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第五章
ラッキーヒロイン補正/鮮やかすぎる因果応報
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(side ローズ)
痛めた足の診断結果は、おそらく捻挫。
骨にひびが入っている可能性はあるけど、触診した限りでは分からないそうで、とりあえず、数日間は固定して様子をみることになった。
しばらくの間 松葉杖生活になるから、それに関しては、とても難儀だわ。
でも、固定して頂いたら、痛みは大分柔らいだ。
この分なら、早めの行動だけ気をつければ、普段通りに生活できそう。
とりあえずのところは、胸を撫で下ろす。
診察を終えて立ちあがろうとすると、担当医の先生が、にこやかに仰った。
「今日はもう遅いですから、誰かに運んでもらうと良いですよ。丁度ここに、何人も聖騎士がいることですし」
運ぶ?
「そういうことなら、了解です! お任せ下さい!」
ご機嫌で挙手したのは、ラルフさん。
え?
運ぶって?
「なるほど。担架だと階段も有りますから、固定したり色々面倒ですか」
口元に指を当てて、考えるようにジャンカルロさん。
待って? まさか!
わたしの前に膝をついたラルフさんを、慌てて両手で制止する。
「いえ。重いですから! そこまでご迷惑をかけるわけには……」
「見るからに軽そうですけど? 」
「ラルフに担がれるのは、流石に怖いんじゃない? 荷物とか運ぶ分には問題ないだろうけど、粗雑そうだし、余計なところでコケそう的な意味合いで」
「なんでそう、突っかかりますかね?」
揶揄うように言うジャンカルロさんに、口を尖らせるラルフさん。
「そういうことでは無くて……」
つまり、お姫様抱っこで、寮まで運ばれるということよね?
ただの捻挫に、そこまでして頂くのは、申し訳ないし 恥ずかしい。
「でもまぁ、そういうことなら? じゃ、レン先輩お願いします」
「「えっ?」」
ラルフさんの唐突な指名に、わたしとジャンカルロさんは、思わず声をあげる。
「いえ。『誰が』とか、そういう意味ではなくて、歩けないことは ないので……」
「クルスさんは怪我をされているから、無理は しない方が! それなら、僕が……」
「はっはっはっ。でも、ジャンは もう少し全身を鍛えてからでないと、おじさんはちょっと不安だな」
丁度医務室に入って来たライアンさんが、笑いながらそう言って、ジャンカルロさんは、恥ずかしそうな顔で俯いた。
「ローズさんが嫌でなければ、私が」
控えめな口調でレンさんが言うと、ライアンさんは頷く。
「打ち身の方は、問題ないかな?」
「はい。皮下出血はありますが、大した痛みもありません」
「それなら、クルス君に任せよう。
なに、心配はいりませんよ?ローズマリーさん。
彼は、一見細く見えますが、先日 正門から聖女棟の居室まで、聖女様を一人で安全に運んだ前例がありますからな」
「は、はぁ」
いえ。
そこは心配していないというか、問題はそこじゃないというか?
でも、ここまで言われて、お断りするのは、逆に失礼すぎるよね。
「では、申し訳ないですが、お願いします」
「失礼します」
レンさんは、わたしの横に屈むと、こともなげにわたしを抱き上げた。
ひぇぇ。
顔が近い!
以前一度、ベンチまで運んで頂いたことがあるけど、あの時はパニクっていたし、数秒のことだったから、あまり覚えていない。
でも今回は、寮までそこそこの距離があるので、なんというか……気恥ずかしい。
まぁ……正直なところは、役得なんだけど!
「ラルフは、クルス君の怪我の件、報告を頼む。本人は隠しそうだからな。
ジャンは、二人に付いて行ってくれ。荷物持ちと、扉の開閉、寮での手続きを任せる」
「「了解です」」
ライアンさんの指示を受け、ラルフさんは一つ頷き、ジャンカルロさんは わたしのポーチと松葉杖を持ち、扉を開けてくれた。
それを受けて、レンさんが歩き出す。
部屋の外へ出るにあたり、恥ずかしさで頬が熱くなる。
……でも、物凄い安定感だわ。
お兄様と比べて遜色ない。
どころか、寧ろ上下の揺れが少ない気すらする。
やはり、お守りする対象の違いかしら?
