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第五章
動き出した策謀 ⑴
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(side ローズ)
担当聖騎士のターナーさんから、『口紅が擦れている』との助言を受けて、わたしは一度 控え室まで戻った。
ターナーさんて、胸で人を認識しているし、姿勢や服装から 何となくだらしない印象を受けたから、正直微妙だなって思っていたのよね。
でも、口紅なんて細かいところに気を配ってくれるなんて、流石に貴族出身者だけのこと あるのかな?
控え室で待機してくれていたメイク担当さんに、お化粧直しをして貰いながら、のんびりと そんなことを考える。
ついでに髪も綺麗に整えて頂いて。
うん。
いつもの三割り増し!
これなら、物語通りのキラキラしたヒロインに見えるかしら?
エミリオ様が『戻って来たら、一番最初にダンスをする』と、約束して下さった。
たったそれだけのことなのに、何だかふわふわして、少し鼓動も速くなるみたい。
フランチェスコ様から助けて下さった時の、年齢よりもずっと逞しい腕の感触を思い出せば 尚更。
これが、『恋』なのかな?
はっ!
意識し出したら、頬まで熱くなってきた。
今直して頂いたばかりなのに、変な汗をかいて メイクが崩れるのは困る!
と!とにかく、ダンスは至近距離で顔を見られるわけで、ターナーさんに教えて頂いて良かったわ。
その頃には会場も落ち着いているだろうから、それなりに注目されるかもしれないし、整っているに越したことは無いよね。
見苦しい格好では、エミリオ様にも、また ダンスする事を許して下さったヴェロニカ様にも、恥をかかせることになるもの!
そうよ。
エミリオ様は、ヴェロニカ様の婚約者なんだから……。
考えて、ちょっとだけ凹んで、頭を振る。
エミリオ様を選ぶなら、そのポジションしか空いていないことは、最初から分かっていることじゃない!
それに、この後ジェフ様にご挨拶に行く事を考えれば、メイクが剝げていては恥ずかしいわ!
今日は、お会いできないのが前提だったから、これは嬉しいサプライズよね?
急に仕事が入ったって事なのかな?
何れにせよ、滅多にしない正装だし、自分では決して出来ないメイクだから、今日の姿を見て頂けるのは、少し嬉しいかも。
こちらとしても、働いているジェフ様を見られるのは、目の保養だしね!
フランチェスコ様のことも、話せるようなら 話しておいた方が良いかしら?
エミリオ様が戻られるまで、少しかかりそうな雰囲気だったから、この後直ぐに、ご挨拶に行って来よう。
そうと決まれば、ターナーさんに相談しないと!
メイクさんが、髪を整え終わったのを確認してから、扉の前で立っているターナーさんに向き直った。
その時。
ーーコンコンっ
扉をノックする音が聞こえて、ターナーさんは こちらに目配せをすると、外に出ていく。
何かあったのかしら?
しばらくして戻ってきた彼は、扉を開けたまま わたしに言った。
「聖女様が、お呼びだそうだ」
「え? 聖女様ですか?」
思わぬ事態に眉を寄せる。
わたし、何かやらかしたかな?
会場を出てくる時は、確か、聖女様専用のソファーに気怠げに座ってらっしゃったけど。
「それでは、急いで戻りましょう」
「いや。会場じゃないらしい。案内するから、ついておいで」
「そうなんですか?」
「ああ。他の候補も呼ばれてるそうだよ」
「わかりました」
控え室から出て、ターナーさんの後ろをついて行くと、彼は何故か階段を上り始めた。
え?上⁈
因みに、聖堂関係者の控え室は王族の方々と同様の三階にある。
その上は、招待された貴族の皆さんの控室だと、聞いたような?
「あの、聖女様はどちらに?」
「ああ。休憩に出られたんだ。君、知らないの? ここの屋上、ちょっとした庭園になっていて、心が休まる気持ちの良い場所なのさ」
「はぁ。そうなんですか?」
そういうことなら、ついて行くしか無いんだけど。
上がってみると、四階には 殆ど人気が無い。
無言で進むターナーさんに続き、控室が並んでいる通路を一番奥まで進むと、屋上に上がるための螺旋階段に出た。
呼び出された理由がよく分からないから、不安な気分になっているところに、どんどん人気の無いところに進んでいく心細さが加わって、足が重く感じる。
何故、聖女様はこんな場所に?
