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第五章
馬車に揺られて
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(side ローズ)
そろそろサロンをお暇しようと考えていたところに、タイミングよく声をかけて下さった、ジェフ様。
おかげで、わたしは、無事帰路につくことになった。
エミリオ様やヴェロニカ様と、楽しくお話しをさせて頂けたので、精神的には落ち着きを取り戻しつつあったけれど、成人の儀を除いては、初めてとなる社交の場。
粗相があってはいけないと、常に緊張していたので、その申し出は有り難かった。
革張りの広い馬車のシートに横になって、その八割を占拠しているお兄様は、何故か眉間に深く皺を寄せて、険しい顔で寝息を立てている。
何でそんな顔?と思うと、思わず笑ってしまいそうになるけど、不謹慎なので我慢する。
そもそも、お兄様。
何故、酔っ払うほど、お酒を飲んだのかな?
ジェフ様や公爵家の皆様が、目立たないように誤魔化してくれたから良かったものの、ちょっとした失態よね?
何となくムッとして、ぐいぐいとスペースを狭めてくる筋肉質なお尻を、軽くつねってみると、少しだけ奥にズレてくれて、座りやすくなった。
ほんのちょっとだけ、溜飲が下がる。
それにしても、ジェフ様には、大変なご迷惑をかけてしまった。
対面の席に座った後も、エミリオ様とヴェロニカ様に、散々釘を刺されて、苦笑いで冗談を返しているジェフ様。
今日はまた、一段とキラキラしていらっしゃるわ。
最近は、専門学校の制服でお会いすることが多かったけど、正装に身を包んだ彼は、何処か王子様然としたオーラがある。
人気が有るのも、当然よね。
『常にドレスのカーテンに囲まれている』と、話には聞いていたけれど、ホールでチラリとその集団が見えた瞬間に、『あ。きっと、この奥にジェフ様がいらっしゃるんだわ!』と、気付いて、妙に納得した。
全然見えなかったけど、間違いないと思わせるほどの迫力だったわ。
色とりどりのドレスが、ソファーがありそうな一角を埋め尽くしている様は、まるでオーロラのよう。
オーロラ見たことないけれど。
将来有望そうなご令息たちが、周りに沢山いらっしゃるのに、何故彼の周りにばかり集まってしまうのかしら?
何て、思うのも馬鹿馬鹿しいくらい、抜きん出て、顔がいい!声も良い!
それに加えて、対応も良い。
それは集まるわよ。
会うことがあったらご挨拶を……なんて、のんびり考えていたけど、そんなラッキーは無い!と、理解したわ。
自分で動かなければ、同じ会場にいても、顔すら合わせられない高嶺の花なのね……。
そんな素敵な方と、運良く帰るタイミングがバッティングするなんて、それ、何てヒロイン補正かな?
考えると、空恐ろしい。
だってわたし、聖女候補とは言え、ただの田舎の男爵令嬢だもの。
補正でも働かなければ、景色の一部になっていると思うのよね?
扉が閉まり、ヴェロニカ様とエミリオ様に会釈をすると、馬車はゆるゆると走り出す。
対面する席に視線を向けると、外を見ていた海の色の双眸が、こちらを向いて、やんわりと細められた。
この綺麗な笑顔が、わたしに向けられているなんて、奇跡のよう……!
っと。
見惚れている場合じゃなかった。
お詫びとお礼を言わなければ。
「兄妹でご迷惑をかけてしまって、本当に申し訳ありません。……でも、助かりました。わたくしも、初めてのことで色々緊張してしまって」
「迷惑なんて、ローズちゃんを送ることが出来て、僕は嬉しいよ?」
笑顔でお礼を言うと、甘いセリフが返ってきた。
これだもの。
数多の御令嬢が、メロメロになるわけよね?
社交辞令よ、社交辞令!
額面通りに受け取って、舞い上がってはいけない。
「誤解のないように言っておくけど、他の女性にこんなこと、言わないからね?」
折角気持ちを落ち着けようとしていたのに、追い打ちをかけるように、悪戯っぽい笑顔で告げられた台詞。
頬に、一気に熱が集まっていくのがわかる。
こんなの、絶対勘違いしちゃうから!
ジェフ様、ちょっと小悪魔すぎません?