仕事柄、対女性向けの訓練を受けているのかもしれない。
道すがら、気づかれないように、ちらりと視線を上向ける。
前方に視線を向けている そのお顔は涼しげで、凛々しい中に優美さが感じられた。
はぁ。
やっぱり、かっこいいなぁ。
それにしても、今日はラッキーヒロイン補正が過ぎるんじゃないかしら?
そんなことを考えた時、風が吹いて、レンさんから微かに香水が香った。
珍しい。
今日が特別な日だから、かな?
でも……香りのチョイスが、失礼ながら彼らしくない気がする。
ベリー系なのにスパイシー?
なんというか、ユニセックスな感じのする香。
そう言えば、この香り、どこかで……?
誰だったかしら?
少なくとも、聖女候補では無いわ。
でも、やっぱり女性かな?
考え始めると、無性に気になってくる。
もやもやするのも嫌なので、思い切って聞いてみよう!
「あの。珍しいですね? 香水」
レンさんは、一度こちらに視線を落とすと、申し訳なさそうに言う。
「臭いますよね。すみません」
「いえ。甘い香りで」
「甘い香り? クルスさん……まさかっ!」
「ジャン……」
何故か慌てているジャンカルロさんの言葉を静止し、レンさんは首を横に振る。
「件の騎士らに、水をかけられまして。乾かすのに、スティーブン様の従者の方に、ご助力頂きました。その時に、匂いがうつったようで」
「そうでしたか!」
なるほど。スティーブン様の!
それで、知っている気がしたのね。
彼にこの香りなら、確かにお似合いだわ。
それにしても、スティーブン様、有能。
こちらの事件のみならず、まさかレンさんのフォローまで、してくれていたなんて。
感心しているうちに、あっという間に寮に到着。
ジャンカルロさんが手早く手続きをしてくれて、わたしはレンさんの腕から下ろされることなく、すんなりと部屋まで運んでいただいた。
ところで、階段ですら、ほぼ揺れなかったんですけど?
お兄様……。女性の扱いに関しては、もう少し修行が必要みたいね。
部屋に入り、椅子にそっとわたしを下ろすと、レンさんは少し考えるように沈黙した。
そして、
「失礼」
そう、小さく詫び、わたしの額に手をかざして、小声で呪文を口にする。
途端、ふわっと全身が温まるような感覚がして、何となく気持ちが安らぐのを感じた。
「火魔法の癒しは、怪我に直接作用しませんが、精神を落ち着け、痛みが和らいだと錯覚させる効果があります。
今日は、お疲れでしょうから、ゆっくりお休みください」
レンさんは、優しい声音でそう告げると、一緒に来ていた寮母さんと ジャンカルロさんを伴って、一礼のもと、静かに退室した。
わたしは、ぼうっとしてしまい、扉が閉まってから一拍遅れて、ようやくお礼を言い逃したことに気づいた。
……気遣いがスマートすぎて辛いっ……‼︎
わたしは、しばらくの間 机に突っ伏して、ラッキーヒロイン補正の凄まじさに身悶えたのだった。
◆
その日は疲労のせいか、はたまた最後にかけて頂いた癒しの効果なのか、あんなに恐ろしいことがあったのに、すっかり爆睡してしまった、わたし。
翌日早朝、結局いつも通りに起きてしまった。
でも、今日明日はお休みだし、安静にするよう言われていたから、室内で大人しくしていることに決める。
カタリナさんの指示で、ヨハンナが朝食を部屋まで持って来てくれたので、午前中は、のんびりと時を過ごすことができた。
ヨハンナは、その上、話し相手になるよう指示されたらしく、ずっと傍にいて、他愛の無い話をしていてくれた。
そのお陰か、今のところフラッシュバックは起きていない。
無事救い出して頂けたから、どちらかと言うとプラスの思い出になっている、というのもあると思うけど。
お昼は、近くの喫茶店のランチプレートを、リリアさんたちが届けてくれた。
