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第五章
聖堂でのドタバタ劇
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(side ローズ)
馬車を降りて蹲っているお兄様をみつけたレンさんは、すぐさま駆け寄り、跪いて様子を確認している。
「これは……酒?」
彼は、小さくそう呟いた後、馬車を見上げた。
その視界に、丁度お兄様の後に続こうと馬車の戸口に立っていた、わたしが入った。
目があった瞬間、その黒い双眸は大きく見開かれ、ひゅっ、と、息を吸い込む音が小さく聞こえた。
殆ど感情が表に出ない彼が、珍しく見せた驚愕の表情。
直後、彼は顔を伏せた。
そのまま、普段聞かないような低めの硬質な声音で、早口に告げる。
「恐れながら申し上げます。ローズマリー様。直ぐに馬車の奥へ」
何を言われたのか一瞬理解できなくて、わたしは、その場に立ち尽くしてしまう。
ジェフ様が、そんなわたしの手をひき、奥の席に座らせてくれた。
近くにいたアメリさんが、入り口にカーテンをかけ、中を隠してくれる。
そこで、ようやく自分の失敗に気付き、わたしは頭を抱えた。
しまった!
お兄様を介抱しなければと、つい、いつもの感覚で外に出ようとしてしまったけど、今、わたしドレスだった。
いったい、何をやっているの⁈
突然、日中の聖堂前に、高級な馬車が停まっただけでも珍しいのに、馬車から酔っ払いの令息が転がり出て来た上、令嬢まで下りて来た。しかも、庶民からすれば派手なドレス姿で。
失態だわ。
だから、ジェフ様は、わたしが立ち上がった時に、止めて下さったのね。
しかも、この馬車は紋章入りだから、その失態を被るのは、ドウェイン家。
サーっと、血の気が引いていくのがわかった。
うぁぁ。さいあく!
「すみません!ジェフ様。わたし」
「大丈夫。オレガノ様を心配するのは、妹として当然なんだから、君に落ち度は無いよ」
「ですが、ドウェイン家にご迷惑を」
「気にしないで?ローズちゃんに迷惑をかけられるなら、本望だよ。それに……もう、話もついたようだ」
微かに震える手に、ジェフ様は、そっとハンカチを渡してくれた。
馬車の外では、アメリさんがレンさんに事情を説明していたようで、双方話がついたのか、ラルフさんを含めた三人でこちらにやって来た。
お兄様の横には、ジェフ様の屈強な護衛の方が付いてくれている。
馬車の入り口の前に立つと、アメリさんが小声で告げた。
「直接お話しになりますか?」
「そうだね。……レンさん、ご無沙汰しています。突然のことに、速やかに対応して頂き、感謝します」
「いえ、ジェファーソン様。聖女候補、並びにその家族を送り届けて頂き、こちらこそ感謝致します」
馬車の外と中から、カーテン越しに淡々と話す二人。
「今後のことですが、オレガノ様は、私が目立たぬように、聖堂へお連れします。ローズマリー様につきましては、広場を歩かせる訳には参りませんので、当初の予定通り、裏門までお願い出来ますでしょうか?また、不躾ではありますが、聖騎士を一人、馬車に同乗させます。聖女候補の危険回避並びに、風評被害防止の観点から、お許し頂きたく」
「分かりました」
「感謝致します。ラルフ。頼む」
「了解です。失礼します」
アメリさんが、細くカーテンを開けると、ラルフさんは、軽い身のこなしで馬車に乗り込んできた。
ジェフ様は、自分の横に座るよう手で示し、ラルフさんは、恐縮するように頭を下げると、着席する。
お兄様は、レンさんとジェフ様の護衛の方に両脇から支えられて、路地へと入っていった。
裏道から、聖堂の職員通用口に回るのかもしれない。
馬車が動きだしたので、わたしは、ラルフさんに向かって頭を下げた。
「ラルフさん、ご迷惑をおかけして、すみません!」
「いえいえ。迷惑なんて。っと、失礼。お話しする許可を頂けますでしょうか?サー?」
普段通りに、茶目っ気たっぷりに微笑んだ後、ラルフさんは、慌てたように姿勢を正して、隣に座るジェフ様に許しを乞う。
そういえば、ラルフさん、私服だわ。
午後から休みだったのね。
そうなると、扱いは庶民。
貴族の所有する馬車で、自由に振る舞うのは、礼儀に反する。
「平常通りで構いませんよ。ええと、ラルフさんでしたか?僕からもお礼を。停車直後に駆け付けて下さり、助かりました」
「いえ。オレらも、丁度、帰る途中で。城壁伝いに街道を歩いていたんです。そしたら、横を通過した馬車が、急にペースを落としたんで、何かあったかもしれないと、先輩……クルスが。馬車にも見覚えがあったようで」
「なるほど。流石の機転だな」
「お陰で、助かりました。ありがとうございました。お休みなのに、申し訳ないです」
わたしが頭を下げると、ラルフさんは手を振る。
「聖騎士として、当然の事ですから!お気になさらず」
「でも……」
硬い声音で呼ばれた、愛称ではないファーストネームが、まだ耳に残っている。
レンさんは、あの状況を見て、どう思ったんだろう?
