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第五章
お呼ばれ ⑵
しおりを挟む(side エミリオ)
昨年は、会場が盛り上がりはじめたタイミングで来るように告げられた、ミュラーソン公爵夫人主催のサロン。
婚約者として正式に発表された後の今年は、勝手が違うようで、ヴェロニカから、開場してから四半時は越えないうちに来て欲しいと、申し出があった。
公爵家のサロンには、これまでも何度か参加したことがあるから、緊張とかは特にない。
ただ……その、今までの行動を考えると、非常に気まずい。
これまでの無知すぎた自分を悔んでも、今更どうなるわけでもなく、今後の態度で示していくしか無いのだが、やっぱりご令嬢の胸や尻を触って面白がっていたとか、今考えると恥ずかしいよな。
まぁ。
そんなことまで考えられるようになったとプラスに取れば、気分的には多少ましか。
マリーとの出会いは、俺にとって、本当に学びのある、かけがえのないものとなった。
いつものように、邸宅の入り口まで案内されると、アプローチには多くの貴族が集まり、サロンの盛況ぶりが分かる。
俺に気づいて、ざわざわと声をあげる客人たちに、小さく会釈しながら、その場で一際輝いている、銀髪を目指した。
ヴェロニカは、背が高く、その容姿全てが、高級ビスクドールのように整っている上、いつも周囲に大勢の人間が集まっているから、遠目に見ても、すぐ居場所がわかる。
俺が、ヴェロニカの元に到着すると、相手から声をかけて来た。
お早いお付きですねって?
お前が指定したんだろうに。
半眼になりつつ返事を返して、不意にヴェロニカの正面に立っていた、小柄で華奢な赤に目が釘付けになった。
周りをデカいのが囲っていたから気づかなかったが、そこにいたのは、数週間会いたくて仕方が無かったマリー本人。
何でここに⁈
あ、いや。
招待されたってことか。
そう言えば……模擬戦の時、手紙を渡すよう頼まれたっけか。
あれに、招待状も入っていたのかもしれない。
それにしても、こんなタイミング良く?
なんか……運命を感じるよな。
胸がドキドキしてきて、頬が熱くなるのを感じていると、ヴェロニカが小さく咳払いをした。
まずい!
そうだった。
曲がりなりにも婚約者の前だった!
咄嗟に何を言えば良いか分からず、口を開け閉めしていると、ヴェロニカは小さく笑みをこぼし、とんでもないことを言い出した。
自分は忙しいから、二人で談笑して来い、だと?
いや、待て。
何かの罠なのか?
これはつまり、自分の婚約者に、別の女性と二人になって良いと、許可した形になるわけだが……。
それは、確かに?
公爵家のガーデンならば、一部の場所を除いて、ホールの中から見られずに済むから、ヴェロニカとしても、取り巻き連中にあれこれ詮索されずに済むだろう。
でも、俺ばっかり、こんな嬉しい思いをして、良いのだろうか?
ヴェロニカに対して、無礼にならないか?
「……お前はそれで、本当にいいのか?」
「もちろんですわ。宜しくお願いしますね?」
どうやら本当に良いらしい……‼︎‼︎
そこから先は、完全に舞い上がってしまって、それぞれがどんな会話をしていたのか、自分がどう答えたのかまで、曖昧だ。
俺は、マリーをエスコートする為に手を差し出し、マリーはヴェロニカと俺に深くお辞儀をすると、そっと俺の手をとる。
そのひんやりとした手に触れて、ジーンと感動してしまった。
なんて華奢な手なんだ!
大きさだけなら、俺の手とそれほど変わらないそれは、力を入れたら折れてしまいそうなほど細い。
前回触れた時は、カードを手渡すことばかり考えていたから気にならなかったけど、意識しだすと頬がじわじわと熱くなった。
嬉しさに身悶えながら、俺はマリーをガーデンへと案内する。
ヴェロニカの態度から察するに、マリーは、彼女のお眼鏡に適ったってことなんだろうな。
さすがは、マリーだ。
嬉しくて。
早く話がしたくて、ガーデンにある四阿目掛けてズンズン進む。
「あ、あの、エミリオ様……少しだけゆっくり……っきゃっ!」
そんな時、不意に聞こえたマリーの声。
最後は、小さな悲鳴混じり。
慌てて振り向くと、ドレスの裾に足を取られたらしいマリーが、こちらに倒れ込んで来た。
反射的に支えて、そのあまりの軽さと、ふんわりした手触りに驚く。
そのあとに感じる、仄かな薔薇の甘い香り。
目の前には、今にも頬に触れそうな位置にある、綺麗な赤。
顔が……紫色の僅かに涙を湛えた、水晶のように澄み切った瞳が、至近距離で俺を見上げた。
あぁ。
綺麗だな。
思わず見惚れていると、マリーは慌てて体を離した。
「すみません!最近ドレスを着ていなかったので……」
そこで、ようやく我にかえり、歩調が速すぎたと反省する。
「あぁ、いや。俺が悪かった。気遣いが、足りなかったな。その、会えたのが嬉しくて、舞い上がってしまった」
謝りながらも、頬が弛むのを止められない。
今までに無い、こんな近くで、マリーを見たり、触れることまで出来るなんて、今日は、ここ最近一番のラッキーデーだな。
「いえ。支えて下さり、有難うございました。おかげで転ばずに済みました」
頬を染め、少し俯きながら、マリーはふわりと微笑んだ。
何で、こんなにキラキラして見えるんだろう?