その優しい気遣いに、心が和む。
聖女候補の皆さんが、それぞれ声をかけてくれる中、プリシラさんだけが、何故か硬い表情をしていたのは、少し気になったけど。
ことがことだから、もしかしたら同じ貴族階級出身者として、軽蔑されてしまったのかもしれない。
それも、仕方のないことだわ。
わたしが、ターナーさんを安易に信用したのがいけないのだし。
これからは、しっかり自分で考えて、判断しないといけない。
そして、少しずつでも信頼を取り戻す努力をしよう。
そう、心に決める。
日が傾き始めたころ。
ミゲルさんに伴われて、お兄様が部屋までやって来た。
聞けば、午前中からつい先ほどまで、聖堂幹部と、王宮法務担当官、並びに各隊の騎士団長を巻き込んで、緊急会議が延々と行われていたそう。
そして、今しがた、スティーブン様が結果を説明に来て下さっており、これから事務局で、お話を聞けるらしい。
では、昨日の事件関係者、それぞれの処遇が決まったのね。
わたしは、頷いて立ち上がる。
お兄様は、わたしを運ぶ気満々で来て下さったみたいだけど、昨日に比べて足の痛みは大分ひいたので、謹んで辞退し、松葉杖を使って事務局へ向かった。
うん。
この分なら、何とか一人で移動できそう。良かった。
応接の扉をノックすると、中からドアを開けてくれたのは、私服姿のレンさんだった。
そのまま部屋の隅で立っているので、一緒にお話を聞くのかな?
自身が暴行を受けた件で、彼もまた、呼び出されたのかもしれない。
中に入ると、ソファーにかけていたスティーブン様とジェフ様が、二人同時に立ち上がる。
「呼び出して申し訳なかったわね。お加減はいかが?」
「はい。お陰様で」
笑みを返すと、直ぐにソファーを勧められた。
「早速だけど、口裏を合わせて貰う必要があるから、ストーリーを伝えるわね。
勝手に話を捻じ曲げてしまったから、聞いていて不愉快なことも多いと思うわ。
でも、貴女を守るために関わった人たちと、何より貴女を守ることを最優先したつもりだから、理解してくれると嬉しいの」
わたしは、首を縦に振る。
大丈夫。
『悪いようにはしない』と、約束して下さったもの。
今まで起こったハプニングも、彼はあっという間に解決しているし、その手腕を信じよう。
それを受けて、スティーブン様が語った内容は、以下の通り。
事件内容は、『聖騎士ターナー=クラークヘレスが、聖女様の名を語って、聖女候補を屋上庭園に連れ出し、不埒な行為をしようとしたもの。
その時、そこに偶然居合わせた、フランチェスコ=ドウェイン並びに、ビアンカ=オークウッドの指示で、王国騎士六名が止めに入り、名誉の負傷。
事件は未遂に終わり、聖女候補は無事救出された』というものだった。
「いくらなんでも、それでは……!」
わたしの横で、お兄様が怒りに拳を震わせている。
「ごめんなさいね。でも、ドウェイン家を没落させるわけには いかないのよ」
「僕としては、真実を話し、家は没落させて然るべきだと思いますが……」
ジェフ様が苦しげに呟くので、わたしは首を横に振った。
それでは、助けてくれたジェフ様にまで、損害を与えてしまうことになる。
「そのお話で結構です」
わたしは、頷きながらそう答えた。
内容をストレートにとると、フランチェスコ様と王宮勤めの騎士は守り、全ての罪を、ターナーさんに押し付けた格好になる。
「ターナー=クラークヘレスは、深魔の杜との国境で、生涯兵役に着くことになったわ」
「っ!」
深魔の杜は、西の国境にあり、魔物の群生地。
大罪を犯した騎士が、稀に兵役に送られることで有名なんだけど、兵舎が防壁の外にあり、所属する兵士の数は把握されていないらしい。
実質死刑宣告に近いんじゃ……?
