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第五章
厄介なのは、嫉妬という感情⑶ 聖女様は気紛れ
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(sideローズ)
開口一番、レンさんの服装に苦言を言う聖女様。
ええと……。
確かに、第一ボタンを外して開襟していたり、袖口を無雑作にめくり上げていたりと、多少ラフな印象ではあるかな?
でも、夏場にも関わらず、襟のある白の長袖シャツを着ているわけで、休日の一般の聖騎士さんの服装と比較しても、かなりきちんとしている部類じゃない?
一緒に来ていた二人の服装も、さほど変わらない……どころか、もっとゆるっとしているから、肩身が狭そう。
お兄様は、もしかすると、ラルフさんに服を借りたのかな?
いつもより、幾分マチに余裕がある感じだ。
さておき、個人的に注意を受ける程、レンさんが酷い格好とは思えない。
そもそも、レンさんは、聖女様がこの部屋に来ていることを知り、出直すことを提案するつもりだったんじゃないかな?
つまり、どちらかと言うと礼儀を欠くのは、耳ざとく部屋の外の会話を聞きつけ、自ら出向き、突然扉を開けた聖女様の方な気もしたりして……。
不敬になるから、絶対口に出しては言えないけれど!
レンさんは、特に動じた気配もなく、普段通りの柔らかな声音で謝罪を述べた。
聖女様は、仁王立ちで腕を組みながら、片膝をついて頭を下げたままのレンさんを、見下ろしている。
室内には、気まずい沈黙が流れた。
これはもう、タイミングの悪さを呪うしか無いよね。
お兄様が帰る旨を、わたしに伝えに来ただけなのに……この、わたしから何かアクションを起こしてはいけない空気。
どうしたらいいんだろう。
しばらくの沈黙の後、聖女様は、大袈裟なほどに、深いため息をついた。
室内外の人たちは、思わずビクッと体を震わせる。
一緒に来ていた聖女様付き聖騎士の二人とレンさんは、無反応だったけど……。
もしや、慣れてる?
よくあることなのかな?
なんというか、その、聖女様……絶対怒ってらっしゃるよね?
この部屋に来た当初から、あちこちに突っかかっていたけれど、もしかして、最初から機嫌が悪かったのかな?
でも、いったい何に?
思考を巡らせていると、聖女様が口を開いた。
「それにしても、よくもまぁ、昨日の今日で、私の前に顔が出せたものね。レン?」
え……?
いや。
何度も言うけど、聖女様が、自分から行ったよね?
というか、聖女様の不機嫌の原因、まさかのレンさん?
「昨晩は、貴方のせいで、とても気に入らない決断をする羽目になったわ」
「……はい」
「凄く頭にきたけど、『愛しい私のために、お菓子を差し入れたい』と願う貴方の気持ちは、吝かではないから、仕方が無く、今回は許してあげることに致しましょう」
「…………。有難うございます」
ん?
んん?
昨晩、二人の間で何かあった?
待って?
晩って多分、昨日、わたしがお兄様に会った時間より、後よね?
それって、かなり遅い時間なのでは?
それに、『気に入らない決断』て、何?
え?『愛しい私』?
レンさん、そこは、否定しないんだ?
いや……この流れでは出来ないか。
返事をする前に、若干、不自然な間があったしね。
でも……。
まって待って?
ちょっと混乱している。
そもそも、この話、わたしたちが聞いて大丈夫だった?