「こんな格好で、外に飛び出そうとして、全く短慮でした。ジェフ様にも、聖堂の皆様にも、申し訳なくて……」
「あぁ。凄く綺麗で、びっくりしました。一瞬、女神が舞い降りたかと思いましたよね!観光客も、顔を赤らめて、ぽーっとしてましたよ」
「え?」
予想外の返しに、頬が熱くなる。
すると、ジェフ様が小さく咳払いをして、話に割り込んだ。
「ラルフさん。通常通り話すのは構いませんけど、ここで口説くのは止めて貰えませんか?」
「いえ。一般人から見ての、純粋な反応ですよ?改めて今見ても、本当に綺麗です。あの場にいた誰もが、そう思ったんじゃ無いかな?オレ、先輩が固まるところ、初めて見ましたし」
「……へぇ?そうなんですか?」
「ええ。基本、表情が動くのも珍しいくらいですから」
問うジェフ様に、クスクス笑いながら、答えるラルフさん。
「考えなしの行動に、呆れられたのだと思います。お恥ずかしい限りです」
「そうかな?……あぁ。あれか。ええと、言い方がキツくなったのは、ローズさんを守るためだと、考えてあげて下さい。聖女候補は、そうでなくとも狙われることのある立場ですが、貴族出身となると、その危険度は、更に増しますので」
「え?」
「そうじゃなくても、ローズさんは目立つのに、先ほどのドレス姿を見れば、近隣で見知っている人間は、気付きます。赤毛の聖女候補は、貴族出身だと」
「はい」
「なので、出来るだけ早く隠したかった。結果、厳し目の声が出た、ってとこだと思います。実はオレも、それに気付いたの、馬車に乗ってからで。最初は『ローズさんが綺麗すぎるからって、思わずぶっきらぼうな対応になるとか、子どもか!』なんて、思っちゃってましたけど」
「いえ。レンさんに限って、そんなことは……前者の予想で、合っているかと」
「ふぅん。そうなんだ?」
ジェフ様は、目を細めると、少し考えるように顔の前に手を持ってくる。
確かに、彼にしては珍しく、驚いているように見えたけど、それだけだった気がする。
それに、レンさんは……。
不意に、聖女様を抱き上げて進む姿が思い出されて、胸がざわついた。
あの美しい聖女様にしがみつかれても、彼は全く動じなかったのよ?
わたしのような小娘のドレス姿なんて、興味があるとも思えない。
小説の中でも、レンさんが聖女に興味を示している描写は、無い。
そんなわたしの様子を、無言で眺めながら、ジェフ様が、ぽつりと呟く。
「ま。その後の対応考えれば、あくまで職務ってことかな?ラルフさんに、こちらを任せるくらいだから?」
「…………。まぁ、その辺は、ご想像にお任せしますけど。あぁ~。そうか。俯いていたから、上からは、先輩の顔、見えなかったですもんね?」
ニヤリと、何故か人の悪い笑みを浮かべながら、思わせぶりなことを言う、ラルフさん。
ジェフ様は、僅かに眉を動かしたけど、直ぐに、いつもの軽薄な笑みに戻った。
「あれ?ラルフさんて、思ったより人が悪いなぁ」
「そうですか?人畜無害なところが、売りなんですけど」
あれ?
何だか、微妙な雰囲気に?
ジャンカルロさんの時もそうだったけど、ラルフさんて、ごく稀に喧嘩腰になるよね?
