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第五章
社交界も、ある意味での戦場だと思う
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(side ジェフ)
先日、魔導士長様から名札を授かる為に、王宮へ出向いた。
真っ白な長い髭を蓄えた彼は、見る限り年齢不詳だけど、魔力持ちは普通の人間より長命だというから、きっと普通の王宮で働いている人間より遥かに長い時を生きているに違いない。
仮登録の者に与えられる銅製のプレートを受け取り、制服のローブに取付けた。
これまでも、学生のうちに王宮魔導士の仮登録をした人間は、ごく少数だけど、いたそうで、学校規定のローブには、王宮魔導士の白ローブと同様、プレートを取り付けられるスペースが設けられている。
王宮魔導士局の紋章の上に、名前と、貴族出身の場合は家の紋章が刻まれた、そのプレート。
金属で作られている理由を説明されて、妙に納得がいった。
つまるところ、それは、戦場に出ることを意味している。
戦地で命を落とした場合、唯一持ち帰って貰える可能性があるのが、こちらのプレートということだ。
これは、何も王宮魔導士に限ったことではない。
例えば、王国騎士団員は、各隊の徽章の裏に氏名が刻印されているらしい。
先日チラリと見たが、聖騎士も詰襟の首元に金属製の盾の徽章を付けていたから、同様の意味合いがあるのだろう。
「この国は、二百年の長きに渡り平和が保たれている。だが、局地的には小規模な内乱もあるし、地域によっては、常に魔物の脅威に晒されている。魔界の存在に至っては、言うまでもない。さて、ジェファーソン殿。戦に勝つためには、何が必要だと思うかね?」
所属の隊を示すストールを手渡しながら、魔導師長様は、僕に尋ねた。
瞬時に頭に浮かんだのは『規律の取れた騎兵部隊』や『強力な魔導を操る王宮魔導士部隊』といったところ。
『一騎当千の英雄』や『聖なる武器』も勝率を上げる要因になるが、有効に使わなければ、宝の持ち腐れとなる。
使い所を間違えてはいけない。
そこで、不意に思い浮かんだ言葉を口に乗せた。
「情報……でしょうか?」
魔導士長は、驚いたように口を開き、やがて愉快そうに笑った。
「いやはや。実に結構。そのような答えが、突出した魔力量と、魔導の才能に溢れる、君の口から出てこようとは。流石は侯爵閣下の実子であられる。さよう。敵の情報を詳細に掴み、可能であれば戦わずに済む道を選ぶのが一番良い」
もしかして、自分の力を過信して、単独で暴走する可能性が無いかを、かなり遠回しに確認されたのかな?
確かに、戦場では集団で動くことの多い王宮魔導士だから、個人で勝手に動かないことは絶対条件だろう。
魔導士長の質問に、どんな意図があったのか、本音のとこは分からない。
でも、今まで僕が社交界で意図せず培ってきてしまったことが、間違っていなかったと認められたのは、少し嬉しかった。
そう。
社交界だって、ある意味での戦場だと、僕は考えている。
タキシードとドレスで武装した男女が、表面を、小洒落た会話やダンスで取り繕いつつ、腹の中に多種多様な思惑を隠して、水面下で小競り合いをしている。
僕の年代のほとんどは、色恋沙汰が中心だから可愛いものだけど、成人した今後は、家や領地、権力なんてことまで絡んでくるから、情報収集は念入りに行わなければいけない。
そんな中での、今回の敗北。
それは、ベル従姉様とステファニー様にタッグを組まれてしまえば、僕では簡単に太刀打ち出来ない。
王子殿下が正々堂々としている分、ベル従姉妹は、搦手が得意だ。
今日の僕の行動は、当然ステファニー様から筒抜けだっただろうから、先手を打って、先に王子殿下とローズちゃんを会わせたわけだ。
少し時間が空いてしまえば、僕は御令嬢のドレスのカーテンの内側。
今日、ローズちゃんと二人きりで話すのは、ほぼ不可能となる。
でも、僕だって、ただ負けっぱなしで終わるつもりは無いよ?