まるで、特別視されているみたいに聞こえて、胸がざわつく。
何でヒロインは、この猛烈なアプローチをスルーできたのかな?
幾度となく不思議に思っていた疑問が、再び頭を掠めた。
だって、こんな何でも持っている美少年に特別扱いされたら、普通にぐらぐらしますけど?
どう返答するべきか考えていると、前からクスっと、小さく笑う声が聞こえて、俯いていた顔を上向けた。
目の前には、最近わたしに向けてくれる、含みのない優しげな笑顔。
かっこいいなぁ。
「サロンは楽しめたかな?」
「っぁ……はい!おかげさまで」
「そう。それなら、もう少しあの場にいたかった?」
「いえっ!あ、いやだったというのでは無くて。とても楽しかったのですけど、やはり煌びやかな場所は経験が少ないですから、気おくれしてしまいました」
「そう?はじめから、ベル従姉様に囲われていたから、どこの御令嬢かって、皆興味深々だったみたいだよ?」
「恐れ多いです。ヴェロニカ様には、本当によくして頂いて」
「随分、気に入られちゃったみたいだね」
「有難いことです。ですが、やはり緊張しました。丁度良い時に声をかけて頂き、有り難かったです。それに……今日は、ジェフ様にご挨拶するのは、難しそうだと思っていましたので、その……お話し出来て嬉しいです」
サロンは素敵だったけど、初めてのことだし、午前中のこともあったから、早めに帰りたかったのは、事実。
タイミング良く『送る』と、申し出てくれたジェフ様には、感謝しかない。
それに、ドレスのカーテンの中にズカズカ踏み込んでいけるほど勇者じゃ無いから、今日はご挨拶出来ないと思っていたのよね。
笑顔でそのことを伝えると、ジェフ様は、一瞬目を瞬かせ、少し俯き加減で、口の前に右手を持ってくる。
彼が、何かを考えているときの仕草だけど……。
「はぁ~~。参った。僕、試されているのかな?これで無自覚だから、ホント手に負えない」
狭い馬車の室内だから、ジェフ様の口から吐き出された呟きは、しっかりと、わたしの耳に届いた。
えぇっ⁈
何か、気に障るようなこと、言っちゃいましたか?
どうしよう。
ここで、馬車から兄妹諸共、放り出されるのは困る!
「ええと……?」
「ああ、ごめん。気にしないで?」
顔を上げて、苦笑いしているジェフ様だけど、その頬の薔薇色が、いつもより濃い色に見える。
怒らせてしまったかしら?
「そう言えば、周りの娘たちが噂していたけど、ドレスの話をしていたそうだね?今日のドレスも、夏らしい色合いで、良く似合ってる。可愛いよ」
っっっ‼︎‼︎
…………ねぇ。
今、さらりと、カワイイとか言われましたけど⁈
顔どころか、全身が火を吹いたように熱く感じる。
これはっ!照れる‼︎
「あ!ありがとうございます!原色だらけで、目が痛くなったりしませんか?」
「えぇ?そんなことないよ?」
極度に照れてしまって、意味不明の返ししかできなかった……。
ジェフ様は、それにはクスクス笑って、否定を返してくれたけど。
良かった。
実は、母からの手紙を読んだとき、『赤に黄色って、南国の鳥じゃ無いんだからっ!』って、思ったのよね。
実際、ドレスを着てみたら、それほど酷くもなかったので、今回は強行したんだけど。
赤い髪って、着る服の色を選ぶから、毎回配色には悩まされる。
「新しいドレスのブランドが、どうこうって聞いたけど?」
「はい。ヴェロニカ様が、母のデザインを気に入って下さって。デザインブランドの立ち上げを、提案して下さったんです」
「それは、良い商売になりそうだ。立ち上げはいつ?」
「具体的なことは、まだですが、降臨祭の前に行われる公爵家のサロンでお披露目できるように、二着デザインするようですね」
「二着?」
「広い世代をターゲットにするそうで」
「なるほど。すると、広告塔は、ベル従姉様と……ローズちゃん?」
「はい。わたくしでは、役不足かと思うのですが」
「いやいや。それは見るのが楽しみだ。出資を募るなら、是非、僕も一枚噛ませて欲しいな。話が出たら教えてよ」
「有難うございます。母に伝えておきますね」
「うん。それにしても、豪華な広告塔だな。成功間違い無しだね。色合いやイメージは、決まっているの?」
「色は、紫と言っていましたね。イメージは、ヴェロニカ様は、シンプルなラインのものでした」
「ふーん。完成に合わせて、僕も何かプレゼントしたいんだけど?」
「いえいえ!そんな!お気持ちだけで!」
「えー?」
ジェフ様は、冗談めかして微笑んでいる。
ドレスに関しては、わたしも楽しみ。
どんなものが出来上がるのかしら?