考えながらも螺旋階段を登り、突き当たりの扉をターナーさんが開けた時、わたしはその庭園の美しさに息を飲んだ。
素敵!
日が少しずつ傾いて、丁度空が薄桃色に染まって行く時間帯。
咲き乱れる季節の花々で埋め尽くされた庭園の、あまりの美しさに見惚れて、わたしは思わず扉の外に 足を踏み出していた。
◆
(side ジェフ)
「ステファニー様!」
十数分ほど前に、気乗りしない様子で『会場を確認する』と言いながら、何故か一度 王宮の外に出ていった筈のユーリーさんが、今 突然、僕の配置場所後方にあるガラス扉から現れたので、僕は唖然としてしまった。
あれ?
ここ、宮殿の外に繋がっていたっけ?
「あら。お帰りなさい、ユーリー。ゆっくりだったから、ヤキモキしちゃったわ」
特に驚いた様子も無く、ステファニー様が返事をしたので、僕はそのことに対して突っ込むのを辞めた。
ここで働いていれば、王宮の構造なんかも、ある程度は把握できるものかもしれない。
実際、僕だって 触りのない程度の抜け道だったら、知っているくらいだからなぁ。
そんなことを考えていた僕の横で、ステファニー様の厳しい物言いに対し、ユーリーさんは、肩をすくめていたようだ。
「お待たせしたことには、お詫び申し上げますけどね。皆さんの無茶振りのせいで、こちらの仕事にも少なからず影響が出たんですから、そこは、お互い様でお願いしますよ?」
「それは……申し訳ないことです」
ユーリーさんの言葉を受けて頭を下げたのは、多分無茶振りした三人の中では、一番無害だった筈のレンさんだ。
相変わらず、馬鹿がつくほど人が良い。
冗談半分で苦言を言ったユーリーさんの方が、困ったように頬を掻いている。
「あー、いや!レン君は巻き込まれた側だから、謝らなくて良いけどね?」
全く茶番だな。
僕は小さく息を落とす。
そんなことよりも、早く中の状況が知りたいんだけど?
「で? どうだったんです?」
僕が声をかけたことで、ユーリーさんの空気が変わった。
本題に入るみたいだ。
「ええ。実は、想定していたより、会場が大変なことになっていましてね」
その言葉を受けて、ステファニー様は眉を顰める。
「何かあったの?」
「ええ。そのことも、早急にお伝えしなければならないのですが、双方時を争いますので、順を追って説明します」
「良いわ」
ステファニー様が一つ頷くと同時に、場の空気が 一瞬で張り詰めた。
どうやら、思ったよりも悪いことになっているみたいだ。
時を争う、の言葉通り、ユーリーさんは少しずつ早口になっていく。
「まず、『聖女候補プリシラ様に情報を与えた人間』ですが、ジェファーソン様のヨミ通り、フランチェスコ様のようです」
「あぁ。やっぱり」
まぁ、『他に思いつかなかった』というのが、正確なところだけど。
「はい。舞踏会が始まる直前に、二人が親密そうに話していたのを、担当の聖騎士が見ていました。遠くからだったので、何を話していたのかは分からないそうですが、その後ソワソワし出して、聖堂のダンス披露の直後に、耳飾りの紛失を申し出てきたそうです」
僕は頷く。
「大方こちらの予想通りですね。問題は、何を条件に、兄がプリシラ様に情報を渡したかってところだけど……」
兄が何かを企んでいるとなると、僕としても放置できない。
あの人は、残念な事に、ただの馬鹿では無いから。
考えていると、ユーリーさんが意外なことを言った。
「それに関しては、予測がたちましたので、後ほど」
「まさか、分かったんですか?」
「確証は無いですが、可能性は高いかと。ただ、そう思うに至った過程を時系列でお話しした方が、理解がスムーズだと思いますので、とりあえず状況説明を続けます」
「分かりました」
気になるけど、そういうことならば。
僕は口を閉ざし、視線で先を促した。
それに対して、ユーリーさんは、小さく頭を下げる。
「ご理解頂き、感謝します。
おれは、しばらくの間、会場で担当聖騎士から話を聞いていたんですが、その時、やけに王族席が騒がしくなりましてね。一度『王族全員退席』などというものですから、何事かと。お手伝いが必要ならばと思い、念の為 王子殿下に接触して参りました」
「隠密で入ったくせに、大胆なことをしたわね」
「全くです。状況が状況だったので、仕方が無かったのですが、ジュリー副官に斬り捨てられそうになりましたよ。
そうそう。言い訳に、ステファニー様の威光をお借りしましたので、あしからず」
「それは構わないけど、それだけじゃ 言い訳にならなかったでしょう? ジュリーは、そんなに甘い娘じゃ無いわ」
「ええまぁ。それについては、企業秘密って事で。
さておき、そこで王子殿下からステファニー様に伝言を賜りましたので、お伝えします。『かくれんぼをしているんだが、お前もやらないか?』と」
「貴方……それ」
「はい。そういう事かと」
…………。
???