「大丈夫よ? 騎士を六人も倒したツワモノなんだから」
「は、はぁ」
でも、それは、作ったストーリー上ですよね?
実際倒したのは、光の騎士様で……。
「今回は未遂で済んだけど、本来は一発死刑なんだから、貴女は気にしなくて良いのよ」
「……はい」
「それで、そのターナーに罪を被せた張本人、フランだけど、この度 ビアンカ嬢と婚約が成立したわ」
「……え?」
ビアンカ様って、ピンク色の?
「来月には婚姻を済ませる予定よ。
ただ、昨日ちょっと、頭を強く打ったみたいでね? 言っていることが支離滅裂だから、侯爵家の館の塔で療養させるつもりなの。もちろん、ビアンカ様も一緒にね」
「入り口の通路は、塔の最上階に一箇所しかなくて、私兵が駐在しているので、決められた人しか 外には出られない作りになっているんです」
にこやかに補足するジェフ様。
ええと。
それって、実質幽閉?
「もちろん、ビアンカ様は出入り自由よ」
「はぁ」
「それから、六人の騎士だけど、全員 利き手利き足の腱が断裂。今日付けで離職になったわ。いくら貴族出身でも、仕事がないんじゃ可哀想だから……」
「全員、兄が住まう塔の下働きとして、我が家で雇うことにしました」
「もちろん、こっちは基本、外に出られないわ」
……彼らも実質幽閉ということ?
穏やかな微笑んでいるスティーブン様とジェフ様だけど、背後にはっきりと暗黒オーラを感じる。
「あの子たちは、ほら。これまで散々レディーを喰い物にして来たから? 喰われる側に回ればいいと思うの」
「全くですね」
なるほど。
ええと。
ビアンカ様は、そういう感じの?
まぁでも、こちらも怖い目に合わされたので、同情の余地はないし、そこは侯爵家にお任せしよう。
今後、会うことが無いに越したことは無いしね。
「以上だけど、何か言いたいことがあったら、言ってくれて構わないわよ? オレガノ君」
お兄様は、苦笑いで首を横に振った。
ここまで鮮やかに因果応報を演じられては、口を挟む余地は無いよね。
「そうそう。実際に貴方を助けた人間は、ジェフや私も含めて、あの場にいなかったことにして頂戴。いたのがバレたら、それだけでクビなのよ」
泣き真似をするスティーブン様に、わたしは頷いた。
「分かりました。色々本当に、ありがとうございました」
「良いのよ。貴女が無事で良かったわ」
こうして今回の事件は、大団円を迎えたのだった。
痛めた足の診断結果は、おそらく捻挫。
骨にひびが入っている可能性はあるけど、触診した限りでは分からないそうで、とりあえず、数日間は固定して様子をみることになった。
しばらくの間 松葉杖生活になるから、それに関しては、とても難儀だわ。
でも、固定して頂いたら、痛みは大分柔らいだ。
この分なら、早めの行動だけ気をつければ、普段通りに生活できそう。
とりあえずのところは、胸を撫で下ろす。
診察を終えて立ちあがろうとすると、担当医の先生が、にこやかに仰った。
「今日はもう遅いですから、誰かに運んでもらうと良いですよ。丁度ここに、何人も聖騎士がいることですし」
運ぶ?
「そういうことなら、了解です! お任せ下さい!」
ご機嫌で挙手したのは、ラルフさん。
え?
運ぶって?
「なるほど。担架だと階段も有りますから、固定したり色々面倒ですか」
口元に指を当てて、考えるようにジャンカルロさん。
待って? まさか!
わたしの前に膝をついたラルフさんを、慌てて両手で制止する。
「いえ。重いですから! そこまでご迷惑をかけるわけには……」
「見るからに軽そうですけど? 」
「ラルフに担がれるのは、流石に怖いんじゃない? 荷物とか運ぶ分には問題ないだろうけど、粗雑そうだし、余計なところでコケそう的な意味合いで」
「なんでそう、突っかかりますかね?」
揶揄うように言うジャンカルロさんに、口を尖らせるラルフさん。
「そういうことでは無くて……」
つまり、お姫様抱っこで、寮まで運ばれるということよね?
