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第五章
警戒していたはずが、気づいた時には籠絡されていたんだ。何が起きたかさっぱりだったが、搦め手などとは全く別の、恐ろしい物の片鱗を見たぜ
しおりを挟む(side オレガノ)
『普段あまりに無表情だから、たまには焦った顔が見てみたい』などと、不届きな事を考えて、今、正に焦った顔をしているのは、自分の方だ。
恩人に無礼を働こうとした、バチなのか。
これを、人はきっと、因果応報と呼ぶのだ……。
目を離すこともできず、呆然と、今起きている事態を眺め、ちょっとだけ後悔した。
いや。でもさ。
プレゼントを渡す相手が、自分の妹とか、普通想像しないだろう?
親しくしているのは分かっていたけど、進展しているなんて、聞いてない!
「あの……これは?」
ローズは、プレゼントの包みとレン君の顔を交互に見ながら、はにかんだ笑みを浮かべつつ、尋ねる。
待て待て。ローズ!
その顔、結構嬉しい時の顔だよな?
え?
待って?
自分は、いったい何を見せられているんだ?
「ランチのお礼が遅くなりました。沢山ご用意頂き、大変だったかと思います。ありがとうございました」
「あ、いえ。あれは、ほんのお礼で!かえって、すみません!」
「いえ、大した物では……お口に合えば良いのですが。ラルフが選びましたので、恐らく大丈夫かと思いますが」
「あ、なるほど!皆さんから?ありがとうございます!ラルフさんも」
「あ~~。いえ!第二南門のところに出来た、ストロベリーハウスって菓子屋さん知ってます?そこのなんですけど」
「わぁっ!知ってます‼︎ 専門の女学生さんが噂していて、でも、中々行く時間もなくて……嬉しい!」
「何よりでした」
「本当にありがとうございます!ジャンカルロさんにも、宜しくお伝え下さい」
「はい」
弾むような声で、嬉しそうにお礼を言うローズと、僅かに目を細めるレン君を見ながら、こっそりと小さく息をおとす。
なんだ。
ただのお礼、しかも複数人からか。
それなら、最初からそう言ってくれれば、こんなに気を揉まずに済んだのに。
自分で勝手に早とちりして、焦っていたわけだが、ホッとしたついでに心中でこっそり悪態をついた。
これで安心して粥が食べれる、と思ったのも束の間。
「あ。そうでした。これを」
ローズが、ポケットから手紙を取り出して手渡すのを見て、むせてしまった。
「え?お兄様?大丈夫です?」
「っけほっ!大丈夫って、おまえなぁっ」
何を、平然と手渡しているんだ!
そも、手渡しできる距離に住んでいて、文通も有るまい?
こちらの顔を見て、何となく言い分を理解したらしいローズは、かぁっと顔を赤くした。
え?
何?その反応。
まさか、本当に?
「お兄様が、何を勘違いされているか知りませんが、これはお兄様から預かった物です!」
あ……。
言われてみれば、見覚えのある封筒だ。
なんだ。
また早とちり。
がっくり項垂れていると、ローズは、視線をレン君に戻したようだ。
「今日、兄から預かったのですが、まさかこんなことになると思わなくて。間接的なお届けで、すみません」
「いえ。イレギュラーなことでしたでしょうから。確かに受け取りました」
「はい。では、おやすみなさい!」
「お休みなさい。ラルフ。大分暗くなって来たから、寮まで頼む」
「お任せください!」
にこにこ笑顔のラルフ君が、ぽんっと胸を叩いて部屋を出ると、レン君は施錠して、デスク前の椅子に腰を下ろした。
何となく気まずくて、黙々と粥を食べ進めていると、視線を感じたので顔を上げる。
「中を確認させて頂いても?」
「ああ。旅団員から渡されたんだが、『確実に届けてくれ。出来たら良い返事を貰ってきてくれ』と、何故か懇願された」
「懇願ですか?」
レン君は、デスク上からペーパーナイフを取り出すと、慣れた手つきで封蝋を外した。
入っていた便箋は複数枚、別々に折られている。
彼は、それぞれにざっと目を通し、最後に招待状の厚紙を確認すると、目を閉じて眉間を押さえた。
「なるほど。オレガノ様は、参加なさるんですね」
「え?あぁ。一応」
多分、招待状は、自分が受け取った物と同じだろう。
最も、自分のものには、添状が付いていただけだったが。
「本当は、当日に祝ってやりたかったようだが、無理そうだったから」
「その節は、ご迷惑を」
「いやいや」
「誘って頂くのは光栄ですが、私の様な者が参加しても、場がシラけるだけかと……」
「いや。寧ろ、君が来ないと始まらないんじゃないか?」
つまりは、模擬戦の祝勝会と慰労会の招待状だ。
模擬戦当日、中々帰らない旅団員を宥めるために、『後日にしたら?』と提案して、自分もしっかり巻き込まれてしまった。
そういった席が嫌いではないので、二つ返事で参加を決めたのだが、どうやら、レン君は乗り気じゃなさそうだな。
「実は、少し前に同様の手紙を頂き、遠慮させて頂いたのですが……」
「あぁ。確かに酒宴だしなぁ。酒が飲めなきゃ、面白く無いか……」
酒が飲める年齢で無ければ、酔っ払いに絡まれるだけで、苦行かもしれない。
普段の発言から、年はそれほど変わらないと思っていたが、寝顔を見た感じだと、二つ三つ下だろう。
そう思っての返答だったが、意外な返事が返って来た。
「一応、飲めますが?」
「は?」
「今月、二十になりましたので」
「え?……タメ?」
「そうなんですか?」
「あぁ。自分も今年の春に。なんだ、ほとんど変わらないじゃないか」
童顔なんだな。
心中で、こっそりと付け足したのは内緒だ。
レン君は、腕を組んで暫く考えこんでいた様だったが、
「分かりました。参加します」
小さくそう言うと、デスクを解錠して封筒を取り出し、直ぐに返信の作業に取り掛かるようだ。
声音が、微妙に諦めの色を含んでいた気がしたのは、多分気のせいだろう。
……うそ。
何か、ごめんな?
