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第五章

厄介なのは、嫉妬という感情⑶ 聖女様は気紛れ

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(sideローズ)


 開口一番、レンさんの服装に苦言を言う聖女様。


 ええと……。

 確かに、第一ボタンを外して開襟していたり、袖口を無雑作にめくり上げていたりと、多少ラフな印象ではあるかな?

 でも、夏場にも関わらず、襟のある白の長袖シャツを着ているわけで、休日の一般の聖騎士さんの服装と比較しても、かなりきちんとしている部類じゃない?

 一緒に来ていた二人の服装も、さほど変わらない……どころか、もっとゆるっとしているから、肩身が狭そう。

 お兄様は、もしかすると、ラルフさんに服を借りたのかな?
 いつもより、幾分マチに余裕がある感じだ。

 さておき、個人的に注意を受ける程、レンさんが酷い格好とは思えない。


 そもそも、レンさんは、聖女様がこの部屋に来ていることを知り、出直すことを提案するつもりだったんじゃないかな?

 つまり、どちらかと言うと礼儀を欠くのは、耳ざとく部屋の外の会話を聞きつけ、自ら出向き、突然扉を開けた聖女様の方な気もしたりして……。

 不敬になるから、絶対口に出しては言えないけれど!


 レンさんは、特に動じた気配もなく、普段通りの柔らかな声音で謝罪を述べた。

 聖女様は、仁王立ちで腕を組みながら、片膝をついて頭を下げたままのレンさんを、見下ろしている。


 室内には、気まずい沈黙が流れた。

 
 これはもう、タイミングの悪さを呪うしか無いよね。

 お兄様が帰る旨を、わたしに伝えに来ただけなのに……この、わたしから何かアクションを起こしてはいけない空気。

 どうしたらいいんだろう。

 しばらくの沈黙の後、聖女様は、大袈裟なほどに、深いため息をついた。

 室内外の人たちは、思わずビクッと体を震わせる。
 一緒に来ていた聖女様付き聖騎士の二人とレンさんは、無反応だったけど……。

 もしや、慣れてる?
 よくあることなのかな?
 
 なんというか、その、聖女様……絶対怒ってらっしゃるよね?

 この部屋に来た当初から、あちこちに突っかかっていたけれど、もしかして、最初から機嫌が悪かったのかな?

 でも、いったい何に?

 思考を巡らせていると、聖女様が口を開いた。


「それにしても、よくもまぁ、昨日の今日で、私の前に顔が出せたものね。レン?」


 え……?

 いや。
 何度も言うけど、聖女様が、自分から行ったよね?

 というか、聖女様の不機嫌の原因、まさかのレンさん?


「昨晩は、貴方のせいで、とても気に入らない決断をする羽目になったわ」

「……はい」

「凄く頭にきたけど、『のために、お菓子を差し入れたい』と願う貴方の気持ちは、やぶさかではないから、仕方が無く、今回は許してあげることに致しましょう」

「…………。有難うございます」


 ん?
 んん?

 、二人の間で何かあった?

 待って?

 って多分、昨日、わたしがお兄様に会った時間より、後よね?
 それって、かなり遅い時間なのでは?

 それに、『気に入らない決断』て、何?
 え?『愛しい私』?
 レンさん、そこは、否定しないんだ?

 いや……この流れでは出来ないか。
 返事をする前に、若干、不自然な間があったしね。

 でも……。

 まって待って?
 ちょっと混乱している。

 そもそも、この話、わたしたちが聞いて大丈夫だった?
 
 
 そう考えているのは、わたしだけでは無いらしく、室内の人たちは皆、そわそわと視線を彷徨わせ始めた。

 でも、この状態で、今から聞かない振りって、流石に無理がありすぎる。


 レンさんの返答に、気分を良くしたのか、聖女様は小さく鼻で笑うと、『確信を得た!』とばかりに胸を逸らす。


「ふふん。やっぱり貴方からだったのね!トリスタンは、『聖騎士一同より、お疲れの聖女様へ、せめてもの気慰みに』とか言っていたけど、パイ数個の金銭を聖騎士一同で割るとか、普通にあり得ないもの」

「……夜間に甘いものを大量に差し入れるのは、レディーに対する冒涜であると、以前……」

「そんなことは、どうでも良いの。それより、貴方にしては珍しく、気の利いたものを差し入れたじゃない?」

「恐縮です。昨日は、こちらのラルフに、女性に人気のある菓子店へ案内して貰った次第で。事務局にも、多めに差し入れましたので、お気に召したようでしたら、届けるよう伝えますが」

「いいわ。昨日頂いたから。ただ、こちらの使用人に、店舗の情報を伝えておいて頂戴。もちろん、また貴方が買ってきてくれても良いけどね?」

「かしこまりました。伝えておきます。また、お品物は日を空けて、お届けいたします」

「そうしてちょうだい。それで?貴方がラルフね?顔を上げなさい」


 急に自分に矛先が向いて、レンさんの横で膝をついていたラルフさんは、ガチガチになりつつ、顔を上げた。

「結構。覚えておきましょう」

「は!ありがとうございます」


 ラルフさんは、その場で深くお辞儀をした。

 ええと。
 えぇ~と?

