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第五章
祝勝会 兼 慰労会 〜下戸とザル
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(side レン)
「ほらな。やっぱりオレガノさんのが危なっかしいじゃないか」
頭を抱えるユーリーさん。
…………。
のが、とは?
引っかかるものを感じたものの、聞き直すほどのことでもないので、とりあえず状況を確認する。
「結構飲まれていたのでしょうか?」
「あぁ。うん。でも、君ほどじゃないけどね」
「はぁ……。それならば、どうということも無いですか」
「うん? 君、散々飲まされてなかったか?」
「それは……。ですが、酔いが回るほどの量では……」
「は?」
「……え?」
真顔で聞き返されて、質問の意図がわからず、逆に聞き返す。
「開始からここまで、途切れることなく飲まされているように見えたが?」
「はい。ですが、エールだけですし……その、失礼ながら、ここのエールは少々薄いですよね?」
「は? いやいや、世間一般ではこんなもんで……。待ってくれ。何処のと比較している?」
「エンリケ様やスティーブン様に連れて行かれたバーですが? ……なるほど。そう言えば、遠征先で旅団の皆さんからご馳走して頂いたのは、こんな感じでした」
「比較対象!ってか、一緒に飲みに行く人間がビップすぎる……。いや、それより何より、スティーブン様と飲みに行っただ?
大丈夫だったのか? 何もされなかった?」
「……相当酔われていたようで、少し噛みつかれましたが、無礼講と仰ってましたので、沈めて帰りました」
「はは。マジか。それってつまり、スティーブン様を潰したってことだろ? あの騎士団の猛者たちを、悉く酔い潰したと言われるウワバミを……。
なんだ。君、めちゃくちゃ酒 強いんだな。だったら、助けに来る必要は無かったわけだ」
!
やけに良いタイミングで声をかけてきてくれたとは思っていたが、意図して助けに来て下さったのか。
随分と気を使わせてしまったようだ。
「それは、お気遣いを頂いたようで」
「ああ。いやいや。
俺はそんなに心配してなかったんだが、オレガノさんが、君が飲まされすぎていて心配だっていうから、様子を見に来ただけで」
「そうでしたか。有難うございます。
一応、これまで、酔って絡んだり暴れたことはありませんので、それほどご心配頂かなくても……」
「そうだろうな。ってか、君において、そのパターンは想像もしてなかったけどな。
君が酔いつぶされて、持ち帰られる方の心配をしていただけで」
持ち帰る……?
では、先ほどの『オレガノさんのが』というのは、まさか、私と比較して、ということなのだろうか……?
私も危なっかしいと?
よく分からないが、私如きに心を砕いて下さるお二人の心遣いは有り難いことだ。
だが、誰からも好かれるオレガノ様と、おおよそ人数合わせで招かれただろう私を、同列に考えるのはどうかと思う。
そもそも……。
「あの……。私を連れ帰ったところで、その方に、何の得がありましょうか?」
「……っはぁ?」
「金銭を巻き上げるにしても、大した持ち合わせもありませんし」
「いや。そうじゃなくて、貞操的な意味で言ってるんだけど? 君も騎士なんかやってれば、たまに誘われたりしないかい?」
ていそう?
…………貞操か?
それは……生死を分けるような戦いに赴く日の前後、宿泊場所に娼館などが無い場合、稀に声をかけられることはある。
こちらとしては、同性に対して そんな気は全く起きないし、そんな時間があるならば、その分を鍛錬に当てた方が、まだ生存率が上がる気がするので、都度丁重にお断りしているが。
聞く話によると、人間、死の恐怖を前にした時、生殖本能やら生存本能やらが働いて、そういった思考になりがちだとか。
つまり、その場合、そこに恋愛感情などはなく、相手は誰でも良いのだ。
そうは言っても、私などに声をかけてくるほどだから、彼らはその時、よほど切羽詰まっていたのだろう。
……気の毒に。
いずれにせよ、結局そういった誘いは、戦場における一時の気の迷いであり、平常時に声をかけられることは、ほとんどない。
あったとしたら、その人物は相当趣味が悪いとしか……。
「そんな悪趣味な輩は、滅多にいないと思いますが?」
「…………。はは。そっか。なるほど。
君は、びっくりするほど自分の容姿に自信が無いんだな」
「……そうですね」
この容姿に生まれついたがために、実の母親の愛情すら、受けることが出来無かった。
王都では、種族の特徴に詳しい者が少ない故に、あまり気にされていないようだが、故郷に戻れば害鳥のような扱いをされるのが常だ。
自信など、持てるはずも無い。
「それ、自己評価が低すぎだよ? 君、世間一般から見たら、かなりレベル高いからね?
