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第四章

祭りの後 (2)

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(side ジェフ)


「ありがとうございました」


 二人で救護テントへ行く途中、ローズちゃんにお礼を言われた。

 頭を下げたあと、少し上目遣いに見上げてくる表情が、いつもながら愛らしい。

 何に対するお礼かな?
 炎から守ったお礼は、先程言って貰ったし……。

 
「ん?」


 笑顔で尋ねると、彼女は、あたふたと視線を動かした。
 

 まさか、レンさんをあの場に置いてきた事に対して、だったりして?

 もちろん、あの場合、彼が立場的に僕たちと一緒に行動出来ない事は、理解していた。
 仕える立場の人間が、主人に介抱されることなど、有り得ないのだから。

 心の綺麗な彼女は、僕がレンさんを気遣ったと、理解したのかもしれない。

 本音のところは、彼が邪魔だった。
 聖騎士としての分を弁えてくれていて、本当に良かった。

 そんな事を考えていたなんて、ローズちゃんには絶対に言えないな。


「その、レ……」
「レンさんの件なら、ローズちゃんからのお礼は不要だよ?」


 ローズちゃんの口から、その名前を聞きたくなくて、僕は途中で彼女の言葉を遮った。

 多分、彼女は気づいていない。

 でも、レンさんが罪を被って、窮地に陥っている最中、ローズちゃんはずっと体を緊張させていた。

 ローズちゃんは優しいから、きっと、だれがその立場にあっても、同じような反応をしたかもしれない。

 いや、絶対しただろう。

 そうだ。

 ローズちゃんにとっての彼のポジションは、他の聖騎士と大きく変わらないはず。
 アメリの報告でも、聖堂での二人の接触回数は、他と比べて少ないくらいだ。

 そもそも、レンさんが彼女を特別視しているような態度は見受けられないし、特別視していたとしても、その性格上モーションをかけることは無いだろう。

 ローズちゃんは天然だから、相当アプローチしないと、相手が自分に好意があることに気付かない。
 だから、レンさんに関しては、今のところ放置しておいて大丈夫だろうと考えていたし、実際、大丈夫なんだろうとも思う。

 気に入らないのは、彼がとことん不遇な立場に陥りやすい人間で、毎回そのことをローズちゃんが気にかけていること。

 運が悪すぎて、関係ない第三者にムカつかれるとか、考えてみれば、何とも気の毒な話だ。


 不意に、ローズちゃんが僅か歩調を緩めたのに気付き、視線を向ける。
 眉を下げて困ったような表情?

 しまった。
 態度に出てしまっていたかな?
 彼女に庇われるレンさんにイラついただけで、彼女に落ち度はないのに。

 軽度の魔力切れで体調が優れないせいか、平静を取り繕えていなかったようだ。

 僕は、慌てて笑顔を作る。
 

「お礼なら僕から言わないと。僕に付きそってくれて、ありがとう」

「いえ。そんな!それくらいはさせて下さい!その……具合は如何ですか?」

「そうだなぁ。ちょっとだけ、ぐるぐるするかな?」

「ぐるぐるですか?」


 心配してくれたようなので、体調を正直に答えると、同じ言葉を繰り返して心配そうに僕を覗き込む。

 かわいいなぁ。

 その表情は、リスやウサギの子どもが見上げてくるような可愛らしさで、僕は思わず吹き出してしまった。

 これが、何の計算もなく出来るわけだから、本当にタチが悪い。
 ある意味、リリアーナさんよりもずっと。


「そうそう。ぐるぐるするから、後で少し甘えさせて?」


 笑いながら答えると、彼女は真剣な表情で頷く。


「はい!わたしでよければ、何でも仰ってくださいね?」


 ……何でも?
 
 その言葉に、僕は自分でも驚くほどの衝撃を受けていた。
 心臓が大きく音を立て、体中の血管が脈打つのがわかるほど。
 

「本当に?……何でも?」

「え?……はい!出来ることならば」

「ふぅん……」


 深い意味で言ったのではないと分かっていながら、言質を取るように聞き返した僕は、自分でも引くほど、本当に腹黒い。

 でも、ローズちゃんもローズちゃんだ。
 無意識でも、乙女子羊オオカミの前で言うべき言葉ではないし、そんな約束を彼方此方にされたら、僕も心臓がもたない。
 
 これは、少し警告しておいた方が良いかな。


「ローズちゃん。無自覚なんだろうけど……その言葉、出来たら僕以外に使わないで欲しいな?」

「……え?」


 キョトンとした表情をするローズちゃん。

 ほら。
 やっぱり無自覚だった。

 あんまりぽやぽやしていたら、オオカミがぱくっと食べてしまうよ?