そう考えているのは、わたしだけでは無いらしく、室内の人たちは皆、そわそわと視線を彷徨わせ始めた。
でも、この状態で、今から聞かない振りって、流石に無理がありすぎる。
レンさんの返答に、気分を良くしたのか、聖女様は小さく鼻で笑うと、『確信を得た!』とばかりに胸を逸らす。
「ふふん。やっぱり貴方からだったのね!トリスタンは、『聖騎士一同より、お疲れの聖女様へ、せめてもの気慰みに』とか言っていたけど、パイ数個の金銭を聖騎士一同で割るとか、普通にあり得ないもの」
「……夜間に甘いものを大量に差し入れるのは、レディーに対する冒涜であると、以前……」
「そんなことは、どうでも良いの。それより、貴方にしては珍しく、気の利いたものを差し入れたじゃない?」
「恐縮です。昨日は、こちらのラルフに、女性に人気のある菓子店へ案内して貰った次第で。事務局にも、多めに差し入れましたので、お気に召したようでしたら、届けるよう伝えますが」
「いいわ。昨日頂いたから。ただ、こちらの使用人に、店舗の情報を伝えておいて頂戴。もちろん、また貴方が買ってきてくれても良いけどね?」
「かしこまりました。伝えておきます。また、お品物は日を空けて、お届けいたします」
「そうしてちょうだい。それで?貴方がラルフね?顔を上げなさい」
急に自分に矛先が向いて、レンさんの横で膝をついていたラルフさんは、ガチガチになりつつ、顔を上げた。
「結構。覚えておきましょう」
「は!ありがとうございます」
ラルフさんは、その場で深くお辞儀をした。
ええと。
えぇ~と?
結局、『差し入れられたパイが、凄く気に入ったから、また買ってきてね!』という、ちょっと曖昧かつ、やたら上から目線のおねだりだったってオチかな?
急激に機嫌を回復したらしい聖女様は、なおも話しを続けるみたい。
瞳を伏せて微笑みながら、人差し指を立てて、得意げに宣う。
「贈り物をするにあたって、お店選びは重要だわ。その点、ラルフは今回良い仕事をしたわね。褒めてあげる。でも、最終的に、メロンのパイに決めたのは、もちろん、レン。貴方なのでしょうね?」
「…………はい」
……今、返事をするまでに、めっちゃ間があった。
聖女様は、そんなこと気にも留めず、何処か、はしゃいだ様子で、前のめりに言葉を続ける。
「やっぱりね!その辺の気の利き方が、恋する男って感じで、可愛げがあるわ。購入する時、さしずめ『私の瞳の色を思い浮かべた』といったところかしら?」
あら。
聖女様は、メロンのパイだったのね。
確かに、早生のメロンが、旬のシーズンに入ったよね。
しかも、ペリドットカラーの瞳の色に合わせてとか、素敵な気遣いだわ。
ところで、先程から聖女様の発言で、ちょくちょく引っかかるのだけど、恋する男?
レンさんが?
何ていうか、ちょっと想像しにくい。
わたしが、思考停止に陥った時、ラルフさんが、ポツリと呟いた。
「あぁ。それで……?」
「ラルフ」
「あ!……すみません」
続く言葉が出る前に、レンさんがラルフさんを静止し、ラルフさんは謝罪の言葉を述べると、口を閉ざす。
レンさんは、普段通り、淡々と言葉を紡いだ。
「聖女様の差し入れに関しましては、色合いや好みなど、細心の注意を払うよう、エンリケ様より承っておりますので……」
「あら。今度はエンリケの手柄にして、照れ隠し?相変わらず、恥ずかしがりだこと。まぁ、貴方は当然分かっていることだものね。どんなに焦がれても、貴方が私と釣り合う日など、一生来ないから」
「…………心得ております」
やはり、微妙な間を空けて、レンさんは答えた。
ええと……。
さっきから、いまいち会話が噛み合って無い気がする。
レンさんは、立場的に否定する事を許されないから、聖女様の話に合わせて、当たり障りのない返事を返している感じだ。
一方の聖女様は、レンさんが彼女に恋焦がれているストーリーを勝手に組み上げて、悦に入っている印象。
ところで、レンさんは、その物語の世界線を前提に、現実世界の今、たくさんの人の前で、告白もしていないのに聖女様から振られた格好なんだけど、一体何の嫌がらせなの?
むかむかしたものが、お腹の辺りから湧き上がってくる。
そもそも、レンさんは、聖女様のことを恋愛的な意味で好きなのかな?
以前、そんな話が出た時に、本人が第一声で、キッパリと『あり得ない』って否定してるのよね。
しかも、聖女様には『寧ろ、嫌われているのでは無いか?』とも言っていた。
今日の聖女様の対応を見れば、そう思ってしまっても無理は無い。
謂れのない事を事実だと吹聴された挙句、大勢の前で貶められたも同然だもの。
聖女様は、一体何を考えて、こんな茶番を?