マリーが輝いて見えるのは、いつもの事だが、今日は、その周りの世界まで、やたら鮮やかに見える。
好きだと意識した女の子と一緒に過ごせるって、世界まで綺麗に見えるものなんだな。
こういう気持ち、なんていうんだ?
ふわふわとして、地に足がつかないのに、なんとも言えず幸せだ!
幸せを噛み締めつつ、マリーの顔を見て、ふと気づいた。
先程見た時、少し潤んで見えた瞳だが、よくよく見ると、目元が少し赤くなっている。
ついさっき泣いた、みたいな?
今は微笑んでいるから、俺といるのが嫌で泣いたわけじゃ無いよな?
ってことは、まさか、ヴェロニカ?
「何か、嫌なことでもあったのか?」
尋ねると、マリーは慌てて、もう片方の手で持っていたハンカチで目元を抑える。
まさか、嫌がらせでもされたのか?
「いえ。その……午前中の騒ぎを引きずってしまっていて、少し気持ちが落ち着かなくて……」
「ヴェロニカに、何かされたわけじゃないんだな?」
彼女にかぎって、まさかとは思うが、令嬢の間で、階級が低い者に対するイジメは、社交会でよく聞く話だから、念のために尋ねた。
マリーは静かに息を吸うと、頷いた。
「はい。ヴェロニカ様は、とても思慮深い方です。おかげで、エミリオ様にご挨拶出来ました。私の考えが浅く、お恥ずかしい限りです」
「うん?」
「ええと……。ヴェロニカ様は、素敵な方ですね」
「あ、あぁ。まぁ、そうだな」
優しく微笑むマリー。
嫌がらせをされたわけじゃないなら、良かったが。
まぁ、聖堂で、よっぽど大変なことがあったってことなんだろう。
俺は、再びマリーの手をとると、今度はゆっくり歩いて、四阿まで案内した。
中にあるベンチに腰を下ろし、隣に座るよう示したが、マリーは首を横に振った。
そのようなことは恐れ多いそうだ。
彼女は、俺の横に立って静かに微笑み、俺の話に相槌を打っている。
本当に、キチンとしているな。
俺の護衛の騎士たちが、人払いをかけているから、周囲には、ほぼ人がいないし、いつの間にか、マリーの両親の姿も見えなくなっている。
まぁ、視界の隅の方で、オレガノが座っているのは見えるけど……。
そんな状況で、誰に咎められるわけでも無いのに、マリーは、軽々しく俺の横に座ったりはしない。
リリアだったら、ご機嫌で俺の隣に座っただろう。
以前の俺だったら、そっちを好ましく思ったかもしれない。
でも、今はマリーの対応の方を好ましく思う自分がいる。
誰の横にも簡単に座ってしまう様では、心配で仕方ないしな。
その後は、模擬戦の後にあったことや、来週の晩餐会のことなど、少しずつ話した。
大きな晩餐会は初めてで、とても緊張すると、困った様に微笑むマリーに、心配なら俺の近くにいれば良いと、胸を張って見せる。
マリーは柔らかく微笑み、『とても頼もしいです』と答えた。
俺は、彼女の理想に、少しは、近付けているだろうか?
ホールで楽器の演奏が始まると、後ろで気配を消していたハロルドから、中に入るよう耳打ちされた。
楽しい時間は、あっという間だ。
小さくため息をついて立ち上がり、マリーに手を差し出すと、彼女は微笑み、そっと手を重ねた。
先程冷たくなっていた指先は、今度は幾分暖かい。
緊張は、大分解けたみたいだな。
固かった表情も柔らかくなったし、目元の赤みもひいたようだ。
俺は、彼女の手を引いて、できるだけゆっくり歩きながら、賑やかになって来たホールへと向かった。
◆
(side オレガノ)
これは、いったいどうなっているんだ⁈
自分の、今置かれた状況に、動揺を禁じ得ない。
待ってくれ。
何故、こんなことになったんだったか?