 結局、『差し入れられたパイが、凄く気に入ったから、また買ってきてね!』という、ちょっと曖昧かつ、やたら上から目線のおねだりだったってオチかな?

 急激に機嫌を回復したらしい聖女様は、なおも話しを続けるみたい。
 瞳を伏せて微笑みながら、人差し指を立てて、得意げに宣う。


「贈り物をするにあたって、お店選びは重要だわ。その点、ラルフは今回良い仕事をしたわね。褒めてあげる。でも、最終的に、メロンのパイに決めたのは、もちろん、レン。貴方なのでしょうね?」

「…………はい」


 ……今、返事をするまでに、めっちゃ間があった。

 聖女様は、そんなこと気にも留めず、何処か、はしゃいだ様子で、前のめりに言葉を続ける。
 

「やっぱりね!その辺の気の利き方が、って感じで、可愛げがあるわ。購入する時、さしずめ『私の瞳の色を思い浮かべた』といったところかしら?」
 

 あら。
 聖女様は、メロンのパイだったのね。
 確かに、早生のメロンが、旬のシーズンに入ったよね。

 しかも、ペリドットカラーの瞳の色に合わせてとか、素敵な気遣いだわ。

 ところで、先程から聖女様の発言で、ちょくちょく引っかかるのだけど、恋する男?
 レンさんが?
 何ていうか、ちょっと想像しにくい。

 わたしが、思考停止に陥った時、ラルフさんが、ポツリと呟いた。


「あぁ。それで……?」

「ラルフ」

「あ!……すみません」


 続く言葉が出る前に、レンさんがラルフさんを静止し、ラルフさんは謝罪の言葉を述べると、口を閉ざす。

 レンさんは、普段通り、淡々と言葉を紡いだ。


「聖女様の差し入れに関しましては、色合いや好みなど、細心の注意を払うよう、エンリケ様より承っておりますので……」

「あら。今度はエンリケの手柄にして、照れ隠し?相変わらず、恥ずかしがりだこと。まぁ、貴方は当然分かっていることだものね。どんなに焦がれても、貴方が私と釣り合う日など、一生来ないから」

「…………心得ております」


 やはり、微妙な間を空けて、レンさんは答えた。


 ええと……。

 さっきから、いまいち会話が噛み合って無い気がする。

 レンさんは、立場的に否定する事を許されないから、聖女様の話に合わせて、当たり障りのない返事を返している感じだ。

 一方の聖女様は、レンさんが彼女に恋焦がれているストーリーを勝手に組み上げて、悦に入っている印象。

 ところで、レンさんは、その物語の世界線を前提に、現実世界の今、たくさんの人の前で、告白もしていないのに聖女様から振られた格好なんだけど、一体何の嫌がらせなの?

 むかむかしたものが、お腹の辺りから湧き上がってくる。


 そもそも、レンさんは、聖女様のことを恋愛的な意味で好きなのかな?

 以前、そんな話が出た時に、本人が第一声で、キッパリと『あり得ない』って否定してるのよね。
 しかも、聖女様には『寧ろ、嫌われているのでは無いか?』とも言っていた。

 今日の聖女様の対応を見れば、そう思ってしまっても無理は無い。

 謂れのない事を事実だと吹聴された挙句、大勢の前で貶められたも同然だもの。

 聖女様は、一体何を考えて、こんな茶番を?


 そんなことを考えて、わたしは、もやもやしていたんだけど、聖女様は、逆に、すっきりした表情になっている。

 そこで、唐突に気づいた。

 そんな風に思いたくないけど、まさか今のって、彼女なりのストレス解消法なんじゃ?

 周囲を見回すと、大半の人が困った表情を浮かべている中、聖女様付きの聖騎士や、聖女様付きの使用人の女性たちは、全く動じていない。
 
 あぁ、つまり、これは今日だけじゃなくて、きっと、日常的に行われているパワハラなんだ。

 ひどい。

 確かにこの世界は、絶対的な階級が存在するし、ハラスメントなんて概念は無い。

 でも、誰であれ、人を人として尊重すべきだという点は、何処でも変わらないと信じたいし、わたしはそういう人でありたいと思う。
 
 苦々しい気持ちで聖女様を見ると、当人は満足した顔でレンさんを見ていた。


「ところで、ここに何か用があったのではなかったの?」

「はい。客人がお帰りになられるので、その旨をご家族の方にお伝えに参りました」


 その段になって、聖女様は笑顔を引き攣らせ、目に見えて顔色を青くした。

 そう。

 聖女様の話を遮るわけにはいかないから、誰も口に出来なかったんだけど、実はここには、わたしの兄という部外者がいる。

 聖堂関係者は、聖女様のイメージ悪化イコール、聖堂のイメージ悪化だから、どんなことを言われても呑み込むし、決して他言しないよね。

 でも、部外者の口に戸は立てられない。

 聖女様は、ようやくそれに気づいたらしく、慌てて、レンさんに言い募る。


「何故、それを早く言わないの?貴方の責任問題よ!」

「申し開きもございません」


 でたでた。

 結局泥をかぶるのは、常にレンさんなのね。

 でもね?
 そもそも、口を挟めるわけが無いじゃない!
 聖女様のお話を遮る権利は、国王陛下しか持っていないのだから。


 もちろん、その部外者は、わたしの生真面目な兄であり、聖女様のイメージ悪化は、わたしの今後のイメージに直結する事を理解しているだろうから、外部で吹聴して歩く心配は無いんだけどね。