伝言の内容が意味不明だ。
かくれんぼ?
まさか、本当に王子殿下と遊ぶわけじゃ無いだろうし。
ステファニー様には、分かったみたいだけど。
彼は、珍しく深刻な表情をしている。
「何かの隠語ですか?」
「んー?まぁね。ちょっと探し物が出来ただけよ」
尋ねると、苦笑いが帰ってきた。
どうやら、僕には知られたく無い話なのか?
ならば、首は突っ込まない方が良い。
ステファニー様は、ユーリーさんに先を促した。
「それで?」
「はい。ついでに、舞踏会でのフランチェスコ様の様子を伺ったのですが、ローズマリー様にちょっかいをかけていて、王子殿下が追い払ったそうです」
「ローズちゃんに?」
僕は、嫌な予感に眉を顰める。
「ええ。そこで、先ほどの仮説ですが、その前に。ジェファーソン様はフランチェスコ様に、ローズマリー様のことを話しましたか?」
「いえ。普段から、兄とは そういった話を一切しませんから」
「でしょうね。では、フランチェスコ様がプリシラ様から得た情報は『ジェファーソン様が、ここのところ親しくしている聖女候補は誰か?』かもしれません」
「はっ?まさか……」
「勿論『美しいから』という理由だけで絡まれていた可能性も、十分有ります。でも、あのフランチェスコ様が、他の女性に見向きもせず、ローズマリー様だけをピンポイントで狙ったというのは、少し違和感が有ります。
そもそも、ローズマリー様は、フランチェスコ様の好みから 若干外れませんか?おれの記憶では、色気があって大人っぽい方が好みだったかと。どちらかと言うと、ヴェロニカ様やプリシラ様のような……」
……驚いたな。
ユーリーさんは、兄について、やけに詳しい情報を持っているようだ。
「その通りですが、ユーリーさんは兄のことを、よくご存じなんですね?」
「え゛っ?……ええまぁ」
尋ねると、彼は狼狽えていたが、直ぐにステファニー様が理由を説明してくれた。
「フランは、騎士団全体に危険人物として認知されているわよ?」
「はぁ」
なるほど。
女性の好みまで、データとして共有されているってことか。
でもさ……。
「そんな危険人物なら、王宮は 何故兄を、こんな大きな企画に呼ぶんですか?」
僕やステファニー様は呼ばれないのに、ちょっと不公平なんじゃないかな?
