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第五章
謝罪
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(side ローズ)
わたしたちに向かって、右手を左胸に当てたまま、ほぼ垂直に頭を下げたレンさん。
それは、貴族階級の人間に対する、平民からの、略式の立礼。
この国では、式典などの儀式的なもので無い限り、慣例として、これが認められている。
因みに、貴族が通るたびにこのお辞儀をしていたら、庶民の生活が立ち行かなくなるだろうし、庶民からしても、道行く人のどれが貴族かなんて 正確には分からないよね。
だからこれは、庶民側が、相手を貴族だと知りながら挨拶する場合にのみ使われる、一般の庶民の中でも、しっかり教育を受けた者しかしない部類の挨拶。
そして、こんな状況でも普段通りの丁寧な対応をする彼に、わたしは かなり気まずい思いをしていた。
「あぁ。その……頭を上げてくれ」
わたしと同様のことを考えていただろうお兄様が、引き攣り笑いでそう言い、彼はゆっくりと顔をあげる。
その表情は相変わらずで、感情を読み取ることなど、まず不可能。
でも……絶対怒ってるよね?
だって、彼は午前中、休暇を取っていた。
普段、とれるべき休みを殆ど仕事にあてている人が、よ?
これはつまり、今の時間が彼にとって『完全なプライベート』であることを意味している。
当然、職場関係者には立ち入られたく無かったよね。
仮に、偶然見られただけでも、何となく微妙な気分になるところ。
まして、今回は、覗き見されていたわけだから、不快指数はその比じゃないわ。
どうしよう。
偶然を装うことも出来なくは無いけど、レンさんに嘘をつくようなことは、したく無い。
……それに、誤魔化しが通用する相手とも思えないのよね。
自分より頭二つ分は高い位置にある、黒く澄んだ瞳を見るにつけて、そう思う。
『貴族が平民に対し、簡単に謝罪をするべきでは無い』……これは、権威を貶めないために、必要なことだと理解している。
だからこそ、貴族階級は自分の言動に責任を持たなければならない。
それを踏まえた上で、今回の行動は、どう考えても軽はずみだった。
してしまったことを考えれば、謝罪一択。
「あ……あのっ」
小さく声をかけると、レンさんは僅か目を細め、右手でエントランスを示した。
「お話は、あちらで」
そう言ったレンさんの声は、普段通りの穏やかなもので、怒りとかそう言った類の感情は一切感じられない。
でも、わたしを含む四人は、一斉に体を強張らせた。
そう、ですよね。
当然、いらっしゃいますよね?
あの、目が飛び出るような高額のお茶代を、平然と立て替えて下さったのは、普通に考えて レンさんじゃないもの。
どう言った用件で、二人が会っていたのかは分からないけど、それをコソコソ覗かれ、邪魔をされて、一番不快だったのは、きっと彼だ。
つまり、レンさんがここで待っていたのは、わたしたちを彼の元に案内させるため。
血の気が引いていくのを感じた。
今は騎士職でいらっしゃるとは言え、大恩ある彼に……しいては、バーニア公爵家に弓を引く行為だと言われても、反論出来ない。
これは……もしや詰んだ?