ゆったりと会話を楽しんでいるうちに、緩々と馬車が停車して、第二の城壁に差し掛かったことに気づく。
ミュラーソン公爵家の敷地が本当に広いから、西門に到着するまでに、想像以上に時間がかかっていた。
馬車を見ただけで、ほぼ顔パスのような状態らしく、数秒後には動き出す。
馬車は、第二の城壁に沿って、聖堂方面に向きを変え、北上を始めた。
門を通過する間、しばらく会話が途切れたので、馬車が動き出したタイミングで、少し気になっていたことを聞いてみる。
「ジェフ様は、この後、何かご予定がお有りなんですよね?」
ジェフ様は、きょとんとした後、困った様に微笑んだ。
「何故?」
「わたくしどもを送るために、かなり遠回りを……。お時間を取らせてしまって、それが申し訳なくて」
「あぁ、そっちか。お茶にでも誘ってくれるなら、『喜んで』と、答えようと思っていたんだけど?」
「え?」
凄く残念そうに、肩を落としてみせるジェフ様。
あれ?
用事があって、早く帰るわけでは無いのかな?
そこで、一つの可能性に気づき、わたしは眉を寄せる。
わたしの横では、いよいよ険しい顔で、小さく歯軋りまではじめながら、眠っているお兄様。
ダメ……凝視すると笑ってしまう。
もしかして、ジェフ様は、お兄様を酔わせてしまったことに責任を感じて、送っていくために早く帰ることを決めた?
「まさか、兄のせいでしょうか?せっかく盛り上がる頃合いでしたのに、何というご迷惑を……」
でも、それには直ぐに否定が返ってくる。
「違うよ?早く帰るのを決めたのは、オレガノ様のせいじゃ無いから、心配しないでね?醜聞になるから、今は詳しく話せないけど、ちょっと家族がね……」
「そう……ですか?」
取り越し苦労で良かった。
なるほど。
家族に何かあったのかしら?
それだと、ジェフ様が事件と関係無くても、何食わぬ顔でサロンに参加していては、周囲のイメージを悪くしかねない。
「そうそう、ローズちゃんに、伝えておかないといけないことがあったんだ。僕の兄のことなんだけど」
「お兄様ですか?」
「うん。来週、王宮での晩餐会に出席するでしょう?」
「はい」
「僕の兄には近寄らない様に、気をつけてほしくて。彼は、僕とは真逆で、かなり軽薄だから」
一瞬、ジェフ様ジョークかと思ってしまったけど、言っている本人は、いたって真剣だ。
あれ?
ご自身、自分がチャラ男キャラなの、気付いてないのかな?
そんなことないよね?
あれ、絶対、わざとやっているもの!
するとやっぱり、あれは演技?
確かにジェフ様は、『御令嬢やマダムから絶大な人気を誇る』と、話に聞くけれど、あちこちに手を出しているといった、浮わついた噂は、一切無い。
「少し心配しているんだ。僕は参加出来ないから」
「そうなんですか?」
「うん。だから、気をつけてね?」
「はい。気をつけますね?」
笑顔で返事をすると、ジェフ様は眉根を寄せて、肩を落とした。
「ホントに大丈夫かなぁ?全然、安心できないんだけど……」
えぇ?
わたし、そんなに危なっかしい感じです?
「大丈夫ですよ?隅の方で、大人しくしていますので……」
「う゛っ」
突如。
横でうめく様な声が聞こえて、そちらに視線を向けると、お兄様が、のっそりと起き上がるところだった。
お腹の辺りと、口元を両手で押さえて、眉間に皺を寄せている。
何だか顔色が悪いし、額に脂汗を浮かべているけど、まさか……。
「…………っ気持ち……悪い」
ですよね~。
って、ちょっと待って?
「お兄様!落ち着いて。静かに呼吸してみましょう!」
この場で……!