「仕方がないじゃない。アレでもドウェイン家の跡取りだもの。出来れば王族。あわよくば、聖女や聖女候補を、形だけでも良いから、娶らせたいのよ。侯爵家としても、王族としてもね」
理屈は分かるけど、頭がついていかない。
「冗談じゃないですよ!相手が不幸になるのは、目に見えているのに?」
「そんなものは、大貴族の綺麗な血統を守る為には、関係ないのよ? 政略結婚なんだから」
「それは……」
諭すように優しく告げられたステファニー様の発言は、まごう事なき正論だ。
でも、納得は出来ない。
ステファニー様は、憤る僕の背を優しく撫でながら、何処か遠くを見る目で一瞬虚空を眺めると、小さな声でポツリと呟いた。
「ただ、ローズマリーちゃんは、フランには勿体無いわね」
「当たり前です!そもそも、ローズちゃんに近づいて、何をするつもり…………あ!」
そこで、唐突に答えが降ってきた。
ああ、そうか。
そう言えば、昔から 僕に嫌がらせをするのが、生きがいみたいなところがある人だった。
幼い頃、大切にしていた玩具やペットを、ことごとく壊された記憶が蘇る。
その経験から、僕はこれまで、出来るだけ大切なものを作らないようにして来た。
それでも幾つか出来た大切なものは、大事にしまって、兄から隠した。
でも、もう二人とも成人したし、そんな子どもじみた事、考えないと思っていたんだけど。
「なるほど。すると、目的は 僕に対する嫌がらせですか?気に入っているものを取り上げようと?」
「恐らく」
ユーリーさんが頷いたので、僕はため息を吐き出す。
相変わらず、残念な思考の持ち主だ。
結局それって、お互いにとってマイナスにしかならないと思うんだけど。
まぁ、ローズちゃんは恋愛に奥手だから、今日一日で兄に心を奪われるとは考えにくい。
取り上げるなんて、不可能じゃないかな?
すると、眉間に皺を寄せながら、ステファニー様が言ってきた。
「となると、狙いはまさか、ローズマリーちゃんとの婚約ってこと? それなら、ほぼ永遠に取り上げたのと変わらないものね」
「婚約? そんな簡単に婚約なんて……。そもそも、ローズちゃんが同意するとも思えません」
いくら政略結婚だって、お互いの両親や、本人同士の同意は当然必要になる。
それなのに、ステファニー様は沈痛な面持ちで僕を見ると、ハッキリ言い切った。
「そうね。ただ、この会の参加者だけは、特別ルールが有るのよ」
担当聖騎士のターナーさんから、『口紅が擦れている』との助言を受けて、わたしは一度 控え室まで戻った。
ターナーさんて、胸で人を認識しているし、姿勢や服装から 何となくだらしない印象を受けたから、正直微妙だなって思っていたのよね。
でも、口紅なんて細かいところに気を配ってくれるなんて、流石に貴族出身者だけのこと あるのかな?
控え室で待機してくれていたメイク担当さんに、お化粧直しをして貰いながら、のんびりと そんなことを考える。
ついでに髪も綺麗に整えて頂いて。
うん。
いつもの三割り増し!
これなら、物語通りのキラキラしたヒロインに見えるかしら?
エミリオ様が『戻って来たら、一番最初にダンスをする』と、約束して下さった。
たったそれだけのことなのに、何だかふわふわして、少し鼓動も速くなるみたい。
フランチェスコ様から助けて下さった時の、年齢よりもずっと逞しい腕の感触を思い出せば 尚更。
これが、『恋』なのかな?
はっ!
意識し出したら、頬まで熱くなってきた。
今直して頂いたばかりなのに、変な汗をかいて メイクが崩れるのは困る!
と!とにかく、ダンスは至近距離で顔を見られるわけで、ターナーさんに教えて頂いて良かったわ。
その頃には会場も落ち着いているだろうから、それなりに注目されるかもしれないし、整っているに越したことは無いよね。
見苦しい格好では、エミリオ様にも、また ダンスする事を許して下さったヴェロニカ様にも、恥をかかせることになるもの!
そうよ。
エミリオ様は、ヴェロニカ様の婚約者なんだから……。
考えて、ちょっとだけ凹んで、頭を振る。
エミリオ様を選ぶなら、そのポジションしか空いていないことは、最初から分かっていることじゃない!
それに、この後ジェフ様にご挨拶に行く事を考えれば、メイクが剝げていては恥ずかしいわ!
今日は、お会いできないのが前提だったから、これは嬉しいサプライズよね?
