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第五章
絡みあう恋と策謀のイト ⑴
しおりを挟む太陽が、丁度真上を過ぎた頃。
聖女候補プリシラは、女子寮から事務局への道を急いでいた。
午後から、イングリッド公爵夫人主催のサロンへ出向く聖女様に、同行することが決まっていたから。
(集合時刻まであと半刻ほど。ですが、時間に余裕があるに越したことは無いですわ)
小さく鼻を鳴らしながら、プリシラは得意げに微笑む。
社交シーズン中、聖女が招待されるイベントには、聖女候補が交代で同行することになっている。
そして、それが高位貴族主催である場合、プリシラが選ばれるのが常だった。
聖堂側の意向は『貴族階級出身者の方が失礼が少ないだろう』といった、体裁上の判断。
賢い彼女は、当然それを理解していた。
だが、心のどこかで、多少の驕りが出てしまうのは、人の身であれば仕方のないこと。
有名貴族のサロンで、聖女様の横に侍っていれば、他の聖女候補よりも認知度が上がり、日常的にも声をかけられる場面が増えるのだから。
それ故に、プリシラは心のどこかで『今、一番聖女に近い存在は私』と、自負していた。
(聖女の選定条件は、完全に秘匿されていますが、人の手が入る以上、多方面できちんとしている人間が好まれるに決まっていますわ。
私の小さな頑張りが、聖女選定に……ひいては、オルセー家の汚名を晴らすことに繋がるのですから、頑張らなくては!)
今年になって聖堂が用意してくれたミモレ丈のワンピースドレスは、裾捌きも良く、地面に擦って汚す心配もない。
優雅に歩を進めながら、彼女はわずかに頬を緩めた。
(それに、今日は彼もいらっしゃるはずですわ)
プリシラの可憐な唇から、夢見心地なため息が一つ、こぼれ落ちる。
(イングリッド公爵の御令嬢は、今年成人を迎えられた一人。
同じ年に成人した貴族の子女には、もれなく招待状が届いたことでしょう。
その中の一人であるジェファーソン様が、この会を欠席する理由はありませんわ。
そして何より運の良いことに、この聖堂内で ただ一人 招待を受けていたと思われるローズマリーさんは、足の怪我で出席なさらない)
プリシラは笑みを深める。
彼女はこれを、チャンスだと考えていた。
ローズマリーの出欠席に関わらず、ジェファーソンの周囲にドレスのカーテンが出来ることに変わりはないのだが、そんなことすら忘れるほど、今の彼女にとってローズマリーの存在は、脅威になっていた。
(舞踏会の時は職務中だと断られてしまいましたから、それを話題に出して、少し拗ねて見せたら、他の方より長くお話しして下さいますかしら?)
期待に胸を膨らませ、事務局の扉を開けた時、聖堂裏門から立派な馬車が中に入ってくるのが見えた。
「あら? どなたか高貴な方が、お忍びで来訪される予定でもあったのかしら?」
見慣れない高級感あふれるその馬車は、そのままロータリーを回って、事務局前に停車する。
プリシラは、建物の中に入ると扉を閉め、窓から外の様子を伺った。
馬車から最初に降りてきたのは、みなりの良い服装のスラリとした男性。
その人物に、プリシラは見覚えがあった。
「あら……あの髪、クルスさんではなくて? 今日は、随分と小洒落た装いで……」
と、その直後、レンの手を借りて馬車から降りたった赤い髪の令嬢を見て、プリシラは目を見開く。
「……っえ? ローズマリーさん? これは一体、どういうことですの?」
(クルスさんはこの後、聖女様に同行される予定のはず。午前中、お休みだったのかしら?