ふわふわして、うまく働かない頭を、必死に回転させて、状況判断に努めるが、こんな状況に置かれたことなど、未だかつて無いから、どういった態度を取れば良いのか、皆目見当がつかない。
視線を……あぁ、何と言うことだ。
不用意に周囲を見回すことも、この状況では出来ない。
社交の場には、年に数回ほど参加していたが、日中のサロンって、女性の露出度、こんなに高かったか?
やや下げた視線の先には、複数の女性の大きく開いた胸元が。
流石に凝視するわけにはいかないから、人がいないところへ視線を移すのだが。
ああ。
ほらまた。
別の女性が割り込んで来て、また目の前の景色が胸元に……。
だが、視線を上向けると、これまた複数の女性と目が合ってしまい、うっかりするとウィンクが飛んでくるから、また視線を下げざるを得ない。
それは、自分も男だから、嬉しくないわけがないんだが、それにしても、曲がりなりにも令嬢だろう?
もう少し恥じらいをだな……。
いや……今の流行がそんな感じだから、仕方ないのかもしれない。
そう言えば、今日、ローズもビスチェタイプのドレスだったな。
そうは言っても、今、周りにいる御令嬢の様に、谷間を見せつける様なデザインでは無かったが。
そうだ。
ついさっきまで自分は、いつもの様に、ローズを心配して、胃を痛めていた。
ミュラーソン公爵家のサロンは、この王国に住む貴族ならば、誰もが憧れる社交の場。
それに招待されたとあって、先月、我が家は、結構な騒ぎになったらしい。
元々、王宮の晩餐会に出席するため、王都に出てくるつもりでいた両親は、予定を十日ほど早め、わざわざ自分も参加するように連絡を取ってきた。
行きたくなかったが、両親の頼みだし、ローズのエスコートを頼まれたので、断ることもできない。
狼の群れの中に、あの無自覚天然を、一人で放り込むのは、あまりに危険だ。
守ってやらないと、そう思って付いてきたのに、公爵令嬢ヴェロニカ様の策略で、早々にお役御免になってしまった。
あんな形で殿下と鉢合わせるなんて、最初から逃げ道は無かったとしか、言いようがない。
ヴェロニカ様の態度を見ると、どうやらローズは、彼女からも気に入られている様だ。
胃を痛めつつ、仲良さげに話す二人を遠目に見守り、サーブされた飲み物を飲んだ。
……思えば、あの辺からが、不味かったのかもしれない。
多分、酒に弱いわけでは無いと思うから、あの酒が、結構キツかったんだろう。
「オ……ノさ……?オレガノ様?」
「はっはい!」
真横、少し低い位置から聞こえた声に、慌てて返事を返した。
「大丈夫ですか?」
「ええ。失礼。少し考えごとを……」
「そうでしたか。今日は、急にお声がけしてしまって、すみません」
「いえ」
笑顔を返したが、苦笑いになっているだろう。
この人の周りって、本当にドレスのカーテンができるんだな。
噂には聞いていたけど、凄まじい人気だ。
っていうか、これカーテンで済むか?
ガチガチにプロテクトされた、要塞の壁レベルと言っても、言い過ぎじゃ無い気がするんだが。
人が重なりすぎて、ホールの状況全く分からないんだが?
普通に考えて、ホールに戻ってきた時、この人、ジェファーソン様に捕まってしまったのが、一番の失敗だ。
お陰で、右を見ても左を見ても、レディーの胸元という、とても喜ばし……いや、目のやり場に困る事態になってしまっている。
御令嬢の隙間を上手にくぐり抜けて、パーラーメイドがドリンクを持ってきた時は、拍手喝采だった。
喉が乾いて仕方なかったので、用意された水を一息にあおる。
ジェファーソン様は、紅茶を優雅に口に含んだ後、口元に人差し指を持っていき、綺麗な笑みを浮かべ、直後スッと目を細めた。
二人で話したいから、少しだけ静かにしてほしいという、洒落たアピールだ。
見てくれ!
周りの御令嬢たち、今の仕草だけで、数人失神したぞ?