急に仕事が入ったって事なのかな?
何れにせよ、滅多にしない正装だし、自分では決して出来ないメイクだから、今日の姿を見て頂けるのは、少し嬉しいかも。
こちらとしても、働いているジェフ様を見られるのは、目の保養だしね!
フランチェスコ様のことも、話せるようなら 話しておいた方が良いかしら?
エミリオ様が戻られるまで、少しかかりそうな雰囲気だったから、この後直ぐに、ご挨拶に行って来よう。
そうと決まれば、ターナーさんに相談しないと!
メイクさんが、髪を整え終わったのを確認してから、扉の前で立っているターナーさんに向き直った。
その時。
ーーコンコンっ
扉をノックする音が聞こえて、ターナーさんは こちらに目配せをすると、外に出ていく。
何かあったのかしら?
しばらくして戻ってきた彼は、扉を開けたまま わたしに言った。
「聖女様が、お呼びだそうだ」
「え? 聖女様ですか?」
思わぬ事態に眉を寄せる。
わたし、何かやらかしたかな?
会場を出てくる時は、確か、聖女様専用のソファーに気怠げに座ってらっしゃったけど。
「それでは、急いで戻りましょう」
「いや。会場じゃないらしい。案内するから、ついておいで」
「そうなんですか?」
「ああ。他の候補も呼ばれてるそうだよ」
「わかりました」
控え室から出て、ターナーさんの後ろをついて行くと、彼は何故か階段を上り始めた。
え?上⁈
因みに、聖堂関係者の控え室は王族の方々と同様の三階にある。
その上は、招待された貴族の皆さんの控室だと、聞いたような?
「あの、聖女様はどちらに?」
「ああ。休憩に出られたんだ。君、知らないの? ここの屋上、ちょっとした庭園になっていて、心が休まる気持ちの良い場所なのさ」
「はぁ。そうなんですか?」
そういうことなら、ついて行くしか無いんだけど。
上がってみると、四階には 殆ど人気が無い。
無言で進むターナーさんに続き、控室が並んでいる通路を一番奥まで進むと、屋上に上がるための螺旋階段に出た。
呼び出された理由がよく分からないから、不安な気分になっているところに、どんどん人気の無いところに進んでいく心細さが加わって、足が重く感じる。
何故、聖女様はこんな場所に?
考えながらも螺旋階段を登り、突き当たりの扉をターナーさんが開けた時、わたしはその庭園の美しさに息を飲んだ。
素敵!
日が少しずつ傾いて、丁度空が薄桃色に染まって行く時間帯。
咲き乱れる季節の花々で埋め尽くされた庭園の、あまりの美しさに見惚れて、わたしは思わず扉の外に 足を踏み出していた。
◆
(side ジェフ)
「ステファニー様!」
十数分ほど前に、気乗りしない様子で『会場を確認する』と言いながら、何故か一度 王宮の外に出ていった筈のユーリーさんが、今 突然、僕の配置場所後方にあるガラス扉から現れたので、僕は唖然としてしまった。
あれ?
ここ、宮殿の外に繋がっていたっけ?
「あら。お帰りなさい、ユーリー。ゆっくりだったから、ヤキモキしちゃったわ」
特に驚いた様子も無く、ステファニー様が返事をしたので、僕はそのことに対して突っ込むのを辞めた。
ここで働いていれば、王宮の構造なんかも、ある程度は把握できるものかもしれない。
実際、僕だって 触りのない程度の抜け道だったら、知っているくらいだからなぁ。
そんなことを考えていた僕の横で、ステファニー様の厳しい物言いに対し、ユーリーさんは、肩をすくめていたようだ。
「お待たせしたことには、お詫び申し上げますけどね。皆さんの無茶振りのせいで、こちらの仕事にも少なからず影響が出たんですから、そこは、お互い様でお願いしますよ?」
「それは……申し訳ないことです」
ユーリーさんの言葉を受けて頭を下げたのは、多分無茶振りした三人の中では、一番無害だった筈のレンさんだ。
相変わらず、馬鹿がつくほど人が良い。
冗談半分で苦言を言ったユーリーさんの方が、困ったように頬を掻いている。
「あー、いや!レン君は巻き込まれた側だから、謝らなくて良いけどね?」
全く茶番だな。
僕は小さく息を落とす。
そんなことよりも、早く中の状況が知りたいんだけど?