普段は、本当に人畜無害なのに。
それだけ、先輩に対する尊敬の念が強いということなのだろうけど。
まぁ、不敬にならない程度に収まっているところが、さすがなんだけどね?
馬車が裏門の前で停車すると、ラルフさんは、するりと外に出て、門を守る聖騎士に話を通してくれた。
ゆっくりと門が開き、馬車はロータリーへと進む。
そして、事務局前の馬車停りに停車すると、アメリさんが扉を開けてくれた。
事務局前で待っていたのは、先ほどお兄様を抱えてくれていた、屈強な護衛さん。
お兄様は、救護室で休んでいると伝えてくれた。
聖堂の判断では、どうやら、お兄様を直ぐに馬車に乗せて帰らせるのは難しいそうで、状態が落ち着くまでは、聖堂で預かることになったらしく、ジェフ様とは、ここでお別れとなった。
「それじゃぁ、ローズちゃん。今日は楽しかった。また連絡するよ」
「はい。色々ご迷惑をおかけしました。本当に有難うございました」
ジェフ様にお礼を言って、護衛の方の手を借りつつ、馬車から下り立つ。
その時、丁度、事務局から出てきた人と目が合った。
「あらまぁ!ローズマリー様?なんて可愛らしいの!」
「っ!ごきげんよう」
「ええ。ごきげんよう……って……ちょっと。その馬車、ジェフじゃないの?あぁもう。一体、ベルは何をやってるのよ!どの子も、好き勝手動いて!全く‼︎ 私を、胃炎にさせる気なのっ⁈」
最初はにこやかに挨拶をして下さったけど、その笑顔は、じわじわと引き攣り笑いに変わった。
最終的に、長い前髪をぐしゃりとかき混ぜ、馬車に向かって突進して来たのは、スティーブン様。
「大丈夫?何もされなかった?」
「もちろんです!とても紳士的で……」
「それなら良かったけど。ジェフ?ちょっと下りて来なさい!貴方ねぇ、人の忠告を聞く気は無いの?全く。貴方たちは……ダミアンと言い、フランと言い……!」
馬車に向かって、般若の表情でスティーブン様が声をかけると、苦笑いを浮かべながら、ジェフ様も外に出て来た。
「これは、ステファニー様。交渉は上手くいきましたか?」
「イヤだわ。貴方には伝え無いように言いつけたのに、何故知っているの?」
「僕、情報収集って、結構得意なんですよ」
「それは、知っているけど……。あらやだ!全く。油断も隙もない。話を変えて煙に巻こうったって、そうはいかないわよ?」
「それに関しては濡れ衣ですよ。僕が、ステファニー様に逆らうわけ無いじゃないですか。今回は、『英雄のご兄妹を、安全に住まいまで送り届ける』大役を任されただけです」
「あら?オレガノ君もいるの?中に?」
スティーブン様は、一瞬、顔に喜色を浮かべて馬車の中を覗き込み、中がカラなことを確認すると、今度はプンプンと怒りながら声を上げた。
「いないじゃないの!まさか、彼女と二人きりになるために、先に王宮に寄ったの?」
あら……。
前回何となくそんな気がしていたけど、お兄様、スティーブン様に、大分気に入られているよね。
って、今はそんな場合じゃ無いわ。
誤解を解かないと!
「あの、実は、兄は先に聖堂の中に。酔って体調を崩しまして」
「まぁ。それは、いけないわねぇ。救護室かしら?早速会いに……」
「その分だと、もう決着はついたんですか?」
「これから大詰めよ!ああ、もう!」
呆れた様にジェフ様が尋ねると、スティーブン様は、芝居がかった仕草で情緒不安定を表現しながら、大きくため息をつく。
スティーブン様は、多分、ダミアン様の尻拭いに見えられたのよね?
ああいった弟を持つと、苦労なさるんだろうな。
処分は、一体どうなるのかしら?
大詰めと仰っていることからして、あまり良い感触では無いのかもしれない。
「癒し……何か癒やしが必要だわ。やっぱり、救護室で添い寝を……」
仄暗い顔で、ブツブツと呟くスティーブン様。
お兄様!
骨は拾います!
