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第五章
絡み合う恋と策謀のイト ⑶
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(sideジェフ)
「では、こちらへ」
リリアーナさんとその母君であるローレン夫人に 恭しく会釈して、僕は彼女らを、会場右奥にあるガーデンに繋がるガラス扉へと案内した。
かねてより、王子殿下への恋心をはっきりと口にしていたリリアーナさん。
彼女がここに来ているならば、利用しない手は無い。
気持ちの良い風が吹き抜けるガーデンに出ると、僕はアメリに指示を出し、二人のための席を用意させた。
まだ、人影まばらな このガーデンだけど、あと一刻もすれば、十歳前後の娘がいる高位貴族たちで賑わいを見せるだろう。
僕は、そう予想していた。
最近は、あちらこちらで随分良い噂が流れていたから……。
会場内の挨拶に疲れれば、最初の避難場所は、高確率でここになるはず。
それ故に、外に出てきて一番最初に目につきそうな、この場所を早い段階でキープしておく事は、僕にとっても彼女らにとっても、悪くない結果を生み出してくれるはずだ。
用意された席を二人に勧めながら、僕は内心でほくそ笑む。
テーブルを挟み、僕もまた、対面の椅子にかけた。
もちろん、周囲の人から見て、あまり親しげには見えない程度、距離を取ることも忘れない。
「この度は、お声がけ頂き恐縮です。ドウェイン公爵がご令息様と、お見受け致します」
最初に口を開いたのは、ローレン准男爵夫人。
一見、何処にでもいそうな、これと言った特徴の無い容姿だが、その語り口調や目力の強さから、利発な印象を受ける。
へぇ。これは、なかなか。
僕は、普段通りの笑顔を浮かべた。
「ええ。次男のジェファーソンと申します。こちらこそ、急なお声がけにも関わらず、ご対応いただき感謝致します」
「今をときめく方のお誘いを、お断りするはずもございません」
「光栄です」
なるほど。
どうしてなかなか、したたかそうな女性だ。
お互いの思惑を読み合うかのような、十数秒ほどの沈黙。
表面上微笑み合う僕たちを見て、居た堪れなくなったのか、双方を交互に眺めていたリリアーナさんが、上目遣いで口を開いた。
「あのぉ……どうして?」
「リリー。失礼よ」
瞬時に娘を嗜める夫人。
この娘の母親とは思えないほど、礼儀作法に精通しているみたいだ。
僕からすれば、リリアーナさんのこの程度の物言いは、ランチでの会話で慣れっこだから、特に気にしないけど。
「いえ。構いませんよ。何ですか? リリアーナさん」
尋ねると、彼女は婦人に目配せして、許可を取っているようだ。
夫人が頷くと、こちらを向く。
「あの。今日は私、マリーさんと一緒にいるわけでも無いし、どうして声をかけてきたのかなぁ、って?」
「あぁ」
僕に益が無いだろうってことかな?
