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第五章
晩餐会の始まり
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これまで苦手すぎて、極力逃げ回って来た晩餐会。
開始の時間が迫って来て、逃げ出したい気分になったけど、マリーに会えるのだと考えてみれば、なんだか楽しみに思えてくる気もする。
気の持ちようで、こうもやる気になるのだから、我ながらお手軽だ。
隣には、余裕の笑みを浮かべ、静かに座して待つヴェロニカ。
今日は、臙脂色のドレスを身につけている。
瞳の色に合わせたブルー系のドレスを着る事の多い彼女が、今日あえて赤系統の服飾にしているのは、俺のカラーに合わせてのことだ。
ウエストを細く絞ったラインのドレスは、ヴェロニカの女性らしいラインが際立って、すごく綺麗だ。
デザインの美しさもさる事ながら、布やレースに至るまで一級品を使っているんだろう。
いかにも、王子の婚約者にふさわしい佇まい。
無論、似合っている。
似合っているが、何だか見慣れない感じだな。
ぶっちゃけ、赤。
俺自身が似合わない気もするんだが、王族の個人カラーは、妃の妊娠が確定した段階で決められるらしいから、似合うとか似合わないとか、関係ないんだろう。
でも、子は親に似るわけだから、もう少し、選ぶ色を考えても良い気もするんだが。
いや。
でも待てよ?
赤い髪のマリーなら、ドレスの色を赤にしなくたって良いかもしれない。
俺の色を、生まれつき持っているようなものだもんな。
そう考えると、なんだか運命的な気がして、頬が緩んだ。
「こほんっ」
小さく後方から、ハロルドの咳払いが聞こえて、我に帰る。
まずいまずい。
にやけている場合じゃなかった。
そもそも、婚約者の目の前で、一体何を考えている。
不誠実にも程があるだろう。
ヴェロニカは、どうやらマリーのことを認めてくれているようだが、それにしたって、気分は良くないかもしれない。
反省して、チラリとヴェロニカを見上げると、彼女は柔らかく微笑んだ。
怒っては、いないらしい。
これが、正妻になる者の余裕ってやつなのか。
頭が下がるな。
笑みを返して、視線を落とす。
多少引き攣っていたかも知れないが、この分なら、多分気にしないだろう。
とりあえず、今は、別のことを考えよう。
マリーのことは、今日は、のんびりやれば良い。
何と言っても、最大のライバルである、ジェフがいないからな!
公式な場所で人と接するのは、マリーと出会った成人の儀の後、初めてになる俺だが、どうやら昨今、少しずつだが、貴族や官僚たちの間で、良い噂が流れ始めているらしい。
そうなると、今回の晩餐会で、一気にイメージアップを図りたいのが、側妃派閥、つまり俺の母親と、その周辺だったりするわけだ。
で、周辺に配置される所謂友人役を選出するため、ここ数日間、彼方此方の貴族令息が、代わる代わる顔を出していた。
『よく知らない奴等より、普通にジェフでいいだろう』と思い、三日ほど前、丁度王宮に来ていたらしい彼奴に声をかけたのだが、『出席しない』と返答があった。
『侯爵令息が出席しないとか、普通あり得ないだろう?』と思ったが、珍しく苦笑いになっているジェフの顔を見て、それ以上突っ込むのは、やめた。
マリーが来ることが確定している会であれば、彼奴が自ら望んで不参加にするわけがないからな。
すると、何らかの事情があってのことだろうが、言いたくないなら無理強いする気もない。
そんなことを考えていると、ジェフは、『王宮魔導士として、宮殿の中には、いますけどね』と付け加えた。
なるほど。
そう言えば、先日ハロルドに聞いて驚いたのだが、彼奴は、まだ学生のくせに、既に王宮魔導士の仮登録を済ませたらしい。
当日は、いよいよ初仕事ってことか。
流石に優秀だな。
仕事ならば、晩餐会に参加できないのも仕方がない。
それで母様は、急遽、別の友人役を手配していたという訳だったんだな。
ジェフのサポートが受けられないのは、少々心細い気もするが、それと同時に、これはチャンスだと、気分が上がった。
我ながら浅ましいが、ジェフに比べれば、そこいらの貴族の令息なんて、群生している土手カボチャみたいなものだからな。
恐るるに足らずってところだ。
「コホン」
ドヤ顔になっていたところを、またしても、ハロルドの咳払いで嗜められる。
俺は両手で頬を挟んで、ウニウニと筋肉をほぐした。
どうしたら、表情に出さないでいられるんだ?
だって、考えてると、顔、普通に動いちゃうだろう?
そうでもないのか?
「先ほどから、百面相で可愛いですわ」
ヴェロニカは、手を口元に持っていき、クスクスと笑い始めた。
ぐうの音もでない。
恥ずかしさで頬が熱くなったので、隠したくて俯いた。
『可愛い』って……完全にガキ扱いだ。
そりゃぁ、ヴェロニカから見たら?