取り合えず、負けを宣言して恨み言を言いつつ、一時撤退した。
まず、するべきは情報収集。
今までの会話から、既に僕の手元には、何枚かのカードが有る。
その中で、僕にとって有利に働きそうなカードは二枚。
一つは、僕の家族に何かがあった事。
二つ目に、午前中聖堂で騒ぎがあって、ローズちゃんが精神的に不安定である事。
これらは、双方が早めにサロンをお暇する理由になりうる。
状況が上手く合えば、同じタイミングで帰ることが出来るかもしれない。
しかしそれは、遠方から遥々やって来た男爵夫妻にとって、残念なことであるはずだ。
そこで『僕が送る』と申し出れば良い。
ただ、これには一つハードルがある。
日中のサロンとは言え、『大切な娘を、知りもしない男に送らせる』というのは、男爵家としては、認められないだろう。
送るといって、領館に連れ込まれでもしたら、一大事なわけだから。
もちろん、そんなつもりは毛頭無いけれど、彼女は聖女候補。
下世話な噂を立てられては、世間のイメージを悪くしかねない。
『僕が彼女を気に入っているから、迂闊に手を出せない』と言うイメージは作っておきたいけれど、ローズちゃんは、あくまで清廉潔白なイメージのままにしたいから、匙加減が難しいな。
そんな時、運良く手元に飛び込んできたのが、オレガノ様だ。
当初は、僕の兄の悪癖を伝えるだけのつもりだったけど、聖堂で何があったかの情報は、彼から得られるだろう。
しかも、何やら酒に弱いようだ。
どうやら、追い風は僕に吹いているようだよ?ベル従姉様。
ややおぼつかない足取りでホールに入ってきたオレガノ様をつかまえて、席を勧めつつ、親切ぶって水も用意させた。
流石は騎士だけあって、そう簡単に警戒を解きそうも無いけど、周囲に女性が増えるにつれて、目が泳ぎ、若干挙動不審になる。
こういった状況に慣れていないのだろう。
彼に話を聞けば、聖堂で起こった事件は『進路妨害』だと言う。
聖堂に置いて、進路を妨害されて問題になるのは二人だけ。
しかも、ローズちゃんが不安を感じているのだから、対象は『聖女様』で間違いない。
その時、脳裏に浮かんだのは、先に得た二つの情報。
公爵家、侯爵家のサロン参加ドタキャンと、兄の『ダミアン様をからかいにいく』といった発言だ。
あぁ。
そうか。
『どうせ会えないだろう。聖堂の中で働いているんだから』などとタカを括っていたけど、運悪く会えてしまったんだろう。
あの兄のことだから、散々馬鹿にしたに違いない。
そして、プライドが高くてキレやすいダミアン様のことだから、聖女様に自分の不遇を訴えたかもしれない。
ダミアン様の名前を口にすると、オレガノ様は驚いた顔で『何故?』と、問い返した。
続く言葉は『分かったのか?』ってところかな?
僕は深くため息を落とした。
そんな状況で、僕がのんびりサロンで遊んでいるなんて、いい笑いものだ。
帰らなくて良いと判断したのは、少々危機管理の甘い母の方だろうけど。
こんな日は、さっさとお暇するに限る。
折角だから、この呑気なお兄様にもご協力を願おうかな?
彼が一緒ならば、男爵夫妻も首を縦に振るに違いない。
アメリを呼んで、男爵家族が、現在どう言う状況にあるかを確認。
二点ほどオーダーする。
一つは馬車の準備。
もう一つは、オレガノ様に強い酒を用意させること。
その間、当初の目的であった、兄の悪癖を話し、来週の晩餐会での注意を促しつつ、アメリが酒を持って、オレガノ様の後方に立つのを待った。
慣れない状況下で、しかもほろ酔いならば、いかに現役騎士のオレガノ様と言えども、判断力が鈍るだろう。
あとは、女性慣れしていなさそうな彼を、より慌てさせる状況を作ってやれば、多分。
結果は、予想通り。
酒を飲ませることに成功した。
眠ってしまったのは、予想外だったけど。
とりあえず手駒を手に入れ、馬車の準備が整うまで、周囲の御令嬢たちと、しばし歓談する。
中には、オレガノ様に本格的に興味を持った娘もいたようなので、所属や、生真面目な彼の性格などを懇切丁寧に説明し、売り込んでおいた。
彼の周りに令嬢が集まるようになれば、別の社交の場で、ローズちゃんに多少は近づきやすくなる……かもしれない。
この辺は、あくまで希望だけど。
それに、オレガノ様にとっても、人気が出て悪い気はしないだろう。
馬車の準備ができた旨の連絡を受け、男爵一家とベル従姉様、王子殿下の会話の内容を、再度アメリに確認する。
へぇ。
趣向の違ったお揃い感のあるドレスを、男爵夫人にデザインしてもらうって?