なんていう悲劇だけは、どうしても避けたくて、わたしは慌てて、お兄様を横から支える。
ジェフ様も、直ぐに彼の後ろの壁をノックした。
小さな扉が開き、御者台から人が顔を出す。
「客人の体調が優れないようだから、速度を下げてほしい。何処か近くに停められるかな?」
「あと僅かで、聖堂前広場ですが……」
「分かった。そこで協力を仰ごう」
速度を下げて、聖堂に向かう馬車だけど、石畳みの上を走る鉄の車輪の馬車は、路面の状況を、しっかりと中の人に伝えてくるわけで。
前世の記憶を持つわたしから言わせて貰うと、タイヤってかなり重要な存在よね?
なんとか聖堂前広場の馬車停まりに停車した時には、お兄様は、グロッキー状態。
別の馬車で、後ろからついてきていたアメリさんが、扉を開け、
「聖堂に、協力を依頼して参ります」
と、告げた直後、お兄様は、のそりと立ち上がり、自分で馬車からおりた。
酔っ払っていて、何が何だか分からなくても、馬車の中でモドすのは不味いと、無意識下で考えたのかな?
何の前触れもなく、高級かつ家紋入りの馬車が聖堂前で停り、更にそこから人が降りてきて、地面にうずくまったわけだから、周囲は結構な騒ぎになってしまったみたい。
わたしは、お兄様に続こうと立ち上がったのだけど、
「ローズちゃん?ダメだよ?」
ジェフ様が、わたしの手を取り、それを静止する。
その時、馬車の横に人影が二つ駆け寄って来た。
「どうかなさいましたか?……オレガノ様?」
異変に気づいたのか、手に持っていた紙袋を、後にいたラルフさんに投げ渡し、お兄様の横に跪いたのは、レンさんだった。
そろそろサロンをお暇しようと考えていたところに、タイミングよく声をかけて下さった、ジェフ様。
おかげで、わたしは、無事帰路につくことになった。
エミリオ様やヴェロニカ様と、楽しくお話しをさせて頂けたので、精神的には落ち着きを取り戻しつつあったけれど、成人の儀を除いては、初めてとなる社交の場。
粗相があってはいけないと、常に緊張していたので、その申し出は有り難かった。
革張りの広い馬車のシートに横になって、その八割を占拠しているお兄様は、何故か眉間に深く皺を寄せて、険しい顔で寝息を立てている。
何でそんな顔?と思うと、思わず笑ってしまいそうになるけど、不謹慎なので我慢する。
そもそも、お兄様。
何故、酔っ払うほど、お酒を飲んだのかな?
ジェフ様や公爵家の皆様が、目立たないように誤魔化してくれたから良かったものの、ちょっとした失態よね?
何となくムッとして、ぐいぐいとスペースを狭めてくる筋肉質なお尻を、軽くつねってみると、少しだけ奥にズレてくれて、座りやすくなった。
ほんのちょっとだけ、溜飲が下がる。
それにしても、ジェフ様には、大変なご迷惑をかけてしまった。
対面の席に座った後も、エミリオ様とヴェロニカ様に、散々釘を刺されて、苦笑いで冗談を返しているジェフ様。
今日はまた、一段とキラキラしていらっしゃるわ。
最近は、専門学校の制服でお会いすることが多かったけど、正装に身を包んだ彼は、何処か王子様然としたオーラがある。
人気が有るのも、当然よね。
『常にドレスのカーテンに囲まれている』と、話には聞いていたけれど、ホールでチラリとその集団が見えた瞬間に、『あ。きっと、この奥にジェフ様がいらっしゃるんだわ!』と、気付いて、妙に納得した。
全然見えなかったけど、間違いないと思わせるほどの迫力だったわ。
色とりどりのドレスが、ソファーがありそうな一角を埋め尽くしている様は、まるでオーロラのよう。
オーロラ見たことないけれど。
将来有望そうなご令息たちが、周りに沢山いらっしゃるのに、何故彼の周りにばかり集まってしまうのかしら?
何て、思うのも馬鹿馬鹿しいくらい、抜きん出て、顔がいい!声も良い!
それに加えて、対応も良い。
それは集まるわよ。
会うことがあったらご挨拶を……なんて、のんびり考えていたけど、そんなラッキーは無い!と、理解したわ。
自分で動かなければ、同じ会場にいても、顔すら合わせられない高嶺の花なのね……。
そんな素敵な方と、運良く帰るタイミングがバッティングするなんて、それ、何てヒロイン補正かな?