冷や汗をかきながら、そんなことを考えた時だった。
「アメリさーん。裏門で手続き済ませときましたけど、オレガノ様は、どうなりそうです?ざっとで良いんですが、滞在時間を書かなきゃなんで……」
馬車の向こうから、のんびりとした声が聞こえて、スティーブン様の耳が、ぴくりと動いた様に見えた。
書類を手に、後頭部を掻きながら、こちらにやって来たラルフさんを発見すると、スティーブン様は目を輝かせ、両腕を開く。
「ラルフ君!こんなところで、また会えるなんて、奇跡!」
ラルフさんは、その声でスティーブン様の存在に気付き、顔を青ざめさせて後ずさった。
「いえ。オレは、いつもここにいるんで、奇跡とか無いです!」
「奇跡!食事に行きましょう」
「いえ、お気持ちだけで!」
あらら。
ラルフさんも、ロックオンされていたのね。
一定の距離をとって、それ以上近づかないラルフさん。
「ユーリーに聞いたわよ?腹ペコ君ってあだ名!今度、公爵家のディナーに招待しちゃおうかしら?」
「ユーリーさん、マジありえねぇ」
ラルフさんの顔が、引き攣るのが見えた。
「良いですね。ステファニー様が、今抱えている問題を無事解決出来たら、ご褒美として、一緒に食事して貰えばいいんじゃないですか?」
笑みを浮かべて、無責任な提案をしたのはジェフ様。
先ほどの仕返しかな?
「あら。それなら俄然やる気が湧いて来るわね!」
「あの、それ。オレに何かメリットあります?」
「美味しい食事を、心ゆくまで存分に楽しめるわよ?」
「あれ?めっちゃ良い提案に聞こえる?」
どこまでが本気なのか分からないけど、スティーブン様にとっては、今の会話が気分転換になったみたい。
「それじゃ、もう一踏ん張り、頑張って来るわ」
彼は微笑むと、男性従業員の寮へ向かった。
わたしは、ジェフ様を見送ると、ラルフさんと一緒に、お兄様のいる救護室ヘ急いだ。
馬車を降りて蹲っているお兄様をみつけたレンさんは、すぐさま駆け寄り、跪いて様子を確認している。
「これは……酒?」
彼は、小さくそう呟いた後、馬車を見上げた。
その視界に、丁度お兄様の後に続こうと馬車の戸口に立っていた、わたしが入った。
目があった瞬間、その黒い双眸は大きく見開かれ、ひゅっ、と、息を吸い込む音が小さく聞こえた。
殆ど感情が表に出ない彼が、珍しく見せた驚愕の表情。
直後、彼は顔を伏せた。
そのまま、普段聞かないような低めの硬質な声音で、早口に告げる。
「恐れながら申し上げます。ローズマリー様。直ぐに馬車の奥へ」
何を言われたのか一瞬理解できなくて、わたしは、その場に立ち尽くしてしまう。
ジェフ様が、そんなわたしの手をひき、奥の席に座らせてくれた。
近くにいたアメリさんが、入り口にカーテンをかけ、中を隠してくれる。
そこで、ようやく自分の失敗に気付き、わたしは頭を抱えた。
しまった!
お兄様を介抱しなければと、つい、いつもの感覚で外に出ようとしてしまったけど、今、わたしドレスだった。
いったい、何をやっているの⁈
突然、日中の聖堂前に、高級な馬車が停まっただけでも珍しいのに、馬車から酔っ払いの令息が転がり出て来た上、令嬢まで下りて来た。しかも、庶民からすれば派手なドレス姿で。
失態だわ。
だから、ジェフ様は、わたしが立ち上がった時に、止めて下さったのね。
しかも、この馬車は紋章入りだから、その失態を被るのは、ドウェイン家。
サーっと、血の気が引いていくのがわかった。
うぁぁ。さいあく!
