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第五章

喜ぶべきか憂うべきか

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 (side オレガノ)


 先週は、一生分悩んだのではないかと言うほど、思い悩んだ一週間だった。

 『自身の恋愛対象が、変動してしまったのか?』といった、漠然とした不安もあったし、またそれ以上に、今の仕事を失う覚悟をしたり、場合によっては、第六か第七に異動の上、殉職する覚悟すらした。

 自分の行いが招いたことだから、それも仕方がないと思う反面、心の底では、何とか居残れないかと、未練がましく考えたりして、そんな自分の浅ましさに凹む毎日。

 あれは、本当にしんどかった。

 結果として、被害に遭いそうになった側であるレン君の咄嗟の機転と配慮があったことが分かり、自分は今もこうして仕事を続けられている。
 
 それだけで十分幸せなことだし、これ以上の高望みなど、するべきではない。
 分かっているのに、自分と言う男は、案外欲深いらしい。


 ちらりと、ヴェロニカ様の横に立っているジュリーさんに視線を送り、そのいつもと変わらぬ、凛々しくも麗しい姿に、小さく息を落とした。


 元々彼女は、こちらの気持ちに気付いていた節があった。
 先日の出来事は、ただ、その事実を確定的にしてしまっただけ。 

 だから、彼女の反応がこれまでと変わらないのは、当然と言えば当然なのだ。
 それを、『少しだけでいいから、なんらかの反応があったら良いのに』と口惜しく思うなど、『何様だ!』と罵られても文句は言えない。告白した訳でも無いのだから。

 そもそも、彼女は周囲からとても人気のある女性で、最初から自分など眼中にないのだ。
 今回の件で、無視されなかっただけマシ。
 今まで通り、遠くから眺めるだけでも、十分幸せだろうが。

 ……有難くも直属の部下に選んで頂き、多少信を置いて下さっているように感じていたから、自惚れていたんだろうな。

 はは。だっさ。

 ジュリーさんの綺麗な横顔を見ながら自嘲の笑みを浮かべつつ、意識を自身の仕事に戻した。


 眼前に広がっているのは、大理石敷きの美しいダンスフロア。
 そこでは、初々しくも よく息のあった仕草で、一組の男女が踊っている。
 
 どうしてなかなか、お似合いに見える。

 問題なのは、踊っているのが王子殿下と自分の妹であるといった点。


 今回のサロンのメインイベントに関しては、母から ある程度説明を受けていた。
 かなり大雑把な感じではあったけど……。

 うん。
 今考えると、大分アバウトな説明だったな。

 母が言っていたのは、『ヴェロニカ様の後押しを頂いて、デザイナーブランドの立ち上げをすることになり、その発表がサロンで行われること』と、『ローズも、お揃い衣装(別バージョン)のモデルとして、そこに参加させること』の二点。

 その話を素直に受け取っていた自分は 相当な甘ちゃんだったと、頭を抱えたくなったのが、つい少し前のこと。

 こんなの!
 『王子殿下第二夫人決定の報』と、ほぼ同義じゃないか。
 一体、両親は理解しているのか?と、そちらに視線を向けると、母は公爵夫人と親しげに会話を交わしている。

 はは。
 それは、そうだろう。

 子爵家出身、我が家において最も思慮深い母が、気づかないわけがない。
 無論、意味に気付いていたとしても、逆らえる立場でも無いしな。
 
 それに……男爵家にとっては、普通に喜ばしい状況だ。
 断る理由もない。

 そうなると、あとはローズの気持ち次第だが……アレは、驚くほど鈍感だからなぁ。

 ハニカミ笑顔で楽しげに踊るローズを見ながら、頬を掻く。

 まぁ、嫌がっていないみたいだから、印象は良いのだろう。恐れ多いけど。

 ただ、兄としては不安になる。
 あんな純粋なのが、愛妾の立場に納るって、不安しかないんだが?
 
 ただまぁ、ここまで来ると、ローズから撤回とか、絶対出来ないだろう。
 すると、この縁談は、ほぼ確定なのか?

 立場上、殿下の 義兄あにになるとか、胃炎待ったなしなんだが?


 ああ。全く!
 自分の恋すらままならないと言うのに、妹の縁談で更に悩まされるとは思わなかった。

 心の中で頭を抱えた時、予想もしていなかった事態が起こった。

 あれは、リリアーナ嬢?
 迎賓館貴賓棟の招待客リストに、彼女の名前は載ってなかった。
 一体何処から?

 考えている場合では無いか。
 不審者の扱いで制止するべき事案だ。

 動き出そうとした時、ジュリーさんが片手を上げて、それを止めた。

 指示されたのは、ヴェロニカ様か。
 彼女は、単身、殿下とリリアーナ嬢の間に割って入ったようだ。
 すると、彼女は、一応招待客ではあったのか?