暗澹たる気持ちで、案内された先、エントランスの奥まった場所にあるソファーに足を組んでかけ、書類に目を通しているスティーブン様がいた。
彼は、やって来た わたしたちに気付くと、一瞬、右の口角をあげる。
あぁ……。
作品では、主人公サイドの人間なのに、怖いほどのラスボス感。
思わず『この場で平伏し、赦しを乞わなければならない!』といった衝動に駆られる。
「ゆっくりとお茶を堪能出来たかしら? どうぞ、そこに掛けて」
向かいの席を示されて、わたしとお兄様は頷き合うと、背筋を伸ばして浅く腰掛ける。
もちろん、背もたれに寄りかかりなどしない。
聖騎士のお二人は、わたしたちの後ろに立った。護衛の立場だし、制服も着ているから。
ちらりと二人の様子を見ると、顔色を青くさせ、冷や汗を流している。
一方のレンさんは、スティーブン様側のソファー右横に立っていた。
今日は、髪にしっかりと櫛が通され、仕立ての良いチャコールグレーのベストに、揃いのトラウザーズといった出立ち。
その姿は品があり、知らない人が見たら、貴族のご令息と見間違えてしまうレベル。
今は横に立って控えているから、階級の高い家の、年若い執事の様にも見えるけど。
「貴方の席は、ここでしょう?」
そう言って、自分の横を示しながら、綺麗に笑うスティーブン様。
「いえ。私は……」
「お掛けなさい」
「……はい。失礼致します」
有無を言わさぬ視線に、レンさんは一度瞳を伏せ、直ぐに表情を戻すと、短く答えた。
そして、スティーブン様、わたしたちの順にお辞儀をしてから、ソファーに掛ける。
並んで座る二人を見て、何故彼らが、レストランの一番目立つ席に案内されていたのかを理解した。
タイプは全く違うけど、それぞれ本当にお綺麗で、それがセットになると、何というか三倍眩しい……!
スティーブン様は、今日は私服姿でいらっしゃるんだけど、わたし、失礼ながら、勘違いをしていたみたい。
彼、物腰が女性的だから、フリルをたくさんあしらったゴージャスなシャツや、刺繍がびっしり入った高級なジレなんかを、キラキラした装飾品で飾っているイメージだったのね。
でも、実際は、ピンタックの入った真っ白な絹織りのシンプルなシャツに、タイトなライトグレーのトラウザーズ、ライラックのベスト。
それらを、あくまで小綺麗に着崩していて、そこに、いつもつけているゴージャスなピアスと、整える程度に施されたメイクが良いアクセントになり、セクシーな美青年の印象。
自分が周りからどう見えているかをしっかりと把握した上で、似合うものと、お気に入りの物を、程良く調和させた、上級者のお洒落。
見習いたい!
二人の神々しさに、わたしがぼーっとしている間に、スティーブン様は、手で持っていた書類にサインを施し、いつの間にか後ろに現れた従者に手渡していた。
「それじゃ、これをお願いね」
「かしこまりました」
書類を受け取り立ち去る従者さんを、何となく目で追っていると、組んでいた足をとき、スティーブン様が視線をこちらに戻すのが見えたので、再び体を緊張させる。
きたー!
断罪を迎える悪役令嬢って、こんな気分かな?
でも、告げられるのは婚約破棄では無いのだから、こちらから先制することは可能。
「「大変ご無礼を致しました」」
考えていたことは、兄妹揃って同じだったようで、驚くほど同じタイミングで、同じ言葉が出た。
どう足掻いてもこちらが悪いことは明らかなのだから、先に謝ってしまおうというわけだ。
それを受け、何度か目を瞬かせたあと、口元に手を当て、クスクス笑い出すスティーブン様。
この反応、どちらの意味かしら?
こちらに都合よく受け取るならば、『特に気にしていない』という意味。
最悪なのが、嘲笑されている場合。
『そんな謝罪を受け取るとでも?』っていうのが、一番まずい。
その場合、我が家みたいな ぽっと出の男爵家なんて、簡単に捻り潰されてしまう。
お父様、お母様。
情けない子どもたちで、ごめんなさい!
いずれにせよ、するべき謝罪はしたから、あとは断罪の瞬間を待つばかり。
お兄様と二人、緊張しながらその時を待つ。
「いやだ。謝罪なんていらないわよ。
ねぇ? レン君」
親しげに、レンさんの肩に手を置くと、いよいよ堪え切れないとばかりに、スティーブン様は笑い崩れた。
レンさんは、僅か眉を動かしたけど、それ以降は無反応。
「で、どうだった? 素敵なカップルに見えたかしら? この子のコーデ、今日のところは、見本に出されていた物を、仕立て屋に無理を言って買い取ったのだけど、なかなかのものでしょう?」
なるほど!
スティーブン様の見立てだったのね!
って、んん?カップル?
「スティーブン様の見立てでしたか。男らしさの中に気品が感じられ、とてもよく似合っています。ええと……」
調子良く話を合わせたお兄様も、それ以降は言葉に詰まった。
「ですって。これなら、安心して両親に挨拶に来れるわね!早速、婚約の日取りを決めましょう!」
んんんっ⁈⁈
まさか、レンさん、本当に?