考えると、空恐ろしい。
だってわたし、聖女候補とは言え、ただの田舎の男爵令嬢だもの。
補正でも働かなければ、景色の一部になっていると思うのよね?
扉が閉まり、ヴェロニカ様とエミリオ様に会釈をすると、馬車はゆるゆると走り出す。
対面する席に視線を向けると、外を見ていた海の色の双眸が、こちらを向いて、やんわりと細められた。
この綺麗な笑顔が、わたしに向けられているなんて、奇跡のよう……!
っと。
見惚れている場合じゃなかった。
お詫びとお礼を言わなければ。
「兄妹でご迷惑をかけてしまって、本当に申し訳ありません。……でも、助かりました。わたくしも、初めてのことで色々緊張してしまって」
「迷惑なんて、ローズちゃんを送ることが出来て、僕は嬉しいよ?」
笑顔でお礼を言うと、甘いセリフが返ってきた。
これだもの。
数多の御令嬢が、メロメロになるわけよね?
社交辞令よ、社交辞令!
額面通りに受け取って、舞い上がってはいけない。
「誤解のないように言っておくけど、他の女性にこんなこと、言わないからね?」
折角気持ちを落ち着けようとしていたのに、追い打ちをかけるように、悪戯っぽい笑顔で告げられた台詞。
頬に、一気に熱が集まっていくのがわかる。
こんなの、絶対勘違いしちゃうから!
ジェフ様、ちょっと小悪魔すぎません?
まるで、特別視されているみたいに聞こえて、胸がざわつく。
何でヒロインは、この猛烈なアプローチをスルーできたのかな?
幾度となく不思議に思っていた疑問が、再び頭を掠めた。
だって、こんな何でも持っている美少年に特別扱いされたら、普通にぐらぐらしますけど?
どう返答するべきか考えていると、前からクスっと、小さく笑う声が聞こえて、俯いていた顔を上向けた。
目の前には、最近わたしに向けてくれる、含みのない優しげな笑顔。
かっこいいなぁ。
「サロンは楽しめたかな?」
「っぁ……はい!おかげさまで」
「そう。それなら、もう少しあの場にいたかった?」
「いえっ!あ、いやだったというのでは無くて。とても楽しかったのですけど、やはり煌びやかな場所は経験が少ないですから、気おくれしてしまいました」
「そう?はじめから、ベル従姉様に囲われていたから、どこの御令嬢かって、皆興味深々だったみたいだよ?」
「恐れ多いです。ヴェロニカ様には、本当によくして頂いて」
「随分、気に入られちゃったみたいだね」
「有難いことです。ですが、やはり緊張しました。丁度良い時に声をかけて頂き、有り難かったです。それに……今日は、ジェフ様にご挨拶するのは、難しそうだと思っていましたので、その……お話し出来て嬉しいです」
サロンは素敵だったけど、初めてのことだし、午前中のこともあったから、早めに帰りたかったのは、事実。
タイミング良く『送る』と、申し出てくれたジェフ様には、感謝しかない。
それに、ドレスのカーテンの中にズカズカ踏み込んでいけるほど勇者じゃ無いから、今日はご挨拶出来ないと思っていたのよね。
笑顔でそのことを伝えると、ジェフ様は、一瞬目を瞬かせ、少し俯き加減で、口の前に右手を持ってくる。
彼が、何かを考えているときの仕草だけど……。
「はぁ~~。参った。僕、試されているのかな?これで無自覚だから、ホント手に負えない」
狭い馬車の室内だから、ジェフ様の口から吐き出された呟きは、しっかりと、わたしの耳に届いた。
えぇっ⁈
何か、気に障るようなこと、言っちゃいましたか?
どうしよう。
ここで、馬車から兄妹諸共、放り出されるのは困る!
「ええと……?」
「ああ、ごめん。気にしないで?」
顔を上げて、苦笑いしているジェフ様だけど、その頬の薔薇色が、いつもより濃い色に見える。
怒らせてしまったかしら?
