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第五章
その時 わたしたちの預かり知らぬ場所で 終焉へと向かう羽車が 密やかに動き出していた ⑴
しおりを挟む(side ローズ)
夕刻になる前に急遽帰宅することが決まり、わたしの周辺だけ、俄かに慌ただしくなった。
人が集まっているところからやや離れた、ガーデンの中にある木陰のテーブル席を陣取っていたので、招待客からあまり訝しまれずに済んで良かったよね。
お母様は、その表情にいつも通りの可憐な微笑みをたたえたまま、わたしに席を立つよう促した。
あら。
この様子は、本格的に何かあった感じだわ。
お皿の上には、まだ数口しか口にしてないタルト。
基本、『手を付けたものは、全て頂くべし』というの教えの我が家において、この状態で席を立つよう母に言われるということは、相当急を要することがあったということで……。
ちらりとお父様に視線を向けると、彼は眉間に皺を寄せて何やら考え込んでおり、心ここに在らずといった様子。
お父様は、比較的ダイレクトに表情に出るから分かりやすい。
普段は、余裕のある印象のお父様。
その彼が難しい顔をしている時は、領地周辺で魔物の目撃情報があった場合がほとんどだ。
恐らく今、彼の脳領域を占めているのは、その情報の真偽、被害の有無、討伐隊の編成、移動手段などのこと。
領地経営で、その手腕を遺憾なく発揮しているお母様が、脳筋のお父様にキュンとする瞬間は、こういったところなのではないかと、わたしは考えている。
……余計なところまで考察してしまったけど、わたしの憶測が正しければ、この後お父様は、領地まで帰るのかもしれない。
より迅速に、そして安全面を考えるならば、お母様は王都に居残りだろうけど、こういう時のお母様は乙女だから、多分、宿に戻って旅の準備を整え、戻るまでそこに詰めて、お父様が迎えに来るのを待つよね。
それなら、一度全員馬車で宿屋まで直帰して、そこから各自移動かな?
とりあえず、何があったかの説明は、馬車の中で聴くとして……。
短時間で今後の動きの予測を立て、立ち上がってお辞儀をする。
「エミリオ様。お話しの途中で申し訳ありません。
家庭の都合につき、お先に失礼する無礼をお許しください」
「ああ。こちらも城に戻ることになりそうだ」
エミリオ様も直後に立ち上がり、片手を上げた。
その後方で、スティーブン様の話を一緒に聞いていた団長さんからの指示を受けて、ユーリーさんが迎賓館へと素早く移動していく。
もし、エミリオ様の動きが、お父様の件と連動しているとしたら、事態はより深刻だわ。
深読みすればするほど、不安が頭をもたげてくるけど、ナーバスなことは努めて考えないようにして、無理矢理笑顔を作った。
とりあえず、落ち着かないと。
そんな中、状況についていけないのは、リリアさん。
ぽかんと口を開けて座ったまま、交互にわたしたち家族とエミリオ様を見ていたけれど、最終的に、その場で立ち上がった。
「え? え? どう言う状況なの?」
それはそうよね。
エミリオ様とゆっくりお話しできると思った矢先に、この騒ぎだもの。
でも、説明は難しいわ。
迂闊なことを話して、ゴシップのネタにされても困るし、そもそもわたし自身が正しい情報を持っているわけでも無いしね。
だから、こういう場合、貴族ならば、何も言わない、聞かないのがマナー。
でも、それを言うと、リリアさんは絶対気を悪くするだろうし……。
そこに、皮肉っぽい口調ですかさず答えたのは、スティーブン様。
「……お嬢さん? ちょっと取り込んでいるのよ。分かる? 急ぎの用事なの」
「それくらいは、分かるけどさぁっ」
リリアさんは、頬を膨らませたむくれ顔で、更に何か言おうとした。
それを、スティーブン様は途中で制する。
「あら。それなら話が早いわ。
そしたら、貴女はどうするの?
もし、ローズマリー様と一緒に聖堂に戻るって言うなら、うちの馬車で送ってあげるわよ? 護衛付きで。
残るのなら……当初の予定通り、ジェフに送って貰うと良いわ」
それを聞いて、わたしは一瞬固まった。
え?
わたし、スティーブン様の馬車で、直接聖堂へ送って頂く感じなの? 初耳ですが?