彼女も、そういった方面ではよく考えて動いているから、今回の僕の動きは、少々不可解と言ったところか。
僕としては、長期的に見て、こうしておいた方が面白そうだと踏んで、動いただけなんだけど。
僕は、チラリと婦人の表情をうかがい見る。
彼女は静かに微笑んでおり、その表情から、感情は読み取れそうも無い。
ただ、この母娘は、これまでのリリアーナさんの反応を見た感じだと、意思の疎通がしっかりと取れていそうだ。
ということは、リリアーナさんの想い人が王子殿下だということを、夫人が知っている可能性が高い。
また、リリアーナさんの先程の発言に無反応だったから、僕の想い人がローズちゃんだってことも知っているんだろう。
それなら、お互いに利害が相反しないことを、理解しているかもしれない。
……使える。
きっと、夫人も今、同じことを考えているはず。
ならば、話が早い。
こちらの思惑をストレートに伝えるだけで、思い通りに動いてくれるだろう。
それが、お互いにとってプラスに働くのだから。
「リリアーナさん。僕って、そんなに悪い男に見えますか?」
「悪いかどうかは分かんないけど、『絶対何か企んでそう』とは思うかな?」
うん。
結構的確な意見だな。
微笑んで見せると、リリアーナさんは、わずかに体を引かせた。
「そんなに怖がらなくても、別に陥れたりしませんよ。そもそも、お茶会の時に僕を利用したのは、リリアーナさんの方じゃないですか」
「それは……ジェファーソン様だって、分かってて、のってくれたんじゃん。自分のために」
「仰る通りですね」
クスクス笑って答えると、彼女はバツの悪そうな顔で俯いた後、チラリと上目遣いでこちらを見る。
警戒しているのか。
僕に対して、こういう反応する女性も珍しい。
大半のレディーたちは、僕の笑顔を見るだけで溶けそうな表情をするから、新鮮だよ。
「お茶会の時もそうでしたけど、僕たちって、協力しあえる関係だと思いませんか?」
親しみ易い笑みをうかべつつ、分かりやすく提案したつもりだったんだけど、リリアーナさんは益々警戒した表情をする。
随分と信用がないな。
僕は心中で苦笑いだ。
でも、夫人には 意図がしっかり伝わったようで、彼女はサーブされたドリンクで口を潤すと、椅子を少し前に出した。
「お聞かせください」
「ええ。差し出がましいかとも思ったのですが、場慣れさえしていれば、予想可能な情報を、差し上げようかと」
ご婦人は頷き、リリアーナさんは状況を見守るように口を噤む。
「今回の企画ですが、配置を見ると、高位の貴賓が 何処で他の貴族からの挨拶を受けるか分かる、と言ったらどうです?」
「非常に興味深いですわ」
「ホストが会場中央。聖女様は、左奥のホールに案内されましたから、殿下は恐らく……」
そう言いながら、僕が視線を向けた先は、今出て来たばかりのガラス扉の手前にある、六角形のホール。
イングリッド侯爵邸の迎賓館は、長四角の大広間の四隅に六角形の小ホールが併設されているつくりだ。
因みに、先程ステファニー様と話していたのは、入り口から入って左側に位置する六角のフロアで、そこにはバーニア公爵家が陣取っていた。
奥の方がより高貴、また、左側の方が高貴といった決まり事があるから、王子殿下が陣取るのは、右奥に当たるホールでほぼ確定。
休憩に出てくるなら、このガーデンが最有力。
「それで、こちらに連れてきて下さったのですね」
「少々待つことになるでしょうけど」
「問題になりませんわ。心よりお礼を申し上げます」
「お役にたてたなら、何よりでした」
この夫人、
思った通り、有能だ。
要件は通じたようだから、僕は柔らかく微笑んで立ち上がる。
あまりここで長話していると、別の誤解を生みかねないし。
「他への挨拶も有るでしょうから、場所取りに、私の従者を一人お貸ししましょう。それでは。守備良くいくと良いですね」
「ありがとうございます。お礼と言うにはささやかですが……」
そのまま立ち去ろうしたんだけど、続きのありそうなその言葉に、僕は振り返った。
「当商会は、小粒の宝石を多く取り扱っております。先日、小粒ながら丁寧にカットされた淡い色合いの紫水晶を、大量に、とある高級ドレスメーカーに卸しましたの」
「そうですか」
「こちらが現物ですわ」
夫人は、手持ちのポシェットの中から小ぶりなケースを取り出すと、そこから幾つか宝石を取り出してみせた。
「こちらと、その補色に当たる、この大粒のトパーズを二石、お納めくださいませ」
「……それはそれは」
なるほど。
そういうことか。
僕は、思わず半眼になる。
今回は、こちらから声をかけたけど、そうせずとも、相手から話を振ってきていた可能性もあったわけだ。
大したご婦人だ。
この分なら、今日のサロンに招待されるよう仕向けるのも、彼女にとって、さほど難しい事では無かったのだろう。
「しかし、良いお品物です。ただ頂くわけには」
「いいえ。あくまでお礼でございますし、使っていただければ、こちらとしましても」
「そうですか? では、有り難く」
「ええ」
互いににっこり微笑み合うと、宝石を受けとっておくようアメリに指示を出し、小さく会釈して、僕はその場を立ち去った。
ガラス扉を通り抜けた時、丁度エミリオ王子殿下が、ベル従姉様を伴い、会場に入って来るのが見えたので、僕は急ぎ、ステファニー様の元へ戻った。
◆
(side エミリオ)
今日もサロンか。
ややうんざりしながら通路を進み、会場に入る直前、取り繕うように口角を上げる。
それを見ていたらしいヴェロニカが、俺より頭一個分は余裕で高い位置で、クスクス笑った。
『王族は、印象も大事』と、教育係に言われたから、今年は必死に笑みを浮かべているというのに、笑うなんてあんまりじゃないか?