「そう言えば、周りの娘たちが噂していたけど、ドレスの話をしていたそうだね?今日のドレスも、夏らしい色合いで、良く似合ってる。可愛いよ」
っっっ‼︎‼︎
…………ねぇ。
今、さらりと、カワイイとか言われましたけど⁈
顔どころか、全身が火を吹いたように熱く感じる。
これはっ!照れる‼︎
「あ!ありがとうございます!原色だらけで、目が痛くなったりしませんか?」
「えぇ?そんなことないよ?」
極度に照れてしまって、意味不明の返ししかできなかった……。
ジェフ様は、それにはクスクス笑って、否定を返してくれたけど。
良かった。
実は、母からの手紙を読んだとき、『赤に黄色って、南国の鳥じゃ無いんだからっ!』って、思ったのよね。
実際、ドレスを着てみたら、それほど酷くもなかったので、今回は強行したんだけど。
赤い髪って、着る服の色を選ぶから、毎回配色には悩まされる。
「新しいドレスのブランドが、どうこうって聞いたけど?」
「はい。ヴェロニカ様が、母のデザインを気に入って下さって。デザインブランドの立ち上げを、提案して下さったんです」
「それは、良い商売になりそうだ。立ち上げはいつ?」
「具体的なことは、まだですが、降臨祭の前に行われる公爵家のサロンでお披露目できるように、二着デザインするようですね」
「二着?」
「広い世代をターゲットにするそうで」
「なるほど。すると、広告塔は、ベル従姉様と……ローズちゃん?」
「はい。わたくしでは、役不足かと思うのですが」
「いやいや。それは見るのが楽しみだ。出資を募るなら、是非、僕も一枚噛ませて欲しいな。話が出たら教えてよ」
「有難うございます。母に伝えておきますね」
「うん。それにしても、豪華な広告塔だな。成功間違い無しだね。色合いやイメージは、決まっているの?」
「色は、紫と言っていましたね。イメージは、ヴェロニカ様は、シンプルなラインのものでした」
「ふーん。完成に合わせて、僕も何かプレゼントしたいんだけど?」
「いえいえ!そんな!お気持ちだけで!」
「えー?」
ジェフ様は、冗談めかして微笑んでいる。
ドレスに関しては、わたしも楽しみ。
どんなものが出来上がるのかしら?
ゆったりと会話を楽しんでいるうちに、緩々と馬車が停車して、第二の城壁に差し掛かったことに気づく。
ミュラーソン公爵家の敷地が本当に広いから、西門に到着するまでに、想像以上に時間がかかっていた。
馬車を見ただけで、ほぼ顔パスのような状態らしく、数秒後には動き出す。
馬車は、第二の城壁に沿って、聖堂方面に向きを変え、北上を始めた。
門を通過する間、しばらく会話が途切れたので、馬車が動き出したタイミングで、少し気になっていたことを聞いてみる。
「ジェフ様は、この後、何かご予定がお有りなんですよね?」
ジェフ様は、きょとんとした後、困った様に微笑んだ。
「何故?」
「わたくしどもを送るために、かなり遠回りを……。お時間を取らせてしまって、それが申し訳なくて」
「あぁ、そっちか。お茶にでも誘ってくれるなら、『喜んで』と、答えようと思っていたんだけど?」
「え?」
凄く残念そうに、肩を落としてみせるジェフ様。
あれ?
用事があって、早く帰るわけでは無いのかな?
そこで、一つの可能性に気づき、わたしは眉を寄せる。
わたしの横では、いよいよ険しい顔で、小さく歯軋りまではじめながら、眠っているお兄様。
ダメ……凝視すると笑ってしまう。
もしかして、ジェフ様は、お兄様を酔わせてしまったことに責任を感じて、送っていくために早く帰ることを決めた?
「まさか、兄のせいでしょうか?せっかく盛り上がる頃合いでしたのに、何というご迷惑を……」
でも、それには直ぐに否定が返ってくる。
「違うよ?早く帰るのを決めたのは、オレガノ様のせいじゃ無いから、心配しないでね?醜聞になるから、今は詳しく話せないけど、ちょっと家族がね……」
「そう……ですか?」
取り越し苦労で良かった。
なるほど。
家族に何かあったのかしら?
