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第五章

慈悲の対価は想像以上だった / 事実だけを聞くと犯した罪は想像以上だった

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(side ローズ)


 その日は、朝から事務局がざわついていた。
 
 何処に行っても、神官さんたちがひそひそと話しているから、ひたすらに気になるのよね。
 何かあったのかな?

 ただ、降臨祭関係の資材を頂きに神官室の中に入っても、特に何か言われることもなかったので、聖女候補には関係なさそう。
 
 そんなこんなで、午前中はもやもやっとした状態で終わった。


 こういう時は、聖堂の情報網でヒカリの速さを誇ると言われる、神官見習いの女子に聞くに限るわ!

 思い立って、昼食時、何気なくヨハンナに聞いてみると、彼女は口元を隠して、ひそひそと教えてくれた。

 あらあら。
 その仕草、何処で覚えてきたのかしら。
 すっかり噂好きの女子の一員だわ。

 可愛くて、思わず笑みが溢れたけど、その内容を聞いて、今度は眉を顰めることになる。


「今朝、聖騎士のクルスさんが、懲罰房に入ったです。その件で、朝から大騒ぎで……」

「え? レンさんが?」


 どういうこと?
 彼の人となりを考えれば、不祥事など起こすとも思えない。

 心配になって聞き返すと、ヨハンナは瞳を輝かせて前のめりに話し始めた。
 どうやら、誰かに話したくてうずうずしていたみたい。


「それがですね!
 今朝クルスさんが頭に怪我をして帰ってきたらしくて。
 そしたら、運悪く、裏門勤務が神官長の口利きで入ったあの人で」


 ああ。アーニーさんね。

 神官長が就任した時に、一緒に外部から連れてきた貴族階級出身者で、聖騎士の試験をパスせずに配属された上、素行も悪く、職務も適当だと、先日ラルフさんがぼやいていたわ。


「神官長に、わざわざ告げ口にいったらしいです。昨晩は、クルスさん、王国騎士団の飲み会にいってたそうで?」

「そう言えば、祝勝会だと、兄が言っていたわ。昨日だったのね」


 ヨハンナは大きく頷いた。


「そこで、頭の怪我ですよ。
 『喧嘩をしたに違いない!素行不良だ!』って、神官長に攻め立てられて……。
 補佐たちは、事情の説明を求めたですが、クルスさんにしては珍しく、歯切れの悪い返事をしたと……」

「歯切れの悪い?」

「はい。聖堂の職員て、女神様の元、真実しか口に出来ないじゃないですか。そのかわり、黙秘が許されるですけど。
 クルスさんは、『詳細は、お話しできません』って、言ったですって。
 『それなら懲罰房に行け!』って、神官長が怒鳴りちらして、そしたら、あっさり頷いて、自分からさっさと入っちゃったらしいです」
 
「えぇ? そんな……」

「神官のお兄さんたちは、『聖騎士が職務外に怪我をしたってだけで、別に問題が起きているわけでも無いから、懲罰房はやりすぎだ』って言ってました。
 お姉さんたちは、『きっとやむを得ない事情があったのよ!』って、鼻息を荒くしてましたです」


 なるほど。
 神官の皆さんは、総じて同情的。

 でも、懲罰房って、確か結構厄介なのよね。
 許されるべき事由がある場合か、神官長、補佐、聖女様全員が認めないと出られなかったと思う。
 だから、基本は入れられる段階で『何日間』と、決めることになっているんだけど、今回の場合ってどうなるのかな?


 その時、賑やかな足音が近づいてきたので、振り返った。
 目の前には、耳を垂らしたわんこ……もとい、眉を下げたラルフさんが。


「ローズさん!食事中すみません!」

「ちょうど終わったところなので、大丈夫ですよ?どうしましたか?」

「先輩の件、耳に入ってますか?」


 なんて、タイムリー。


「今聞いて、驚いていたところで」

「有難い、話が省けます! 
 そんなわけで、物品の差し入れをしたくて。ご存知ですか?慈悲の申請」

「はい。確か、罰を受ける本人は、何も持ち込めないから、減罰を望む聖堂職員二人以上が申請して、その人数分の物品を渡せる、でしたっけ?」

「そうそれ!先輩、一度寮に戻ってきたんですが、顔が真っ青で。……多分体調悪いんで、敷物とかけるもの。あと水と薬を渡してやりたいんですが」

「四人必要ですか」

「ニコさんとジャンから署名貰えてて、あと一人欲しいんです。エンリケ様に頼みに行ったんですが、早く出してやろうと、あちこち歩き回っているようで、捕まらなくって」

「良いですよ。直ぐに物品を運び入れるなら、お供しますし」

「え?いやでも、暗いですよ?」

「問題ないです」


 その場で書類に署名して、立ち上がり食器を片付けると、ヨハンナにお礼を言って、わたしは食堂を後にした。





 神官室で申請書を通し、物品を受け取ると、ラルフさんと二人で地下にある懲罰房へ向かう。

 初めて入るけど、牢屋みたいに鉄格子が入っているわけではなくて、個室のような作りで安心した。
 預かった鍵を使って扉を開けると、中はほぼ真っ暗だった。
 
 一切反応がなかったので、中の様子を伺うと、レンさんは、石の壁にもたれて座ったまま、長い両足を投げ出し、小さく寝息をたてていた。

 朝方帰ってきたそうだし、もしかしたら、昨晩寝ていないのかもしれない。

 顔に怪我と聞いていたので、ちらりと視線を向けると、額から瞼の辺りまで、広範囲にわたって腫れてしまっている。

 痛そう……。
 何か固いものに、強く打ちつけたのかな?
 
