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第五章

馬車に揺られて

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(side ローズ)


 そろそろサロンをおいとましようと考えていたところに、タイミングよく声をかけて下さった、ジェフ様。

 おかげで、わたしは、無事帰路につくことになった。


 エミリオ様やヴェロニカ様と、楽しくお話しをさせて頂けたので、精神的には落ち着きを取り戻しつつあったけれど、成人の儀を除いては、初めてとなる社交の場。
 粗相があってはいけないと、常に緊張していたので、その申し出は有り難かった。


 革張りの広い馬車のシートに横になって、その八割を占拠しているお兄様は、何故か眉間に深く皺を寄せて、険しい顔で寝息を立てている。
 何でそんな顔?と思うと、思わず笑ってしまいそうになるけど、不謹慎なので我慢する。

 そもそも、お兄様。
 何故、酔っ払うほど、お酒を飲んだのかな?

 ジェフ様や公爵家の皆様が、目立たないように誤魔化してくれたから良かったものの、ちょっとした失態よね?

 何となくムッとして、ぐいぐいとスペースを狭めてくる筋肉質なお尻を、軽くつねってみると、少しだけ奥にズレてくれて、座りやすくなった。
 ほんのちょっとだけ、溜飲が下がる。


 それにしても、ジェフ様には、大変なご迷惑をかけてしまった。


 対面の席に座った後も、エミリオ様とヴェロニカ様に、散々釘を刺されて、苦笑いで冗談を返しているジェフ様。
 今日はまた、一段とキラキラしていらっしゃるわ。

 最近は、専門学校の制服でお会いすることが多かったけど、正装に身を包んだ彼は、何処か王子様然としたオーラがある。

 人気が有るのも、当然よね。

 『常にドレスのカーテンに囲まれている』と、話には聞いていたけれど、ホールでチラリとその集団が見えた瞬間に、『あ。きっと、この奥にジェフ様がいらっしゃるんだわ!』と、気付いて、妙に納得した。
 全然見えなかったけど、間違いないと思わせるほどの迫力だったわ。
 色とりどりのドレスが、ソファーがありそうな一角を埋め尽くしている様は、まるでオーロラのよう。
 オーロラ見たことないけれど。


 将来有望そうなご令息たちが、周りに沢山いらっしゃるのに、何故彼の周りにばかり集まってしまうのかしら?
 何て、思うのも馬鹿馬鹿しいくらい、抜きん出て、顔がいい!声も良い!
 それに加えて、対応も良い。

 それは集まるわよ。
 
 会うことがあったらご挨拶を……なんて、のんびり考えていたけど、そんなラッキーは無い!と、理解したわ。
 自分で動かなければ、同じ会場にいても、顔すら合わせられない高嶺の花なのね……。
 
 そんな素敵な方と、運良く帰るタイミングがバッティングするなんて、それ、何てヒロイン補正かな?
 考えると、空恐ろしい。

 だってわたし、聖女候補とは言え、ただの田舎の男爵令嬢だもの。
 補正でも働かなければ、景色の一部になっていると思うのよね?

 
 扉が閉まり、ヴェロニカ様とエミリオ様に会釈をすると、馬車はゆるゆると走り出す。
 対面する席に視線を向けると、外を見ていた海の色の双眸が、こちらを向いて、やんわりと細められた。
 この綺麗な笑顔が、わたしに向けられているなんて、奇跡のよう……!

 っと。
 見惚れている場合じゃなかった。
 お詫びとお礼を言わなければ。


「兄妹でご迷惑をかけてしまって、本当に申し訳ありません。……でも、助かりました。わたくしも、初めてのことで色々緊張してしまって」

「迷惑なんて、ローズちゃんを送ることが出来て、僕は嬉しいよ?」


 笑顔でお礼を言うと、甘いセリフが返ってきた。

 これだもの。
 数多の御令嬢が、メロメロになるわけよね?

 社交辞令よ、社交辞令!
 額面通りに受け取って、舞い上がってはいけない。


「誤解のないように言っておくけど、他の女性にこんなこと、言わないからね?」


 折角気持ちを落ち着けようとしていたのに、追い打ちをかけるように、悪戯っぽい笑顔で告げられた台詞。

 頬に、一気に熱が集まっていくのがわかる。

 こんなの、絶対勘違いしちゃうから!
 ジェフ様、ちょっと小悪魔すぎません?
 まるで、特別視されているみたいに聞こえて、胸がざわつく。

 何でヒロインは、この猛烈なアプローチをスルーできたのかな?
 幾度となく不思議に思っていた疑問が、再び頭を掠めた。

 だって、こんな何でも持っている美少年に特別扱いされたら、普通にぐらぐらしますけど?