よく周りの人から、美人だとか かっこいいとか言われないかい?」
『無い』と即答しかけて、不意にローズさんの顔が浮かんだ。
以前、偶然夜間練習を見られた時に、かっこいいと褒めて頂いたことがあった。
あれは、これまでの否定され続ける人生の中で 初めて聞いた、私の容姿を肯定する言葉だった。
それだけで、この王国の中で『生きていても良い』と言われたような気がして、なんとも言えない気分になったものだ。
リップサービスであることは分かっているが、あの時のことを思い出すと、今でもふわふわと落ち着かない気持ちになる。
「ぅおっ。なにその反応。珍しいものを見たな。その分だと、やっぱりあるんだろぅ?」
ニヤニヤしながら、顔を覗き込んでくるユーリーさん。
私は視線を背けた。
酒が入っているせいだろうか。
頬が熱い気がする。
顔が赤くなっているのかもしれない。
「以前一度だけ。それに、その時の状況から見てお世辞でしょうし、ほぼ無いと言って良いかと」
「へー。ほー。一度だけ。誰に?」
「それは……ローズさんですが、彼女は誰に対しても気分良く接してくれる方ですので」
「あー。なるほどね。彼女、本当に良い子だもんな」
「そうですね」
優しく微笑む彼女を思い浮かべて、何となく安らいだ気持ちになってしまったが、同時に、そんな状況では無かったことを思い出し、正面にいる彼女の兄、オレガノ様に視線を戻した。
「ところでユーリーさん。今、オレガノ様を囲っている第六の騎士たちのことで、お耳に入れておきたいことが」
「なんだい?」
「実は、彼らがこの会に来ていたら、注意しておくよう、中隊長から頼まれました」
「中隊長? 二十人いるんだが? 誰?」
「第七のディルアーク中隊長です」
「ああ、タイマーの」
「ご存知でしたか」
「まぁ。彼はちょっと有名だから、名前くらいは。……親しいのかい?」
「ええ。以前少し」
あくまで雑談している風を装って、ぼんやりと送り続けている視線の先、オレガノ様は目をとろんとさせて、いよいよ船を漕ぎ始めた。
また、その周囲の騎士たちは、帰り支度を始めたようだ。
「何でも、同僚の中で見目の良い者を、甘い言葉で騙して男娼に落としたり、貴族階級出身者を酔い潰して弱みを握り、脅迫して金をゆすりとっている輩がいるとか……」
「それが、彼らだと?」
「調べによると、ほぼ確定のようです。ただ、被害者が訴え出ないものですから、排除するのが難しいようで」
「すると、現行犯狙いか……」
「はい」
「はーん。さては、囮になれとか言われたな?」
「私では、お役に立てないと伝えました。そして、現在それを実証した格好です」
「そいつは残念だったな」
「既定路線ですが?」
「……はは。で、どうするつもりだい?
先ほどから随分のんびりと観察しているけど、普段の君なら、とっくに助けに入ってるところだろう?」
半眼で引き攣り笑いを浮かべるユーリーさん。
流石に察しがいい。
おそらく普段の私だったら、直ぐに引き離しに行っている。
しかし、現状そうしていない。
理由は幾つかあるが、自分にとって一番都合の良い理由を述べるならば、外で中隊長率いる小隊が網を張っているのを知っているから。
だからといって、何も知らないオレガノ様をそのまま放置して囮に使うなど、当然するべきではない。
分かっている。
だから後は、効率と……感情の問題だけだ。
「オレガノ様は、快活で優しく、素晴らしいお人柄であると常々感じております。
ただ、ここのところ、どうにも見ていて危うくて……」
彼は、つい先週、スティーブン様の罠にはまり、相当反省なさったはず。
私からも、僭越ながら『存在自体が目立つので、どうか自粛してほしい』と、真摯にお伝えしたつもりだった。
にも関わらず、今日のこの事態。
あの件は、彼には全く響かなかったのだろうか?