非難の視線を向けると、彼女は口元を押さえて笑いを堪えたようだ。
ふーん。
そういう顔もするんだな。
氷の彫像と呼ばれるほど、完璧な美貌を誇るヴェロニカだが、毎日のように顔を合わせていると、案外ころころ表情を変えるところを目にする。
意外にも、いたずら好きだったり、誰かがくだらないオヤジギャグを言ってシラけた瞬間がツボだったり。
『夫婦になる』と言われると、全く実感は湧かないが、こういう日々を積み重ねているうちに、自然と馴染んでいくものなのかもしれない。
小さく息を落としつつ、会場中央を、主催者に向かって直進した。
主催者であるイングリッド公爵夫人の横には、彼女の娘とその婚約者。
今日は、今年婚約を発表した、二人のお披露目も兼ねている。
ちなみに、俺はこの二人と面識がある。
特に、公爵家のガブリエラは、実は、婚約者候補に名前を連ねていたうちの一人だった関係で、昨年まで、そこそこ交流もあった。
その時から二人が親しくしていることは知っていたから、この度の婚約は素直に喜ばしい。
だから、夫人に挨拶をした後、ヴェロニカと一緒に、めちゃくちゃ祝福した。
好きあってる同士で結婚できるなんて、お互いに、とても幸せなことに違いない。
思わずマリーの顔を思い浮かべて、慌てて頭を振った。
いくら許してくれているからって、ヴェロニカの前で そんなことを考えるのは、やっぱり失礼だよな。
……でも、足の怪我のせいで、マリーがしばらくの間社交を控えているから、こういうところに来ても、イマイチテンションが上がらない。
今日だって、本当だったら会えていたはずなのに……と思えば、フランのやつに八つ当たりをしたくもなると言うものだ。
この際、思い切って、聖堂に見舞いにでも行ってみようか。
ふと、そんなことを、思い立つ。
そしたら、同時に、オレガノが生真面目な顔を青ざめさせるのが目に浮かんできて、笑ってしまったが。
そう言えば、今日マリーと会ってくるような話をしていたから、後日、どんな具合だったか聞いてみるか。
主催者への挨拶がひとしきり済むと、俺たちは、右手にあるホールへと案内された。
今度は自分が挨拶される番ってわけだ。
これまでは、こういう席には必ず姉様が一緒にいて、俺はオマケの扱いだった。
だから、ほどほどのところで逃げ隠れしていたんだが、今年はそうもいかない。
記憶の戻っていない姉様を、こういった場に出すのは少々不安だから、王宮としては、今シーズンは体調不良で押し通すつもりだそうだ。
その分、こちらに仕事が回ってきて うんざりするが、姉様には世話になったから、恩返しと思って、真面目に代役を務めている。
さて。
それから、今日は聖女様も来ているから、もう少ししたら挨拶に出向かねばならないし……。
そう考えて、聖女様のいる方に目を向けるが、人が集まりすぎていて、姿を見ることすら出来なかった。
あちらさんも大変そうだ。
挨拶は後回しだな。
考えている間にも、周辺に人が集まって来たから、取り敢えずは、その受け答えに集中した。
それからしばらく。
並んだ列がようやく途切れ、俺は小さくため息をつく。
笑顔の作りすぎで、顔面がひくついているんだが?