慌ててレンさんに視線を向けると、彼は一瞬だけ僅かに目を細めたあと、スティーブン様に顔を向けた。
「そうですか。ですが、貴方様ほどのお方を娶るならば、相応に武勲をあげてからでなければ、ご両親も首を縦に振らないでしょう」
紡ぎ出された返答に、ひゅっと息を呑む音が聞こえた。
後ろに控えていた二人だったのか、あるいはわたしを含む四人全員だったのかも。
でも、次の言葉で、全員が疑問符を頭の上に浮かべることになる。
「あと百五十年くらい、お待ち下さい」
…………ん?
百五十?
いや、生きてないですよね?
え?まさか?
そこで、スティーブン様が吹き出した。
あ。
やっぱりそういうこと?
「ほらね? 貴方が言うと、全然冗談に聞こえないのよ。ごらんなさいな。彼らの青ざめた顔を!」
「……そのようです」
「ま。でも? 今回は、見捨てられなくて良かったじゃない? カケは、私の勝ちだけど」
「良くありません。聖騎士が率先して、仕えるべき人間を騒動に巻き込むなど、嘆かわしい限りです。聖堂に戻り次第、よく説いて聞かせます」
そう言って、レンさんは額を抑えた。
ええと。
すみません!
『二人が付き合っている』ということが、冗談だということは理解できたんですが、それ以降がさっぱりなんですが?
狼狽えていると、レンさんは、こちらに向かって深く頭を下げた。
「謝罪をしなければならないのは、私の方です。
確かにラルフは、少々悪趣味なところがありますから、状況によって誘導される心配はしていましたが、ジャンが止めると思っていましたので。
オレガノ様、ローズマリー様に置かれましては、何と謝罪を申し上げたら良いのか……」
「あら。お互い様だから、仕方ないわよ。そもそも、この無自覚な兄妹は、教訓を持って教え込まないと、今後も危なっかしくて仕方がないでしょう?」
え?え?えええ?
レンさんが謝罪する意味も分からないけど、何故か『兄妹揃って天然だ!』って、スティーブン様からデスられているんですが?
そこに、先程出ていった従者さんが戻ってきて、何かしらかスティーブン様の耳元で告げた。
スティーブン様は、小さく頷くと立ち上がり、服の皺を直す。
「さて、帰りの馬車の準備が出来たから、そろそろお別れね。
ことの経緯は、馬車の中でレン君から聞いて頂戴。
御者には、ここに戻るまでの料金を支払ってあるから、オレガノ君は、しっかりとローズマリー様を聖堂まで送り届けてね?
それでは皆さま、ごきげんよう。
そうそう。ラルフ君、今度食事にいきましょうね」
それだけ言うと、返答を待たずに片手だけ上げて、スティーブン様は立ち去った。
◆
レンさんの案内で、ホテルから出ると、近くの馬車泊まりに、シンプルながらも、見るからに高そうな馬車が待っていた。
多分、レンさんを聖堂まで送るために、スティーブン様が用意した馬車だと思うんだけど、わたしたちが乗ってしまって良いものなのかな?