 扉を大きく開いて、寝具類を持ってきてくれたラルフさんが通りやすいように押さえていると、レンさんが瞬きするのが見えた。


「あ。すみません。起こしてしまいましたね」


 暗い懲罰房の中にいたせいか、レンさんは、眩しそうに目を細めている。


「……ローズさん?」

「はい。丁度良いですから、敷物に移動して、ゆっくり休んでください。お水とお薬は、こちらに」

「それは……ご配慮賜り……ありがとうございます」


 ゆるゆると頭を下げるレンさんは、まだ何処となくぼーっとしている。

 アルコールの影響なのかしら?
 ちょっぴり寝ぼけているみたい。
 普段きっちりされているから、なんだか可愛い。

 
「大丈夫っすか? レン先輩。昨日結構飲まされたのかな」


 敷物を整えながら、ラルフさんは心配そう。


「とりあえず、今差し入れられる分だけっすけど、使って下さい。
 エンリケ様が、出られるように動いているそうなので、もうしばらくの辛抱です」

「ああ。ラルフも……ありがとう」

「いえいえ。因みに慈悲は、ローズさんとニコさんと、ジャンと俺からっすよ」

「情け無いところを見せたばかりか、慈悲まで頂いて……とても頭が上がらない」

「っうおっ! 何か、先輩に感謝されるのって、めっちゃ気分がいいっす!」
 

 言い方……。
 でも、少しだけ分かるかな。
 いつも助けて頂いてお礼を言うのは、わたしたちの方だから。


「他に出来ることがあったら、何でもおっしゃって下さいね」


 笑顔で伝えると、レンさんはわたしに視線を向けた。
 そのまま、じっとわたしの顔を見た状態で黙ってしまったので、急に不安になる。

 え?何?
 何か顔についてるかな?

 そんなにじっと見つめあったこととか 無かったので、時間の経過とともに、無性に恥ずかしくなってきた!

 でも……あれ? 何だろう。
 こちらを見ているのに、目がしっかりと合わない、この感じ。
 レンさんの視線は、わたしの視線から僅かに上にずれている。

 もしかして意識が朦朧としている?

 時間にして十秒以下だと思うけど、体感一分くらいあった静寂を破って、レンさんが口を開いた。


「ローズさん……どうすれば、骨の強度は上がりますか?」

「っ?? え? 骨ですか?」


 しかも、強度? 
 それを、何で?わたしに?


「え゛? 何? その質問。
 先輩、まじ寝ぼけてんの? 
 それとも何処か打った? 
 ……っ!打ってるわ!
 ちょ、やばいんじゃないですか?とりあえず、横になって!」


 ラルフさんは、慌てたように、座っているレンさんを敷物の上に引きずり倒した。

 その後、一度こちらにやって来たので、わたしは持っていた水と薬を手渡す。
 ラルフさんは大股に戻り、起き上がり直したレンさんの前髪を上げた。


「薬つけますから、目を閉じて下さい」

「っっ!」


 ぐりぐりと腫れた部分に塗り薬を塗られて、レンさんの口から小さな息が漏れる。

 うわわ。痛そう。
 ラルフさん!もう少し丁寧にっ!


 それにしても、骨の強度って……骨密度かな?
 前世のイメージだと、摂取すべきはカルシウム。それから、適度な運動、負荷かしら?
 彼の運動量は人並みはずれているから、カルシウムの摂取量を増やせば……すると、牛乳?
 いえ、それよりも、あれよね!
 アーモンド小魚!
 この世界にも、アーモンドがあるのは僥倖だわ。


「ええと。多分、小魚を食べると良いですよ。乾き物でも良いので。それと、ナッツのアーモンドを一緒に」

「へ? ローズさん……何の話?」


 唖然としたように、薬の蓋を閉めながらラルフさん。


「強い骨を作る方法です!
 わたしも港町の出身ですので、子供の時によく食べていたんです。小魚!
 今度、良さそうなものを作ってみますね?」


 一瞬、部屋の中が静まり返った。

 あれ?
 何か変だった?
 でも、レンさんのことだから、きっと真剣な質問だろうし、ここはきちんと答えないと、と思ったんだけど……。

 次の瞬間
 

「っふ……」


 微かに息の漏れる音。
 直後、レンさんが自身の口を押さえるのが見えた。

 え? 今……。

 そのまま黙ってしまったレンさん。
 顔を俯けているから表情はわからないけど、微かに肩が震えている。

 もしかして、笑ってる?
 え? うそ嘘!レアすぎる!