ただの捻挫に、そこまでして頂くのは、申し訳ないし 恥ずかしい。
「でもまぁ、そういうことなら? じゃ、レン先輩お願いします」
「「えっ?」」
ラルフさんの唐突な指名に、わたしとジャンカルロさんは、思わず声をあげる。
「いえ。『誰が』とか、そういう意味ではなくて、歩けないことは ないので……」
「クルスさんは怪我をされているから、無理は しない方が! それなら、僕が……」
「はっはっはっ。でも、ジャンは もう少し全身を鍛えてからでないと、おじさんはちょっと不安だな」
丁度医務室に入って来たライアンさんが、笑いながらそう言って、ジャンカルロさんは、恥ずかしそうな顔で俯いた。
「ローズさんが嫌でなければ、私が」
控えめな口調でレンさんが言うと、ライアンさんは頷く。
「打ち身の方は、問題ないかな?」
「はい。皮下出血はありますが、大した痛みもありません」
「それなら、クルス君に任せよう。
なに、心配はいりませんよ?ローズマリーさん。
彼は、一見細く見えますが、先日 正門から聖女棟の居室まで、聖女様を一人で安全に運んだ前例がありますからな」
「は、はぁ」
いえ。
そこは心配していないというか、問題はそこじゃないというか?
でも、ここまで言われて、お断りするのは、逆に失礼すぎるよね。
「では、申し訳ないですが、お願いします」
「失礼します」
レンさんは、わたしの横に屈むと、こともなげにわたしを抱き上げた。
ひぇぇ。
顔が近い!
以前一度、ベンチまで運んで頂いたことがあるけど、あの時はパニクっていたし、数秒のことだったから、あまり覚えていない。
でも今回は、寮までそこそこの距離があるので、なんというか……気恥ずかしい。
まぁ……正直なところは、役得なんだけど!
「ラルフは、クルス君の怪我の件、報告を頼む。本人は隠しそうだからな。
ジャンは、二人に付いて行ってくれ。荷物持ちと、扉の開閉、寮での手続きを任せる」
「「了解です」」
ライアンさんの指示を受け、ラルフさんは一つ頷き、ジャンカルロさんは わたしのポーチと松葉杖を持ち、扉を開けてくれた。
それを受けて、レンさんが歩き出す。
部屋の外へ出るにあたり、恥ずかしさで頬が熱くなる。
……でも、物凄い安定感だわ。
お兄様と比べて遜色ない。
どころか、寧ろ上下の揺れが少ない気すらする。
やはり、お守りする対象の違いかしら?
仕事柄、対女性向けの訓練を受けているのかもしれない。
道すがら、気づかれないように、ちらりと視線を上向ける。
前方に視線を向けている そのお顔は涼しげで、凛々しい中に優美さが感じられた。
はぁ。
やっぱり、かっこいいなぁ。
それにしても、今日はラッキーヒロイン補正が過ぎるんじゃないかしら?
そんなことを考えた時、風が吹いて、レンさんから微かに香水が香った。
珍しい。
今日が特別な日だから、かな?
でも……香りのチョイスが、失礼ながら彼らしくない気がする。
ベリー系なのにスパイシー?
なんというか、ユニセックスな感じのする香。
そう言えば、この香り、どこかで……?
誰だったかしら?
少なくとも、聖女候補では無いわ。
でも、やっぱり女性かな?
考え始めると、無性に気になってくる。
もやもやするのも嫌なので、思い切って聞いてみよう!