「私は御者台に乗りますので、どうぞ、ご兄妹でお寛ぎください」
そう言いながら、本当に御者台に乗ろうとしたレンさんを、お兄様が止めた。
「いやいや、君のために用意された馬車だろう?」
「いえ、違います」
「違わないです。それに、経緯についてもお兄様と一緒にお聞きしたいので、どうかご一緒させてください」
わたしが小さく頭を下げると、レンさんは、目を閉じて暫く悩んだあと、頷いた。
「かしこまりました」
そこから聖堂までの区間、先程の状況について、レンさんから詳しく話を聞くことが出来た。
ちなみに、午前中彼が休暇をとった理由は、晩餐会の時に受けた恩を返す為に何が出来るか、スティーブン様と話し合う時間を設けるためだったそう。
結果としては、大した要望も聞けず、第二の城門内にある貴族御用達のブティックなどを連れ回されて、服まで買い与えられ、途方に暮れていたらしい。
あらかた回り終え、休憩に入った喫茶店で、彼らは『馬で移動していた聖女候補と貴族のご令息の話』を小耳に挟んだ。
因みに、聖女候補と断定されたのは、聖騎士が二人付いていたから。
はい。
それ、わたしたちです。
間違いありません。
レンさんが言うには、相当噂になっていたみたい。
『一頭の馬に乗っているから、二人は恋人だろうか?』
『いや。聖女候補である以上、それは無い。或いは親族か』
『何れにせよ、貴族階級は間違いない』『当家の婿に欲しい』
『我が家こそ、嫁に欲しい』
といった具合だったそうで、二人は頭を抱えたそうだ。
ここが、どうやらスティーブン様に『無自覚だ』とデスられた部分。
馬車の中で、レンさんからも『自覚がないようですが、お二人はとても目立ちますので、どうか自粛して下さい』と、やんわり叱られた。
さておき、事態を深刻に見た二人は、わたしたちを馬車に乗せて帰すべく、動いた。
具体的には、両親が泊まっているホテルの前で、待ち伏せしたってことらしい。
ホテルの場所と、帰る時間については、警護の関係上、レンさんが情報として持っていたのかな?
向かいのホテルに入っていくところを、聖騎士の二人に見られたことを、二人は当初から気付いていたそうだ。
スティーブン様が『後輩たちが助けに来るか、見ものだわ』と面白がってしまい『わたしたちが、こちらに誘導されてくるか否か』といったカケをふっかけられたそう。
「まさか、お二人までいらっしゃるとは想像も出来ず、不必要な謝罪をさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
レンさんが謝っていたのは、この『貴族階級の謝罪』に関することだったみたい。
例え誘導されたにしても、様子を見にいったこちらの卑しさは変わりないので、気にしないよう伝えた。
双方納得した頃、馬車は聖堂に着いた。
わたしたちに向かって、右手を左胸に当てたまま、ほぼ垂直に頭を下げたレンさん。
それは、貴族階級の人間に対する、平民からの、略式の立礼。
この国では、式典などの儀式的なもので無い限り、慣例として、これが認められている。
因みに、貴族が通るたびにこのお辞儀をしていたら、庶民の生活が立ち行かなくなるだろうし、庶民からしても、道行く人のどれが貴族かなんて 正確には分からないよね。
だからこれは、庶民側が、相手を貴族だと知りながら挨拶する場合にのみ使われる、一般の庶民の中でも、しっかり教育を受けた者しかしない部類の挨拶。
そして、こんな状況でも普段通りの丁寧な対応をする彼に、わたしは かなり気まずい思いをしていた。
「あぁ。その……頭を上げてくれ」
わたしと同様のことを考えていただろうお兄様が、引き攣り笑いでそう言い、彼はゆっくりと顔をあげる。
その表情は相変わらずで、感情を読み取ることなど、まず不可能。
でも……絶対怒ってるよね?
だって、彼は午前中、休暇を取っていた。
普段、とれるべき休みを殆ど仕事にあてている人が、よ?
これはつまり、今の時間が彼にとって『完全なプライベート』であることを意味している。
当然、職場関係者には立ち入られたく無かったよね。
仮に、偶然見られただけでも、何となく微妙な気分になるところ。
まして、今回は、覗き見されていたわけだから、不快指数はその比じゃないわ。
どうしよう。
偶然を装うことも出来なくは無いけど、レンさんに嘘をつくようなことは、したく無い。
……それに、誤魔化しが通用する相手とも思えないのよね。
自分より頭二つ分は高い位置にある、黒く澄んだ瞳を見るにつけて、そう思う。
『貴族が平民に対し、簡単に謝罪をするべきでは無い』……これは、権威を貶めないために、必要なことだと理解している。
だからこそ、貴族階級は自分の言動に責任を持たなければならない。
それを踏まえた上で、今回の行動は、どう考えても軽はずみだった。
してしまったことを考えれば、謝罪一択。
「あ……あのっ」
小さく声をかけると、レンさんは僅か目を細め、右手でエントランスを示した。
「お話は、あちらで」
そう言ったレンさんの声は、普段通りの穏やかなもので、怒りとかそう言った類の感情は一切感じられない。
でも、わたしを含む四人は、一斉に体を強張らせた。
そう、ですよね。
当然、いらっしゃいますよね?