そんなことを考えて、わたしは、もやもやしていたんだけど、聖女様は、逆に、すっきりした表情になっている。
そこで、唐突に気づいた。
そんな風に思いたくないけど、まさか今のって、彼女なりのストレス解消法なんじゃ?
周囲を見回すと、大半の人が困った表情を浮かべている中、聖女様付きの聖騎士や、聖女様付きの使用人の女性たちは、全く動じていない。
あぁ、つまり、これは今日だけじゃなくて、きっと、日常的に行われているパワハラなんだ。
ひどい。
確かにこの世界は、絶対的な階級が存在するし、ハラスメントなんて概念は無い。
でも、誰であれ、人を人として尊重すべきだという点は、何処でも変わらないと信じたいし、わたしはそういう人でありたいと思う。
苦々しい気持ちで聖女様を見ると、当人は満足した顔でレンさんを見ていた。
「ところで、ここに何か用があったのではなかったの?」
「はい。客人がお帰りになられるので、その旨をご家族の方にお伝えに参りました」
その段になって、聖女様は笑顔を引き攣らせ、目に見えて顔色を青くした。
そう。
聖女様の話を遮るわけにはいかないから、誰も口に出来なかったんだけど、実はここには、わたしの兄という部外者がいる。
聖堂関係者は、聖女様のイメージ悪化イコール、聖堂のイメージ悪化だから、どんなことを言われても呑み込むし、決して他言しないよね。
でも、部外者の口に戸は立てられない。
聖女様は、ようやくそれに気づいたらしく、慌てて、レンさんに言い募る。
「何故、それを早く言わないの?貴方の責任問題よ!」
「申し開きもございません」
でたでた。
結局泥をかぶるのは、常にレンさんなのね。
でもね?
そもそも、口を挟めるわけが無いじゃない!
聖女様のお話を遮る権利は、国王陛下しか持っていないのだから。
もちろん、その部外者は、わたしの生真面目な兄であり、聖女様のイメージ悪化は、わたしの今後のイメージに直結する事を理解しているだろうから、外部で吹聴して歩く心配は無いんだけどね。
焦っている聖女様を見て、少しだけ溜飲が下がる。
でも、このままだとレンさんの立場は、益々悪くなりそう。
その時、快活な声で、兄が言葉を放った。
「恐れながら、聖女様。部外者が、先触れもなくこちらにお邪魔し、かつ、不安にさせましたこと、心よりお詫び申し上げます」
「あら。貴方は以前」
「はい。以前模擬戦でお目にかかりました、王宮所属の騎士でございます」
「英雄のご子息だったわね。ごきげんよう」
「ご無沙汰致しております。記憶に留めて頂き、恐悦至極にございます。聖女様におかれましては、常日頃から高潔かつ清らかで、本日も、下々の者にも配慮の行き届いた対応、素晴らしいと感服致しております」
お兄様っ‼︎
空気読めてる!
流石です!
これで、だいぶ話の流れが変わった。
聖女様も、これなら制御可能と安心したよね。
「そう。ご家族に挨拶に来たのだったわね。では、中へどうぞ。私は、もうこれで、部屋に下がるので、気兼ねなく」
「恐れ入ります。お心遣い、感謝致します」
聖女様は、よそ行きの笑顔で、美しく微笑む。
「では、私はこれで。候補の皆さんは、ゆっくり休憩なさってね?お仕事ご苦労様」
最後になって、ゴリゴリ普段の聖女様キャラに戻してきたけど、わたしの中で崩れてしまった聖女様のイメージは、修復不能に思えた。
聖女様が部屋を出ると、周囲を二人の聖騎士が固め、付いてきた使用人たちも、一斉に戻っていく。
「後で片付けに参りますので、ゆっくりお茶を楽しんでくださいね」
最後に部屋を出たセディーさんは、キラッキラの笑顔でこちらにそう言った後、ちらっとレンさんに視線を向ける。
「ええと、クルスさん。今、少し宜しいですか?」
「ええ。何か?」
「お菓子の件で」
「分かりました。オレガノ様、私は少し外します」
「ああ。構わず行ってやってくれ」
「はい。ラルフ、後を頼む」
「了解っす!」
そんな会話を交わして、レンさんは席を外すみたい。
ところで、レンさんに向けたセディーさんの視線が、ちょっとキツく見えた気がしたけど、気のせい?