「あの。珍しいですね? 香水」
レンさんは、一度こちらに視線を落とすと、申し訳なさそうに言う。
「臭いますよね。すみません」
「いえ。甘い香りで」
「甘い香り? クルスさん……まさかっ!」
「ジャン……」
何故か慌てているジャンカルロさんの言葉を静止し、レンさんは首を横に振る。
「件の騎士らに、水をかけられまして。乾かすのに、スティーブン様の従者の方に、ご助力頂きました。その時に、匂いがうつったようで」
「そうでしたか!」
なるほど。スティーブン様の!
それで、知っている気がしたのね。
彼にこの香りなら、確かにお似合いだわ。
それにしても、スティーブン様、有能。
こちらの事件のみならず、まさかレンさんのフォローまで、してくれていたなんて。
感心しているうちに、あっという間に寮に到着。
ジャンカルロさんが手早く手続きをしてくれて、わたしはレンさんの腕から下ろされることなく、すんなりと部屋まで運んでいただいた。
ところで、階段ですら、ほぼ揺れなかったんですけど?
お兄様……。女性の扱いに関しては、もう少し修行が必要みたいね。
部屋に入り、椅子にそっとわたしを下ろすと、レンさんは少し考えるように沈黙した。
そして、
「失礼」
そう、小さく詫び、わたしの額に手をかざして、小声で呪文を口にする。
途端、ふわっと全身が温まるような感覚がして、何となく気持ちが安らぐのを感じた。
「火魔法の癒しは、怪我に直接作用しませんが、精神を落ち着け、痛みが和らいだと錯覚させる効果があります。
今日は、お疲れでしょうから、ゆっくりお休みください」
レンさんは、優しい声音でそう告げると、一緒に来ていた寮母さんと ジャンカルロさんを伴って、一礼のもと、静かに退室した。
わたしは、ぼうっとしてしまい、扉が閉まってから一拍遅れて、ようやくお礼を言い逃したことに気づいた。
……気遣いがスマートすぎて辛いっ……‼︎
わたしは、しばらくの間 机に突っ伏して、ラッキーヒロイン補正の凄まじさに身悶えたのだった。
◆
その日は疲労のせいか、はたまた最後にかけて頂いた癒しの効果なのか、あんなに恐ろしいことがあったのに、すっかり爆睡してしまった、わたし。
翌日早朝、結局いつも通りに起きてしまった。
でも、今日明日はお休みだし、安静にするよう言われていたから、室内で大人しくしていることに決める。
カタリナさんの指示で、ヨハンナが朝食を部屋まで持って来てくれたので、午前中は、のんびりと時を過ごすことができた。
ヨハンナは、その上、話し相手になるよう指示されたらしく、ずっと傍にいて、他愛の無い話をしていてくれた。
そのお陰か、今のところフラッシュバックは起きていない。
無事救い出して頂けたから、どちらかと言うとプラスの思い出になっている、というのもあると思うけど。
お昼は、近くの喫茶店のランチプレートを、リリアさんたちが届けてくれた。
その優しい気遣いに、心が和む。
聖女候補の皆さんが、それぞれ声をかけてくれる中、プリシラさんだけが、何故か硬い表情をしていたのは、少し気になったけど。
ことがことだから、もしかしたら同じ貴族階級出身者として、軽蔑されてしまったのかもしれない。
それも、仕方のないことだわ。
わたしが、ターナーさんを安易に信用したのがいけないのだし。
これからは、しっかり自分で考えて、判断しないといけない。
そして、少しずつでも信頼を取り戻す努力をしよう。
そう、心に決める。
日が傾き始めたころ。
ミゲルさんに伴われて、お兄様が部屋までやって来た。
聞けば、午前中からつい先ほどまで、聖堂幹部と、王宮法務担当官、並びに各隊の騎士団長を巻き込んで、緊急会議が延々と行われていたそう。
そして、今しがた、スティーブン様が結果を説明に来て下さっており、これから事務局で、お話を聞けるらしい。
では、昨日の事件関係者、それぞれの処遇が決まったのね。
わたしは、頷いて立ち上がる。
お兄様は、わたしを運ぶ気満々で来て下さったみたいだけど、昨日に比べて足の痛みは大分ひいたので、謹んで辞退し、松葉杖を使って事務局へ向かった。
うん。
この分なら、何とか一人で移動できそう。良かった。
応接の扉をノックすると、中からドアを開けてくれたのは、私服姿のレンさんだった。
そのまま部屋の隅で立っているので、一緒にお話を聞くのかな?