 どう返答するべきか考えていると、前からクスっと、小さく笑う声が聞こえて、俯いていた顔を上向けた。
 目の前には、最近わたしに向けてくれる、含みのない優しげな笑顔。
 かっこいいなぁ。


「サロンは楽しめたかな?」

「っぁ……はい!おかげさまで」

「そう。それなら、もう少しあの場にいたかった?」

「いえっ!あ、いやだったというのでは無くて。とても楽しかったのですけど、やはり煌びやかな場所は経験が少ないですから、気おくれしてしまいました」

「そう?はじめから、ベル従姉様に囲われていたから、どこの御令嬢かって、皆興味深々だったみたいだよ?」

「恐れ多いです。ヴェロニカ様には、本当によくして頂いて」

「随分、気に入られちゃったみたいだね」

「有難いことです。ですが、やはり緊張しました。丁度良い時に声をかけて頂き、有り難かったです。それに……今日は、ジェフ様にご挨拶するのは、難しそうだと思っていましたので、その……お話し出来て嬉しいです」


 サロンは素敵だったけど、初めてのことだし、午前中のこともあったから、早めに帰りたかったのは、事実。
 タイミング良く『送る』と、申し出てくれたジェフ様には、感謝しかない。

 それに、ドレスのカーテンの中にズカズカ踏み込んでいけるほど勇者じゃ無いから、今日はご挨拶出来ないと思っていたのよね。

 笑顔でそのことを伝えると、ジェフ様は、一瞬目を瞬かせ、少し俯き加減で、口の前に右手を持ってくる。
 彼が、何かを考えているときの仕草だけど……。


「はぁ~~。参った。僕、試されているのかな?これで無自覚だから、ホント手に負えない」


 狭い馬車の室内だから、ジェフ様の口から吐き出された呟きは、しっかりと、わたしの耳に届いた。

 えぇっ⁈
 何か、気に障るようなこと、言っちゃいましたか?

 どうしよう。
 ここで、馬車から兄妹きょうだい諸共、放り出されるのは困る!


「ええと……?」

「ああ、ごめん。気にしないで?」


 顔を上げて、苦笑いしているジェフ様だけど、その頬の薔薇色が、いつもより濃い色に見える。
 怒らせてしまったかしら?
 

「そう言えば、周りのたちが噂していたけど、ドレスの話をしていたそうだね?今日のドレスも、夏らしい色合いで、良く似合ってる。可愛いよ」


 っっっ‼︎‼︎

 …………ねぇ。
 今、さらりと、カワイイとか言われましたけど⁈
 顔どころか、全身が火を吹いたように熱く感じる。

 これはっ!照れる‼︎
 

「あ!ありがとうございます!原色だらけで、目が痛くなったりしませんか?」

「えぇ?そんなことないよ?」


 極度に照れてしまって、意味不明の返ししかできなかった……。
 ジェフ様は、それにはクスクス笑って、否定を返してくれたけど。

 良かった。
 実は、母からの手紙を読んだとき、『赤に黄色って、南国の鳥じゃ無いんだからっ!』って、思ったのよね。
 実際、ドレスを着てみたら、それほど酷くもなかったので、今回は強行したんだけど。
 赤い髪って、着る服の色を選ぶから、毎回配色には悩まされる。


「新しいドレスのブランドが、どうこうって聞いたけど?」

「はい。ヴェロニカ様が、母のデザインを気に入って下さって。デザインブランドの立ち上げを、提案して下さったんです」

「それは、良い商売になりそうだ。立ち上げはいつ?」

「具体的なことは、まだですが、降臨祭の前に行われる公爵家のサロンでお披露目できるように、二着デザインするようですね」

「二着?」

「広い世代をターゲットにするそうで」

「なるほど。すると、広告塔は、ベル従姉様と……ローズちゃん?」

「はい。わたくしでは、役不足かと思うのですが」

「いやいや。それは見るのが楽しみだ。出資を募るなら、是非、僕も一枚噛ませて欲しいな。話が出たら教えてよ」

「有難うございます。母に伝えておきますね」

「うん。それにしても、豪華な広告塔だな。成功間違い無しだね。色合いやイメージは、決まっているの?」

「色は、紫と言っていましたね。イメージは、ヴェロニカ様は、シンプルなラインのものでした」

「ふーん。完成に合わせて、僕も何かプレゼントしたいんだけど?」

「いえいえ!そんな!お気持ちだけで!」

「えー?」


 ジェフ様は、冗談めかして微笑んでいる。

 ドレスに関しては、わたしも楽しみ。
 どんなものが出来上がるのかしら?


 ゆったりと会話を楽しんでいるうちに、緩々と馬車が停車して、第二の城壁に差し掛かったことに気づく。

 ミュラーソン公爵家の敷地が本当に広いから、西門に到着するまでに、想像以上に時間がかかっていた。

 馬車を見ただけで、ほぼ顔パスのような状態らしく、数秒後には動き出す。
 馬車は、第二の城壁に沿って、聖堂方面に向きを変え、北上を始めた。

 門を通過する間、しばらく会話が途切れたので、馬車が動き出したタイミングで、少し気になっていたことを聞いてみる。


「ジェフ様は、この後、何かご予定がお有りなんですよね?」


 ジェフ様は、きょとんとした後、困った様に微笑んだ。


「何故?」

「わたくしどもを送るために、かなり遠回りを……。お時間を取らせてしまって、それが申し訳なくて」

「あぁ、そっちか。お茶にでも誘ってくれるなら、『喜んで』と、答えようと思っていたんだけど?」

「え?」


 凄く残念そうに、肩を落としてみせるジェフ様。

 あれ?
 用事があって、早く帰るわけでは無いのかな?