しかも、王子殿下もそれに合わせるときた。
それを見た周囲の人間に、『王子殿下が聖女候補(場合によっては聖女様)を妾に娶るかもしれない』といった期待を抱かせるには、十分すぎる演出だ。
聖女様と王家が結婚する事を、王国民は吉兆と信じているからな。
しかも、正妻の許可も得ている格好。
上手いなぁ。
でも、そう易々と譲るつもりは無いから、発表までに、こちらも対策を立てておいた方が良さそうだ。
聞けば、粗方話もまとまっているらしく、男爵家は、お暇を告げる機会を伺っている様子。
僕は周囲の御令嬢たちに、楽しかったとお礼を告げた。
うっかりオレガノ様をお持ち帰りされないように、僕の護衛を付けておくことも忘れない。
女性は、怖いから。
あとは、お暇を告げる為にやって来た体で、ベル従姉様たちに接近。
オレガノ様をダシに、ローズちゃんを聖堂へと送リ届ける名誉を勝ち取るための、交渉を行った。
最初に反発を示したのは、王子殿下。
彼のそういう素直なところ、僕は結構気に入っている。
でも、流石に婚約者の母が主催するサロンを途中で放ったらかして、『自分が送っていく』なんて、言えるはずもないよね?
賢い殿下のことだから。
ベル従姉様も、『狐に摘まれたようだ』と苦笑いを浮かべつつ、どうやらお墨付きをくれるようだ。
男爵夫妻としては、断ったら逆に失礼な雰囲気になってしまって、断りようもないだろう。
ローズちゃんをエスコートするべく手を差し出すと、彼女はやんわり微笑んで、僕の手を取り、立ち上がった。
「馬車までお見送り致しますわ」
ベル従姉様が言うと、殿下は立ち上がり、彼女のエスコートをする。
因みに、オレガノ様に関してだけど、僕の屈強な護衛たちに左右から支えられ、人目を避けて、ガーデン側から馬車まで搬送された。
馬車についた時には、オレガノ様は、既にシートに横たえられていた。
「兄が、本当にご迷惑を……」
申し訳なさそうに眉を下げるローズちゃんに優しく笑みを浮かべ、彼女を反対の席に案内する。
そこで、殿下からクレームが入った。
「まさか、横に座るつもりじゃないだろうな?」
「他に席が有りません。御者席に座れと?」
「ダメだ。お前はオレガノの横に座れ」
「いえ!そこまでご迷惑をお掛けできません。兄の横には、わたくしが」
ローズちゃんは慌てて立ち上がり、オレガノ様の横の、わずかだけ空いたスペースに、すとんと腰を下ろしてしまった。
それだけのスペースに、入れてしまうのか?