自身が暴行を受けた件で、彼もまた、呼び出されたのかもしれない。
中に入ると、ソファーにかけていたスティーブン様とジェフ様が、二人同時に立ち上がる。
「呼び出して申し訳なかったわね。お加減はいかが?」
「はい。お陰様で」
笑みを返すと、直ぐにソファーを勧められた。
「早速だけど、口裏を合わせて貰う必要があるから、ストーリーを伝えるわね。
勝手に話を捻じ曲げてしまったから、聞いていて不愉快なことも多いと思うわ。
でも、貴女を守るために関わった人たちと、何より貴女を守ることを最優先したつもりだから、理解してくれると嬉しいの」
わたしは、首を縦に振る。
大丈夫。
『悪いようにはしない』と、約束して下さったもの。
今まで起こったハプニングも、彼はあっという間に解決しているし、その手腕を信じよう。
それを受けて、スティーブン様が語った内容は、以下の通り。
事件内容は、『聖騎士ターナー=クラークヘレスが、聖女様の名を語って、聖女候補を屋上庭園に連れ出し、不埒な行為をしようとしたもの。
その時、そこに偶然居合わせた、フランチェスコ=ドウェイン並びに、ビアンカ=オークウッドの指示で、王国騎士六名が止めに入り、名誉の負傷。
事件は未遂に終わり、聖女候補は無事救出された』というものだった。
「いくらなんでも、それでは……!」
わたしの横で、お兄様が怒りに拳を震わせている。
「ごめんなさいね。でも、ドウェイン家を没落させるわけには いかないのよ」
「僕としては、真実を話し、家は没落させて然るべきだと思いますが……」
ジェフ様が苦しげに呟くので、わたしは首を横に振った。
それでは、助けてくれたジェフ様にまで、損害を与えてしまうことになる。
「そのお話で結構です」
わたしは、頷きながらそう答えた。
内容をストレートにとると、フランチェスコ様と王宮勤めの騎士は守り、全ての罪を、ターナーさんに押し付けた格好になる。
「ターナー=クラークヘレスは、深魔の杜との国境で、生涯兵役に着くことになったわ」
「っ!」
深魔の杜は、西の国境にあり、魔物の群生地。
大罪を犯した騎士が、稀に兵役に送られることで有名なんだけど、兵舎が防壁の外にあり、所属する兵士の数は把握されていないらしい。
実質死刑宣告に近いんじゃ……?
「大丈夫よ? 騎士を六人も倒したツワモノなんだから」
「は、はぁ」
でも、それは、作ったストーリー上ですよね?
実際倒したのは、光の騎士様で……。
「今回は未遂で済んだけど、本来は一発死刑なんだから、貴女は気にしなくて良いのよ」
「……はい」
「それで、そのターナーに罪を被せた張本人、フランだけど、この度 ビアンカ嬢と婚約が成立したわ」
「……え?」
ビアンカ様って、ピンク色の?
「来月には婚姻を済ませる予定よ。
ただ、昨日ちょっと、頭を強く打ったみたいでね? 言っていることが支離滅裂だから、侯爵家の館の塔で療養させるつもりなの。もちろん、ビアンカ様も一緒にね」
「入り口の通路は、塔の最上階に一箇所しかなくて、私兵が駐在しているので、決められた人しか 外には出られない作りになっているんです」
にこやかに補足するジェフ様。
ええと。
それって、実質幽閉?
「もちろん、ビアンカ様は出入り自由よ」
「はぁ」
「それから、六人の騎士だけど、全員 利き手利き足の腱が断裂。今日付けで離職になったわ。いくら貴族出身でも、仕事がないんじゃ可哀想だから……」
「全員、兄が住まう塔の下働きとして、我が家で雇うことにしました」
「もちろん、こっちは基本、外に出られないわ」
……彼らも実質幽閉ということ?