俺なんて、見た目も内面も、子どもっぽいんだろうけど。
それにしても、別件を考えていた筈なのに、またマリーのことを想っているって、俺もかなりキテるよな。
がっつかないように、落ち着かないと。
それに、今日は、姉様のフォローを頼まれているから、そちらにばかりうつつを抜かしているわけにもいかないんだった。
俺は、小さくため息を落とした。
姉であるクリスティアラは、第一王位継承権を持つ王女で、正妃の娘。
常に毅然とした態度で、成人前にも関わらず、女王となるべき風格を持ち、博識で、誰に対しても平等。
多くの人から尊敬を集める人だ……だった。
母親同士は、決して仲が良いとは言えないが、俺たちは、なんとなく気があって、普段からそれなりに交流があり、そこそこの関係が築けていた。
あの日までは。
あの日。
魔王の息子の処刑の後、姉様は体調を崩し、人前に姿を見せなくなった。
成人前の王女に、なんて物を見せたんだろうか?
因みに、王子である俺は、行ってない。
当時、処刑を取り仕切った官僚は、当然厳しく詰め寄られたらしいが、そいつ曰く、『その日、刑場に王女の席は用意されていなかった』そうだ。
どう考えても無理がある。
姉様の周囲の人間が、彼女を第二の城壁の外にある刑場に連れて行く訳がない。
でも、その日、実際に姉様は刑場にいて、一部始終を見届け、倒れた。
そして、現在も療養中ということになっている。
俺も、つい数日前までは、その情報を鵜呑みにしていて、言いつけ通り、姉様には近寄らなかったんだが、一昨日の夕刻、急に呼ばれて、彼女の部屋に行き、その変貌ぶりに驚いた。
無邪気に笑いながら、おもちゃの弓を片手に、彼女専属の騎士たちを追いかけ回している姉様は、俺の記憶の中の姉様とは全くの別人だ。
彼女は、呆然と立ち尽くしている俺に気づくと、近寄ってきて、コテンと首を傾げ、こう言った。
「お兄ちゃん、だぁれ?」
「クリス姫。貴方の弟のエミリオ様よ」
言い含めるように、優しい声音で、俺の隣に立つスティーブンが告げると、姉様は不思議そうな顔で、俺を眺め、
「弟?嘘だよ。エミリオはぁ、まだ三歳だもん。でも、丁度いいや!ねぇ、お兄ちゃん。一緒に英雄ごっこしようよ!」
屈託なく笑いながら、そう言った。
俺は、衝撃のあまり完全に固まり、言葉を発することなく部屋を去った。
去り際、『なんで遊んでくれないの?』と、泣き叫ぶ声が聞こえて、思わず耳を塞ぎ、急ぎ足で部屋に戻った。
しばらくして、俺の部屋に訪れたスティーブンから、一部始終を聴く。
姉様の記憶は、七歳くらいまでしかなく、そこから先のことは、一切覚えていないらしい。
医師の診断によると、ショックからくる記憶障害だから、一過性かもしれないし、一生かもしれないそうだ。
正妃様は、直ぐに記憶が戻る方にかけて、数ヶ月間体調不良で様子を見ることにしたようだが、現在も状況は変わっていない。
そして、仮病を使い続けるのも、そろそろ限界を迎えた。
姉様は、王位継承者として、公の場に出なければならない。
父様と正妃様は、外部には、姉様が記憶を失っていることを隠し通す方針のようだから、彼女をフォローしてくれる身内だけに、状況をカミングアウトした格好だ。
それにしても。
フォローなぁ。
俺にできることならしてやりたいけど、役に立てるとは、到底思えない。
ヴェロニカにも、一応話してあるから、多分俺よりは上手にフォロー入れてくれると思うけど、姉様が暴れ出したら取り繕えない気もするし。
もう一度ため息を吐き出した時、会場に移動するよう連絡が来た。
連絡に来たのはオレガノで、何となく苛ついていた俺は、彼奴が後ろを向いたタイミングで、全力の膝カックンを仕掛けてやった。
その場でヘタりこむオレガノを見て、ちょっとだけスッキリする。
今回のは完全な八つ当たりだ。
「エミリオ様。そろそろ許してあげないと、オレガノ様が可哀想ですわよ?」
そう言いながら、ヴェロニカはクスクスと笑う。
「そう簡単には許さん!あと十回はやるつもりだから、覚悟しろ。あと、禁酒な!」
キッパリ言い切ると、オレガノは、眉を下げた情けない表情で、頭を下げた。
さて、ではマリーに会いに行くとしようか。
俺は、ヴェロニカをエスコートしながら、会場に向かって足を踏み出した。
◆
(side ローズ)
晩餐会って、純粋にパーティーみたいなイメージがあったのだけど、どうやら、わたしが思っていたのと全然違った。
と言うか、晩餐会って、食事でもてなされる会だったのね!