その時、お兄様が扉の前で一礼した。
「聖女候補の皆様、お騒がせをして申し訳なかったです。ゆっくりお茶を楽しんで下さい。ローズ、すまないが、少し時間をくれるか?」
「分かりました。お兄様」
確かに、部屋の中で話すことではないものね。
タチアナさんに、兄を紹介することも考えたけど、彼女を見ると、顔を真っ赤に染めて、リリアさんの背後に隠れているようだから、やはり、晩餐会の時にしようと決めた。
心の準備は大切だもの。
部屋を出て扉を閉めると、お兄様が済まなそうに苦笑いをしていた。
「酷いタイミングですまない。これで自分は帰るが、晩餐会の前に会えるかな?」
「日程的には、難しいですね」
「だろうな。分かった。二人には、後日何か奢る予定だ。聖堂には、晩餐会の後に、菓子折りを持って謝罪に来る」
「そうして頂けると助かります」
「ああ。なんか、大変そうだが、頑張ってな」
「はい」
気の毒そうに言われて、こちらも苦笑いになる。
二人を建物の入り口まで送ると、用事を済ませたレンさんが、後方からやって来た。
朝も思ったけど、やっぱり、唇?
少し荒れている。
「レンさん」
「はい?」
「これ、良かったら」
兄が来た時一緒に渡せるように、ポケットに忍ばせていた新品のリップクリームを、そっと手渡す。
途端、レンさんの頬が、珍しくふわっと赤らんで、何故だか鼓動が跳ねた。
「……有難うございます」
口元を手で隠し、視線を下げるレンさん。
その場で一礼し、兄たちの元に向かうみたい。
恥ずかしかったのかな?
自分の顔も熱い気がして、わたしはそっと頬を押さえた。
◆
「先輩、それでチェリーパイにしたのか。ローズさんの髪の色ね……」
ラルフが小さく呟いた声は、誰の耳にも届かなかった。
開口一番、レンさんの服装に苦言を言う聖女様。
ええと……。
確かに、第一ボタンを外して開襟していたり、袖口を無雑作にめくり上げていたりと、多少ラフな印象ではあるかな?
でも、夏場にも関わらず、襟のある白の長袖シャツを着ているわけで、休日の一般の聖騎士さんの服装と比較しても、かなりきちんとしている部類じゃない?
一緒に来ていた二人の服装も、さほど変わらない……どころか、もっとゆるっとしているから、肩身が狭そう。
お兄様は、もしかすると、ラルフさんに服を借りたのかな?
いつもより、幾分マチに余裕がある感じだ。
さておき、個人的に注意を受ける程、レンさんが酷い格好とは思えない。
そもそも、レンさんは、聖女様がこの部屋に来ていることを知り、出直すことを提案するつもりだったんじゃないかな?
つまり、どちらかと言うと礼儀を欠くのは、耳ざとく部屋の外の会話を聞きつけ、自ら出向き、突然扉を開けた聖女様の方な気もしたりして……。
不敬になるから、絶対口に出しては言えないけれど!
レンさんは、特に動じた気配もなく、普段通りの柔らかな声音で謝罪を述べた。
聖女様は、仁王立ちで腕を組みながら、片膝をついて頭を下げたままのレンさんを、見下ろしている。
室内には、気まずい沈黙が流れた。
これはもう、タイミングの悪さを呪うしか無いよね。
お兄様が帰る旨を、わたしに伝えに来ただけなのに……この、わたしから何かアクションを起こしてはいけない空気。
どうしたらいいんだろう。
しばらくの沈黙の後、聖女様は、大袈裟なほどに、深いため息をついた。
室内外の人たちは、思わずビクッと体を震わせる。
一緒に来ていた聖女様付き聖騎士の二人とレンさんは、無反応だったけど……。
もしや、慣れてる?
よくあることなのかな?
なんというか、その、聖女様……絶対怒ってらっしゃるよね?