あの件のせいで、こちらはスティーブン様に賭けで負け、半ば首輪を付けられたような状況に陥っているというのに……。
ああ。責任転嫁だ。
どう考えても、あの方の口車に乗せられ、賭けに応じた自分が悪い。
分かっているが、どうにも やるせない。
「分かるよ。彼、人が良くて顔も良い上、無自覚ど天然だもんな。そこまでは、君と良い勝負なんだが、合わせて下戸で役満だ」
苦笑いで答えるユーリーさん。
……私と良い勝負?
……かなり引っかかったが、今考えるべきはそこでは無いので、とりあえず思考から除外する。
そうか。
オレガノ様は、酒に弱いのか。
それで、警戒心が薄くなっているということならば、ある意味仕方がないとも言える。
そう言えば、先日聖騎士寮に泊まるような事態に陥ったのも、酒が原因だった。
ならば、やはり、放置はできない。
そもそも、オレガノ様があの集団にからまれたのは、この場に一人でいたからであり、それは、彼が私を心配して ユーリーさんをこちらによこしたことに起因する。
つまり、原因の一端は私だ。
それに、いくら味方が外で網を張っているにしても、十人程度の小隊だから、穴があるかもしれない。
オレガノ様を野放しにして、もしものことがあっては困る。
「……やはり、声をかけてきます」
「まった」
立ちあがろうとしたが、ユーリーさんに裾を引かれて椅子に戻された。
「様子を伺っていたのは、奴らに警戒されないためだろう?
今、声をかけてしまったら、用心してしばらく水面下に潜ってしまうかもしれない。結果、排除が遅れて被害が増える。
良いじゃないか。手伝うとも。
なんなら、オレガノさんに灸をすえる良い機会だしな」
笑顔でウインクしてくるユーリーさん。
そこまで理解してくれているなら、話が早い。
「では、幹事にお礼とお暇を……」
「いや。それだと、動きが不自然になる。ああ言った輩は鼻が効くからな。
君が酔ったふりをして、俺が連れて帰る旨を幹事に申し出るのはどうだ?」
「なるほど。二人とも部外者ですし、片方が酔い潰れているとなれば、まさか尾行されるとは思いませんね」
「ご明察」
「ただ……その、何故私が酔っ払いの役ですか?」
「純粋に飲んだ量。その方が、説得力があるだろう?」
「左様ですか」
「どうせみんな酔ってるし、俺の肩にもたれて下向いてるだけで それらしく見えるから、心配いらないさ」
「分かりました。では早速動きましょう。
あちらが先に外に出てしまうと、我々が挨拶している隙に、見失ってしまうかもしれません」
「そうだな」
視線で頷きあった後、先にゆっくりと立ち上がり、わざと目を閉じて、体重のかかった方に数歩分よろけてみせた。
「おいおい!レン君、大丈夫か?」
自然に聞こえる程度のやや大きめな声でそう言うと、ユーリーさんが肩を貸してくれた。
あとは言われた通り、ユーリーさんにわずか体重を預けてのろのろ歩き、幹事のところまで移動。
ユーリーさんが、説明している最中は、彼の肩にもたれながら薄目を開けて、オレガノ様たちの様子を伺っていた。
しかし、時間がかかる。
何故だか幹事がなかなか了解してくれない。
「いやだが、しかしだね。ユリシーズ君。しっかり送り届けてくれる確証が無ければ……」
「ちゃんと送りますよ!大丈夫ですって!彼は俺の弟みたいなものですから……」
「そうは言っても、見てみたまえ!周りの人間の訝しげな目を」
「信用ないな。それなら、本人に聞いてみたらどうです?」
「そんな状況じゃ、自分で判断できないだろう?」