あの、目が飛び出るような高額のお茶代を、平然と立て替えて下さったのは、普通に考えて レンさんじゃないもの。
どう言った用件で、二人が会っていたのかは分からないけど、それをコソコソ覗かれ、邪魔をされて、一番不快だったのは、きっと彼だ。
つまり、レンさんがここで待っていたのは、わたしたちを彼の元に案内させるため。
血の気が引いていくのを感じた。
今は騎士職でいらっしゃるとは言え、大恩ある彼に……しいては、バーニア公爵家に弓を引く行為だと言われても、反論出来ない。
これは……もしや詰んだ?
暗澹たる気持ちで、案内された先、エントランスの奥まった場所にあるソファーに足を組んでかけ、書類に目を通しているスティーブン様がいた。
彼は、やって来た わたしたちに気付くと、一瞬、右の口角をあげる。
あぁ……。
作品では、主人公サイドの人間なのに、怖いほどのラスボス感。
思わず『この場で平伏し、赦しを乞わなければならない!』といった衝動に駆られる。
「ゆっくりとお茶を堪能出来たかしら? どうぞ、そこに掛けて」
向かいの席を示されて、わたしとお兄様は頷き合うと、背筋を伸ばして浅く腰掛ける。
もちろん、背もたれに寄りかかりなどしない。
聖騎士のお二人は、わたしたちの後ろに立った。護衛の立場だし、制服も着ているから。
ちらりと二人の様子を見ると、顔色を青くさせ、冷や汗を流している。
一方のレンさんは、スティーブン様側のソファー右横に立っていた。
今日は、髪にしっかりと櫛が通され、仕立ての良いチャコールグレーのベストに、揃いのトラウザーズといった出立ち。
その姿は品があり、知らない人が見たら、貴族のご令息と見間違えてしまうレベル。
今は横に立って控えているから、階級の高い家の、年若い執事の様にも見えるけど。
「貴方の席は、ここでしょう?」
そう言って、自分の横を示しながら、綺麗に笑うスティーブン様。
「いえ。私は……」
「お掛けなさい」
「……はい。失礼致します」
有無を言わさぬ視線に、レンさんは一度瞳を伏せ、直ぐに表情を戻すと、短く答えた。
そして、スティーブン様、わたしたちの順にお辞儀をしてから、ソファーに掛ける。
並んで座る二人を見て、何故彼らが、レストランの一番目立つ席に案内されていたのかを理解した。
タイプは全く違うけど、それぞれ本当にお綺麗で、それがセットになると、何というか三倍眩しい……!
スティーブン様は、今日は私服姿でいらっしゃるんだけど、わたし、失礼ながら、勘違いをしていたみたい。
彼、物腰が女性的だから、フリルをたくさんあしらったゴージャスなシャツや、刺繍がびっしり入った高級なジレなんかを、キラキラした装飾品で飾っているイメージだったのね。
でも、実際は、ピンタックの入った真っ白な絹織りのシンプルなシャツに、タイトなライトグレーのトラウザーズ、ライラックのベスト。
それらを、あくまで小綺麗に着崩していて、そこに、いつもつけているゴージャスなピアスと、整える程度に施されたメイクが良いアクセントになり、セクシーな美青年の印象。
自分が周りからどう見えているかをしっかりと把握した上で、似合うものと、お気に入りの物を、程良く調和させた、上級者のお洒落。
見習いたい!
二人の神々しさに、わたしがぼーっとしている間に、スティーブン様は、手で持っていた書類にサインを施し、いつの間にか後ろに現れた従者に手渡していた。
「それじゃ、これをお願いね」
「かしこまりました」
書類を受け取り立ち去る従者さんを、何となく目で追っていると、組んでいた足をとき、スティーブン様が視線をこちらに戻すのが見えたので、再び体を緊張させる。
きたー!