それにしても、私服の聖騎士と聖女候補が、外出から一緒に戻って来るなんて……)
「プリシラ様!もう準備が整ったんですか?いつもながらお早いですね」
思考の最中、突然後ろから声をかけられて、プリシラはびくりと体を震わせた。
振り返った先に立っていたのは、愛くるしい笑顔の真っ白な少年。
「あら、セディーさん。ご機嫌よう」
こそこそと様子をうかがっていたとは思われたくなくて、プリシラは微笑を浮かべながら、セドリックの横を通り抜けようとした。
(私が見る限りでは、ローズマリーさんは、決してふしだらな女性では無いわ。でも……)
「おや? あれは、ローズマリーさんと……クルスさんですか? ……へぇ。確か、晩餐会の夜も……」
セドリックの呟きに驚き、思わずプリシラが振り返ると、彼は純粋無垢に微笑んだ。
「ええと。あのお二人って、仲良しなんですか?」
「え? さぁ。私は存じ上げませんけれど」
「そうなんですか~。なんだかとってもお似合いですね!……っと、聖女候補と聖騎士は、そういうのダメなんでしたっけ」
ペロっと舌を出して微笑みを湛えるセドリックに苦笑を返し、プリシラはその場を立ち去ることにした。
(普段の態度は、穏やかでまじめで、誰に対してもお優しいローズマリーさんですけど、ジェファーソン様や王子殿下のみならず、聖堂の男性職員からも、絶大な人気を誇ると噂に聞きますわ。
まさか、私たちには見せない裏の顔があるのかしら?
……それに、『クルスさんは聖女様のお気に入りだから、色目をつかってはならない』と、聖堂で働く女性の間では、暗黙の了解ですわ。
まさか、ご存じないのかしら?)
待ち合いに到着して椅子にかけると、プリシラは思い悩む。
(知らないのならば、教えて差し上げなければ。
……いいえ。それより寧ろ、今日のことを聖女様のお耳に入れるべきかしら。
でも、盗み見をしていたとなると、私の品性を疑われるでしょうし……。
でも、でも、もし聖女様に嫌われたら、ローズマリーさんは聖堂に居づらくなる?
仮に聖女候補を辞すれば、彼女はただの男爵令嬢。ジェファーソン様には不釣り合いということに…… )
自らの仄暗い思考にハッとして、プリシラは頭を振る。
「駄目よ。罪の無い人を、二度も陥れるなど。……でも」
(もし仮に、彼女が男性の前でだけ、ふしだらな態度をとっているのだとしたら?
それに、そうですわ!
考えてみれば、晩餐会の事件も不可解でしたわ。
自分付きの聖騎士に襲われて、あの日彼女をモノにする気だったフラン様に、逆に助けられるだなんて。
まさか、双方に色目を使って、たぶらかされた男同士がぶつかり合ったというのが真実なのでは? だとしたら……)
ふと、そんなことを思いつき、プリシラは再び仄暗い思考に飲み込まれていった。
一方セドリックは、扉の前で引き続き外の様子を伺っていた。
(あの馬車、バーニア公爵家が投資している企業の貸し馬車だ。
偶然かどうかは知らないけど、あの二人の帰りが一緒になったのは、多分スティーブン様の意向だろうな。
そもそも、中にまだ人が乗っているようだし、後ろに警護の聖騎士もついている。
普通の思考なら、逢い引きじゃないのは見ただけでわかるのに……)
馬車の中に向かって会釈している二人を見て、セドリックは片側の口角を釣り上げて、薄く笑う。
(プリシラ=オルセー。
噂通り、視野が狭くて思い込みが激しい、直情型のようだな。
僕がちょっと煽っただけで、しっかりと誤解してくれたみたいだ。
去り際、顔を真っ赤にしていたし、体も僅かに震わせていた。きっと、貞淑な彼女には、二人がとてつもなくいやらしいものに感じられたんだろう。
うまくいけば、僕が口を挟まずとも、彼女の口からアイツのナーバスな噂が、聖女様の耳に入るかな?)
胸元から手帳を引っ張り出して、今得たばかりの情報を書き込むと、セドリックはクスクスと笑いながら、その場を後にした。
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※箱入り娘な主人公と娘溺愛過保護な父親コンビのとある日のお話。
追記(2021/10/7)
お茶会の後を追加します。
更に追記(2022/3/9)
連載として再開します。
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