オレガノ様の周囲が活発に動き始めたので、いい加減、店の外に出たいのだが……。
仕方ない。
私は僅かに顔を上げ、途切れ途切れに小声で告げた。
「もう、眠いので……ユーリーさんと、帰ります。今日は……ありがとうございました」
最後に頭を下げると、幹事である第六副団長は、何故か一瞬固まり 唾を飲み下した後、渋々頷いたらしかった。
私が愛称で呼ばせて頂いている王国騎士は、現在二人しかいない。
日常的な親しさをアピールするには有効だと思ってやってみたのだが、想像以上に効果があったようだ。
とにかく、これで何とかなった。
酔っている演技を続けたまま、ゆっくりと店を出て、入り口の扉を閉めたところで体を離した。
「首尾良く行きました。ありがとうございます」
「何だ。もう芝居は終わりか? 本当の弟みたいで可愛かったのに」
ニヤニヤ笑いのユーリーさん。
演技をしていたことが無性に気恥ずかしくなるので、揶揄うのはやめて欲しい。
「冗談はその辺で。あの様子ですと、ものの数分で出てきますよ」
「そいつは、まずいな」
「とりあえず、中隊長と合流しましょう。多分、この近くにいるはずです」
立ち並ぶ店の隙間、大通りより一段暗くなっている裏路地に目を向け気配を探っていると、斜向かいの店の路地から、手招きしている人影を見つけた。
「おい!こっち」
小さく呼ばれたので、ユーリーさんに目配せしてから、そちらに向かう。
路地裏には、息を潜めた五名の王国騎士。
手前にかがみ込んでいた白髪の青年が、人懐こい笑みを浮かべてこちらを見ている。
「こんばんは。ディルアーク中隊長」
「アンタにそんな呼び方されると、むず痒いんだが?」
後頭部を掻きながら、彼は面倒そうに笑って呟いた。
「では、改めまして。お疲れ様です。ツィグさん?」
「ほらな。やっぱりオレガノさんのが危なっかしいじゃないか」
頭を抱えるユーリーさん。
…………。
のが、とは?
引っかかるものを感じたものの、聞き直すほどのことでもないので、とりあえず状況を確認する。
「結構飲まれていたのでしょうか?」
「あぁ。うん。でも、君ほどじゃないけどね」
「はぁ……。それならば、どうということも無いですか」
「うん? 君、散々飲まされてなかったか?」
「それは……。ですが、酔いが回るほどの量では……」
「は?」
「……え?」
真顔で聞き返されて、質問の意図がわからず、逆に聞き返す。
「開始からここまで、途切れることなく飲まされているように見えたが?」
「はい。ですが、エールだけですし……その、失礼ながら、ここのエールは少々薄いですよね?」
「は? いやいや、世間一般ではこんなもんで……。待ってくれ。何処のと比較している?」
「エンリケ様やスティーブン様に連れて行かれたバーですが? ……なるほど。そう言えば、遠征先で旅団の皆さんからご馳走して頂いたのは、こんな感じでした」
「比較対象!ってか、一緒に飲みに行く人間がビップすぎる……。いや、それより何より、スティーブン様と飲みに行っただ?
大丈夫だったのか? 何もされなかった?」
「……相当酔われていたようで、少し噛みつかれましたが、無礼講と仰ってましたので、沈めて帰りました」
「はは。マジか。それってつまり、スティーブン様を潰したってことだろ? あの騎士団の猛者たちを、悉く酔い潰したと言われるウワバミを……。
なんだ。君、めちゃくちゃ酒 強いんだな。だったら、助けに来る必要は無かったわけだ」
!