ドレスがふんわりしているからイメージ出来なかったけど、なんて華奢なのだろう。
今日ほど、ゆったりと幅のある侯爵家特注のシートを呪ったことは無いけれど、彼女が、僕の片腕にすっぽりと収まってしまうサイズだろう事実に胸が締め付けられて、平常心が保てないといけないから、諦めて彼女の対面に腰を下ろす。
扉を閉める直前、ベル従姉様からも牽制が来た。
「まずは聖堂、そのあと王宮ですわよ?分かっているでしょうけど」
「オレガノ様の体調を考えると、逆の方が良い気もしますけど?」
「ダメだ!」
「ジェフ?」
反射的に返答があり、飛んできたのは、殿下の厳しい視線と、ベル従姉様の冷ややかな視線。
僕は苦笑いを浮かべた。
「冗談ですよ。お任せ下さい」
ベル従姉様は、苦笑を浮かべ、殿下は悔しいのか、顔を僅かに赤らめて両拳を握りしめている。
お持ち帰りなら、王宮経由ドウェイン家の領館で一直線ルートなんだけど、そう言うわけにはいかないからなぁ。
ミュラーソン公爵家の領館は、王宮の西側に位置しているから、第二の城壁西門から出て、聖堂経由、第二の北門から中に入り、王宮、そして、王宮東側に位置するドウェイン家の領館に戻るルートが妥当なところだ。
ほんの僅かな時間だけど、全く話せないよりは、随分マシな結果になった。
「兄妹でご迷惑をかけてしまって、本当に申し訳ありません。……でも、助かりました。わたくしも、初めてのことで色々緊張してしまって」
眉を下げてお詫びとお礼を口にするローズちゃんは、横に体格のいいオレガノ様がいるせいか、より小さく見えて、とにかく可愛らしい。
「迷惑なんて、ローズちゃんを送ることが出来て、僕は嬉しいよ?……誤解のないように言っておくけど、他の女性にこんなこと、言わないからね?」
笑顔を向けて、『君のことを特別視している』と伝えると、頬を真っ赤に染めて、彼女は俯く。
そんな顔が見れただけでも、今日のところは満足しておこうかな?
これ以上を望むのは、今はまだ難しい。
不本意ではあるけれど、ステファニー様から、キツく止められているし、理由がはっきりするまでは、迂闊に行動出来ない。
それに、彼女は聖女候補だから。
それより今は、少しだけ甘やかなこの時間を、存分に楽しむことにしよう。
頬を染めたまま小さくなっているローズちゃんを、幸せな気分で鑑賞しながら、聖堂に着くまでに彼女と話すべきことを考える。
まず、僕の兄のことを伝えて、来週の晩餐会では、ちゃんと注意して貰わなきゃ。
自衛するにしても、天然無自覚な彼女のことだから、心配は尽きないけれど。
それから、ベル従姉様と合わせて作られるドレスの話も。
先に見せて貰うのは難しいだろうけど、せめて、色合いや形を教えて貰えれば、こちらも割り込み易い。
僕は、百面相を始めたローズちゃんに話しかけるべく、笑顔を向けた。
先日、魔導士長様から名札を授かる為に、王宮へ出向いた。
真っ白な長い髭を蓄えた彼は、見る限り年齢不詳だけど、魔力持ちは普通の人間より長命だというから、きっと普通の王宮で働いている人間より遥かに長い時を生きているに違いない。
仮登録の者に与えられる銅製のプレートを受け取り、制服のローブに取付けた。
これまでも、学生のうちに王宮魔導士の仮登録をした人間は、ごく少数だけど、いたそうで、学校規定のローブには、王宮魔導士の白ローブと同様、プレートを取り付けられるスペースが設けられている。
王宮魔導士局の紋章の上に、名前と、貴族出身の場合は家の紋章が刻まれた、そのプレート。
金属で作られている理由を説明されて、妙に納得がいった。
つまるところ、それは、戦場に出ることを意味している。
戦地で命を落とした場合、唯一持ち帰って貰える可能性があるのが、こちらのプレートということだ。
これは、何も王宮魔導士に限ったことではない。
例えば、王国騎士団員は、各隊の徽章の裏に氏名が刻印されているらしい。
先日チラリと見たが、聖騎士も詰襟の首元に金属製の盾の徽章を付けていたから、同様の意味合いがあるのだろう。
「この国は、二百年の長きに渡り平和が保たれている。だが、局地的には小規模な内乱もあるし、地域によっては、常に魔物の脅威に晒されている。魔界の存在に至っては、言うまでもない。さて、ジェファーソン殿。戦に勝つためには、何が必要だと思うかね?」
所属の隊を示すストールを手渡しながら、魔導師長様は、僕に尋ねた。
瞬時に頭に浮かんだのは『規律の取れた騎兵部隊』や『強力な魔導を操る王宮魔導士部隊』といったところ。
『一騎当千の英雄』や『聖なる武器』も勝率を上げる要因になるが、有効に使わなければ、宝の持ち腐れとなる。
使い所を間違えてはいけない。
そこで、不意に思い浮かんだ言葉を口に乗せた。
「情報……でしょうか?」
魔導士長は、驚いたように口を開き、やがて愉快そうに笑った。
「いやはや。実に結構。そのような答えが、突出した魔力量と、魔導の才能に溢れる、君の口から出てこようとは。流石は侯爵閣下の実子であられる。さよう。敵の情報を詳細に掴み、可能であれば戦わずに済む道を選ぶのが一番良い」
もしかして、自分の力を過信して、単独で暴走する可能性が無いかを、かなり遠回しに確認されたのかな?