そんな時、ヴェロニカが化粧直しのため席を外すと言いだしたので、俺はエスコートするべく立ち上がる。
すると、横手からクスクス笑いとともに、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「お疲れのようですね。エミリオ王子殿下。目の下にクマが出来ていますよ?
少し息抜きでもしてきてはいかがです?
従姉様のエスコートは、僕が変わりましょう」
「……ジェフか」
残念なことに、最近ライバルになってしまったが、彼奴ほど俺の友人と呼ぶに相応しい男もいない。
人が減ったタイミングを見計らい、つい今しがた、スティーブンとともに挨拶に来たようだが、疲れている俺を見て、どうやら助け舟を出してくれたらしい。
「あら。私を差し置いて、生意気なことね? ジェフ」
ジェフの後方から、苦笑いのスティーブン。
この二人なら、どちらに任せても問題なさそうだが……。
さてどちらに、と俺が考えていると、
「おっと、確かに。年長者を敬うのは当然のこと。ここはやはり、ステファニー様にお任せすべきですかね?」
自分から提案したくせに、今度はあっさりと引き下る。
まぁ、二人の容姿や服装を見比べてみれば、女性的な印象を受けるスティーブンに任せた方が、周囲の人間から下手な誤解をされないで済むだろう。
「それじゃぁ、今回は、スティーブンに頼もう。俺たちは……そうだな。そこのガーデンで一息つくことにするか。
ヴェロニカの準備が済み次第、そこで合流して、一緒に聖女様の元に挨拶に行こう」
そう告げると、全員が頷いた。
スティーブンとヴェロニカの後ろ姿を見送り、ジェフとともにガーデンへ向かう。
すると、ジェフが何か思いついたのか、急に立ち止まった。
「殿下。ドリンクを頼んできますので、お先に外でお休みになっていて下さい。ユーリーさん、護衛おまかせします」
「了解しました」
別に、ガーデンにもメイドくらいいるだろうに、わざわざ頼みにいく必要あるのか?
不思議に思いつつ、ガーデンに出ると、不意に聞き覚えのある声が耳に届いた。
「あれれぇ? エミリオ様だぁ!まさかこんなところでお会いできるなんて、もしかして運命?」
「では、こちらへ」
リリアーナさんとその母君であるローレン夫人に 恭しく会釈して、僕は彼女らを、会場右奥にあるガーデンに繋がるガラス扉へと案内した。
かねてより、王子殿下への恋心をはっきりと口にしていたリリアーナさん。
彼女がここに来ているならば、利用しない手は無い。
気持ちの良い風が吹き抜けるガーデンに出ると、僕はアメリに指示を出し、二人のための席を用意させた。
まだ、人影まばらな このガーデンだけど、あと一刻もすれば、十歳前後の娘がいる高位貴族たちで賑わいを見せるだろう。
僕は、そう予想していた。
最近は、あちらこちらで随分良い噂が流れていたから……。
会場内の挨拶に疲れれば、最初の避難場所は、高確率でここになるはず。
それ故に、外に出てきて一番最初に目につきそうな、この場所を早い段階でキープしておく事は、僕にとっても彼女らにとっても、悪くない結果を生み出してくれるはずだ。
用意された席を二人に勧めながら、僕は内心でほくそ笑む。
テーブルを挟み、僕もまた、対面の椅子にかけた。
もちろん、周囲の人から見て、あまり親しげには見えない程度、距離を取ることも忘れない。
「この度は、お声がけ頂き恐縮です。ドウェイン公爵がご令息様と、お見受け致します」
最初に口を開いたのは、ローレン准男爵夫人。
一見、何処にでもいそうな、これと言った特徴の無い容姿だが、その語り口調や目力の強さから、利発な印象を受ける。
へぇ。これは、なかなか。
僕は、普段通りの笑顔を浮かべた。
「ええ。次男のジェファーソンと申します。こちらこそ、急なお声がけにも関わらず、ご対応いただき感謝致します」
「今をときめく方のお誘いを、お断りするはずもございません」
「光栄です」
なるほど。
どうしてなかなか、したたかそうな女性だ。
お互いの思惑を読み合うかのような、十数秒ほどの沈黙。
表面上微笑み合う僕たちを見て、居た堪れなくなったのか、双方を交互に眺めていたリリアーナさんが、上目遣いで口を開いた。
「あのぉ……どうして?」
「リリー。失礼よ」
瞬時に娘を嗜める夫人。
この娘の母親とは思えないほど、礼儀作法に精通しているみたいだ。
僕からすれば、リリアーナさんのこの程度の物言いは、ランチでの会話で慣れっこだから、特に気にしないけど。
「いえ。構いませんよ。何ですか? リリアーナさん」
尋ねると、彼女は婦人に目配せして、許可を取っているようだ。
夫人が頷くと、こちらを向く。
「あの。今日は私、マリーさんと一緒にいるわけでも無いし、どうして声をかけてきたのかなぁ、って?」
「あぁ」
僕に益が無いだろうってことかな?
