいじりながら、私はしばし考える。
今回は、出来れば少し書き添えたい内容があった。
スティーブン様から得た情報も、いずれは共有せねばならない。
それでも、しばらくは見送るべきだろう。
どうせ、私が帰った後、店主に依頼して、私が持ち込んだ物を隅々まで調べるのだろうから。
それに、そうだ。
何も書かれていなければ、案外先方は、こちらが監視されている状況だと、察してくれるかもしれない。
私は引き出しの鍵を開け、ラベル用紙を一枚取り出すと、裏面を水差しの水で湿らせ、茶色の瓶の側面に貼った。
これでよし。
あとは、空いたオリーブオイルの瓶も一緒に持って行けば、幾らかカモフラージュになるだろう。
持っていく物を鞄に詰めていると、扉をノックする音が響いた。
先ほどから、騒々しい靴音が聞こえていたから、やって来たのはラルフで間違いないが、それ以外にも、二人くらいいる。
一体、誰を連れて来たのだろうか?
扉を開くと、見知った三人のにこやかな顔が目に入り、胸を撫で下ろした。
「レン先輩。なんか、二人も一緒に行きたいみたいなので、連れて来ちゃったんですけど」
「久しぶりに、武器屋さんのランチが食べたくなっちゃってさ。迷惑じゃなければ、一緒に良いかな?」
「以前、ラルフがご案内したそうですね。私は構いませんが、お仕事は宜しいのですか?」
「昼間は、各自、体を休めとけってさ」
のんびりと、あくびをしながらそう宣ったのは、ユーリーさん。
彼は、最近、個人的に店に出入りしているそうだから、店主夫妻の人となりや、仕事にかける誠実な姿勢も知っていることだろう。
であれば、無闇に悪評を流すことは無い。
私は頷いた。
次に、何故かラルフの影の隠れていたジャンカルロに視線を向けると、彼はおずおずと前に出て来た。
「ええと。僕は、クルスさんの防具、以前から気になってて。良ければ、行きつけを教えて頂きたいです」
「もちろん構わないが、仮に気に入って、その店の品を使うにしても、しばらくは、ライアンさんの顔を潰さない程度にした方が良いと思う」
「……それじゃぁ、ご一緒して良いんですね?
やった!」
嬉しそうに眉を下げる、ジャンカルロ。
ライアンさんが贔屓にしている、貴族御用達の店でも、それなりに良いものが揃ってるだろうが、気になっているというのならば、断る理由もない。
そういった経緯で、四人で武器屋へ行くことになった。
◆
聖堂の裏門から外に出ると直ぐに、一昨日、第二の城壁内で感じたものと同様の気配が、跡をつけてきた。
やはり、トカゲとは、小柄ですばしこい彼で間違いないようだ。
先ほどから、建物の影を高速で移動しながら、こちらの様子を窺っている。
見失われては困るので、僅か歩く速度を緩めると、ユーリーさんが横にやって来て、小声で尋ねて来た。
「あー。さっきからなんかついて来てるけど、知り合い?」
流石はユーリーさん。
トカゲさんの気配の消し方は一級品なのに、もう気付いたのか。
「スティーブン様の配下の方です。
『私は疑わしい』とのことで、しばらくの間、お世話になることになりました」
「何、監視? はは。君、ずいぶんあっけらかんと言うんだな。しかも、お世話になるって、どう見ても好意的な視線じゃないが?」
「ある程度信用していただけるまでは、仕方のないことなのでしょう。こちらとしては、気にしませんけど」
「大したものだ」
そう言って、ユーリーさんは笑った。
程なくして、武器屋に辿り着くと、トカゲさんの気配が完全に消えた。
どうやら、店の中まで入るつもりは無いようだ。
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