確かに、戦場では集団で動くことの多い王宮魔導士だから、個人で勝手に動かないことは絶対条件だろう。
魔導士長の質問に、どんな意図があったのか、本音のとこは分からない。
でも、今まで僕が社交界で意図せず培ってきてしまったことが、間違っていなかったと認められたのは、少し嬉しかった。
そう。
社交界だって、ある意味での戦場だと、僕は考えている。
タキシードとドレスで武装した男女が、表面を、小洒落た会話やダンスで取り繕いつつ、腹の中に多種多様な思惑を隠して、水面下で小競り合いをしている。
僕の年代のほとんどは、色恋沙汰が中心だから可愛いものだけど、成人した今後は、家や領地、権力なんてことまで絡んでくるから、情報収集は念入りに行わなければいけない。
そんな中での、今回の敗北。
それは、ベル従姉様とステファニー様にタッグを組まれてしまえば、僕では簡単に太刀打ち出来ない。
王子殿下が正々堂々としている分、ベル従姉妹は、搦手が得意だ。
今日の僕の行動は、当然ステファニー様から筒抜けだっただろうから、先手を打って、先に王子殿下とローズちゃんを会わせたわけだ。
少し時間が空いてしまえば、僕は御令嬢のドレスのカーテンの内側。
今日、ローズちゃんと二人きりで話すのは、ほぼ不可能となる。
でも、僕だって、ただ負けっぱなしで終わるつもりは無いよ?
取り合えず、負けを宣言して恨み言を言いつつ、一時撤退した。
まず、するべきは情報収集。
今までの会話から、既に僕の手元には、何枚かのカードが有る。
その中で、僕にとって有利に働きそうなカードは二枚。
一つは、僕の家族に何かがあった事。
二つ目に、午前中聖堂で騒ぎがあって、ローズちゃんが精神的に不安定である事。
これらは、双方が早めにサロンをお暇する理由になりうる。
状況が上手く合えば、同じタイミングで帰ることが出来るかもしれない。
しかしそれは、遠方から遥々やって来た男爵夫妻にとって、残念なことであるはずだ。
そこで『僕が送る』と申し出れば良い。
ただ、これには一つハードルがある。
日中のサロンとは言え、『大切な娘を、知りもしない男に送らせる』というのは、男爵家としては、認められないだろう。
送るといって、領館に連れ込まれでもしたら、一大事なわけだから。
もちろん、そんなつもりは毛頭無いけれど、彼女は聖女候補。
下世話な噂を立てられては、世間のイメージを悪くしかねない。
『僕が彼女を気に入っているから、迂闊に手を出せない』と言うイメージは作っておきたいけれど、ローズちゃんは、あくまで清廉潔白なイメージのままにしたいから、匙加減が難しいな。
そんな時、運良く手元に飛び込んできたのが、オレガノ様だ。
当初は、僕の兄の悪癖を伝えるだけのつもりだったけど、聖堂で何があったかの情報は、彼から得られるだろう。
しかも、何やら酒に弱いようだ。
どうやら、追い風は僕に吹いているようだよ?ベル従姉様。
ややおぼつかない足取りでホールに入ってきたオレガノ様をつかまえて、席を勧めつつ、親切ぶって水も用意させた。
流石は騎士だけあって、そう簡単に警戒を解きそうも無いけど、周囲に女性が増えるにつれて、目が泳ぎ、若干挙動不審になる。
こういった状況に慣れていないのだろう。
彼に話を聞けば、聖堂で起こった事件は『進路妨害』だと言う。
聖堂に置いて、進路を妨害されて問題になるのは二人だけ。
しかも、ローズちゃんが不安を感じているのだから、対象は『聖女様』で間違いない。
その時、脳裏に浮かんだのは、先に得た二つの情報。
公爵家、侯爵家のサロン参加ドタキャンと、兄の『ダミアン様をからかいにいく』といった発言だ。
あぁ。
そうか。
『どうせ会えないだろう。聖堂の中で働いているんだから』などとタカを括っていたけど、運悪く会えてしまったんだろう。
あの兄のことだから、散々馬鹿にしたに違いない。
そして、プライドが高くてキレやすいダミアン様のことだから、聖女様に自分の不遇を訴えたかもしれない。
ダミアン様の名前を口にすると、オレガノ様は驚いた顔で『何故?』と、問い返した。
続く言葉は『分かったのか?』ってところかな?