彼女も、そういった方面ではよく考えて動いているから、今回の僕の動きは、少々不可解と言ったところか。
僕としては、長期的に見て、こうしておいた方が面白そうだと踏んで、動いただけなんだけど。
僕は、チラリと婦人の表情をうかがい見る。
彼女は静かに微笑んでおり、その表情から、感情は読み取れそうも無い。
ただ、この母娘は、これまでのリリアーナさんの反応を見た感じだと、意思の疎通がしっかりと取れていそうだ。
ということは、リリアーナさんの想い人が王子殿下だということを、夫人が知っている可能性が高い。
また、リリアーナさんの先程の発言に無反応だったから、僕の想い人がローズちゃんだってことも知っているんだろう。
それなら、お互いに利害が相反しないことを、理解しているかもしれない。
……使える。
きっと、夫人も今、同じことを考えているはず。
ならば、話が早い。
こちらの思惑をストレートに伝えるだけで、思い通りに動いてくれるだろう。
それが、お互いにとってプラスに働くのだから。
「リリアーナさん。僕って、そんなに悪い男に見えますか?」
「悪いかどうかは分かんないけど、『絶対何か企んでそう』とは思うかな?」
うん。
結構的確な意見だな。
微笑んで見せると、リリアーナさんは、わずかに体を引かせた。
「そんなに怖がらなくても、別に陥れたりしませんよ。そもそも、お茶会の時に僕を利用したのは、リリアーナさんの方じゃないですか」
「それは……ジェファーソン様だって、分かってて、のってくれたんじゃん。自分のために」
「仰る通りですね」
クスクス笑って答えると、彼女はバツの悪そうな顔で俯いた後、チラリと上目遣いでこちらを見る。
警戒しているのか。
僕に対して、こういう反応する女性も珍しい。
大半のレディーたちは、僕の笑顔を見るだけで溶けそうな表情をするから、新鮮だよ。
「お茶会の時もそうでしたけど、僕たちって、協力しあえる関係だと思いませんか?」
親しみ易い笑みをうかべつつ、分かりやすく提案したつもりだったんだけど、リリアーナさんは益々警戒した表情をする。
随分と信用がないな。
僕は心中で苦笑いだ。
でも、夫人には 意図がしっかり伝わったようで、彼女はサーブされたドリンクで口を潤すと、椅子を少し前に出した。
「お聞かせください」
「ええ。差し出がましいかとも思ったのですが、場慣れさえしていれば、予想可能な情報を、差し上げようかと」
ご婦人は頷き、リリアーナさんは状況を見守るように口を噤む。
「今回の企画ですが、配置を見ると、高位の貴賓が 何処で他の貴族からの挨拶を受けるか分かる、と言ったらどうです?」
「非常に興味深いですわ」
「ホストが会場中央。聖女様は、左奥のホールに案内されましたから、殿下は恐らく……」
そう言いながら、僕が視線を向けた先は、今出て来たばかりのガラス扉の手前にある、六角形のホール。
イングリッド侯爵邸の迎賓館は、長四角の大広間の四隅に六角形の小ホールが併設されているつくりだ。
因みに、先程ステファニー様と話していたのは、入り口から入って左側に位置する六角のフロアで、そこにはバーニア公爵家が陣取っていた。
奥の方がより高貴、また、左側の方が高貴といった決まり事があるから、王子殿下が陣取るのは、右奥に当たるホールでほぼ確定。
休憩に出てくるなら、このガーデンが最有力。
「それで、こちらに連れてきて下さったのですね」
「少々待つことになるでしょうけど」
「問題になりませんわ。心よりお礼を申し上げます」
「お役にたてたなら、何よりでした」
この夫人、
思った通り、有能だ。
要件は通じたようだから、僕は柔らかく微笑んで立ち上がる。
あまりここで長話していると、別の誤解を生みかねないし。