力が抜けてしまった彼女たちを、周囲の従者たちが、何事も無かったかのように、別室へと運んでいく。
流石に慣れているな……。
感心していると、ざわめきの中、こちらにだけ届くような小声で、ジェファーソン様が、話し始めた。
「聖堂で、何かあったそうですね?」
「えぇ。その、進路妨害が……」
口の動きを読まれないよう手で隠して、小声で伝えると、彼は驚いたように目を見開く。
誰の進路が妨害されたのかなど、言わなくても、聡い彼なら分かるだろう。
聖堂で平常時、進路を妨げられて問題になるのは、聖女様と神官長の二人だけだ。
「まさか、……ダミアン様が?」
「っっ!……何故?」
聡い人だと理解していた。
だが、一言聴いただけで、そこまで理解するのか。
恐ろしい。
返事を聴いて、ジェファーソン様は、右手で額の髪をぐしゃりと掴んだ。
「あり得ない。すると……あぁ、そういうことか……!」
ジェファーソン様は、がっくりと首を垂れた後、上を向いて、掛けていたソファーに、もたれかかる。
ええと。
すみません!
五つ以上年上だというのに、貴方が、今、何を理解なさったのか、さっぱり分からないんだが?
「それは、不味いな。残念だけど、今日は本当に早めに帰った方が良さそうだ」
「ジェファーソン様には、特に関係のない事では?」
従兄弟同士とは知っているが、ダミアン様の失態は、あくまで本人とバーニア公爵家の問題だろう。
それなのに、ジェファーソン様は、困ったように眉を下げて笑った。
何か……あるのだろうか?
彼は、こちらの質問には答えず、背後を向く。
「アメリ、状況を……」
「はい。ごか……お……は、……した。ヴェロニカ様も合流され、今は…………ます」
「わかった。では、用意を頼む。そうだな。……を……に。それから、馬車の準備。だいたい、どれくらいかかる?」
「前者は、すぐです。後者は、今からですと、四半時ほどで」
「頼む」
「はい」
影のように控えていた侍女の女性は、静かに席を外した。
ジェファーソン様は、何事も無かったかのように、こちらに向き直る。
「本当に、お帰りに?」
「ええ。まぁ、もう少ししたら。そうだ!オレガノ様は、来週晩餐会に出席されるんですか?」
「はぁ。殿下の護衛ですが……」
「あぁ、そちらで。大変ですね」
「恐れ入ります」
「それなら、ローズさんに注意を払うのは難しいでしょうか?」
「え?」
「僕の兄、フランチェスコというんですが、少々素行に問題が有りまして。余裕があるようでしたら、気にかけておいて欲しくて」
ドウェイン家の長男の女癖の悪さは、確かに有名だ。
でも、ジェファーソン様の性格を考えれば、自ら守るとか言いそうなものだが。
そう考えた直後、本人から答えが返ってきた。
「僕は、出席出来ないので」
「そうなんですか?」
「ええ」
同じ家出身で、そんな事あるのだろうか?
不思議に思って眉を寄せるが、ジェファーソン様は、微笑むだけで、それに答える気は無いようだ。
しばらく沈黙が落ち、話が終わったと判断したらしい周囲の令嬢たちが、一斉に声を上げた。
「ジェファーソン様、聴いてくださいませ!」
「待ってくださいな!ワタクシが先ですわ!」
一気にヒートアップしそうになったが、ジェファーソン様が口を開くと、静かになる。
「皆さん。こんな僕に、いつもお心を砕いて下さり、ありがとうございます。少し事情ができてしまったので、僕はこの後、帰らなければ」
女性陣の残念そうな声を、もう一度唇に指を当てて黙らせ、彼はこちらをチラリと見た。
「でも、皆さんに朗報です!こちらのオレガノ様は、英雄の息子でありながら、自らも王子殿下付きの騎士で、剣の腕前もよく、何より婚約者がいないとか?有望株ですよ」
ちょっと?
突然、何て事を言うんだ、この方はぁぁぁっ!
女性陣の視線がこちらに集まる。
値踏みするような視線が、じわじわと媚びるような色を帯びてきたので、汗が止まらなくなった。
冗談じゃ無いぞ!
これまで騎士一筋で、あまり女性に免疫ないんだから、勘弁してほしい。
「お飲み物をどうぞ」
「あ、あぁ」
不意に横から声をかけられて、焦りと極度の緊張から、おもわず受け取り、一気に飲み干す。
途端、喉が熱く感じたが……。
ん?
んんん?
一気に体が熱くなり、視界がぐにゃりと歪んだ。
そこからのことは、よく覚えていないが、意識を失うほんの直前、ジェファーソン様の苦笑いの声だけが、微かに聞こえた気がした。
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