もしかしなくても、自分経由で回ってきたから、断り難いことになっているに違いない。
申し訳ないやら気まずいやらで、その後は黙々と粥を食べた。
しかし、これ。
ホントに美味いんだが?
酔った後に乳製品って、無いと思っていたけど、全然有りだ。
パンはぷりぷりと弾力があり、味付けも甘すぎず、遠くに僅か塩味を感じる。
これなら、幾らでもいけそうだ。
食べ終えてレン君を見ると、気配に気付いて、こちらに顔を向けてくれる。
返信用の封筒には、既に封蝋が施されているようだ。
トレーを取りに来てくれたので、礼を言って手渡した。
「ありがとう。凄く美味かった。作ってくれた人に、お礼を言っていたと伝えてくれないか?」
「礼には及びません。厨房にある物で作っただけですので、お気になさらず」
ん?
この言い方って、まさか……?
「君が?」
「祖父が酒に酔った時に、よく、これが食べたいと言っていたので。お口に合えば、何よりでした」
「そうか。ありがとう」
「いえ。……落ち着かれたら、ゆっくりお休みください。この後私は、所用で部屋を空けますが、ラルフが来てくれることになっていますので、何か御用がありましたら遠慮なく申し付けて下さい」
レン君は、僅かに目元を和らげた。
いやいや、ちょっと待って?
何なの、この子!
武術のみならず、料理まで?
しかも、部屋を見れば清潔に整っているし、それに加えて、全方位に向けられる、この優しい気遣い。
何なら、いつでも嫁に行けるんだが?
今日一日、貴族連中に振りまわされて、心が荒んでいたからか、思わず本気で考えてしまった。
ローズ。
お兄ちゃんは、レン君なら、弟になるのも吝かでは無いぞ‼︎
◆
(side ローズ)
聖騎士寮を出て、鍛錬場の通路でミゲルさんと別れた。
ミゲルさんは、事務局に戻り、今日出来なかった分の仕事を終わらせるそう。
『大変ですね』と、声をかけると、『マルコに比べれば、随分気楽だ』と、苦笑混じりに答えた。
マルコさんは、まだ、スティーブン様と話し合いをしているらしく、状況が許せば、この後、聖女様と話し合いらしい。
聖女様のお気持ちを考えたら、今日の今日で、ダミアン様の兄弟に会うというのは、キツイ気がするけれど、スティーブン様のキャラを考えると、案外何とかしてしまう気もしている。
わたしに出来ることと言ったら、聖堂職員の被害が少ないことを女神様に祈ることくらいだけど、結論を出すのは、女神様の声を聴くと謳われている、聖女様本人なので、わたしの祈りに果たして意味があるのか、かなり怪しいところね。
ラルフさんは、引き続き、わたしを女子寮の入り口まで送ってくれるそう。
夏は日が長いから、もうすぐ午後八時になろうとしているのに、まだ完全に暗くならない。
だから、そんなに心配しなくても大丈夫!と思うのだけど、聖堂の職員や聖騎士さんは、超が付くほど過保護に警戒してくれる。
有難いけど、少しくすぐったい。
二人で入り口に向かいつつ、わたしは、胸元に大事に抱えていた、小さな紙袋に視線を落として、頬を弛めた。
白地に赤とピンクのストライプ柄は、乙女心をくすぐる何かがあるよね?