「すみません!ジェフ様。わたし」
「大丈夫。オレガノ様を心配するのは、妹として当然なんだから、君に落ち度は無いよ」
「ですが、ドウェイン家にご迷惑を」
「気にしないで?ローズちゃんに迷惑をかけられるなら、本望だよ。それに……もう、話もついたようだ」
微かに震える手に、ジェフ様は、そっとハンカチを渡してくれた。
馬車の外では、アメリさんがレンさんに事情を説明していたようで、双方話がついたのか、ラルフさんを含めた三人でこちらにやって来た。
お兄様の横には、ジェフ様の屈強な護衛の方が付いてくれている。
馬車の入り口の前に立つと、アメリさんが小声で告げた。
「直接お話しになりますか?」
「そうだね。……レンさん、ご無沙汰しています。突然のことに、速やかに対応して頂き、感謝します」
「いえ、ジェファーソン様。聖女候補、並びにその家族を送り届けて頂き、こちらこそ感謝致します」
馬車の外と中から、カーテン越しに淡々と話す二人。
「今後のことですが、オレガノ様は、私が目立たぬように、聖堂へお連れします。ローズマリー様につきましては、広場を歩かせる訳には参りませんので、当初の予定通り、裏門までお願い出来ますでしょうか?また、不躾ではありますが、聖騎士を一人、馬車に同乗させます。聖女候補の危険回避並びに、風評被害防止の観点から、お許し頂きたく」
「分かりました」
「感謝致します。ラルフ。頼む」
「了解です。失礼します」
アメリさんが、細くカーテンを開けると、ラルフさんは、軽い身のこなしで馬車に乗り込んできた。
ジェフ様は、自分の横に座るよう手で示し、ラルフさんは、恐縮するように頭を下げると、着席する。
お兄様は、レンさんとジェフ様の護衛の方に両脇から支えられて、路地へと入っていった。
裏道から、聖堂の職員通用口に回るのかもしれない。
馬車が動きだしたので、わたしは、ラルフさんに向かって頭を下げた。
「ラルフさん、ご迷惑をおかけして、すみません!」
「いえいえ。迷惑なんて。っと、失礼。お話しする許可を頂けますでしょうか?サー?」
普段通りに、茶目っ気たっぷりに微笑んだ後、ラルフさんは、慌てたように姿勢を正して、隣に座るジェフ様に許しを乞う。
そういえば、ラルフさん、私服だわ。
午後から休みだったのね。
そうなると、扱いは庶民。
貴族の所有する馬車で、自由に振る舞うのは、礼儀に反する。
「平常通りで構いませんよ。ええと、ラルフさんでしたか?僕からもお礼を。停車直後に駆け付けて下さり、助かりました」
「いえ。オレらも、丁度、帰る途中で。城壁伝いに街道を歩いていたんです。そしたら、横を通過した馬車が、急にペースを落としたんで、何かあったかもしれないと、先輩……クルスが。馬車にも見覚えがあったようで」
「なるほど。流石の機転だな」
「お陰で、助かりました。ありがとうございました。お休みなのに、申し訳ないです」
わたしが頭を下げると、ラルフさんは手を振る。
「聖騎士として、当然の事ですから!お気になさらず」
「でも……」
硬い声音で呼ばれた、愛称ではないファーストネームが、まだ耳に残っている。
レンさんは、あの状況を見て、どう思ったんだろう?
「こんな格好で、外に飛び出そうとして、全く短慮でした。ジェフ様にも、聖堂の皆様にも、申し訳なくて……」
「あぁ。凄く綺麗で、びっくりしました。一瞬、女神が舞い降りたかと思いましたよね!観光客も、顔を赤らめて、ぽーっとしてましたよ」
「え?」
予想外の返しに、頬が熱くなる。
すると、ジェフ様が小さく咳払いをして、話に割り込んだ。
「ラルフさん。通常通り話すのは構いませんけど、ここで口説くのは止めて貰えませんか?」
「いえ。一般人から見ての、純粋な反応ですよ?改めて今見ても、本当に綺麗です。あの場にいた誰もが、そう思ったんじゃ無いかな?オレ、先輩が固まるところ、初めて見ましたし」
「……へぇ?そうなんですか?」
「ええ。基本、表情が動くのも珍しいくらいですから」
問うジェフ様に、クスクス笑いながら、答えるラルフさん。
「考えなしの行動に、呆れられたのだと思います。お恥ずかしい限りです」
「そうかな?……あぁ。あれか。ええと、言い方がキツくなったのは、ローズさんを守るためだと、考えてあげて下さい。聖女候補は、そうでなくとも狙われることのある立場ですが、貴族出身となると、その危険度は、更に増しますので」
「え?」
「そうじゃなくても、ローズさんは目立つのに、先ほどのドレス姿を見れば、近隣で見知っている人間は、気付きます。赤毛の聖女候補は、貴族出身だと」
「はい」
「なので、出来るだけ早く隠したかった。結果、厳し目の声が出た、ってとこだと思います。実はオレも、それに気付いたの、馬車に乗ってからで。最初は『ローズさんが綺麗すぎるからって、思わずぶっきらぼうな対応になるとか、子どもか!』なんて、思っちゃってましたけど」
「いえ。レンさんに限って、そんなことは……前者の予想で、合っているかと」
「ふぅん。そうなんだ?」
ジェフ様は、目を細めると、少し考えるように顔の前に手を持ってくる。
確かに、彼にしては珍しく、驚いているように見えたけど、それだけだった気がする。
それに、レンさんは……。
不意に、聖女様を抱き上げて進む姿が思い出されて、胸がざわついた。
あの美しい聖女様にしがみつかれても、彼は全く動じなかったのよ?