この部屋に来た当初から、あちこちに突っかかっていたけれど、もしかして、最初から機嫌が悪かったのかな?
でも、いったい何に?
思考を巡らせていると、聖女様が口を開いた。
「それにしても、よくもまぁ、昨日の今日で、私の前に顔が出せたものね。レン?」
え……?
いや。
何度も言うけど、聖女様が、自分から行ったよね?
というか、聖女様の不機嫌の原因、まさかのレンさん?
「昨晩は、貴方のせいで、とても気に入らない決断をする羽目になったわ」
「……はい」
「凄く頭にきたけど、『愛しい私のために、お菓子を差し入れたい』と願う貴方の気持ちは、吝かではないから、仕方が無く、今回は許してあげることに致しましょう」
「…………。有難うございます」
ん?
んん?
昨晩、二人の間で何かあった?
待って?
晩って多分、昨日、わたしがお兄様に会った時間より、後よね?
それって、かなり遅い時間なのでは?
それに、『気に入らない決断』て、何?
え?『愛しい私』?
レンさん、そこは、否定しないんだ?
いや……この流れでは出来ないか。
返事をする前に、若干、不自然な間があったしね。
でも……。
まって待って?
ちょっと混乱している。
そもそも、この話、わたしたちが聞いて大丈夫だった?
そう考えているのは、わたしだけでは無いらしく、室内の人たちは皆、そわそわと視線を彷徨わせ始めた。
でも、この状態で、今から聞かない振りって、流石に無理がありすぎる。
レンさんの返答に、気分を良くしたのか、聖女様は小さく鼻で笑うと、『確信を得た!』とばかりに胸を逸らす。
「ふふん。やっぱり貴方からだったのね!トリスタンは、『聖騎士一同より、お疲れの聖女様へ、せめてもの気慰みに』とか言っていたけど、パイ数個の金銭を聖騎士一同で割るとか、普通にあり得ないもの」
「……夜間に甘いものを大量に差し入れるのは、レディーに対する冒涜であると、以前……」
「そんなことは、どうでも良いの。それより、貴方にしては珍しく、気の利いたものを差し入れたじゃない?」
「恐縮です。昨日は、こちらのラルフに、女性に人気のある菓子店へ案内して貰った次第で。事務局にも、多めに差し入れましたので、お気に召したようでしたら、届けるよう伝えますが」
「いいわ。昨日頂いたから。ただ、こちらの使用人に、店舗の情報を伝えておいて頂戴。もちろん、また貴方が買ってきてくれても良いけどね?」
「かしこまりました。伝えておきます。また、お品物は日を空けて、お届けいたします」
「そうしてちょうだい。それで?貴方がラルフね?顔を上げなさい」
急に自分に矛先が向いて、レンさんの横で膝をついていたラルフさんは、ガチガチになりつつ、顔を上げた。
「結構。覚えておきましょう」
「は!ありがとうございます」
ラルフさんは、その場で深くお辞儀をした。
ええと。
えぇ~と?
結局、『差し入れられたパイが、凄く気に入ったから、また買ってきてね!』という、ちょっと曖昧かつ、やたら上から目線のおねだりだったってオチかな?
急激に機嫌を回復したらしい聖女様は、なおも話しを続けるみたい。
瞳を伏せて微笑みながら、人差し指を立てて、得意げに宣う。
「贈り物をするにあたって、お店選びは重要だわ。その点、ラルフは今回良い仕事をしたわね。褒めてあげる。でも、最終的に、メロンのパイに決めたのは、もちろん、レン。貴方なのでしょうね?」
「…………はい」
……今、返事をするまでに、めっちゃ間があった。
聖女様は、そんなこと気にも留めず、何処か、はしゃいだ様子で、前のめりに言葉を続ける。
「やっぱりね!その辺の気の利き方が、恋する男って感じで、可愛げがあるわ。購入する時、さしずめ『私の瞳の色を思い浮かべた』といったところかしら?」
あら。
聖女様は、メロンのパイだったのね。
確かに、早生のメロンが、旬のシーズンに入ったよね。
しかも、ペリドットカラーの瞳の色に合わせてとか、素敵な気遣いだわ。
ところで、先程から聖女様の発言で、ちょくちょく引っかかるのだけど、恋する男?
