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第五章
絡み合う恋と策謀のイト ⑷
しおりを挟むイングリッド公爵夫人のサロンにて。
聖女アンジェリカへの挨拶を求める長蛇の列が、ようやく一区切りついた頃、聖女候補プリシラは、いそいそとその場を離れる準備を始めていた。
聖女候補は、こういった席では 基本、聖女の周りに控えることになっている。
だが、警護の関係上、聖女は殆ど一定の場所から動かない。
そこで、通例として、挨拶がひと段落した後ならば、聖女候補は比較的に自由に動けることになっていた。
(先ほど見た時は、珍しくドレスのカーテンが出来ていないようでしたけど、会も中盤の今ならば、そろそろジェファーソン様は いらっしゃっているはず。
先日あまり話して頂けなかったことをなじって、拗ねたふりをすれば、女性の扱いの上手な彼のこと。きっと、いつもより近くでお話しさせて頂けるに違いないわ!)
ふんすと、一つ鼻を鳴らして意気込むと、プリシラは 化粧品の入ったポーチを片手に、聖女付き筆頭聖騎士エンリケに声をかけた。
「エンリケ様。私そろそろ……」
「ああ……今日も動かれますかぃ? そしたら、聖騎士を一人お連れなさい。先日の件で、聖堂幹部が相当神経質になってますから」
「いえ。必要ありませんわ。サロンは慣れておりますし」
プリシラは、慌てて顔の前で手を振った。
事実、彼女にとって それは 邪魔でしかなかったから。
(ローズマリーさんのせいで、本当に迷惑なこと。
護衛の聖騎士とは言え、従者以外の男性を引き連れていては、ドレスのカーテンの中に入りにくいですわ)
ローズマリーが事件に巻き込まれた原因の一端は、プリシラ自身にも有るのだが、それを知らないが故に、彼女は自分勝手に憤る。
やんわりと断りの言葉を述べるプリシラに、しかし、エンリケは キッパリと首を横に振った。
「そういうわけにゃぁ、いきませんや。悪いことは重なるって言いますでしょう?
それに、しばらくの間は そう言う方針で行くと決まっておりますんでね」
「ですが、それでは聖女様の警護が手薄に……」
「心配ご無用。その為の増員ですからな」
エンリケは、口角を上げながら、親指で 聖女の真後ろに控えるレンを指す。
「ま。本来なら、貴女にお付けする人材は、補助要員のアイツ一択なんだが……」
「それは……駄目ですわ」
「そうなんでさ。そんなことをした日にゃぁ、後が煩くてかないません。すると、聖女付きを出さにゃならんが。さて、誰がいいか……」
エンリケは、周囲を囲う聖騎士一人一人に視線を向けると、少し考えるように沈黙した。
一方、その様子を見ていた聖女付き聖騎士たちは、一様に眉を寄せていた。
それぞれこっそり目配せしあうと、プリシラには聞こえないよう、小声で意見を交わす。
「やれやれ。あのような事件の後に、よくもまぁ、浮わついたものだ」
「危機感が足りん。噂が完全に沈静化するまでは、動き回らず、大人しくここで待って居ればいいものを」
年長の聖騎士たちは、その表情に若干の苛立ちを滲ませる。
それを聞き、中年層の聖騎士たちは、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「適齢の娘なぞ、あんなものでしょう?」
「プリシラ様のことだ。どうせ、いつもの如くドレスのカーテンの一部になるのだから、ある意味安全。護衛は不要じゃないかね?」
それらを宥めるように、一番若年のトリスタンが、苦笑いで口を挟む。
「まぁまぁ。どうせ付くのは私でしょうから、それくらいにしといてやって下さい」
「…………。私では?」
それまで 我関せずといった態度で警戒に当たっていたレンが、小声でそう呟くのを聞いて、周囲の聖騎士たちは、げんなりとした顔でため息をついた。
「君な……」
「私をほったらかして、アレを守ると言うの?」
トリスタンが苦言を言うより早く、聖女、アンジェリカの不機嫌な声と視線が レンに向けられる。
周囲の聖騎士たちは、小さく天を仰ぎ、全員一斉に視線を逸らした。
レンはその場で膝を付き、頭を下げる。
「末席である私が付くのが、妥当であるかと……」
「私より、プリシラが良いわけ?」
「いえ。決して、そのような」
「どうだか」
アンジェリカは、吐き捨てるようにそういうと、勢いよく顔を背けた。
レンは、深く頭を下げる。
その時、警護要員を決めたらしいエンリケが、こちらにむかって声をあげた。
「よし。トリスタン。プリシラ嬢の警護を任せた」
「了解しました」
予想通りの結果に、トリスタンは苦笑いで足を踏み出す。
その後ろ足のズボンの裾を、わずかにレンが引いた。
「どうした?」
「恐らく、今までとは人の動きが違います。ご注意ください」
「は?」
小声で告げられた言葉に、トリスタンは首を傾げたが、レンは それ以上言葉を繋ぐことはなかった。
既に決められてしまったことに 逆らうわけにもいかず、仕方なしにトリスタンを伴い、プリシラは いつもの如く会場内を歩いていた。
ところが、今日はどうしたことか。
参加した客人たちは比較的バラけており、どこを探しても、色とりどりのドレスが密集している場所が無い。
(いつもならば、数秒で見つけられますのに。まさか、本日は不参加なのかしら?)