わたしのような小娘のドレス姿なんて、興味があるとも思えない。
小説の中でも、レンさんが聖女に興味を示している描写は、無い。
そんなわたしの様子を、無言で眺めながら、ジェフ様が、ぽつりと呟く。
「ま。その後の対応考えれば、あくまで職務ってことかな?ラルフさんに、こちらを任せるくらいだから?」
「…………。まぁ、その辺は、ご想像にお任せしますけど。あぁ~。そうか。俯いていたから、上からは、先輩の顔、見えなかったですもんね?」
ニヤリと、何故か人の悪い笑みを浮かべながら、思わせぶりなことを言う、ラルフさん。
ジェフ様は、僅かに眉を動かしたけど、直ぐに、いつもの軽薄な笑みに戻った。
「あれ?ラルフさんて、思ったより人が悪いなぁ」
「そうですか?人畜無害なところが、売りなんですけど」
あれ?
何だか、微妙な雰囲気に?
ジャンカルロさんの時もそうだったけど、ラルフさんて、ごく稀に喧嘩腰になるよね?
普段は、本当に人畜無害なのに。
それだけ、先輩に対する尊敬の念が強いということなのだろうけど。
まぁ、不敬にならない程度に収まっているところが、さすがなんだけどね?
馬車が裏門の前で停車すると、ラルフさんは、するりと外に出て、門を守る聖騎士に話を通してくれた。
ゆっくりと門が開き、馬車はロータリーへと進む。
そして、事務局前の馬車停りに停車すると、アメリさんが扉を開けてくれた。
事務局前で待っていたのは、先ほどお兄様を抱えてくれていた、屈強な護衛さん。
お兄様は、救護室で休んでいると伝えてくれた。
聖堂の判断では、どうやら、お兄様を直ぐに馬車に乗せて帰らせるのは難しいそうで、状態が落ち着くまでは、聖堂で預かることになったらしく、ジェフ様とは、ここでお別れとなった。
「それじゃぁ、ローズちゃん。今日は楽しかった。また連絡するよ」
「はい。色々ご迷惑をおかけしました。本当に有難うございました」
ジェフ様にお礼を言って、護衛の方の手を借りつつ、馬車から下り立つ。
その時、丁度、事務局から出てきた人と目が合った。
「あらまぁ!ローズマリー様?なんて可愛らしいの!」
「っ!ごきげんよう」
「ええ。ごきげんよう……って……ちょっと。その馬車、ジェフじゃないの?あぁもう。一体、ベルは何をやってるのよ!どの子も、好き勝手動いて!全く‼︎ 私を、胃炎にさせる気なのっ⁈」
最初はにこやかに挨拶をして下さったけど、その笑顔は、じわじわと引き攣り笑いに変わった。
最終的に、長い前髪をぐしゃりとかき混ぜ、馬車に向かって突進して来たのは、スティーブン様。
「大丈夫?何もされなかった?」
「もちろんです!とても紳士的で……」
「それなら良かったけど。ジェフ?ちょっと下りて来なさい!貴方ねぇ、人の忠告を聞く気は無いの?全く。貴方たちは……ダミアンと言い、フランと言い……!」
馬車に向かって、般若の表情でスティーブン様が声をかけると、苦笑いを浮かべながら、ジェフ様も外に出て来た。
「これは、ステファニー様。交渉は上手くいきましたか?」
「イヤだわ。貴方には伝え無いように言いつけたのに、何故知っているの?」
「僕、情報収集って、結構得意なんですよ」
「それは、知っているけど……。あらやだ!全く。油断も隙もない。話を変えて煙に巻こうったって、そうはいかないわよ?」
「それに関しては濡れ衣ですよ。僕が、ステファニー様に逆らうわけ無いじゃないですか。今回は、『英雄のご兄妹を、安全に住まいまで送り届ける』大役を任されただけです」
「あら?オレガノ君もいるの?中に?」
スティーブン様は、一瞬、顔に喜色を浮かべて馬車の中を覗き込み、中がカラなことを確認すると、今度はプンプンと怒りながら声を上げた。
「いないじゃないの!まさか、彼女と二人きりになるために、先に王宮に寄ったの?」
あら……。
前回何となくそんな気がしていたけど、お兄様、スティーブン様に、大分気に入られているよね。
って、今はそんな場合じゃ無いわ。
誤解を解かないと!