断罪を迎える悪役令嬢って、こんな気分かな?
でも、告げられるのは婚約破棄では無いのだから、こちらから先制することは可能。
「「大変ご無礼を致しました」」
考えていたことは、兄妹揃って同じだったようで、驚くほど同じタイミングで、同じ言葉が出た。
どう足掻いてもこちらが悪いことは明らかなのだから、先に謝ってしまおうというわけだ。
それを受け、何度か目を瞬かせたあと、口元に手を当て、クスクス笑い出すスティーブン様。
この反応、どちらの意味かしら?
こちらに都合よく受け取るならば、『特に気にしていない』という意味。
最悪なのが、嘲笑されている場合。
『そんな謝罪を受け取るとでも?』っていうのが、一番まずい。
その場合、我が家みたいな ぽっと出の男爵家なんて、簡単に捻り潰されてしまう。
お父様、お母様。
情けない子どもたちで、ごめんなさい!
いずれにせよ、するべき謝罪はしたから、あとは断罪の瞬間を待つばかり。
お兄様と二人、緊張しながらその時を待つ。
「いやだ。謝罪なんていらないわよ。
ねぇ? レン君」
親しげに、レンさんの肩に手を置くと、いよいよ堪え切れないとばかりに、スティーブン様は笑い崩れた。
レンさんは、僅か眉を動かしたけど、それ以降は無反応。
「で、どうだった? 素敵なカップルに見えたかしら? この子のコーデ、今日のところは、見本に出されていた物を、仕立て屋に無理を言って買い取ったのだけど、なかなかのものでしょう?」
なるほど!
スティーブン様の見立てだったのね!
って、んん?カップル?
「スティーブン様の見立てでしたか。男らしさの中に気品が感じられ、とてもよく似合っています。ええと……」
調子良く話を合わせたお兄様も、それ以降は言葉に詰まった。
「ですって。これなら、安心して両親に挨拶に来れるわね!早速、婚約の日取りを決めましょう!」
んんんっ⁈⁈
まさか、レンさん、本当に?
慌ててレンさんに視線を向けると、彼は一瞬だけ僅かに目を細めたあと、スティーブン様に顔を向けた。
「そうですか。ですが、貴方様ほどのお方を娶るならば、相応に武勲をあげてからでなければ、ご両親も首を縦に振らないでしょう」
紡ぎ出された返答に、ひゅっと息を呑む音が聞こえた。
後ろに控えていた二人だったのか、あるいはわたしを含む四人全員だったのかも。
でも、次の言葉で、全員が疑問符を頭の上に浮かべることになる。
「あと百五十年くらい、お待ち下さい」
…………ん?
百五十?
いや、生きてないですよね?
え?まさか?
そこで、スティーブン様が吹き出した。
あ。
やっぱりそういうこと?
「ほらね? 貴方が言うと、全然冗談に聞こえないのよ。ごらんなさいな。彼らの青ざめた顔を!」
「……そのようです」
「ま。でも? 今回は、見捨てられなくて良かったじゃない? カケは、私の勝ちだけど」
「良くありません。聖騎士が率先して、仕えるべき人間を騒動に巻き込むなど、嘆かわしい限りです。聖堂に戻り次第、よく説いて聞かせます」
そう言って、レンさんは額を抑えた。
ええと。
すみません!
『二人が付き合っている』ということが、冗談だということは理解できたんですが、それ以降がさっぱりなんですが?
狼狽えていると、レンさんは、こちらに向かって深く頭を下げた。
「謝罪をしなければならないのは、私の方です。
確かにラルフは、少々悪趣味なところがありますから、状況によって誘導される心配はしていましたが、ジャンが止めると思っていましたので。
オレガノ様、ローズマリー様に置かれましては、何と謝罪を申し上げたら良いのか……」
「あら。お互い様だから、仕方ないわよ。そもそも、この無自覚な兄妹は、教訓を持って教え込まないと、今後も危なっかしくて仕方がないでしょう?」
え?え?えええ?
レンさんが謝罪する意味も分からないけど、何故か『兄妹揃って天然だ!』って、スティーブン様からデスられているんですが?