 彼女に笑みを向けて、僕は救護テントの下げられた天幕を、片手で押し上げた。





 天幕の中に入ると、用意されていたベッドは一つ。
 その周りを、救護担当の神官たちが動き回っている。

 僕は、中央から外れて置かれていたソファーに案内された。
 既に、アメリが先回りしてソファーの用意をさせていたようだ。
 流石に僕の従者たちは優秀だな。

 ソファーに座ると、僕は、周囲に気付かれない程度に、小さく息を吐きだした。


 中級精霊召喚は、個人練習をした時に既に成功させていたけれど、今回は力の違いを見せつけてやるつもりで、過剰防衛と思われるほどの水量を用意した。


 それでも少し危なかったな。

 ダミアン先輩を侮りすぎただろうか?
 そう考えて、頭を振る。

 元々、貴族枠で入れて貰った先輩だ。
 バーニア公爵家から、かなりの寄附金が流れて、専門学校に通わせて貰っている。

 証拠に、彼の周囲には、いつもほんの少ししか精霊がいないし、おそらく本人は精霊がほとんど見えていないだろう。
 それこそ自分の周囲にいるのを感じる、といった程度の見え方のはず。

 当の本人は、一つしかないベッドの上で、完全に伸びてしまっている。

 持っている魔力以上の力を、何の考えも持たず、なんの制御も無しにつかった上、暴走したわけだから、完全に自業自得。

 でも、脱水症状なんかで死なれても困る。
 一応、あれでも従兄弟だから。
 
 さて。
 どうしたものか。
  
 彼の周囲からは、完全に精霊の気配が消失してしまっている。

 魔導で治癒ヒールを行うことも可能だけど、精霊の癒しだから、気休め程度にしか回復しないんだよな。

 勉強のために試したことがあるけど、雰囲気としては、『森林浴をして、心身ともに癒される』とか、そう言った類の癒しだ。
 怪我だって、自然治癒力を少し底上げする程度にしか治せない。

 無理して、やったとしても、魔力コストに対して効果も薄い。
 はっきり言って、やるだけ無駄。
 

 人を癒す魔法に関しては、聖女様の『神聖魔法』による『治療・回復』が有名だけど、この魔法は現在失われている。
 それは、ここ百年以上『聖盾に選ばれし聖女』が誕生していない事に起因するらしいけど、果たして、そんな聖女様が存在したのか、はたまた『治療・回復』なんて魔法が実在したのかすら、今となっては分からない。

 あくまで、伝説の中の話だ。
 

 無いものは仕方ないし、逃避せずに現実を見ようか。

 周囲でおろおろしていたダミアン先輩の使用人たちを、手招きして呼び寄せると、彼らは慌ててこちらにやって来た。

 簡単で、すぐ出来そうな処置を説明しつつ、とりあえず、王女殿下付きの王国騎士をやっている、彼の二番目の兄を呼ぶことを提案した。

 多分、僕の名前を出せば来てくれるだろう。
 ……仕事が休みならば。

 バーニア公爵家は、父の生家だが、真面目な長男以外は、控えめに言って特殊。
 でも、次男のスティーブン様は、ダミアン様よりはずっと付き合いやすい。

 …………いや。
 でもやっぱり、あまり近づきたくないな。
 悪い人ではないんだけど。
 
 彼は、僕のことを気に入ってくれているし、挨拶無しってわけにもいかないから、来てくれたら、僕が何処にいても伝えるよう、使用人に申し伝えた。

 僕の指示通りに使用人たちが動き始めるのをみて、僕はまた小さく息を吐き出す。


 ダミアン先輩の魔導で、今回あれだけの火力が出たのは、おそらく、たまたま彼の体調が絶好調だったのと、火精霊の類焼が僕の想像を超えて大きかったことが原因だろう。

 しかも今回は、レンさんが、恐らく風の中級精霊を用いて、膨れ上がった炎の塊を巻き取り、全力で弾き返した。

 その威力たるや、凄まじかった。

 火と風の相性は、やはり最高だな。
 僕の渾身の水壁を、半分以上も蒸発させるとは、予想もしていなかった。


 やっぱり、彼は侮れない。

 そもそも、『中級精霊召喚が出来る時点で、王宮魔導士の資格十分』と、魔導士業界界隈では言われている。
 聖堂側の彼に対する扱いをみるにつけて、彼は、どう考えても仕事を見直すべきなんじゃないかな?