「で? どうだったんです?」
僕が声をかけたことで、ユーリーさんの空気が変わった。
本題に入るみたいだ。
「ええ。実は、想定していたより、会場が大変なことになっていましてね」
その言葉を受けて、ステファニー様は眉を顰める。
「何かあったの?」
「ええ。そのことも、早急にお伝えしなければならないのですが、双方時を争いますので、順を追って説明します」
「良いわ」
ステファニー様が一つ頷くと同時に、場の空気が 一瞬で張り詰めた。
どうやら、思ったよりも悪いことになっているみたいだ。
時を争う、の言葉通り、ユーリーさんは少しずつ早口になっていく。
「まず、『聖女候補プリシラ様に情報を与えた人間』ですが、ジェファーソン様のヨミ通り、フランチェスコ様のようです」
「あぁ。やっぱり」
まぁ、『他に思いつかなかった』というのが、正確なところだけど。
「はい。舞踏会が始まる直前に、二人が親密そうに話していたのを、担当の聖騎士が見ていました。遠くからだったので、何を話していたのかは分からないそうですが、その後ソワソワし出して、聖堂のダンス披露の直後に、耳飾りの紛失を申し出てきたそうです」
僕は頷く。
「大方こちらの予想通りですね。問題は、何を条件に、兄がプリシラ様に情報を渡したかってところだけど……」
兄が何かを企んでいるとなると、僕としても放置できない。
あの人は、残念な事に、ただの馬鹿では無いから。
考えていると、ユーリーさんが意外なことを言った。
「それに関しては、予測がたちましたので、後ほど」
「まさか、分かったんですか?」
「確証は無いですが、可能性は高いかと。ただ、そう思うに至った過程を時系列でお話しした方が、理解がスムーズだと思いますので、とりあえず状況説明を続けます」
「分かりました」
気になるけど、そういうことならば。
僕は口を閉ざし、視線で先を促した。
それに対して、ユーリーさんは、小さく頭を下げる。
「ご理解頂き、感謝します。
おれは、しばらくの間、会場で担当聖騎士から話を聞いていたんですが、その時、やけに王族席が騒がしくなりましてね。一度『王族全員退席』などというものですから、何事かと。お手伝いが必要ならばと思い、念の為 王子殿下に接触して参りました」
「隠密で入ったくせに、大胆なことをしたわね」
「全くです。状況が状況だったので、仕方が無かったのですが、ジュリー副官に斬り捨てられそうになりましたよ。
そうそう。言い訳に、ステファニー様の威光をお借りしましたので、あしからず」
「それは構わないけど、それだけじゃ 言い訳にならなかったでしょう? ジュリーは、そんなに甘い娘じゃ無いわ」
「ええまぁ。それについては、企業秘密って事で。
さておき、そこで王子殿下からステファニー様に伝言を賜りましたので、お伝えします。『かくれんぼをしているんだが、お前もやらないか?』と」
「貴方……それ」
「はい。そういう事かと」
…………。
???
伝言の内容が意味不明だ。
かくれんぼ?
まさか、本当に王子殿下と遊ぶわけじゃ無いだろうし。
ステファニー様には、分かったみたいだけど。
彼は、珍しく深刻な表情をしている。
「何かの隠語ですか?」
「んー?まぁね。ちょっと探し物が出来ただけよ」
尋ねると、苦笑いが帰ってきた。
どうやら、僕には知られたく無い話なのか?
