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第五章

聖堂でのドタバタ劇

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(side ローズ)


 馬車を降りてうずくまっているお兄様をみつけたレンさんは、すぐさま駆け寄り、ひざまずいて様子を確認している。


「これは……酒?」

 
 彼は、小さくそう呟いた後、馬車を見上げた。

 その視界に、丁度お兄様の後に続こうと馬車の戸口に立っていた、わたしが入った。
 目があった瞬間、その黒い双眸は大きく見開かれ、ひゅっ、と、息を吸い込む音が小さく聞こえた。

 殆ど感情が表に出ない彼が、珍しく見せた驚愕の表情。
 直後、彼は顔を伏せた。
 そのまま、普段聞かないような低めの硬質な声音で、早口に告げる。


「恐れながら申し上げます。ローズマリー様。直ぐに馬車の奥へ」


 何を言われたのか一瞬理解できなくて、わたしは、その場に立ち尽くしてしまう。
 ジェフ様が、そんなわたしの手をひき、奥の席に座らせてくれた。
 近くにいたアメリさんが、入り口にカーテンをかけ、中を隠してくれる。

 そこで、ようやく自分の失敗に気付き、わたしは頭を抱えた。

 しまった!

 お兄様を介抱しなければと、つい、いつもの感覚で外に出ようとしてしまったけど、今、わたしドレスだった。

 いったい、何をやっているの⁈


 突然、日中の聖堂前に、高級な馬車が停まっただけでも珍しいのに、馬車から酔っ払いの令息が転がり出て来た上、令嬢まで下りて来た。しかも、庶民からすれば派手なドレス姿で。

 失態だわ。
 だから、ジェフ様は、わたしが立ち上がった時に、止めて下さったのね。

 しかも、この馬車は紋章入りだから、その失態を被るのは、ドウェイン家。
 サーっと、血の気が引いていくのがわかった。

 うぁぁ。さいあく!


「すみません!ジェフ様。わたし」

「大丈夫。オレガノ様を心配するのは、妹として当然なんだから、君に落ち度は無いよ」

「ですが、ドウェイン家にご迷惑を」

「気にしないで?ローズちゃんに迷惑をかけられるなら、本望だよ。それに……もう、話もついたようだ」


 微かに震える手に、ジェフ様は、そっとハンカチを渡してくれた。

 馬車の外では、アメリさんがレンさんに事情を説明していたようで、双方話がついたのか、ラルフさんを含めた三人でこちらにやって来た。
 お兄様の横には、ジェフ様の屈強な護衛の方が付いてくれている。
 馬車の入り口の前に立つと、アメリさんが小声で告げた。


「直接お話しになりますか?」

「そうだね。……レンさん、ご無沙汰しています。突然のことに、速やかに対応して頂き、感謝します」

「いえ、ジェファーソン様。聖女候補、並びにその家族を送り届けて頂き、こちらこそ感謝致します」


 馬車の外と中から、カーテン越しに淡々と話す二人。


「今後のことですが、オレガノ様は、私が目立たぬように、聖堂へお連れします。ローズマリー様につきましては、広場を歩かせる訳には参りませんので、当初の予定通り、裏門までお願い出来ますでしょうか?また、不躾ではありますが、聖騎士を一人、馬車に同乗させます。聖女候補の危険回避並びに、風評被害防止の観点から、お許し頂きたく」

「分かりました」

「感謝致します。ラルフ。頼む」

「了解です。失礼します」


 アメリさんが、細くカーテンを開けると、ラルフさんは、軽い身のこなしで馬車に乗り込んできた。

 ジェフ様は、自分の横に座るよう手で示し、ラルフさんは、恐縮するように頭を下げると、着席する。


 お兄様は、レンさんとジェフ様の護衛の方に両脇から支えられて、路地へと入っていった。
 裏道から、聖堂の職員通用口に回るのかもしれない。


 馬車が動きだしたので、わたしは、ラルフさんに向かって頭を下げた。


「ラルフさん、ご迷惑をおかけして、すみません!」

「いえいえ。迷惑なんて。っと、失礼。お話しする許可を頂けますでしょうか?サー?」


 普段通りに、茶目っ気たっぷりに微笑んだ後、ラルフさんは、慌てたように姿勢を正して、隣に座るジェフ様に許しを乞う。

 そういえば、ラルフさん、私服だわ。
 午後から休みだったのね。
 そうなると、扱いは庶民。
 貴族の所有する馬車で、自由に振る舞うのは、礼儀に反する。


「平常通りで構いませんよ。ええと、ラルフさんでしたか?僕からもお礼を。停車直後に駆け付けて下さり、助かりました」

「いえ。オレらも、丁度、帰る途中で。城壁伝いに街道を歩いていたんです。そしたら、横を通過した馬車が、急にペースを落としたんで、何かあったかもしれないと、先輩……クルスが。馬車にも見覚えがあったようで」

「なるほど。流石の機転だな」

「お陰で、助かりました。ありがとうございました。お休みなのに、申し訳ないです」


 わたしが頭を下げると、ラルフさんは手を振る。


「聖騎士として、当然の事ですから!お気になさらず」

「でも……」


 硬い声音で呼ばれた、愛称ではないファーストネームが、まだ耳に残っている。

 レンさんは、あの状況を見て、どう思ったんだろう?


