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第五章

昼下がりの胸騒ぎ ⑵

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(side エミリオ)


 迎賓館貴賓棟の一角。
 公爵家主人の休憩室、その窓辺に置かれた長椅子にもたれるヴェロニカは、何かを考えるように口に人差し指を当てたまま、固まっていた。

 さっきから身動き一つしないから、さながら等身大の一点もの超高級ビスクドールみたいだ。

 対面に置かれた一人掛けのソファーにもたれていた俺だが、まるで時間が止まってしまったみたいな空気に、いい加減耐えられなくなって来た。

 とりあえず上目遣いに様子を伺ってみても、何の反応もないから、思い切って咳払いを一つ、口を開く。


「ええと。大丈夫か?」

「ええ。ご心配頂き、ありがとうございます」

「ああ。いや」


 予想外に、いつも通りの返事が返ってきて拍子抜けしたものの、ヴェロニカのそういうところは良いな、と思う。
 虫の居所が悪いと周囲のメイドにあたったり、声をかけても返事が帰ってこない母さんのことを思い出せば、尚更だ。

 だが、次に出た言葉は、ちょっと意外だった。


「お優しいですわね。私、今、エミリオ様に どう謝罪しようかと考えておりましたのよ?
 今日、決着を決める覚悟でしたのに、有耶無耶になってしまいましたし」

「いや。お前が謝ることじゃ無いだろう」

「ですが、リリアーナさんから、たくさん足を踏まれましたでしょう?」

「それこそ、お前のせいじゃない」

「私のせいですわ。
 敗因は、ジェフを追い詰めすぎたことかしら?
 まさか、あの場面でリリアーナさんをを引っ張ってくるなんて!
 あの子の従者の動向にも目を光らせていましたのに、未だ、どうやってつれて来たのか分かりませんの。
 従姉あねとしては、あの子の成長を喜ばしく思いますけれど、数週間かけて練られた完璧な策略と自負してだけに、こうも簡単に崩されては、悔しいですわね」

「俺からすれば、ジェフは最初から小賢しいけどな」

「まぁ。ふふ」


 ようやくヴェロニカから笑みがもれたので、俺も体の力を抜いて笑った。


「まぁ。俺も悪かったから、お互い様にしよう」

「……?」


 そう言うと、ヴェロニカは不思議そうに小首を傾げた。


 俺は苦笑いだ。


「今回悪かったのは、お前の策が完璧なことに俺が勝手に満足してしまい、その意味を自分でしっかり考えなかったことだと思う」


 先程話した時、その笑みに珍しく怒りを滲ませていたジェフの言葉を思い出す。


「ジェフに、『レディーの気持ちを蔑ろにしている。らしくないんじゃないか?』と言われた。
 全く、その通りだと思った。
 何ていうか、頭を思い切り殴られたみたいな衝撃だったな。
 ヴェロニカの策にのっかれば、欲しいものが容易くに手に入ると分かっていたから、自分は何もせず、ただ浮かれていた。
 こういうことは、マリーに確認して同意を貰ってからやるべきだった」

「何ということでしょう。エミリオ様がこの数分の間に、大人になってしまわれましたわ!」


 驚いたように、大きく目を見開いて言うヴェロニカ。


「はは。そうか」

「そうですわ!この急成長を促す力……やはり、欲しいですわね。ローズ様」

「そこは、ジェフじゃないんだな」


 軽口を叩くと、ヴェロニカは柔らかく微笑んだ。


「さて、エミリオ様。私は、今しばらく休みますが、お先に会場へ戻られても構いませんのよ?」


 このタイミングで、こう言ってくるってことは、ヴェロニカも俺の考えていたことに気付いたんだろう。

 そう。
 今回一番不味かったのは、順番をすっ飛ばしてしまったこと。

 マリーを手に入れたいなら、まず告白をしておくべきだった。
 これなしに、急に周りから固めたって、初心うぶなマリーには意味が分からなかっただろう。

 結果、先程マリーは、一般的なサロンのルールに則り、ジェフのダンスの誘いを受けた。

 仮に、あの時までに婚約の約束を取り付けられていたならば、真面目なマリーは、誘いを断っていたに違いない。


「今、会場の様子はどうなっている?」


 後方で控えていた団長に尋ねると、ジュリーとユリシーズが確認中と、返事が返ってくる。


「それじゃ、場が整ったら行ってくる」

「ええ。こちらで、陰ながら応援していますわ」


 俺は、しっかりと頷いた。

 無論、必ず成功するとは限らない。
 だが、こちらの気持ちを伝えたとして、彼女の場合、嫌がりはしない気がする。
 きっとしっかり考えて、誠実な返事をくれるはずだ。

 気持ちを奮い立たせて、前を向く。

 入り口方向に視線をむけると、そこには、警戒を続けているオレガノ。
 彼奴は、こちらの会話を特に気にした様子もないから、まだ、俺たちの意図には気づいていないんだろう。