 状況把握に努めている間に、リリアーナ嬢は、ヴェロニカ様の前を通過して、エミリオ王子殿下の元へ。

 馬鹿な。
 すんなり通すなど、普通ありえない。
 相手は、才色兼備、国の至宝とまで言わしめた、ヴェロニカ様だぞ?
 
 と、そこに悠然とやって来たのは、一人の美少年。
 恐らく、このイレギュラーを作り出したであろう人物……ジェファーソン様だ。

 なるほど。
 彼の知略は、王国屈指と持て囃されている。
 すると、ヴェロニカ様を突破するために リリアーナさんに入れ知恵したのは、彼だろう。

 王子殿下護衛の騎士たちは全員、その場に待機しつつ、いつでも動けるように体制を整えていた。

 しかし、ヴェロニカ様とジェファーソン様の会話が始まった時点で、警戒を解いた。
 彼がしたかったのは、あくまでローズへのサプライズプレゼントであり、殿下に危害を加えるような意図は、一切感じられなかったから。

 問題はリリアーナ嬢だったが、心ここに在らずな様子で、フラフラとジュリーさんの横に戻ってきたヴェロニカ様が、手出し不要を告げたため、そのままとなった。

 しかし、これはとんだことになったぞ。

 髪飾りを差し替えてもらっているローズを見ながら、いつの間にか かいていた額の汗を拭う。

 髪飾りを差し替えただけなのに、ジェファーソン様とローズの衣装が、まるでお揃いのように、或いは、それ以上に見えて来たから。

 何とも不思議な色の組み合わせにも関わらず、ジェファーソン様の衣類の黄色は、ローズのドレスの紫色をよく引きたて、その逆もまた然り。

 また、殿下と踊るリリアーナさんに目を向けると、二人も何処となく揃って見える。

 これは!

 兄としては喜ぶべきか憂うべきか悩むところだが、この乱入がきっかけで、ローズを見る周囲の目が変わった。

 つまり、今までは『第二夫人確定か!』と思われていたのが、『第二夫人候補か?』くらいのニュアンスに薄められた感じだ。

 となると、当然面白くないのはヴェロニカ様だろう。
 そちらをみると、彼女は額を抑えてソファーに座り込んでいる。

 そこに、人混みを掻き分けてスティーブン様がやって来た。


「ちょっと。ベル。大丈夫?」

「大丈夫そうに見えまして?」

「見えないから、わざわざ来たのよ。
 これ、どうなっているの?」

「ジェフに、してやられたところですわ。は~~」


 ため息をつくヴェロニカ様。


「足止めを、していたはずでしょ?」

「しましたわ。御令嬢方に頼んで。
 彼女たちが、ジェフが他の御令嬢を口説きに行くのを、やすやす見過ごすとは思えないのに……。
 それに、リリアーナさんが、ここまで上って来るなんて……」

「上がって来た⁈」

「ええ。彼女は、ダンスフロアが良く見えるように、中層に入って頂いたはず。
 こんな短時間で、ここまで来られるはずがないのですわ。それを。
 ジェフったら、どんな魔法を……」

「魔法……ね」


 スティーブン様は、しばし考えるように視線を揺らしていたが、やがて何かに気づいたかのように顔を上げると、がばっと後ろを振り向いた。

 そこに立っていたのは……ああ、レイブンさんだ。
 そう言えば、先程も一緒に歩いていたっけ。


「ああ、探し物」

 
 レイブンさんを見つめて、妖艶な声を出したスティーブン様。

 レイブンさんは……ん?
 少し顔を背けただろうか?

 スティーブン様は、ヴェロニカ様に笑顔で向き直った。


「なるほど。ベルが言っていた通り、ジェフは本当に、侮れない男に成長したわね」

「今回だけは完勝を狙って、入念に準備しましたのよ?それを……。
 大体、プレゼントを利用して自分の衣装に寄せたにしても、お洒落にまとまりすぎていますわ。
 すると、衣装の情報まで?
 いったいどうやって?」


 頭を抱えるヴェロニカ様。
 大分混乱なさっているようだ。


「あの子の強みは、情報収集能力と、想像力。
 そして人身掌握術よね。怖いわ」


 他人事のように、スティーブン様。


「いずれにしても、今は何もお手伝い出来なさそうね?」

「……ええ。ここまで引っ掻き回されては、取り繕いようも無いですわ」


 肩を窄めるヴェロニカ様に、スティーブン様は頷いた。


「それじゃ、私は引き続きサロンを楽しませて頂きましょっと。
 レイン、ちょっといらっしゃい。あちらでイイコトしましょう?」


 そう言って、レイブンさんの腰に腕を回すと、スティーブン様はホールの中に入っていった。

 ええと?
 これ、我が家とローズにとって、良い状況か悪い状況か、どっちだ?
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