「こんな格好で、外に飛び出そうとして、全く短慮でした。ジェフ様にも、聖堂の皆様にも、申し訳なくて……」

「あぁ。凄く綺麗で、びっくりしました。一瞬、女神が舞い降りたかと思いましたよね!観光客も、顔を赤らめて、ぽーっとしてましたよ」

「え?」


 予想外の返しに、頬が熱くなる。
 すると、ジェフ様が小さく咳払いをして、話に割り込んだ。


「ラルフさん。通常通り話すのは構いませんけど、ここで口説くのは止めて貰えませんか?」

「いえ。一般人から見ての、純粋な反応ですよ?改めて今見ても、本当に綺麗です。あの場にいた誰もが、そう思ったんじゃ無いかな?オレ、先輩が固まるところ、初めて見ましたし」

「……へぇ?そうなんですか?」

「ええ。基本、表情が動くのも珍しいくらいですから」


 問うジェフ様に、クスクス笑いながら、答えるラルフさん。


「考えなしの行動に、呆れられたのだと思います。お恥ずかしい限りです」

「そうかな?……あぁ。あれか。ええと、言い方がキツくなったのは、ローズさんを守るためだと、考えてあげて下さい。聖女候補は、そうでなくとも狙われることのある立場ですが、貴族出身となると、その危険度は、更に増しますので」

「え?」

「そうじゃなくても、ローズさんは目立つのに、先ほどのドレス姿を見れば、近隣で見知っている人間は、気付きます。赤毛の聖女候補は、貴族出身だと」

「はい」

「なので、出来るだけ早く隠したかった。結果、厳し目の声が出た、ってとこだと思います。実はオレも、それに気付いたの、馬車に乗ってからで。最初は『ローズさんが綺麗すぎるからって、思わずぶっきらぼうな対応になるとか、子どもか!』なんて、思っちゃってましたけど」

「いえ。レンさんに限って、そんなことは……前者の予想で、合っているかと」

「ふぅん。そうなんだ?」


 ジェフ様は、目を細めると、少し考えるように顔の前に手を持ってくる。


 確かに、彼にしては珍しく、驚いているように見えたけど、それだけだった気がする。

 それに、レンさんは……。

 不意に、聖女様を抱き上げて進む姿が思い出されて、胸がざわついた。

 あの美しい聖女様にしがみつかれても、彼は全く動じなかったのよ?
 わたしのような小娘のドレス姿なんて、興味があるとも思えない。

 小説の中でも、レンさんが聖女に興味を示している描写は、無い。


 そんなわたしの様子を、無言で眺めながら、ジェフ様が、ぽつりと呟く。


「ま。その後の対応考えれば、あくまで職務ってことかな?ラルフさんに、こちらを任せるくらいだから?」

「…………。まぁ、その辺は、ご想像にお任せしますけど。あぁ~。そうか。俯いていたから、上からは、先輩の顔、見えなかったですもんね?」


 ニヤリと、何故か人の悪い笑みを浮かべながら、思わせぶりなことを言う、ラルフさん。
 ジェフ様は、僅かに眉を動かしたけど、直ぐに、いつもの軽薄な笑みに戻った。
 

「あれ?ラルフさんて、思ったより人が悪いなぁ」

「そうですか?人畜無害なところが、売りなんですけど」


 あれ?
 何だか、微妙な雰囲気に?

 ジャンカルロさんの時もそうだったけど、ラルフさんて、ごく稀に喧嘩腰になるよね?
 普段は、本当に人畜無害なのに。
 それだけ、先輩に対する尊敬の念が強いということなのだろうけど。

 まぁ、不敬にならない程度に収まっているところが、さすがなんだけどね?
 

 馬車が裏門の前で停車すると、ラルフさんは、するりと外に出て、門を守る聖騎士に話を通してくれた。
 ゆっくりと門が開き、馬車はロータリーへと進む。
 そして、事務局前の馬車停りに停車すると、アメリさんが扉を開けてくれた。

 事務局前で待っていたのは、先ほどお兄様を抱えてくれていた、屈強な護衛さん。
 お兄様は、救護室で休んでいると伝えてくれた。
 聖堂の判断では、どうやら、お兄様を直ぐに馬車に乗せて帰らせるのは難しいそうで、状態が落ち着くまでは、聖堂で預かることになったらしく、ジェフ様とは、ここでお別れとなった。


「それじゃぁ、ローズちゃん。今日は楽しかった。また連絡するよ」

「はい。色々ご迷惑をおかけしました。本当に有難うございました」


 ジェフ様にお礼を言って、護衛の方の手を借りつつ、馬車から下り立つ。
 その時、丁度、事務局から出てきた人と目が合った。


「あらまぁ!ローズマリー様?なんて可愛らしいの!」

「っ!ごきげんよう」

「ええ。ごきげんよう……って……ちょっと。その馬車、ジェフじゃないの?あぁもう。一体、ベルは何をやってるのよ!どの子も、好き勝手動いて!全く‼︎ 私を、胃炎にさせる気なのっ⁈」