「他への挨拶も有るでしょうから、場所取りに、私の従者を一人お貸ししましょう。それでは。守備良くいくと良いですね」
「ありがとうございます。お礼と言うにはささやかですが……」
そのまま立ち去ろうしたんだけど、続きのありそうなその言葉に、僕は振り返った。
「当商会は、小粒の宝石を多く取り扱っております。先日、小粒ながら丁寧にカットされた淡い色合いの紫水晶を、大量に、とある高級ドレスメーカーに卸しましたの」
「そうですか」
「こちらが現物ですわ」
夫人は、手持ちのポシェットの中から小ぶりなケースを取り出すと、そこから幾つか宝石を取り出してみせた。
「こちらと、その補色に当たる、この大粒のトパーズを二石、お納めくださいませ」
「……それはそれは」
なるほど。
そういうことか。
僕は、思わず半眼になる。
今回は、こちらから声をかけたけど、そうせずとも、相手から話を振ってきていた可能性もあったわけだ。
大したご婦人だ。
この分なら、今日のサロンに招待されるよう仕向けるのも、彼女にとって、さほど難しい事では無かったのだろう。
「しかし、良いお品物です。ただ頂くわけには」
「いいえ。あくまでお礼でございますし、使っていただければ、こちらとしましても」
「そうですか? では、有り難く」
「ええ」
互いににっこり微笑み合うと、宝石を受けとっておくようアメリに指示を出し、小さく会釈して、僕はその場を立ち去った。
ガラス扉を通り抜けた時、丁度エミリオ王子殿下が、ベル従姉様を伴い、会場に入って来るのが見えたので、僕は急ぎ、ステファニー様の元へ戻った。
◆
(side エミリオ)
今日もサロンか。
ややうんざりしながら通路を進み、会場に入る直前、取り繕うように口角を上げる。
それを見ていたらしいヴェロニカが、俺より頭一個分は余裕で高い位置で、クスクス笑った。
『王族は、印象も大事』と、教育係に言われたから、今年は必死に笑みを浮かべているというのに、笑うなんてあんまりじゃないか?
非難の視線を向けると、彼女は口元を押さえて笑いを堪えたようだ。
ふーん。
そういう顔もするんだな。
氷の彫像と呼ばれるほど、完璧な美貌を誇るヴェロニカだが、毎日のように顔を合わせていると、案外ころころ表情を変えるところを目にする。
意外にも、いたずら好きだったり、誰かがくだらないオヤジギャグを言ってシラけた瞬間がツボだったり。
『夫婦になる』と言われると、全く実感は湧かないが、こういう日々を積み重ねているうちに、自然と馴染んでいくものなのかもしれない。
小さく息を落としつつ、会場中央を、主催者に向かって直進した。
主催者であるイングリッド公爵夫人の横には、彼女の娘とその婚約者。
今日は、今年婚約を発表した、二人のお披露目も兼ねている。
ちなみに、俺はこの二人と面識がある。
特に、公爵家のガブリエラは、実は、婚約者候補に名前を連ねていたうちの一人だった関係で、昨年まで、そこそこ交流もあった。
その時から二人が親しくしていることは知っていたから、この度の婚約は素直に喜ばしい。
だから、夫人に挨拶をした後、ヴェロニカと一緒に、めちゃくちゃ祝福した。
好きあってる同士で結婚できるなんて、お互いに、とても幸せなことに違いない。
思わずマリーの顔を思い浮かべて、慌てて頭を振った。
いくら許してくれているからって、ヴェロニカの前で そんなことを考えるのは、やっぱり失礼だよな。
……でも、足の怪我のせいで、マリーがしばらくの間社交を控えているから、こういうところに来ても、イマイチテンションが上がらない。
今日だって、本当だったら会えていたはずなのに……と思えば、フランのやつに八つ当たりをしたくもなると言うものだ。
この際、思い切って、聖堂に見舞いにでも行ってみようか。
ふと、そんなことを、思い立つ。