 焦っている聖女様を見て、少しだけ溜飲が下がる。
 でも、このままだとレンさんの立場は、益々悪くなりそう。

 その時、快活な声で、兄が言葉を放った。


「恐れながら、聖女様。部外者が、先触れもなくこちらにお邪魔し、かつ、不安にさせましたこと、心よりお詫び申し上げます」

「あら。貴方は以前」

「はい。以前模擬戦でお目にかかりました、王宮所属の騎士でございます」

「英雄のご子息だったわね。ごきげんよう」

「ご無沙汰致しております。記憶に留めて頂き、恐悦至極にございます。聖女様におかれましては、常日頃から高潔かつ清らかで、本日も、下々の者にも配慮の行き届いた対応、素晴らしいと感服致しております」


 お兄様っ‼︎
 空気読めてる!
 流石です!

 これで、だいぶ話の流れが変わった。
 聖女様も、これなら制御可能と安心したよね。


「そう。ご家族に挨拶に来たのだったわね。では、中へどうぞ。私は、もうこれで、部屋に下がるので、気兼ねなく」

「恐れ入ります。お心遣い、感謝致します」


 聖女様は、よそ行きの笑顔で、美しく微笑む。


「では、私はこれで。候補の皆さんは、ゆっくり休憩なさってね?お仕事ご苦労様」


 最後になって、ゴリゴリ普段の聖女様キャラに戻してきたけど、わたしの中で崩れてしまった聖女様のイメージは、修復不能に思えた。


 聖女様が部屋を出ると、周囲を二人の聖騎士が固め、付いてきた使用人たちも、一斉に戻っていく。


「後で片付けに参りますので、ゆっくりお茶を楽しんでくださいね」


 最後に部屋を出たセディーさんは、キラッキラの笑顔でこちらにそう言った後、ちらっとレンさんに視線を向ける。


「ええと、クルスさん。今、少し宜しいですか?」

「ええ。何か?」

「お菓子の件で」

「分かりました。オレガノ様、私は少し外します」

「ああ。構わず行ってやってくれ」

「はい。ラルフ、後を頼む」

「了解っす!」


 そんな会話を交わして、レンさんは席を外すみたい。

 ところで、レンさんに向けたセディーさんの視線が、ちょっとキツく見えた気がしたけど、気のせい?


 その時、お兄様が扉の前で一礼した。


「聖女候補の皆様、お騒がせをして申し訳なかったです。ゆっくりお茶を楽しんで下さい。ローズ、すまないが、少し時間をくれるか?」

「分かりました。お兄様」


 確かに、部屋の中で話すことではないものね。

 タチアナさんに、兄を紹介することも考えたけど、彼女を見ると、顔を真っ赤に染めて、リリアさんの背後に隠れているようだから、やはり、晩餐会の時にしようと決めた。

 心の準備は大切だもの。


 部屋を出て扉を閉めると、お兄様が済まなそうに苦笑いをしていた。


「酷いタイミングですまない。これで自分は帰るが、晩餐会の前に会えるかな?」

「日程的には、難しいですね」

「だろうな。分かった。二人には、後日何か奢る予定だ。聖堂には、晩餐会の後に、菓子折りを持って謝罪に来る」

「そうして頂けると助かります」

「ああ。なんか、大変そうだが、頑張ってな」

「はい」


 気の毒そうに言われて、こちらも苦笑いになる。


 二人を建物の入り口まで送ると、用事を済ませたレンさんが、後方からやって来た。

 朝も思ったけど、やっぱり、唇?
 少し荒れている。


「レンさん」

「はい?」

「これ、良かったら」


 兄が来た時一緒に渡せるように、ポケットに忍ばせていた新品のリップクリームを、そっと手渡す。

 途端、レンさんの頬が、珍しくふわっと赤らんで、何故だか鼓動が跳ねた。


「……有難うございます」


 口元を手で隠し、視線を下げるレンさん。
 その場で一礼し、兄たちの元に向かうみたい。

 恥ずかしかったのかな?

 自分の顔も熱い気がして、わたしはそっと頬を押さえた。
 




「先輩、それでチェリーパイにしたのか。ローズさんの髪の色ね……」


 ラルフが小さく呟いた声は、誰の耳にも届かなかった。
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