 俺がいきなりマリーに告白を始めたら、どんな顔をするんだろうな。 

 顔色を変えて硬直する様子が目に浮かぶようで、オレは小さく笑った。


 それからすぐにユリシーズが戻ってきたのだが、何故かスティーブンも同行して来た。


「失礼致します。
 私もお邪魔して宜しいですかしら? 殿下」

「ああ。俺はもう出るから、ヴェロニカが良いならば、ゆっくりしていけば良い。
 ユリシーズ、もう良いんだろう?」

「は。ジュリー副官が、安全確保と場所を押さえております」


 ? 
 珍しいな。
 こういった場合、普段ならジュリーが戻って来るんだが。

 ユリシーズは、小声で幾つか団長に伝えると、自身は部屋に残るらしい。

 なるほど。
 休憩の時間なのか?
 まぁ、俺としては、どうでも良いわけだが。

 団長がいつも通り隊列を組み、部屋の外に出た。
 それと入れ替わるように、スティーブンは部屋の中へ。


「傷心のところごめんなさいね、ベル。
 でも、こちらも困ってしまって。
 実はね、プリシラ嬢がやらかしてくれたの!」


 部屋の中から聞こえてきた、スティーブンの怒りを含んだ声を聞き流しつつ、俺は気合十分、サロン会場へと向かった。





(side ローズ)


 私が選んだ、黒いパールで作られたハットピン。
 王国内で嫌厭されがちと聞く黒色のそれで、自身のタキシードの襟元を飾って来て下さったばかりか、とても丁寧に扱っていた。

 が!

 嫌がらせから守って頂いただけでも有難いのに、更にその上とか、ヒロイン補正最高だわ。

 などと考えながら、チェリータルトを一口大にカットして口に入れると、更に多幸感が増す。

 美味しい! こんな美味しいタルト、食べたことないかも。
 ここ最近になって、益々チェリーが大好きになったのよね。多分、きっかけは、以前、レンさんから頂いたチェリーパイ。
 あれも、甘酸っぱくて、本当に美味しかったな。
 思い出して、そこでまた、何となくそわそわしてしまう。
 
 ああ、今、とっても間の抜けた顔してそう。 
 でも、幸せだから、にやけちゃうなぁ。
 などと、頬をさすっていたところ、突然横から声をかけられた。

 は、はずかしすぎる。


「やぁ、そのタルト、とても美味しそうですね」

「げぇ。ジュリーさん」

「リリアさんっ⁈  失礼っ!」


 そこに立っていたのは、エミリオ様付き騎士で紅一点のジュリーさん。
 そして、その彼女に対し、とんでも発言をしたのが、リリアさん。ツッコミ担当は、勿論わたしだ。

 本来だったら、不敬で処罰とか下りそうな気がするんだけど、ジュリーさんはサラッと流した。


「ご挨拶だな、リリアーナ嬢。
 私が来るのは不服かな?」

「不服ってわけじゃないよ? また怒られたり、摘み出されたりするのかな?って思っただけで……」

「これまでだって、そんなことはしていないだろう?」

「だって、いつもエミリオ様の前に壁になって邪魔するじゃない」

「あれは職務だ」


 ころころ笑うジュリーさんは、いつもながら、美しさとカッコ良さが同居している。
 お兄様が好きになってしまうの、分かるなぁ。


 ジュリーさんは、リリアさんを適当にあしらいおえたのか、こちらに視線をくれた。


「ローズマリー様、お疲れ様でした。とても優雅なダンスでしたよ」

「ありがとうございます」

「ちょっ。私との態度違いすぎない?」

「そうだろうか? だが、見事なダンスをしたレディーに賛辞を贈るのは、当然のことだろう?」

「つまり、私はへたってことぉ?むっかぁっ!」


 放っておくと、リリアさんがいちいちつっかかっていて話が進んでいかないので、わたしはリリアさんを宥めつつ、話しの先を促す。


「まぁまぁ。ええと、ジュリーさんは警戒のお仕事ですか?」

「ああ。今は休憩中だよ。次の配置まで、時間に余裕があることだし、折角だから、知り合いの御令嬢の楽しげなお喋りに入れてもらおうと思ったんだが……」

「そうだったんですね」


 ジュリーさんと雑談できるなんて嬉しいけれど、他愛のない話しかしてなかったから、楽しんで頂けるかしら。


「別に大した話してないよ?
 ローズさんが男子にモテすぎるはなしとかぁ」

「ええ? 今、そんな話してなかったよね?」

「恋話か。良いね。私は職務上、同僚とそういう話ができないから……」

「なるほど。男性の多い職場ですものね」

「そうなんだよ」

「ジュリーさんも、あちこちから声をかけられて大変そうだよね。モテそうだから」

「褒めてくれているのだろうか? ありがとう。だが、なかなかそういう空気にはならないなぁ。
 ほら、私はお堅く見えるだろう?」

「あ~~」

「ちょ、リリアさん! そんなことないですよ? ジュリーさんは、とても魅力的ですし」

「ローズマリーさんは優しいな」


 遠くを見ながら、ジュリーさんはクスッと笑った。


「……そうだな。こんなことを言ったら皮肉に聞こえるかもしれないが、私はたまに、君の様に、自分の心のままに行動できる人間を、羨ましく思うよ」


 そう言って、ジュリーさんは、真っ直ぐな視線をリリアさんに送った。
 リリアさんは、たじろいだみたい。


「な~に~? いきなり。
 羨ましいのはこっちなんだけど。ジュリーさんは、すっごい美人だし、ナイスボディだし」

「相手から好意を向けて貰えるのは光栄だが、こちらの気持ちが伴わなければ意味がない。
 私が君を羨ましいと言っているのは、君が立場など関係なく、自分の好きな人に正直でいられる点だ」