不安げに周囲を見回しているプリシラに、トリスタンは耳打ちをする。
「何やら、右のバーカウンター付近が騒がしくなってきましたね? 」
言われて、会場中央右側の壁際に位置するバーカウンターに目を向けると、眩い金髪の美少年、ジェファーソンを見つけることが出来た。
その周囲に、今日は珍しく女性たちがいない。
いや。
厳密には、いる。
その距離が、普段より遠巻きなだけで。
彼女たちは、きゃぁきゃぁと歓声をあげて騒いでいるが、それ以上近づいていく気配はない。
(珍しいこと。……でも、これはビッグチャンスですわ!)
プリシラは、鼻息荒く ジェファーソンの元へ足を踏み出した。
ところが……。
「あら。プリシラ様ではございませんこと?ご機嫌よう!」
「これは……ご無沙汰しております」
後方からやって来た、知人のマダムから突如声をかけられ、その場にとどまらざるを得なくなってしまう。
(どうして、このタイミングで?)
歯噛みするが、マダムはお喋りをスタートさせてしまっており、簡単に逃れられそうもない。
プリシラは、視線をジェファーソンに送りつつ、相槌を打ちながら 嵐が通り過ぎるのを待った。
だが、マダムは話を辞めないばかりか、とんでも無いことを言い出した。
「ところで、お世話になった伯爵夫人に、丁度年頃のご令息がいらっしゃいますのよ。折角ですので紹介致しますわ」
「いえ。私は……」
「ご遠慮なさらずに」
申し合わせたかのようにやってきた、プリシラより幾つか年上らしき 伯爵令息。
それなりに整った顔立ちに、優しげな笑みを浮かべている。
また、彼と一緒に 数人の男友達もやって来たようだった。
「とても良い子たちですのよ?
あら、いつまでも私がでしゃばっていたら、いけないわね。後は若い人たちで、仲を深めてね」
「え? いえ。あの……っ」
プリシラは慌てて止めたが、マダムは聞こえないふりで、さっさとその場を立ち去ってしまった。
追いかけようとしたが、目の前を伯爵令息らに塞がれてしまう。
「困ります。私っ!」
「まぁまぁ。突然の無礼は謝りますが、せめてご挨拶だけでも させて頂けませんか? オルセー伯爵令嬢」
「今、私、とても急いでおりますの。どうか後にして下さいませ」
「そう仰らず。どうせ、ドウェイン侯爵令息には近づけないのですから」
「……っえ?」
思いがけない言葉に、プリシラは聞き返したが、彼らは困ったように微笑むだけで、返答はない。
プリシラが困惑を深めていると、彼女の前にトリスタンが進み出た。
「失礼。プリシラ嬢が混乱しておりますので、もう少し分かりやすく説明をお願いしたい。それ次第では、失礼を承知で この場を離れます」
流石のプリシラも、この時ばかりは、エンリケが護衛の聖騎士をつけてくれたことに感謝した。
令息たちは、困ったように顔を見合わせた後、口を開いた。
「ご存知ないのですか? 正式な発表は まだですが、ドウェイン侯爵家の長男、フランチェスコ様は婚約が決まり、ここのところの社交を控えていることを」
「それは…………存じておりますが」
「それで、ジェファーソン様は、ご自分を客寄せに使う必要が無くなったのです」
「今後は、話したい相手にのみ、ご自身から声をかける心算だとか……」
「結果、ここのところ、パートナーがいない我らのような年頃の令息らが、比較的活動的になっているのです。
無論、無理強いするつもりは、ありませんので……」
彼らの話を聞く限り、どうやら悪意は感じられない。
そうなると、誘いを無碍に断るのも失礼に思えた。
何せ、彼らは、プリシラに自己紹介したいだけなのだから。
トリスタンは一歩下がり、プリシラに視線を向ける。
プリシラは、未練がましいと思いつつも、再びバーカウンターへ視線をながした。
そして、その時既に、ジェファーソンの姿がそこに無いことに気付くと、落胆のあまり、思わず涙を落とす。
(私が礼儀を欠いているのはわかっています。でも……今日は、たくさんお話ししたいと、ずっと楽しみにしていて……)
トリスタンは小さく息をつくと、プリシラの前に立ち、令息らに、丁寧に頭を下げた。
「彼女は、気持ちが落ち着かない様子。無礼は承知しておりますが、今日のところは、お許し下さい」
令息らも理解してくれたようで、ひとまず引いてくれることとなり、その場は何とか、丸くおさまった。
トリスタンは、とりあえず心を落ち着かせてもらうべく、プリシラに化粧直しを提案したのだった。
一方その頃、ジェファーソンは、王子殿下と自分、それから、ローレン親子のもとにドリンクを届けるよう、バーカウンターにオーダーを通し終え、ゆっくりとした歩調で、ガーデンへと戻るところだった。
「さて。いよいよ、リリアーナさんの腕の見せ所だな。成果を期待してますよ?」
ジェファーソンは、唇に薄く笑みを浮かべた。
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