それから、ええと?
ジェフ様が、リリアさんを送る約束を?
そう言えば、ダンスの時、二人は示し合わせたように一緒にやって来た。
ということは、あれ?
いや。
でも、リリアさんだって、専門学校でのランチをご一緒しているわけだし、ジェフ様と親しくなったって不思議は無いよね。
そうよ。
場合によっては、リリアさんが聖女で、ヒロイン差し替えの可能性だってあるわけで……。
何となく、もやもやっとした気がして、わたしは頭を振った。
その様子をじっと見ていたリリアさんは、人差し指で頬を掻いた後、苦笑いを浮かべた。
「あ~~。じゃ、私も帰ろうかな。
なんか、変な誤解されるのヤダし。
そもそも、エミリオ様がいないなら、私がここにいる意味ないし~」
……流石リリアさん。
エミリオ様一筋。本当に潔い。
エミリオ様本人は、苦笑いしていらっしゃるけれど、きっと嫌な気はしないよね。
何というか、自分の優柔不断さが、恥ずかしいわ。
心の中で、しばし反省。
その後わたしは、先程引っかかったことを尋ねるべく、口を開いた。
「あの、スティーブン様。失礼ながら……」
「あら。ローズマリーちゃん。
説明が足りなくて、ごめんなさいね。
先程閣下とお話しして、私から送迎を申し出たのよ。一度全員宿に戻ってから、再度馬車の手配をするなんて、時間が有り余っているなら良いけれど、こういう時は二度手間だから」
スティーブン様は説明しながら、ばちんとウインクをとばしてくる。
美青年のウインクの破壊力……。
気圧されつつ、わたしは笑顔でお礼の言葉を述べた。
「そうでしたか。ご配慮に感謝致します」
「ふふ。本当に良い子」
スティーブン様は、ふわりと優しげに微笑んだ。
はわわ。
数年前まで、王国一のイケメン騎士と、御令嬢方の注目を浴びていたのが頷けるよね。
流石は……。
「お待たせしました。帰還の準備が整いましたので」
わたしの思考は、公爵家の使用人さんを引き連れて戻ってきたユーリーさんの声で、打ち消された。
「ご苦労だったわね、ユーリー。それでは、一度ばらけて、エントランスで集合致しましょう」
スティーブン様の言葉を受けて、その場の人間が一斉に動き出す。
既に示し合わせてあったのか、わたしたち家族は使用人さんの案内で、迎賓館を通過しない裏ルートから、各グループもそれぞれ別々のルートを通り、ものの数分でエントランスに再集合した。
馬車止まりで待機している馬車は三台で、先頭は王宮、エミリオ様の馬車。
エミリオ様は、少し残念そうな面持ちで、馬車の前に立った。
「今日は楽しかった。ありがとうな」
「こちらこそ、ありがとうございました」
「エミリオさまぁ。また、リリアと踊って下さいね❤︎」
「……ああ。またいつか」
あらら。
微妙に、苦笑いになっていらっしゃるわ。
リリアさんの体重が幾ら軽いからって、何度も足を踏まれるのは、痛いものね。
その様子が可愛らしくて、思わず笑みが溢れた時、不意に、エミリオ様が 真っ直ぐな瞳をわたしに向けた。
「マリー!」
「はい」
「さっき話しかけたけど、お前にどうして伝えたいことがあるんだ。このゴタゴタが落ち着いたら、俺に時間をくれるか?」
その、あどけなくも真剣な表情に、何故だか心臓が早鐘を打つ。
何だかそれって……。いえ。まさかね。
「はい」
「うん!」
微笑んで答えると、エミリオ様は花がほころびるように、嬉しそうに笑って頷いた。
か、かわいい!
「はいはい。名残惜しいのは分かりますが、急ぎますので、どうか疾く馬車にお乗り下さい」
やって来た団長に背中を押されて、エミリオ様は、少し不満げに馬車に乗り込んだ。
わたしたちは丁寧にお辞儀をして、馬車の戸口から離れる。
その後ろには、わたしたちが乗って来た借り馬車。
これには、両親が乗り込む。
「ローズ。詳しいことは後で知らせるつもりだが、あまり心配せずに待ちなさい」
「はい。どうか、お気をつけて」
その場で無事を祈ると、お父様は優しく頭を撫でてくれた。
っうわ。やば。
お父様はお強いから絶対大丈夫だと思うのに、急に心細くなって、ちょっと泣きそうになってしまった。
そのことに気付いたのか、お父様は少し困ったように笑った。
二人に心配をさせてはいけないから、わたしは何とか涙を堪えて微笑んで見せる。
大丈夫。
お父様は、ちゃん帰ってくるもの!