そしたら、同時に、オレガノが生真面目な顔を青ざめさせるのが目に浮かんできて、笑ってしまったが。
そう言えば、今日マリーと会ってくるような話をしていたから、後日、どんな具合だったか聞いてみるか。
主催者への挨拶がひとしきり済むと、俺たちは、右手にあるホールへと案内された。
今度は自分が挨拶される番ってわけだ。
これまでは、こういう席には必ず姉様が一緒にいて、俺はオマケの扱いだった。
だから、ほどほどのところで逃げ隠れしていたんだが、今年はそうもいかない。
記憶の戻っていない姉様を、こういった場に出すのは少々不安だから、王宮としては、今シーズンは体調不良で押し通すつもりだそうだ。
その分、こちらに仕事が回ってきて うんざりするが、姉様には世話になったから、恩返しと思って、真面目に代役を務めている。
さて。
それから、今日は聖女様も来ているから、もう少ししたら挨拶に出向かねばならないし……。
そう考えて、聖女様のいる方に目を向けるが、人が集まりすぎていて、姿を見ることすら出来なかった。
あちらさんも大変そうだ。
挨拶は後回しだな。
考えている間にも、周辺に人が集まって来たから、取り敢えずは、その受け答えに集中した。
それからしばらく。
並んだ列がようやく途切れ、俺は小さくため息をつく。
笑顔の作りすぎで、顔面がひくついているんだが?
そんな時、ヴェロニカが化粧直しのため席を外すと言いだしたので、俺はエスコートするべく立ち上がる。
すると、横手からクスクス笑いとともに、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「お疲れのようですね。エミリオ王子殿下。目の下にクマが出来ていますよ?
少し息抜きでもしてきてはいかがです?
従姉様のエスコートは、僕が変わりましょう」
「……ジェフか」
残念なことに、最近ライバルになってしまったが、彼奴ほど俺の友人と呼ぶに相応しい男もいない。
人が減ったタイミングを見計らい、つい今しがた、スティーブンとともに挨拶に来たようだが、疲れている俺を見て、どうやら助け舟を出してくれたらしい。
「あら。私を差し置いて、生意気なことね? ジェフ」
ジェフの後方から、苦笑いのスティーブン。
この二人なら、どちらに任せても問題なさそうだが……。
さてどちらに、と俺が考えていると、
「おっと、確かに。年長者を敬うのは当然のこと。ここはやはり、ステファニー様にお任せすべきですかね?」
自分から提案したくせに、今度はあっさりと引き下る。
まぁ、二人の容姿や服装を見比べてみれば、女性的な印象を受けるスティーブンに任せた方が、周囲の人間から下手な誤解をされないで済むだろう。
「それじゃぁ、今回は、スティーブンに頼もう。俺たちは……そうだな。そこのガーデンで一息つくことにするか。
ヴェロニカの準備が済み次第、そこで合流して、一緒に聖女様の元に挨拶に行こう」
そう告げると、全員が頷いた。
スティーブンとヴェロニカの後ろ姿を見送り、ジェフとともにガーデンへ向かう。
すると、ジェフが何か思いついたのか、急に立ち止まった。
「殿下。ドリンクを頼んできますので、お先に外でお休みになっていて下さい。ユーリーさん、護衛おまかせします」
「了解しました」
別に、ガーデンにもメイドくらいいるだろうに、わざわざ頼みにいく必要あるのか?
不思議に思いつつ、ガーデンに出ると、不意に聞き覚えのある声が耳に届いた。
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☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
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