それだと、ジェフ様が事件と関係無くても、何食わぬ顔でサロンに参加していては、周囲のイメージを悪くしかねない。
「そうそう、ローズちゃんに、伝えておかないといけないことがあったんだ。僕の兄のことなんだけど」
「お兄様ですか?」
「うん。来週、王宮での晩餐会に出席するでしょう?」
「はい」
「僕の兄には近寄らない様に、気をつけてほしくて。彼は、僕とは真逆で、かなり軽薄だから」
一瞬、ジェフ様ジョークかと思ってしまったけど、言っている本人は、いたって真剣だ。
あれ?
ご自身、自分がチャラ男キャラなの、気付いてないのかな?
そんなことないよね?
あれ、絶対、わざとやっているもの!
するとやっぱり、あれは演技?
確かにジェフ様は、『御令嬢やマダムから絶大な人気を誇る』と、話に聞くけれど、あちこちに手を出しているといった、浮わついた噂は、一切無い。
「少し心配しているんだ。僕は参加出来ないから」
「そうなんですか?」
「うん。だから、気をつけてね?」
「はい。気をつけますね?」
笑顔で返事をすると、ジェフ様は眉根を寄せて、肩を落とした。
「ホントに大丈夫かなぁ?全然、安心できないんだけど……」
えぇ?
わたし、そんなに危なっかしい感じです?
「大丈夫ですよ?隅の方で、大人しくしていますので……」
「う゛っ」
突如。
横でうめく様な声が聞こえて、そちらに視線を向けると、お兄様が、のっそりと起き上がるところだった。
お腹の辺りと、口元を両手で押さえて、眉間に皺を寄せている。
何だか顔色が悪いし、額に脂汗を浮かべているけど、まさか……。
「…………っ気持ち……悪い」
ですよね~。
って、ちょっと待って?
「お兄様!落ち着いて。静かに呼吸してみましょう!」
この場で……!
なんていう悲劇だけは、どうしても避けたくて、わたしは慌てて、お兄様を横から支える。
ジェフ様も、直ぐに彼の後ろの壁をノックした。
小さな扉が開き、御者台から人が顔を出す。
「客人の体調が優れないようだから、速度を下げてほしい。何処か近くに停められるかな?」
「あと僅かで、聖堂前広場ですが……」
「分かった。そこで協力を仰ごう」
速度を下げて、聖堂に向かう馬車だけど、石畳みの上を走る鉄の車輪の馬車は、路面の状況を、しっかりと中の人に伝えてくるわけで。
前世の記憶を持つわたしから言わせて貰うと、タイヤってかなり重要な存在よね?
なんとか聖堂前広場の馬車停まりに停車した時には、お兄様は、グロッキー状態。
別の馬車で、後ろからついてきていたアメリさんが、扉を開け、
「聖堂に、協力を依頼して参ります」
と、告げた直後、お兄様は、のそりと立ち上がり、自分で馬車からおりた。
酔っ払っていて、何が何だか分からなくても、馬車の中でモドすのは不味いと、無意識下で考えたのかな?
何の前触れもなく、高級かつ家紋入りの馬車が聖堂前で停り、更にそこから人が降りてきて、地面にうずくまったわけだから、周囲は結構な騒ぎになってしまったみたい。
わたしは、お兄様に続こうと立ち上がったのだけど、
「ローズちゃん?ダメだよ?」
ジェフ様が、わたしの手を取り、それを静止する。
その時、馬車の横に人影が二つ駆け寄って来た。
「どうかなさいましたか?……オレガノ様?」
異変に気づいたのか、手に持っていた紙袋を、後にいたラルフさんに投げ渡し、お兄様の横に跪いたのは、レンさんだった。
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朝になり起こしに来た専属メイドが、アイリスがいない事を当主に報告し、疎ましく思っていたくせに当主と夫人は騒ぎたて、当主はアイリスを探そうともせずに、その場でアイリスが誘拐された責任として、専属メイドと専属騎士にクビを言い渡した。
クビを言い渡された専属メイドと専属騎士は、何も言わず食堂を出て行き身支度をして、公爵家から出ていった。
しばらく歩いていると、次期当主であるカイルが後を追ってきて、カイルの腕にはいなくなったはずのアイリスが抱かれていた。
アイリスの無事に安心した二人は、カイルの話を聞き、三人は王城に向かった。
王城で、カイルから話を聞いた国王から広大なアイリス公爵家の領地の端にあり、昔の公爵家本邸があった場所の管理と魔の森の開拓をカイルは、国王から命られる。
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