「なにそれ。よく分かんないけど」

「私は、何となく分かります」
 

 神官さんや町の人たちに告白して貰うのは光栄だけど、こちらにその気がないから、お断りの返事をしなければならない分、正直しんどいのよね。
 リリアさんみたいに、『この人が好き!』っって、一直線に想う相手がいること、私も羨ましいと思う。


「……モテ女同士のマウントとりかな?」


 ジト目で言ってくるリリアさんには、首を横に振って否定を返した。


「一度、聞いてみたいと思っていたんだ。君は、怖くないのか?」

「気持ちを伝えて、相手に拒否されること?」

「違う。相手を自分の元に繋ぎ止めてしまうことが」

「エミリオ様と結婚できたら、幸せしか無いけど?」

「本当に? もっと高位の美しい令嬢の方が、彼に合っていたのでは? 別の相手の方が幸せだったのでは? と、後々悩まないか?」

「んー。ジュリーさん、考えすぎじゃない? 私は、『他の人間がー』とか、あまり考えないかな。
 私は、エミリオ様と一緒にいられればそれで幸せだし、エミリオ様からもそう思ってもらえる様に頑張るもん!」


 力一杯宣言したリリアさんを見て、わたしは、やっぱり羨ましいと思った。

 リリアさんは、とても自分に自信があるのね。

 わたしは、まだ、エミリオ様やヴェロニカ様と同等の何かを持っていないから、きっとジュリーさんが言っている様に不安になる。
 ジェフ様に対しても、この気持ちは同じ。

 例えば、聖女になれたならば、堂々と、『わたしを選んで下さい』って、言えるのかな?


 ジュリーさんは、優しい目でリリアさんを見た後に、こちらにも優しい笑みをくれた。
 その笑みは、かすかに憂いの様なものを含んでいて…………あれ?

 今のは、本当に例え話?

 その割には、実感がこもっているし、わたしも共感する点が多かった。

 もしかしたら、ジュリーさんも恋煩い?
 しかも、話の流れから、好きな相手はジュリーさんにとって高嶺の花なのかな?

 ってことは……。

 きゃーっ!
 お兄様、ライバル出現かもしれないです!

 自分のことではないけれど、ちょっと焦る。
 だって、二人は他の上司と部下より距離が近かった気がしていたから。
 
 お兄様の気持ちはバレバレだったけど、告白したわけじゃないから、多分有耶無耶になっているよね?
 お兄様も、ウジウジしていないで、思い切って当たって砕ければ良いのに。

 あ。砕けちゃダメだけど。


「まぁ、こちらは殿下護衛の立場故に、表立って応援は出来ないが、私は二人のことを、割りと好ましく思っているぞ」


 ジュリーさんは、明るく微笑むと、一旦話題を打ち切った。


「好ましく思っているなら、邪魔しないで欲しいんだけど?」

「はは。邪魔されたくないのならば、礼儀作法くらい学びたまえ。まぁ、今日は我慢できたから、ご褒美があるかもしれないな」

 尚も言い募るリリアさんに、ジュリーさんはパチンとウィンク。
 いつもクールなのに、たまにチャーミング。
 素敵だな。憧れる。
 わたしもこんなふうになれたら……。

 あまりの素敵さに魅入っていて、ジュリーさんが数歩分下がったことに気付くのが遅れた。

 それまでの砕けた表情は、いつものキリッとしたものに戻り、ジュリーさんはその場で騎士の立礼をする。

 え? 何?


「ジュリー、ご苦労」


 ジュリーさんの後方からやってきたのは、団長を先頭に配置された王国騎士の一団。
 一番後ろにお兄様の姿も見える。
 
 その中央から、ひょっこりと現れた明るい笑顔の王子様に、わたしもリリアさんも唖然とする。

 ジュリーさんは、笑顔を浮かべていた。

 あ。そう言えば、彼女、『次の配置までに、少し時間がある』とか言っていたわ。
 すると、次の配置場所って、ここ?

 エミリオ様が、わたしたちの座るテーブルまでやってきたので、立ちあがろうとすると『そのまま座っていて良い』とジェスチャーされた。


「やぁ、二人が良ければ、俺も仲間に入れてくれ」


 リリアさんが絶叫が響いたのは、その直後のこと。




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