僕は深くため息を落とした。
そんな状況で、僕がのんびりサロンで遊んでいるなんて、いい笑いものだ。
帰らなくて良いと判断したのは、少々危機管理の甘い母の方だろうけど。
こんな日は、さっさとお暇するに限る。
折角だから、この呑気なお兄様にもご協力を願おうかな?
彼が一緒ならば、男爵夫妻も首を縦に振るに違いない。
アメリを呼んで、男爵家族が、現在どう言う状況にあるかを確認。
二点ほどオーダーする。
一つは馬車の準備。
もう一つは、オレガノ様に強い酒を用意させること。
その間、当初の目的であった、兄の悪癖を話し、来週の晩餐会での注意を促しつつ、アメリが酒を持って、オレガノ様の後方に立つのを待った。
慣れない状況下で、しかもほろ酔いならば、いかに現役騎士のオレガノ様と言えども、判断力が鈍るだろう。
あとは、女性慣れしていなさそうな彼を、より慌てさせる状況を作ってやれば、多分。
結果は、予想通り。
酒を飲ませることに成功した。
眠ってしまったのは、予想外だったけど。
とりあえず手駒を手に入れ、馬車の準備が整うまで、周囲の御令嬢たちと、しばし歓談する。
中には、オレガノ様に本格的に興味を持った娘もいたようなので、所属や、生真面目な彼の性格などを懇切丁寧に説明し、売り込んでおいた。
彼の周りに令嬢が集まるようになれば、別の社交の場で、ローズちゃんに多少は近づきやすくなる……かもしれない。
この辺は、あくまで希望だけど。
それに、オレガノ様にとっても、人気が出て悪い気はしないだろう。
馬車の準備ができた旨の連絡を受け、男爵一家とベル従姉様、王子殿下の会話の内容を、再度アメリに確認する。
へぇ。
趣向の違ったお揃い感のあるドレスを、男爵夫人にデザインしてもらうって?
しかも、王子殿下もそれに合わせるときた。
それを見た周囲の人間に、『王子殿下が聖女候補(場合によっては聖女様)を妾に娶るかもしれない』といった期待を抱かせるには、十分すぎる演出だ。
聖女様と王家が結婚する事を、王国民は吉兆と信じているからな。
しかも、正妻の許可も得ている格好。
上手いなぁ。
でも、そう易々と譲るつもりは無いから、発表までに、こちらも対策を立てておいた方が良さそうだ。
聞けば、粗方話もまとまっているらしく、男爵家は、お暇を告げる機会を伺っている様子。
僕は周囲の御令嬢たちに、楽しかったとお礼を告げた。
うっかりオレガノ様をお持ち帰りされないように、僕の護衛を付けておくことも忘れない。
女性は、怖いから。
あとは、お暇を告げる為にやって来た体で、ベル従姉様たちに接近。
オレガノ様をダシに、ローズちゃんを聖堂へと送リ届ける名誉を勝ち取るための、交渉を行った。
最初に反発を示したのは、王子殿下。
彼のそういう素直なところ、僕は結構気に入っている。
でも、流石に婚約者の母が主催するサロンを途中で放ったらかして、『自分が送っていく』なんて、言えるはずもないよね?