やけに良いタイミングで声をかけてきてくれたとは思っていたが、意図して助けに来て下さったのか。
随分と気を使わせてしまったようだ。
「それは、お気遣いを頂いたようで」
「ああ。いやいや。
俺はそんなに心配してなかったんだが、オレガノさんが、君が飲まされすぎていて心配だっていうから、様子を見に来ただけで」
「そうでしたか。有難うございます。
一応、これまで、酔って絡んだり暴れたことはありませんので、それほどご心配頂かなくても……」
「そうだろうな。ってか、君において、そのパターンは想像もしてなかったけどな。
君が酔いつぶされて、持ち帰られる方の心配をしていただけで」
持ち帰る……?
では、先ほどの『オレガノさんのが』というのは、まさか、私と比較して、ということなのだろうか……?
私も危なっかしいと?
よく分からないが、私如きに心を砕いて下さるお二人の心遣いは有り難いことだ。
だが、誰からも好かれるオレガノ様と、おおよそ人数合わせで招かれただろう私を、同列に考えるのはどうかと思う。
そもそも……。
「あの……。私を連れ帰ったところで、その方に、何の得がありましょうか?」
「……っはぁ?」
「金銭を巻き上げるにしても、大した持ち合わせもありませんし」
「いや。そうじゃなくて、貞操的な意味で言ってるんだけど? 君も騎士なんかやってれば、たまに誘われたりしないかい?」
ていそう?
…………貞操か?
それは……生死を分けるような戦いに赴く日の前後、宿泊場所に娼館などが無い場合、稀に声をかけられることはある。
こちらとしては、同性に対して そんな気は全く起きないし、そんな時間があるならば、その分を鍛錬に当てた方が、まだ生存率が上がる気がするので、都度丁重にお断りしているが。
聞く話によると、人間、死の恐怖を前にした時、生殖本能やら生存本能やらが働いて、そういった思考になりがちだとか。
つまり、その場合、そこに恋愛感情などはなく、相手は誰でも良いのだ。
そうは言っても、私などに声をかけてくるほどだから、彼らはその時、よほど切羽詰まっていたのだろう。
……気の毒に。
いずれにせよ、結局そういった誘いは、戦場における一時の気の迷いであり、平常時に声をかけられることは、ほとんどない。
あったとしたら、その人物は相当趣味が悪いとしか……。
「そんな悪趣味な輩は、滅多にいないと思いますが?」
「…………。はは。そっか。なるほど。
君は、びっくりするほど自分の容姿に自信が無いんだな」
「……そうですね」
この容姿に生まれついたがために、実の母親の愛情すら、受けることが出来無かった。
王都では、種族の特徴に詳しい者が少ない故に、あまり気にされていないようだが、故郷に戻れば害鳥のような扱いをされるのが常だ。
自信など、持てるはずも無い。
「それ、自己評価が低すぎだよ? 君、世間一般から見たら、かなりレベル高いからね?
よく周りの人から、美人だとか かっこいいとか言われないかい?」
『無い』と即答しかけて、不意にローズさんの顔が浮かんだ。
以前、偶然夜間練習を見られた時に、かっこいいと褒めて頂いたことがあった。
あれは、これまでの否定され続ける人生の中で 初めて聞いた、私の容姿を肯定する言葉だった。
それだけで、この王国の中で『生きていても良い』と言われたような気がして、なんとも言えない気分になったものだ。
リップサービスであることは分かっているが、あの時のことを思い出すと、今でもふわふわと落ち着かない気持ちになる。
「ぅおっ。なにその反応。珍しいものを見たな。その分だと、やっぱりあるんだろぅ?」
ニヤニヤしながら、顔を覗き込んでくるユーリーさん。
私は視線を背けた。
酒が入っているせいだろうか。
頬が熱い気がする。
顔が赤くなっているのかもしれない。
「以前一度だけ。それに、その時の状況から見てお世辞でしょうし、ほぼ無いと言って良いかと」
「へー。ほー。一度だけ。誰に?」
「それは……ローズさんですが、彼女は誰に対しても気分良く接してくれる方ですので」
「あー。なるほどね。彼女、本当に良い子だもんな」