レンさんが?
何ていうか、ちょっと想像しにくい。
わたしが、思考停止に陥った時、ラルフさんが、ポツリと呟いた。
「あぁ。それで……?」
「ラルフ」
「あ!……すみません」
続く言葉が出る前に、レンさんがラルフさんを静止し、ラルフさんは謝罪の言葉を述べると、口を閉ざす。
レンさんは、普段通り、淡々と言葉を紡いだ。
「聖女様の差し入れに関しましては、色合いや好みなど、細心の注意を払うよう、エンリケ様より承っておりますので……」
「あら。今度はエンリケの手柄にして、照れ隠し?相変わらず、恥ずかしがりだこと。まぁ、貴方は当然分かっていることだものね。どんなに焦がれても、貴方が私と釣り合う日など、一生来ないから」
「…………心得ております」
やはり、微妙な間を空けて、レンさんは答えた。
ええと……。
さっきから、いまいち会話が噛み合って無い気がする。
レンさんは、立場的に否定する事を許されないから、聖女様の話に合わせて、当たり障りのない返事を返している感じだ。
一方の聖女様は、レンさんが彼女に恋焦がれているストーリーを勝手に組み上げて、悦に入っている印象。
ところで、レンさんは、その物語の世界線を前提に、現実世界の今、たくさんの人の前で、告白もしていないのに聖女様から振られた格好なんだけど、一体何の嫌がらせなの?
むかむかしたものが、お腹の辺りから湧き上がってくる。
そもそも、レンさんは、聖女様のことを恋愛的な意味で好きなのかな?
以前、そんな話が出た時に、本人が第一声で、キッパリと『あり得ない』って否定してるのよね。
しかも、聖女様には『寧ろ、嫌われているのでは無いか?』とも言っていた。
今日の聖女様の対応を見れば、そう思ってしまっても無理は無い。
謂れのない事を事実だと吹聴された挙句、大勢の前で貶められたも同然だもの。
聖女様は、一体何を考えて、こんな茶番を?
そんなことを考えて、わたしは、もやもやしていたんだけど、聖女様は、逆に、すっきりした表情になっている。
そこで、唐突に気づいた。
そんな風に思いたくないけど、まさか今のって、彼女なりのストレス解消法なんじゃ?
周囲を見回すと、大半の人が困った表情を浮かべている中、聖女様付きの聖騎士や、聖女様付きの使用人の女性たちは、全く動じていない。
あぁ、つまり、これは今日だけじゃなくて、きっと、日常的に行われているパワハラなんだ。
ひどい。
確かにこの世界は、絶対的な階級が存在するし、ハラスメントなんて概念は無い。
でも、誰であれ、人を人として尊重すべきだという点は、何処でも変わらないと信じたいし、わたしはそういう人でありたいと思う。
苦々しい気持ちで聖女様を見ると、当人は満足した顔でレンさんを見ていた。
「ところで、ここに何か用があったのではなかったの?」
「はい。客人がお帰りになられるので、その旨をご家族の方にお伝えに参りました」
その段になって、聖女様は笑顔を引き攣らせ、目に見えて顔色を青くした。
そう。
聖女様の話を遮るわけにはいかないから、誰も口に出来なかったんだけど、実はここには、わたしの兄という部外者がいる。
聖堂関係者は、聖女様のイメージ悪化イコール、聖堂のイメージ悪化だから、どんなことを言われても呑み込むし、決して他言しないよね。
でも、部外者の口に戸は立てられない。
聖女様は、ようやくそれに気づいたらしく、慌てて、レンさんに言い募る。
「何故、それを早く言わないの?貴方の責任問題よ!」
「申し開きもございません」
でたでた。
結局泥をかぶるのは、常にレンさんなのね。
でもね?
そもそも、口を挟めるわけが無いじゃない!