無知とは恐ろしいものだわ……。
軽食を適当に頂けるような立食式で、自由に動いて交流出来るイメージでいたら、大変なことになる。
それは、当日まで数週にわたって礼儀作法の講習会があるわけよね。
平民出身の聖女候補もいるわけで、それがいきなり王宮の晩餐会に出席だもの。
テーブルマナー。
絶対必須だわ。
テーブルにずらりと並ぶシルバーを見て、冷や汗が出た。
そもそも、『晩餐会は晩に行うもの』とか、考えていたわたし。
現在時刻は、まだオヤツを頂くにしても、ちょっと早い感じだったりする。
『お昼抜きかぁ』などと、リリアさんはむくれていたけれど、抜いて正解。
先人の知恵は流石だわ。
晩餐会会場に入ると、脚の一本一本にまで繊細な細工が施された縦長のテーブルが、中央ぶち抜きで連なっている。
その周囲には、普通なら十人くらい座れそうな丸テーブルが幾つも並ぶ。
ドレスが嵩張るので、実際に置かれている椅子は、六席くらいのようだけど。
そのほとんどが着席していて、見たところ、貴族の皆さんかな?
聖女様の後ろに続き、会場の中央へ進むと、正装に身を包んだ王族が、聖堂職員一人一人を丁重に出迎え、聖女様に至っては、国王陛下自らが、席へエスコートして下さっている。
生まれてこの方、こんな丁寧な扱い、受けたことないよ?
だめだ。
滅茶苦茶緊張してきたー!
しかも、聖堂職員が座るの、中央のテーブルなんです?
待って待って?
胃が痛くなってきた。
だって、このテーブル、お向かいの席には、王族の皆様が既に席についていて、こちらに笑顔を向けてきている。
全員の入場が終わるまで、彼ら彼女らは、左右に座る方と談笑していらっしゃるようなんだけど、断続的に値踏みするような視線がこちらに飛んできて、途轍もなく居心地が悪い。
これは、逃げ出したくもなるよね。
エミリオ様が、かつて逃走していた気持ちを、身をもって体験してしまったわ。
そのエミリオ様だけど、今日は脱走することなく、テーブル中央に座る国王陛下の横に、毅然とした態度で座している。
数ヶ月前とは見違えるような王子様ぶりに、感嘆のため息が漏れる。
とても今年十一歳の少年とは思えないよね。
ちらりと視線を流すと、丁度こちらを見たエミリオ様と、思いっきり目が合ってしまった。
タイミングーっ‼︎
慌てて、小さく会釈すると、彼は頬を紅潮させて笑顔を作り、小さく手を振った。
少年のハニカミ笑顔も可愛らしいわ。
って、ほっこりしている場合じゃなかった。
今は不味いのよ。
だって、彼の隣には、ヴェロニカ様が!
そう思って、横に視線を移すと、ヴェロニカ様まで満面の笑みで、こちらに小さく手を振って下さった。
恐縮すぎます……!!
冷や汗混じりだったけど、すぐさま、今出来る渾身の笑顔で会釈したよね。
あとは、何事も無かったかのように、自然に視線を逸らして、と……。
「きゃー!エミリオ様っ!エミリオ様が私に手を振って下さったわ!」
悲鳴じみた歓声が会場内に響き、横を見ると、リリアさんが身を乗り出して、両手でぶんぶんと手を振っていた。
わぁ。
正しく、天真爛漫って感じ?
あれだけ厳しくご教授賜ったのに、礼儀作法の講義とは、一体なんだったのかしら。
思わず半眼になるけど、止めてもきっとやめないよね。
周囲の人たちは、完全に見て見ぬ振りだ。
エミリオ様は、眉をわずかに顰めたけれど、やがて、もう一度リリアさんに向けて、小さく手を振ってくれた。
優しい方だわ。
ちなみに、ヴェロニカ様も引き続き笑みを浮かべていたけれど、目が全く笑ってなかった。
直後、リリアさんの後方に控えて立っていたジャンカルロさんが、小声で彼女に注意をしたけど、彼女は舌を出してそっぽを向く。
ああ。
リリアさん、もう、今日はこのまま、作法守る気無いな。
多分。
ジャンカルロさんは、引き攣り笑いで、拳を怒りに震わせている。
今日一日、彼は、リリアさんの守護を担当するらしい。
胃を痛めないといいけど。
そう気の毒に思った時、全員が揃ったのか、国王陛下がグラスを片手に立ち上がった。
会場内は静まり返り、皆、固唾を飲んで、陛下の発声を待つ。
伸びのある柔らかな声で、聖堂職員に対する歓迎と、労いの言葉を口にした陛下は、やがて、グラスを高々と掲げた。
会場内の紳士淑女は、それに従い、胸の前でグラスを掲げる。
途端、賑やかな楽器の演奏が始まって、わたしたちの目の前には、スープ皿が一斉にサーブされた。
あぁ。緊張するわ。
いよいよ、晩餐会が始まった!
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