「そうですね」
優しく微笑む彼女を思い浮かべて、何となく安らいだ気持ちになってしまったが、同時に、そんな状況では無かったことを思い出し、正面にいる彼女の兄、オレガノ様に視線を戻した。
「ところでユーリーさん。今、オレガノ様を囲っている第六の騎士たちのことで、お耳に入れておきたいことが」
「なんだい?」
「実は、彼らがこの会に来ていたら、注意しておくよう、中隊長から頼まれました」
「中隊長? 二十人いるんだが? 誰?」
「第七のディルアーク中隊長です」
「ああ、タイマーの」
「ご存知でしたか」
「まぁ。彼はちょっと有名だから、名前くらいは。……親しいのかい?」
「ええ。以前少し」
あくまで雑談している風を装って、ぼんやりと送り続けている視線の先、オレガノ様は目をとろんとさせて、いよいよ船を漕ぎ始めた。
また、その周囲の騎士たちは、帰り支度を始めたようだ。
「何でも、同僚の中で見目の良い者を、甘い言葉で騙して男娼に落としたり、貴族階級出身者を酔い潰して弱みを握り、脅迫して金をゆすりとっている輩がいるとか……」
「それが、彼らだと?」
「調べによると、ほぼ確定のようです。ただ、被害者が訴え出ないものですから、排除するのが難しいようで」
「すると、現行犯狙いか……」
「はい」
「はーん。さては、囮になれとか言われたな?」
「私では、お役に立てないと伝えました。そして、現在それを実証した格好です」
「そいつは残念だったな」
「既定路線ですが?」
「……はは。で、どうするつもりだい?
先ほどから随分のんびりと観察しているけど、普段の君なら、とっくに助けに入ってるところだろう?」
半眼で引き攣り笑いを浮かべるユーリーさん。
流石に察しがいい。
おそらく普段の私だったら、直ぐに引き離しに行っている。
しかし、現状そうしていない。
理由は幾つかあるが、自分にとって一番都合の良い理由を述べるならば、外で中隊長率いる小隊が網を張っているのを知っているから。
だからといって、何も知らないオレガノ様をそのまま放置して囮に使うなど、当然するべきではない。
分かっている。
だから後は、効率と……感情の問題だけだ。
「オレガノ様は、快活で優しく、素晴らしいお人柄であると常々感じております。
ただ、ここのところ、どうにも見ていて危うくて……」
彼は、つい先週、スティーブン様の罠にはまり、相当反省なさったはず。
私からも、僭越ながら『存在自体が目立つので、どうか自粛してほしい』と、真摯にお伝えしたつもりだった。
にも関わらず、今日のこの事態。
あの件は、彼には全く響かなかったのだろうか?
あの件のせいで、こちらはスティーブン様に賭けで負け、半ば首輪を付けられたような状況に陥っているというのに……。
ああ。責任転嫁だ。
どう考えても、あの方の口車に乗せられ、賭けに応じた自分が悪い。
分かっているが、どうにも やるせない。
「分かるよ。彼、人が良くて顔も良い上、無自覚ど天然だもんな。そこまでは、君と良い勝負なんだが、合わせて下戸で役満だ」
苦笑いで答えるユーリーさん。
……私と良い勝負?
……かなり引っかかったが、今考えるべきはそこでは無いので、とりあえず思考から除外する。
そうか。
オレガノ様は、酒に弱いのか。
それで、警戒心が薄くなっているということならば、ある意味仕方がないとも言える。
そう言えば、先日聖騎士寮に泊まるような事態に陥ったのも、酒が原因だった。
ならば、やはり、放置はできない。
そもそも、オレガノ様があの集団にからまれたのは、この場に一人でいたからであり、それは、彼が私を心配して ユーリーさんをこちらによこしたことに起因する。
つまり、原因の一端は私だ。
それに、いくら味方が外で網を張っているにしても、十人程度の小隊だから、穴があるかもしれない。
オレガノ様を野放しにして、もしものことがあっては困る。
「……やはり、声をかけてきます」
「まった」
立ちあがろうとしたが、ユーリーさんに裾を引かれて椅子に戻された。
「様子を伺っていたのは、奴らに警戒されないためだろう?