両親としばしのお別れを済ませ、わたしはリリアさんと一緒に一番後ろの馬車に乗った。
わ。すごい。
バーニア公爵家の紋章が刻まれた その馬車は、シンプルだけど、なんていうか機能美?
クッションなんて、ふっかふかですよ!
「私は直接王宮に戻るけど、これは私専属の執事だから、安心して任せて頂戴」
スティーブン様に紹介されて、銀髪に片眼鏡、年齢不詳の男性は恭しくお辞儀をしたあと、御者台の横に乗った。
「あの執事のオジサンが護衛? なんか細くない?弱そう」
「ちょっと、リリアさん。流石にそれは、失礼」
しれっと暴言を吐くリリアさん。
何故だか わたし、毎回諌めている気がするわ……。
頭を抱えたい気持ちで、やんわり制していると、扉の前で、スティーブン様は皮肉っぽく笑った。
「不本意だけど手も足りないし、仕方がないから護衛はあの子を貸してあげるわ」
「え?」
窓の外、真っ白なスーツに帯革を巻き、剣を取り付けているのは、まさか、光の騎士様ことレイブン様⁈
ちょ。
わたしを庇ったせいで、衣類を着替える羽目になっただろう彼だけど、なんて言うか、似合いすぎじゃないかな?
十年くらい前まで流行していた型だと思うんだけど、今風に着ているからか、逆に新しく見える。
ゴシックよりのいで立ちで、軽々と葦毛の馬に飛び乗った、その姿は、白馬の王子様然として……。
え。尊……。
「げぇ、出たな! 鬼畜ドエスメガネ!」
「リリアさんっ?」
あんな尊いものに、何てことを言うのかしら。
「もう一度言っておくけど、あの子は私のものだから、手出しは許さなくてよ。お触りもダメ!」
「いらないよ!」
スティーブン様の牽制に、すぐさま反応するリリアさん。
彼にそこまで悪態をつけるのって、多分彼女だけだと思う……。
ツッコミを入れることすら面倒になって来て、わたしは額を抑える。
スティーブン様は鼻で笑いながら、馬車の扉を閉めると、ツカツカとレイブン様に歩み寄った。
「それじゃ、レイン。頼んだわね。
でも、護衛は裏門の外までで良いわ。
今日の仕事はそこまでよ。お疲れ様」
スティーブン様はそう伝えながら右手を差し出し、レイブン様は小さく頷いてから、差し出された手の甲に唇を落とした。
うーん。
二人とも色気があるから、絵になりすぎて、悔しいくらいね。
その後、スティーブン様は前に戻ってご自身の馬に乗ると、エミリオ様付き騎士団と合流。
騎乗して、お兄様の横に並び、ちょっかいをかけ始めたのが見える。
もう。スティーブン様ったら!
奔放でらっしゃるんだから
愛人の目の前で、お兄様といちゃいちゃしたら、やっぱり気にするよね?
せめて、道が分かれて見えなくなってからにすれば良いのに……。
ちょっとだけ心配になって、レイブン様に視線を向けたんだけど……。
ん?
ええと。あれ?
意外にもノーリアクション?
ついさっきまで親密そうに見えていたけど、やっぱり色々あるのかな?
それとも、大人な恋愛はヤキモチなんて妬かないの?
恋愛って難しいわ……。
火急の用事だからとサロンを後にした わたしだけど、詳しい内容を全く知らなかったからか、全然危機感を感じることなく、リリアさんと談笑しながら聖堂に戻った。
部屋に戻ってから、プリシラさんとのことを思い出し、夕食で顔を合わせた時、どう対応をするべきか、小一時間悩んだわたし。
その晩、別件の騒ぎがあったせいで、その件は頭からすっかり抜け落ちてしまっていたんだけど、結局プリシラさんはその晩、聖堂に戻って来なかった。
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