 そこで、一つの可能性に気づき、わたしは眉を寄せる。

 わたしの横では、いよいよ険しい顔で、小さく歯軋りまではじめながら、眠っているお兄様。
 ダメ……凝視すると笑ってしまう。

 もしかして、ジェフ様は、お兄様を酔わせてしまったことに責任を感じて、送っていくために早く帰ることを決めた?


「まさか、兄のせいでしょうか?せっかく盛り上がる頃合いでしたのに、何というご迷惑を……」


 でも、それには直ぐに否定が返ってくる。


「違うよ?早く帰るのを決めたのは、オレガノ様のせいじゃ無いから、心配しないでね?醜聞になるから、今は詳しく話せないけど、ちょっと家族がね……」

「そう……ですか?」


 取り越し苦労で良かった。

 なるほど。
 家族に何かあったのかしら?
 それだと、ジェフ様が事件と関係無くても、何食わぬ顔でサロンに参加していては、周囲のイメージを悪くしかねない。


「そうそう、ローズちゃんに、伝えておかないといけないことがあったんだ。僕の兄のことなんだけど」

「お兄様ですか?」

「うん。来週、王宮での晩餐会に出席するでしょう?」

「はい」

「僕の兄には近寄らない様に、気をつけてほしくて。彼は、僕とは真逆で、かなり軽薄だから」


 一瞬、ジェフ様ジョークかと思ってしまったけど、言っている本人は、いたって真剣だ。

 あれ?
 ご自身、自分がチャラ男キャラなの、気付いてないのかな?
 そんなことないよね?
 あれ、絶対、わざとやっているもの!
 するとやっぱり、あれは演技?

 確かにジェフ様は、『御令嬢やマダムから絶大な人気を誇る』と、話に聞くけれど、あちこちに手を出しているといった、浮わついた噂は、一切無い。


「少し心配しているんだ。僕は参加出来ないから」

「そうなんですか?」

「うん。だから、気をつけてね?」

「はい。気をつけますね?」


 笑顔で返事をすると、ジェフ様は眉根を寄せて、肩を落とした。


「ホントに大丈夫かなぁ?全然、安心できないんだけど……」


 えぇ?
 わたし、そんなに危なっかしい感じです?


「大丈夫ですよ?隅の方で、大人しくしていますので……」

「う゛っ」


 突如。
 横でうめく様な声が聞こえて、そちらに視線を向けると、お兄様が、のっそりと起き上がるところだった。
 お腹の辺りと、口元を両手で押さえて、眉間に皺を寄せている。
 何だか顔色が悪いし、額に脂汗を浮かべているけど、まさか……。


「…………っ気持ち……悪い」


 ですよね~。
 って、ちょっと待って?


「お兄様!落ち着いて。静かに呼吸してみましょう!」


 この場で……!
 なんていう悲劇だけは、どうしても避けたくて、わたしは慌てて、お兄様を横から支える。

 ジェフ様も、直ぐに彼の後ろの壁をノックした。
 小さな扉が開き、御者台から人が顔を出す。


「客人の体調が優れないようだから、速度を下げてほしい。何処か近くに停められるかな?」

「あと僅かで、聖堂前広場ですが……」

「分かった。そこで協力を仰ごう」


 速度を下げて、聖堂に向かう馬車だけど、石畳みの上を走る鉄の車輪の馬車は、路面の状況を、しっかりと中の人に伝えてくるわけで。

 前世の記憶を持つわたしから言わせて貰うと、タイヤってかなり重要な存在よね?

 なんとか聖堂前広場の馬車停まりに停車した時には、お兄様は、グロッキー状態。

 別の馬車で、後ろからついてきていたアメリさんが、扉を開け、


「聖堂に、協力を依頼して参ります」


 と、告げた直後、お兄様は、のそりと立ち上がり、自分で馬車からおりた。
 酔っ払っていて、何が何だか分からなくても、馬車の中でモドすのは不味いと、無意識下で考えたのかな?


 何の前触れもなく、高級かつ家紋入りの馬車が聖堂前で停り、更にそこから人が降りてきて、地面にうずくまったわけだから、周囲は結構な騒ぎになってしまったみたい。
 わたしは、お兄様に続こうと立ち上がったのだけど、


「ローズちゃん?ダメだよ?」


 ジェフ様が、わたしの手を取り、それを静止する。
 
 その時、馬車の横に人影が二つ駆け寄って来た。
 

「どうかなさいましたか?……オレガノ様?」


 異変に気づいたのか、手に持っていた紙袋を、後にいたラルフさんに投げ渡し、お兄様の横に跪いたのは、レンさんだった。
 

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