 最初はにこやかに挨拶をして下さったけど、その笑顔は、じわじわと引き攣り笑いに変わった。
 最終的に、長い前髪をぐしゃりとかき混ぜ、馬車に向かって突進して来たのは、スティーブン様。


「大丈夫?何もされなかった?」

「もちろんです!とても紳士的で……」

「それなら良かったけど。ジェフ?ちょっと下りて来なさい!貴方ねぇ、人の忠告を聞く気は無いの?全く。貴方たちは……ダミアンと言い、フランと言い……!」


 馬車に向かって、般若の表情でスティーブン様が声をかけると、苦笑いを浮かべながら、ジェフ様も外に出て来た。


「これは、ステファニー様。交渉は上手くいきましたか?」

「イヤだわ。貴方には伝え無いように言いつけたのに、何故知っているの?」

「僕、情報収集って、結構得意なんですよ」

「それは、知っているけど……。あらやだ!全く。油断も隙もない。話を変えて煙に巻こうったって、そうはいかないわよ?」

「それに関しては濡れ衣ですよ。僕が、ステファニー様に逆らうわけ無いじゃないですか。今回は、『英雄のご兄妹を、安全に住まいまで送り届ける』大役を任されただけです」

「あら?オレガノ君もいるの?中に?」


 スティーブン様は、一瞬、顔に喜色を浮かべて馬車の中を覗き込み、中がカラなことを確認すると、今度はプンプンと怒りながら声を上げた。


「いないじゃないの!まさか、彼女と二人きりになるために、先に王宮に寄ったの?」


 あら……。
 前回何となくそんな気がしていたけど、お兄様、スティーブン様に、大分気に入られているよね。
 って、今はそんな場合じゃ無いわ。
 誤解を解かないと!


「あの、実は、兄は先に聖堂の中に。酔って体調を崩しまして」

「まぁ。それは、いけないわねぇ。救護室かしら?早速会いに……」

「その分だと、もう決着はついたんですか?」

「これから大詰めよ!ああ、もう!」


 呆れた様にジェフ様が尋ねると、スティーブン様は、芝居がかった仕草で情緒不安定を表現しながら、大きくため息をつく。


 スティーブン様は、多分、ダミアン様の尻拭いに見えられたのよね?
 ああいった弟を持つと、苦労なさるんだろうな。
 処分は、一体どうなるのかしら?
 大詰めと仰っていることからして、あまり良い感触では無いのかもしれない。
 

「癒し……何か癒やしが必要だわ。やっぱり、救護室で添い寝を……」


 仄暗い顔で、ブツブツと呟くスティーブン様。

 お兄様!
 骨は拾います!

 冷や汗をかきながら、そんなことを考えた時だった。


「アメリさーん。裏門で手続き済ませときましたけど、オレガノ様は、どうなりそうです?ざっとで良いんですが、滞在時間を書かなきゃなんで……」


 馬車の向こうから、のんびりとした声が聞こえて、スティーブン様の耳が、ぴくりと動いた様に見えた。
 書類を手に、後頭部を掻きながら、こちらにやって来たラルフさんを発見すると、スティーブン様は目を輝かせ、両腕を開く。


「ラルフ君!こんなところで、また会えるなんて、奇跡!」


 ラルフさんは、その声でスティーブン様の存在に気付き、顔を青ざめさせて後ずさった。


「いえ。オレは、いつもここにいるんで、奇跡とか無いです!」

「奇跡!食事に行きましょう」

「いえ、お気持ちだけで!」


 あらら。
 ラルフさんも、ロックオンされていたのね。
 一定の距離をとって、それ以上近づかないラルフさん。


「ユーリーに聞いたわよ?腹ペコ君ってあだ名!今度、公爵家のディナーに招待しちゃおうかしら?」

「ユーリーさん、マジありえねぇ」


 ラルフさんの顔が、引き攣るのが見えた。


「良いですね。ステファニー様が、今抱えている問題を無事解決出来たら、ご褒美として、一緒に食事して貰えばいいんじゃないですか?」


 笑みを浮かべて、無責任な提案をしたのはジェフ様。
 先ほどの仕返しかな?
 

「あら。それなら俄然やる気が湧いて来るわね!」

「あの、それ。オレに何かメリットあります?」

「美味しい食事を、心ゆくまで存分に楽しめるわよ?」

「あれ?めっちゃ良い提案に聞こえる?」


 どこまでが本気なのか分からないけど、スティーブン様にとっては、今の会話が気分転換になったみたい。


「それじゃ、もう一踏ん張り、頑張って来るわ」


 彼は微笑むと、男性従業員の寮へ向かった。

 わたしは、ジェフ様を見送ると、ラルフさんと一緒に、お兄様のいる救護室ヘ急いだ。
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