今、声をかけてしまったら、用心してしばらく水面下に潜ってしまうかもしれない。結果、排除が遅れて被害が増える。
良いじゃないか。手伝うとも。
なんなら、オレガノさんに灸をすえる良い機会だしな」
笑顔でウインクしてくるユーリーさん。
そこまで理解してくれているなら、話が早い。
「では、幹事にお礼とお暇を……」
「いや。それだと、動きが不自然になる。ああ言った輩は鼻が効くからな。
君が酔ったふりをして、俺が連れて帰る旨を幹事に申し出るのはどうだ?」
「なるほど。二人とも部外者ですし、片方が酔い潰れているとなれば、まさか尾行されるとは思いませんね」
「ご明察」
「ただ……その、何故私が酔っ払いの役ですか?」
「純粋に飲んだ量。その方が、説得力があるだろう?」
「左様ですか」
「どうせみんな酔ってるし、俺の肩にもたれて下向いてるだけで それらしく見えるから、心配いらないさ」
「分かりました。では早速動きましょう。
あちらが先に外に出てしまうと、我々が挨拶している隙に、見失ってしまうかもしれません」
「そうだな」
視線で頷きあった後、先にゆっくりと立ち上がり、わざと目を閉じて、体重のかかった方に数歩分よろけてみせた。
「おいおい!レン君、大丈夫か?」
自然に聞こえる程度のやや大きめな声でそう言うと、ユーリーさんが肩を貸してくれた。
あとは言われた通り、ユーリーさんにわずか体重を預けてのろのろ歩き、幹事のところまで移動。
ユーリーさんが、説明している最中は、彼の肩にもたれながら薄目を開けて、オレガノ様たちの様子を伺っていた。
しかし、時間がかかる。
何故だか幹事がなかなか了解してくれない。
「いやだが、しかしだね。ユリシーズ君。しっかり送り届けてくれる確証が無ければ……」
「ちゃんと送りますよ!大丈夫ですって!彼は俺の弟みたいなものですから……」
「そうは言っても、見てみたまえ!周りの人間の訝しげな目を」
「信用ないな。それなら、本人に聞いてみたらどうです?」
「そんな状況じゃ、自分で判断できないだろう?」
オレガノ様の周囲が活発に動き始めたので、いい加減、店の外に出たいのだが……。
仕方ない。
私は僅かに顔を上げ、途切れ途切れに小声で告げた。
「もう、眠いので……ユーリーさんと、帰ります。今日は……ありがとうございました」
最後に頭を下げると、幹事である第六副団長は、何故か一瞬固まり 唾を飲み下した後、渋々頷いたらしかった。
私が愛称で呼ばせて頂いている王国騎士は、現在二人しかいない。
日常的な親しさをアピールするには有効だと思ってやってみたのだが、想像以上に効果があったようだ。
とにかく、これで何とかなった。
酔っている演技を続けたまま、ゆっくりと店を出て、入り口の扉を閉めたところで体を離した。
「首尾良く行きました。ありがとうございます」
「何だ。もう芝居は終わりか? 本当の弟みたいで可愛かったのに」
ニヤニヤ笑いのユーリーさん。
演技をしていたことが無性に気恥ずかしくなるので、揶揄うのはやめて欲しい。
「冗談はその辺で。あの様子ですと、ものの数分で出てきますよ」
「そいつは、まずいな」
「とりあえず、中隊長と合流しましょう。多分、この近くにいるはずです」
立ち並ぶ店の隙間、大通りより一段暗くなっている裏路地に目を向け気配を探っていると、斜向かいの店の路地から、手招きしている人影を見つけた。
「おい!こっち」
小さく呼ばれたので、ユーリーさんに目配せしてから、そちらに向かう。
路地裏には、息を潜めた五名の王国騎士。
手前にかがみ込んでいた白髪の青年が、人懐こい笑みを浮かべてこちらを見ている。
「こんばんは。ディルアーク中隊長」
「アンタにそんな呼び方されると、むず痒いんだが?」
後頭部を掻きながら、彼は面倒そうに笑って呟いた。
「では、改めまして。お疲れ様です。ツィグさん?」
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