聖女様のお話を遮る権利は、国王陛下しか持っていないのだから。
もちろん、その部外者は、わたしの生真面目な兄であり、聖女様のイメージ悪化は、わたしの今後のイメージに直結する事を理解しているだろうから、外部で吹聴して歩く心配は無いんだけどね。
焦っている聖女様を見て、少しだけ溜飲が下がる。
でも、このままだとレンさんの立場は、益々悪くなりそう。
その時、快活な声で、兄が言葉を放った。
「恐れながら、聖女様。部外者が、先触れもなくこちらにお邪魔し、かつ、不安にさせましたこと、心よりお詫び申し上げます」
「あら。貴方は以前」
「はい。以前模擬戦でお目にかかりました、王宮所属の騎士でございます」
「英雄のご子息だったわね。ごきげんよう」
「ご無沙汰致しております。記憶に留めて頂き、恐悦至極にございます。聖女様におかれましては、常日頃から高潔かつ清らかで、本日も、下々の者にも配慮の行き届いた対応、素晴らしいと感服致しております」
お兄様っ‼︎
空気読めてる!
流石です!
これで、だいぶ話の流れが変わった。
聖女様も、これなら制御可能と安心したよね。
「そう。ご家族に挨拶に来たのだったわね。では、中へどうぞ。私は、もうこれで、部屋に下がるので、気兼ねなく」
「恐れ入ります。お心遣い、感謝致します」
聖女様は、よそ行きの笑顔で、美しく微笑む。
「では、私はこれで。候補の皆さんは、ゆっくり休憩なさってね?お仕事ご苦労様」
最後になって、ゴリゴリ普段の聖女様キャラに戻してきたけど、わたしの中で崩れてしまった聖女様のイメージは、修復不能に思えた。
聖女様が部屋を出ると、周囲を二人の聖騎士が固め、付いてきた使用人たちも、一斉に戻っていく。
「後で片付けに参りますので、ゆっくりお茶を楽しんでくださいね」
最後に部屋を出たセディーさんは、キラッキラの笑顔でこちらにそう言った後、ちらっとレンさんに視線を向ける。
「ええと、クルスさん。今、少し宜しいですか?」
「ええ。何か?」
「お菓子の件で」
「分かりました。オレガノ様、私は少し外します」
「ああ。構わず行ってやってくれ」
「はい。ラルフ、後を頼む」
「了解っす!」
そんな会話を交わして、レンさんは席を外すみたい。
ところで、レンさんに向けたセディーさんの視線が、ちょっとキツく見えた気がしたけど、気のせい?
その時、お兄様が扉の前で一礼した。
「聖女候補の皆様、お騒がせをして申し訳なかったです。ゆっくりお茶を楽しんで下さい。ローズ、すまないが、少し時間をくれるか?」
「分かりました。お兄様」
確かに、部屋の中で話すことではないものね。
タチアナさんに、兄を紹介することも考えたけど、彼女を見ると、顔を真っ赤に染めて、リリアさんの背後に隠れているようだから、やはり、晩餐会の時にしようと決めた。
心の準備は大切だもの。
部屋を出て扉を閉めると、お兄様が済まなそうに苦笑いをしていた。
「酷いタイミングですまない。これで自分は帰るが、晩餐会の前に会えるかな?」
「日程的には、難しいですね」
「だろうな。分かった。二人には、後日何か奢る予定だ。聖堂には、晩餐会の後に、菓子折りを持って謝罪に来る」
「そうして頂けると助かります」
「ああ。なんか、大変そうだが、頑張ってな」
「はい」
気の毒そうに言われて、こちらも苦笑いになる。
二人を建物の入り口まで送ると、用事を済ませたレンさんが、後方からやって来た。
朝も思ったけど、やっぱり、唇?
少し荒れている。
「レンさん」
「はい?」
「これ、良かったら」
兄が来た時一緒に渡せるように、ポケットに忍ばせていた新品のリップクリームを、そっと手渡す。
途端、レンさんの頬が、珍しくふわっと赤らんで、何故だか鼓動が跳ねた。
「……有難うございます」
口元を手で隠し、視線を下げるレンさん。
その場で一礼し、兄たちの元に向かうみたい。
恥ずかしかったのかな?
自分の顔も熱い気がして、わたしはそっと頬を押さえた。
◆
「先輩、それでチェリーパイにしたのか。ローズさんの髪の色ね……」
ラルフが小さく呟いた声は、誰の耳にも届かなかった。
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