ならば、首は突っ込まない方が良い。
ステファニー様は、ユーリーさんに先を促した。
「それで?」
「はい。ついでに、舞踏会でのフランチェスコ様の様子を伺ったのですが、ローズマリー様にちょっかいをかけていて、王子殿下が追い払ったそうです」
「ローズちゃんに?」
僕は、嫌な予感に眉を顰める。
「ええ。そこで、先ほどの仮説ですが、その前に。ジェファーソン様はフランチェスコ様に、ローズマリー様のことを話しましたか?」
「いえ。普段から、兄とは そういった話を一切しませんから」
「でしょうね。では、フランチェスコ様がプリシラ様から得た情報は『ジェファーソン様が、ここのところ親しくしている聖女候補は誰か?』かもしれません」
「はっ?まさか……」
「勿論『美しいから』という理由だけで絡まれていた可能性も、十分有ります。でも、あのフランチェスコ様が、他の女性に見向きもせず、ローズマリー様だけをピンポイントで狙ったというのは、少し違和感が有ります。
そもそも、ローズマリー様は、フランチェスコ様の好みから 若干外れませんか?おれの記憶では、色気があって大人っぽい方が好みだったかと。どちらかと言うと、ヴェロニカ様やプリシラ様のような……」
……驚いたな。
ユーリーさんは、兄について、やけに詳しい情報を持っているようだ。
「その通りですが、ユーリーさんは兄のことを、よくご存じなんですね?」
「え゛っ?……ええまぁ」
尋ねると、彼は狼狽えていたが、直ぐにステファニー様が理由を説明してくれた。
「フランは、騎士団全体に危険人物として認知されているわよ?」
「はぁ」
なるほど。
女性の好みまで、データとして共有されているってことか。
でもさ……。
「そんな危険人物なら、王宮は 何故兄を、こんな大きな企画に呼ぶんですか?」
僕やステファニー様は呼ばれないのに、ちょっと不公平なんじゃないかな?
「仕方がないじゃない。アレでもドウェイン家の跡取りだもの。出来れば王族。あわよくば、聖女や聖女候補を、形だけでも良いから、娶らせたいのよ。侯爵家としても、王族としてもね」
理屈は分かるけど、頭がついていかない。
「冗談じゃないですよ!相手が不幸になるのは、目に見えているのに?」
「そんなものは、大貴族の綺麗な血統を守る為には、関係ないのよ? 政略結婚なんだから」
「それは……」
諭すように優しく告げられたステファニー様の発言は、まごう事なき正論だ。
でも、納得は出来ない。
ステファニー様は、憤る僕の背を優しく撫でながら、何処か遠くを見る目で一瞬虚空を眺めると、小さな声でポツリと呟いた。
「ただ、ローズマリーちゃんは、フランには勿体無いわね」
「当たり前です!そもそも、ローズちゃんに近づいて、何をするつもり…………あ!」
そこで、唐突に答えが降ってきた。
ああ、そうか。
そう言えば、昔から 僕に嫌がらせをするのが、生きがいみたいなところがある人だった。
幼い頃、大切にしていた玩具やペットを、ことごとく壊された記憶が蘇る。
その経験から、僕はこれまで、出来るだけ大切なものを作らないようにして来た。
それでも幾つか出来た大切なものは、大事にしまって、兄から隠した。
でも、もう二人とも成人したし、そんな子どもじみた事、考えないと思っていたんだけど。
「なるほど。すると、目的は 僕に対する嫌がらせですか?気に入っているものを取り上げようと?」
「恐らく」
ユーリーさんが頷いたので、僕はため息を吐き出す。
相変わらず、残念な思考の持ち主だ。
結局それって、お互いにとってマイナスにしかならないと思うんだけど。
まぁ、ローズちゃんは恋愛に奥手だから、今日一日で兄に心を奪われるとは考えにくい。
取り上げるなんて、不可能じゃないかな?
すると、眉間に皺を寄せながら、ステファニー様が言ってきた。
「となると、狙いはまさか、ローズマリーちゃんとの婚約ってこと? それなら、ほぼ永遠に取り上げたのと変わらないものね」
「婚約? そんな簡単に婚約なんて……。そもそも、ローズちゃんが同意するとも思えません」
いくら政略結婚だって、お互いの両親や、本人同士の同意は当然必要になる。
それなのに、ステファニー様は沈痛な面持ちで僕を見ると、ハッキリ言い切った。
「そうね。ただ、この会の参加者だけは、特別ルールが有るのよ」
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