「ふふっ」
「どうしました?」
思わず笑いが溢れてしまって、それに気づいたラルフさんが、笑顔で聞いてきた。
「いえ。こんなことを言ったら失礼ですけど、レンさんと、この紙袋は、ギャップがありすぎて、逆に可愛かったな、と」
「ああっ。確かに」
ラルフさんは、愉快そうに笑った。
「先輩、そういうの無頓着ですけど、街を歩いてる最中、『可愛いっ!』って声、聞こえましたよね。結構。ヒソヒソって」
「やっぱり、レンさん人気あるんですね」
「あー。まぁ、そうですね。黒髪は、この辺で見かけない分目立ちますし、補助とは言え、聖女様付きですし」
「確かにそうですね」
私は、苦笑いになりそうな顔を、無理矢理普通の笑顔に作り変えた。
聖女様……。
例の、絵巻物のようなお姫様抱っこを思い出してしまい、慌てて頭を振る。
モヤモヤすることは、考えないに限るよね。
そんなことよりも、今は、このお菓子のお礼を考えよう。
お礼のお礼のお礼って、もはや無限ループだけど、嬉しい気分にして頂いたんだから、ちゃんと何か、お返しがしたい。
「ええと。お返しをしたいんですが、ラルフさんは、何か食べたい物とかありますか?レンさんは、甘くない物が良いから。そうだ!今度夜勤の時に、お夜食を差し入れても良いでしょうか?」
「え?それは嬉しいですが、そんなに気を使わなくても良いんですよ?」
「いえいえ!これを開けるの、今からすっごく楽しみなんですよ?お礼くらいさせて下さい!」
「はぁ。お礼だから良いのに」
ラルフさんは苦笑混じりにそう言ったけど、やっぱりそう言う物じゃ無いよね。
レンさんは、マヨネーズが気に入っていたみたいだから、次はポテサラもありかしら?
まるパンに挟んで、手軽に食べれるようにすれば、良いかもしれない。
ラルフさんやニコさんたちも、きっと食べてくれるから、多めに用意して!
お菓子も少し有るといいかな?
ジャンカルロさんは、どうしよう。
彼は、舌が肥えていそうだから……。
「ジャンカルロさんは、どういう物がお好きなんでしょうね?」
ウキウキしながら尋ねたのだけど、
「え?あぁ~。そうですね……」
ラルフさんは、苦笑い気味にそう言うと、何か考えるように視線を下げて、しばし沈黙する。
あれ?
わたし、何か、不味いことを聞いたかしら?
しばらくして、彼は眉間に皺を寄せつつ、右手で自分のふわふわな前髪を、くしゃくしゃと掻き混ぜ、大きく溜息をついた。
「はぁぁぁっ。先輩も人が良すぎだけど、オレも大概だわ」
丁度、入り口に着いたところだったので、彼はそこで立ち止まり、わたしに向かって、困ったように微笑んだ。
「ローズさん。そのお菓子の件、ジャンカルロには、お礼言わなくて良いですからね?」
「え?」
「先輩、自分の手柄を、平気で人に譲っちゃうところあるんで」
「はぁ」
「確かに、差し入れを買ったついでではあったんですけど、それ、買うって言い出したの先輩で、金出したのも先輩ですから。先輩個人からの贈り物と思って貰っていいです」
「え?でも……」
「気に入って貰えるような店を紹介した上、同行して、美味しそうな物を選んだって分の手柄なら、オレは喜んで頂きますけど、ジャンは、まじで関係してないんで!……突然お礼言われたら、多分びっくりするし、何か頂いたら、アイツ勘違いすると思います」
「はぁ……」
「そういうことなんで、お礼は先輩だけで十分ですから!まぁ、ついでに頂く分には、オレは喜んで、ですけどね?」
最後は少しおどけて、ラルフさんは、困ったように笑った。
「さて。それじゃ、オレ戻りますね。早く交代しないと、先輩が、夕飯食いっぱぐれるんで」
「それはいけないですね!送って頂き、ありがとうございました。ご迷惑をお掛けしますが、兄のこと、宜しくお願いします」
「お任せ下さい!それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
挨拶を交わすと、ラルフさんは、くるりと踵を返し、軽い足音を立てながら、聖騎士寮へと駆けて行った。
遠のく背中が見えなくなるまで見送ってから、わたしは寮に入った。
そのまま、足早に自室へと向かい、最後は駆け込む勢いで中に入ると、扉を閉めて、その場にしゃがみ込む。
何だろう。
少し動悸がする。
『みんなから』じゃ無かったの?
だったら、あの時言ってくれれば。
いいえ。
わたしが、勝手に勘違いしたせいだ。
でも、いつも周りに気を配っているレンさんのことだから、この贈り物に深い意味なんて、きっと無い。
差し入れを買ったついでだと、ラルフさんも言っていたし。
分かっているけど、何だか気持ちがふわふわして、安定しない。
何かしら?
この感じ。
甘いものを食べたら、少しは落ち着くかな?
思い立って、お湯を沸かしつつ、紙袋を開けた。
手の平にのるサイズのチェリーパイは、見た目にも可愛らしく美味しそうで、お茶を淹れる前だったけど、思わず一口。
ふわりと鼻腔をくすぐるチェリーの香りと、僅かな酸味、それから……。
「甘い」
口からこぼれ落ちた言葉は、静かな室内に溶けて消えた。
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