そこに、先程出ていった従者さんが戻ってきて、何かしらかスティーブン様の耳元で告げた。
スティーブン様は、小さく頷くと立ち上がり、服の皺を直す。
「さて、帰りの馬車の準備が出来たから、そろそろお別れね。
ことの経緯は、馬車の中でレン君から聞いて頂戴。
御者には、ここに戻るまでの料金を支払ってあるから、オレガノ君は、しっかりとローズマリー様を聖堂まで送り届けてね?
それでは皆さま、ごきげんよう。
そうそう。ラルフ君、今度食事にいきましょうね」
それだけ言うと、返答を待たずに片手だけ上げて、スティーブン様は立ち去った。
◆
レンさんの案内で、ホテルから出ると、近くの馬車泊まりに、シンプルながらも、見るからに高そうな馬車が待っていた。
多分、レンさんを聖堂まで送るために、スティーブン様が用意した馬車だと思うんだけど、わたしたちが乗ってしまって良いものなのかな?
「私は御者台に乗りますので、どうぞ、ご兄妹でお寛ぎください」
そう言いながら、本当に御者台に乗ろうとしたレンさんを、お兄様が止めた。
「いやいや、君のために用意された馬車だろう?」
「いえ、違います」
「違わないです。それに、経緯についてもお兄様と一緒にお聞きしたいので、どうかご一緒させてください」
わたしが小さく頭を下げると、レンさんは、目を閉じて暫く悩んだあと、頷いた。
「かしこまりました」
そこから聖堂までの区間、先程の状況について、レンさんから詳しく話を聞くことが出来た。
ちなみに、午前中彼が休暇をとった理由は、晩餐会の時に受けた恩を返す為に何が出来るか、スティーブン様と話し合う時間を設けるためだったそう。
結果としては、大した要望も聞けず、第二の城門内にある貴族御用達のブティックなどを連れ回されて、服まで買い与えられ、途方に暮れていたらしい。
あらかた回り終え、休憩に入った喫茶店で、彼らは『馬で移動していた聖女候補と貴族のご令息の話』を小耳に挟んだ。
因みに、聖女候補と断定されたのは、聖騎士が二人付いていたから。
はい。
それ、わたしたちです。
間違いありません。
レンさんが言うには、相当噂になっていたみたい。
『一頭の馬に乗っているから、二人は恋人だろうか?』
『いや。聖女候補である以上、それは無い。或いは親族か』
『何れにせよ、貴族階級は間違いない』『当家の婿に欲しい』
『我が家こそ、嫁に欲しい』
といった具合だったそうで、二人は頭を抱えたそうだ。
ここが、どうやらスティーブン様に『無自覚だ』とデスられた部分。
馬車の中で、レンさんからも『自覚がないようですが、お二人はとても目立ちますので、どうか自粛して下さい』と、やんわり叱られた。
さておき、事態を深刻に見た二人は、わたしたちを馬車に乗せて帰すべく、動いた。
具体的には、両親が泊まっているホテルの前で、待ち伏せしたってことらしい。
ホテルの場所と、帰る時間については、警護の関係上、レンさんが情報として持っていたのかな?
向かいのホテルに入っていくところを、聖騎士の二人に見られたことを、二人は当初から気付いていたそうだ。
スティーブン様が『後輩たちが助けに来るか、見ものだわ』と面白がってしまい『わたしたちが、こちらに誘導されてくるか否か』といったカケをふっかけられたそう。
「まさか、お二人までいらっしゃるとは想像も出来ず、不必要な謝罪をさせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
レンさんが謝っていたのは、この『貴族階級の謝罪』に関することだったみたい。
例え誘導されたにしても、様子を見にいったこちらの卑しさは変わりないので、気にしないよう伝えた。
双方納得した頃、馬車は聖堂に着いた。
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三百年の時が過ぎた現代では、既に癒しの力というものは失われてしまっていたということを。
知らぬままに力をばら撒く少女は、その願いとは裏腹に、様々な騒動を引き起こし、解決していくことになるのであった。
※完結しました。
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