「あの、実は、兄は先に聖堂の中に。酔って体調を崩しまして」
「まぁ。それは、いけないわねぇ。救護室かしら?早速会いに……」
「その分だと、もう決着はついたんですか?」
「これから大詰めよ!ああ、もう!」
呆れた様にジェフ様が尋ねると、スティーブン様は、芝居がかった仕草で情緒不安定を表現しながら、大きくため息をつく。
スティーブン様は、多分、ダミアン様の尻拭いに見えられたのよね?
ああいった弟を持つと、苦労なさるんだろうな。
処分は、一体どうなるのかしら?
大詰めと仰っていることからして、あまり良い感触では無いのかもしれない。
「癒し……何か癒やしが必要だわ。やっぱり、救護室で添い寝を……」
仄暗い顔で、ブツブツと呟くスティーブン様。
お兄様!
骨は拾います!
冷や汗をかきながら、そんなことを考えた時だった。
「アメリさーん。裏門で手続き済ませときましたけど、オレガノ様は、どうなりそうです?ざっとで良いんですが、滞在時間を書かなきゃなんで……」
馬車の向こうから、のんびりとした声が聞こえて、スティーブン様の耳が、ぴくりと動いた様に見えた。
書類を手に、後頭部を掻きながら、こちらにやって来たラルフさんを発見すると、スティーブン様は目を輝かせ、両腕を開く。
「ラルフ君!こんなところで、また会えるなんて、奇跡!」
ラルフさんは、その声でスティーブン様の存在に気付き、顔を青ざめさせて後ずさった。
「いえ。オレは、いつもここにいるんで、奇跡とか無いです!」
「奇跡!食事に行きましょう」
「いえ、お気持ちだけで!」
あらら。
ラルフさんも、ロックオンされていたのね。
一定の距離をとって、それ以上近づかないラルフさん。
「ユーリーに聞いたわよ?腹ペコ君ってあだ名!今度、公爵家のディナーに招待しちゃおうかしら?」
「ユーリーさん、マジありえねぇ」
ラルフさんの顔が、引き攣るのが見えた。
「良いですね。ステファニー様が、今抱えている問題を無事解決出来たら、ご褒美として、一緒に食事して貰えばいいんじゃないですか?」
笑みを浮かべて、無責任な提案をしたのはジェフ様。
先ほどの仕返しかな?
「あら。それなら俄然やる気が湧いて来るわね!」
「あの、それ。オレに何かメリットあります?」
「美味しい食事を、心ゆくまで存分に楽しめるわよ?」
「あれ?めっちゃ良い提案に聞こえる?」
どこまでが本気なのか分からないけど、スティーブン様にとっては、今の会話が気分転換になったみたい。
「それじゃ、もう一踏ん張り、頑張って来るわ」
彼は微笑むと、男性従業員の寮へ向かった。
わたしは、ジェフ様を見送ると、ラルフさんと一緒に、お兄様のいる救護室ヘ急いだ。
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私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。
とある元令嬢の選択
こうじ
ファンタジー
アメリアは1年前まで公爵令嬢であり王太子の婚約者だった。しかし、ある日を境に一変した。今の彼女は小さな村で暮らすただの平民だ。そして、それは彼女が自ら下した選択であり結果だった。彼女は言う『今が1番幸せ』だ、と。何故貴族としての幸せよりも平民としての暮らしを決断したのか。そこには彼女しかわからない悩みがあった……。
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