穏やかな微笑んでいるスティーブン様とジェフ様だけど、背後にはっきりと暗黒オーラを感じる。
「あの子たちは、ほら。これまで散々レディーを喰い物にして来たから? 喰われる側に回ればいいと思うの」
「全くですね」
なるほど。
ええと。
ビアンカ様は、そういう感じの?
まぁでも、こちらも怖い目に合わされたので、同情の余地はないし、そこは侯爵家にお任せしよう。
今後、会うことが無いに越したことは無いしね。
「以上だけど、何か言いたいことがあったら、言ってくれて構わないわよ? オレガノ君」
お兄様は、苦笑いで首を横に振った。
ここまで鮮やかに因果応報を演じられては、口を挟む余地は無いよね。
「そうそう。実際に貴方を助けた人間は、ジェフや私も含めて、あの場にいなかったことにして頂戴。いたのがバレたら、それだけでクビなのよ」
泣き真似をするスティーブン様に、わたしは頷いた。
「分かりました。色々本当に、ありがとうございました」
「良いのよ。貴女が無事で良かったわ」
こうして今回の事件は、大団円を迎えたのだった。
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【完結】どうやら魔森に捨てられていた忌子は聖女だったようです
山葵
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昔、双子は不吉と言われ後に産まれた者は捨てられたり、殺されたり、こっそりと里子に出されていた。
今は、その考えも消えつつある。
けれど貴族の中には昔の迷信に捕らわれ、未だに双子は家系を滅ぼす忌子と信じる者もいる。
今年、ダーウィン侯爵家に双子が産まれた。
ダーウィン侯爵家は迷信を信じ、後から産まれたばかりの子を馭者に指示し魔森へと捨てた。
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聖女が降臨した日が、運命の分かれ目でした
猫乃真鶴
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女神に供物と祈りを捧げ、豊穣を願う祭事の最中、聖女が降臨した。
聖女とは女神の力が顕現した存在。居るだけで豊穣が約束されるのだとそう言われている。
思ってもみない奇跡に一同が驚愕する中、第一王子のロイドだけはただ一人、皆とは違った視線を聖女に向けていた。
彼の婚約者であるレイアだけがそれに気付いた。
それが良いことなのかどうなのか、レイアには分からない。
けれども、なにかが胸の内に燻っている。
聖女が降臨したその日、それが大きくなったのだった。
※このお話は、小説家になろう様にも掲載しています
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侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました
下菊みこと
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前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。
ご都合主義のSS。
お父様、キャラチェンジが激しくないですか。
小説家になろう様でも投稿しています。
突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!
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失われた力を身に宿す元聖女は、それでも気楽に過ごしたい~いえ、Sランク冒険者とかは結構です!~
紅月シン
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聖女として異世界に召喚された狭霧聖菜は、聖女としての勤めを果たし終え、満ち足りた中でその生涯を終えようとしていた。
いや嘘だ。
本当は不満でいっぱいだった。
食事と入浴と睡眠を除いた全ての時間で人を癒し続けなくちゃならないとかどんなブラックだと思っていた。
だがそんな不満を漏らすことなく死に至り、そのことを神が不憫にでも思ったのか、聖菜は辺境伯家の末娘セーナとして二度目の人生を送ることになった。
しかし次こそは気楽に生きたいと願ったはずなのに、ある日セーナは前世の記憶と共にその身には聖女としての癒しの力が流れていることを知ってしまう。
そしてその時点で、セーナの人生は決定付けられた。
二度とあんな目はご免だと、気楽に生きるため、家を出て冒険者になることを決意したのだ。
だが彼女は知らなかった。
三百年の時が過ぎた現代では、既に癒しの力というものは失われてしまっていたということを。
知らぬままに力をばら撒く少女は、その願いとは裏腹に、様々な騒動を引き起こし、解決していくことになるのであった。
※完結しました。
※小説家になろう様にも投稿しています
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