 感動に打ち震えていると、小さく咳払いをして、レンさんが口を開いた。


「失礼。我ながら、間の抜けた質問をしてしまったと思っていたので、まさか解答を頂けると思っていなくて。ありがとうございます。小魚とアーモンドですね。意識的にとるようにしてみます」


 しっかりと覚醒したらしい、丁寧な返答が返ってきた。
 しかも、笑顔に見えるあの表情のおまけ付き。

 物品を届けにきただけで、レンさんのこんな表情を見られるなら、幾らでも他の人に頭を下げちゃうわ。

 るんるん気分でそんなことを思いながら、驚きに震えているラルフさんと一緒に、懲罰房から出た。


 夕方。

 聖堂に、第七旅団長と配下の中隊長がやって来た。

 旅団長の第一声が『クルス君から調書をとりたい』だったため、神官長は喜色を浮かべ、補佐たちは青ざめたらしい。

 神官長が『喧嘩をした馬鹿者は、しっかり懲罰房で反省させておりますので』と、揉み手に猫撫で声で、自分の手柄を誇示したところ、団長、中隊長双方が血相を変えて立ち上がり、『彼をそこからだせ!今!直ぐに!』とドスの効いた声で宣ったとか。

 そんな経緯で、レンさんは、夕方無事に、懲罰房から出ることが出来たらしい。

 それから数日後、アーニーさんが牢に入れられることになるんだけど、それが昨晩のレンさんの動きに関係していたことを、この時は誰も知らなかった。





(side オレガノ)


 目覚めた時 瞳に映ったのは、見知らぬ天井だった。

 一気に血の気が引いたが、備え付けのソファーで、宿が支給したプレスに目を通しているユリシーズさんを見つけて、胸を撫で下ろす。

 昨晩、酔った自分を、彼が宿まで連れてきてくれたのだろう。

 声をかけようとしたところ、先に気付いた彼がこちらを向いた。


「おはようございます」

「おはよう。もうすぐ、昼だけどね」


 ユリシーズさんは、その色気のある顔に、微苦笑と、若干の苛立ちを滲ませた。

 まずい。
 昨日のことを思い返してみるが、途中から記憶が曖昧だ。
 何かやらかしただろうか……?


「ええと……」

「うん。きっと、色々聴きたいに違いない。そうだろう?
 実は、昨晩は 君が想像する以上に、実に様々なことがあったんだ。
 これから順を追って説明するから、心して聞き、打ちのめされ、猛省してくれ」


 そう宣ったユリシーズさんは、氷点下の笑顔だった。
 

 そこで、自分が酔い潰れた挙句、団の中で悪事を働いていると目されていた集団に連れ出され、カモにされそうになったことを聞く。

 うっかりすれば、違法の賭博に手を染めた挙句、多額の借金を負わされ、場合によっては自らもお縄になっている事態だったそうだ。

 助けるために動いてくれたのが、昨晩自分の倍以上の酒を飲まされ、潰されて持ち帰られるんじゃないかと、こちらこそ心配していたレン君本人だったと知り、愕然とする。


「以上が、君の身に起こり得た不幸であり、回避された事態だよ。
 何事もなく済んだ上、逆に協力者として褒賞が出るかもしれない。
 あの騒ぎの中で爆睡していて何もしなかったくせに、ラッキーだったな」


 引き攣り笑顔で、そう言い放つユリシーズさん。

 ああ。棘がっ!
 棘が、胸に突き刺さりまくってますからぁ。

 それにしても、何という失態。
 穴があったら入りたい。
 直ぐにでも、聖堂に行って詫びと礼をしないとならないが……。

 あまりのことに額を抑えて、予想していなかった痛みに顔を顰めた。

 何だ? これ。
 でっかいコブが出来てるんだが?


「うん。気付いたね? 
 それこそが、レン君の身に起こった不幸と、抵抗の証ってわけだ」

「はい?」

「おれも、まさか君があんな事をするとは思わなかったから……。どちらかと言うと、そっちの方が腹立たしいよ」


 そこからの話を聞いて、冷や汗が止まらなくなった。
 
 ユリシーズさんが、見たり聞いたりした事実を時系列にまとめると、こうなる。


①ユリシーズさんが この部屋に入ろうとした時、凄まじい音がした。

②中に入ると、自分がレン君を押し倒していた。

③急いで引き剥がしたところ、自分は眠ってしまった。

④その時のレン君は、顔面を蒼白にして目元を潤ませていた。

⑤直後トイレに行ったレン君が、しばらく出てこなかったので聞き耳を立ててみると、どうやら吐いているようだった。

⑥ その後、レン君は隣のベッドで寝る事を、頑なに拒んだ。

⑦今朝、ユリシーズさんが目を覚ました時、レン君は支払いを済ませ、帰った後だった。


 これ……本当に事実なのか?

 待ってくれ!
 だって、自分にその気はない。

 真夏の室内は暑いのに、冷や汗のせいで、最早、暑いのか寒いのかも分からない。

 一つだけ、はっきりと分かることは、レン君に合わせる顔が無いという事実だけだった。
 
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