賢い殿下のことだから。
ベル従姉様も、『狐に摘まれたようだ』と苦笑いを浮かべつつ、どうやらお墨付きをくれるようだ。
男爵夫妻としては、断ったら逆に失礼な雰囲気になってしまって、断りようもないだろう。
ローズちゃんをエスコートするべく手を差し出すと、彼女はやんわり微笑んで、僕の手を取り、立ち上がった。
「馬車までお見送り致しますわ」
ベル従姉様が言うと、殿下は立ち上がり、彼女のエスコートをする。
因みに、オレガノ様に関してだけど、僕の屈強な護衛たちに左右から支えられ、人目を避けて、ガーデン側から馬車まで搬送された。
馬車についた時には、オレガノ様は、既にシートに横たえられていた。
「兄が、本当にご迷惑を……」
申し訳なさそうに眉を下げるローズちゃんに優しく笑みを浮かべ、彼女を反対の席に案内する。
そこで、殿下からクレームが入った。
「まさか、横に座るつもりじゃないだろうな?」
「他に席が有りません。御者席に座れと?」
「ダメだ。お前はオレガノの横に座れ」
「いえ!そこまでご迷惑をお掛けできません。兄の横には、わたくしが」
ローズちゃんは慌てて立ち上がり、オレガノ様の横の、わずかだけ空いたスペースに、すとんと腰を下ろしてしまった。
それだけのスペースに、入れてしまうのか?
ドレスがふんわりしているからイメージ出来なかったけど、なんて華奢なのだろう。
今日ほど、ゆったりと幅のある侯爵家特注のシートを呪ったことは無いけれど、彼女が、僕の片腕にすっぽりと収まってしまうサイズだろう事実に胸が締め付けられて、平常心が保てないといけないから、諦めて彼女の対面に腰を下ろす。
扉を閉める直前、ベル従姉様からも牽制が来た。
「まずは聖堂、そのあと王宮ですわよ?分かっているでしょうけど」
「オレガノ様の体調を考えると、逆の方が良い気もしますけど?」
「ダメだ!」
「ジェフ?」
反射的に返答があり、飛んできたのは、殿下の厳しい視線と、ベル従姉様の冷ややかな視線。
僕は苦笑いを浮かべた。
「冗談ですよ。お任せ下さい」
ベル従姉様は、苦笑を浮かべ、殿下は悔しいのか、顔を僅かに赤らめて両拳を握りしめている。
お持ち帰りなら、王宮経由ドウェイン家の領館で一直線ルートなんだけど、そう言うわけにはいかないからなぁ。
ミュラーソン公爵家の領館は、王宮の西側に位置しているから、第二の城壁西門から出て、聖堂経由、第二の北門から中に入り、王宮、そして、王宮東側に位置するドウェイン家の領館に戻るルートが妥当なところだ。
ほんの僅かな時間だけど、全く話せないよりは、随分マシな結果になった。
「兄妹でご迷惑をかけてしまって、本当に申し訳ありません。……でも、助かりました。わたくしも、初めてのことで色々緊張してしまって」
眉を下げてお詫びとお礼を口にするローズちゃんは、横に体格のいいオレガノ様がいるせいか、より小さく見えて、とにかく可愛らしい。
「迷惑なんて、ローズちゃんを送ることが出来て、僕は嬉しいよ?……誤解のないように言っておくけど、他の女性にこんなこと、言わないからね?」
笑顔を向けて、『君のことを特別視している』と伝えると、頬を真っ赤に染めて、彼女は俯く。
そんな顔が見れただけでも、今日のところは満足しておこうかな?
これ以上を望むのは、今はまだ難しい。
不本意ではあるけれど、ステファニー様から、キツく止められているし、理由がはっきりするまでは、迂闊に行動出来ない。
それに、彼女は聖女候補だから。
それより今は、少しだけ甘やかなこの時間を、存分に楽しむことにしよう。
頬を染めたまま小さくなっているローズちゃんを、幸せな気分で鑑賞しながら、聖堂に着くまでに彼女と話すべきことを考える。
まず、僕の兄のことを伝えて、来週の晩餐会では、ちゃんと注意して貰わなきゃ。
自衛するにしても、天然無自覚な彼女のことだから、心配は尽きないけれど。
それから、ベル従姉様と合わせて作られるドレスの話も。
先に見せて貰うのは難しいだろうけど、せめて、色合いや形を教えて貰えれば、こちらも割り込み易い。
僕は、百面相を始めたローズちゃんに話しかけるべく、笑顔を向けた。
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