 成人時に魔力が足りなくても、王国内で魔導師登録されている人間は、定期的に調査見直しを行って、急激に魔力が増加した者を拾い上げる制度を作ったらどうだろう?
 そうじゃなくても、王宮魔導士は、人手が足りていないらしいし。
 僕が王宮魔導士になったら、提言してみようかな。


「ジェフ様。なにか飲むものをお持ちしましょうか?」


 救護を担当している神官との、話を終えたローズちゃんが、こちらに戻ってきて声をかけてくれた。

 その笑顔を見ただけで、大分気が休まる感じがする。

 相変わらず、凄い癒し効果だなぁ。


「ありがとう。出来たら水、あと、少しの塩と砂糖があったら貰いたいんだけど」

「わかりました」


 微笑みながら頷くと、ぱたぱたと神官の元へ戻っていき、指示を受ける。
 そして、テキパキと自ら水差しなどを用意して、こちらに持って来てくれた。
 小さな体であちこち動き回る仕草が、小動物のようで、本当に可愛い。


「ありがとう」

「いえ。砂糖は食堂に行かないと無いんですが、これで代用出来ますか?」

「十分だよ」


 彼女がポケットから取り出したのは、幾つかの小ぶりな飴玉だった。
 彼女が自分で持ち歩いていたものかと思うと、可愛らしいし、嬉しい。


 飴玉を口に入れると、柑橘の香りと甘い味が、口の中に広がった。
 同時に、手渡されたコップから少量ずつ水を飲み、渡された容器から、塩を拝借して、調節しながら口に含む。

 魔導士長に教えてもらった方法だ。


 魔力切れの症状は、乗り物酔いに似ていて、激しい目眩が特徴。
 それから何故か、極度の脱水症状と貧血になる。

 魔力が血液と関係していることは、呪文を詠唱していれば、誰でも気づくことだけど。

 凄く喉が渇くけど、一気に水だけ飲むと、吐いてしまって、逆に脱水症状になってしまう。
 なので、魔力切れの時は、こうするのがベストなのだそうだ。

 きっとレンさんは、もっと酷い状態だろうな。
 さっき見た時、ダミアン先輩と同様、完全に周囲の精霊が消失していた。
 よく意識を保っていたものだ。
 直後に気絶していても、全くおかしくない状態に見えた。


 一息ついて周囲を見渡すと、いつもの半分程度ではあるけれど、水精霊たちが戻って来ていた。
 軽い目眩もおさまったし、これなら、もう少しだけ休めば、茶会に参加しても問題無さそうだ。

 笑顔を向けると、ローズちゃんはふわっと微笑んだ。

 折角だから、もう少し甘えても良いかな?
 『出来る事なら何でも言って?』と、言っていたし?

 さっき無意識の彼女に、あんなにドキドキさせられたんだから、少しは仕返ししても良いよね?
 

「ローズちゃんも座ったら?」


 声をかけて、僕の横を手で軽く叩き、席を進める。
 彼女は、一瞬視線を彷徨わせた。

 そうだよね。
 三人がけとは言え、隣にかけるのは、位が上の僕に対して不敬に当たるし、レディーとしては、はしたないとか考えているんだろうな。
 ホント、そういうところは、しっかりしている。


「隣に座ってくれると気が休まるんだけど、駄目かな?」


 今度は、お願いに切り替えてみる。
 すると、ローズちゃんは頬を染めながら余裕なさげに視線を動かし、やがてこくりと頷いた。
 
 本当に可愛い。

 罠にかかった獲物を目の前にした猟師の気持ちって、こんな感じかな?


 一人分席を開けて座ったローズちゃんとの距離を、移動することによって詰めると、彼女はいよいよ顔を赤くして俯いた。

 別に取って食ったりしないよ?
 ここには、まだ人が残っているから、君を辱めるような事はしない。
 

「少しだけ休ませてくれる?悪いけど、肩を借りていいかな?」


 それくらいなら、してもいいかな?
 ローズちゃんは、困った顔を真っ赤染めて俯いている。

 返事が無いのは肯定だよね?

 頭をローズちゃんの肩に、そっとおこうとした時、テントの中に、バタバタと聖騎士が飛び込んできた。

 慌てて立ち上がるローズちゃん。

 焦ってしまったのか、背筋をピンと伸ばして、直立不動になっているところも可愛い。

 こちらとしては、邪魔をした聖騎士に、恨み言の一つでも言ってやりたいところだけど。

 入ってきたのは、体躯の優れた聖騎士。
 先程、レンさんが倒れてもいいようにと呼んでおいた、彼だ。


「すいません!水!頂けますか⁈ 」


 やや焦りを滲ませた声で、彼は言う。

 それを聞いて、レンさんの状態が想像通りと理解した。
 テントに僕たちがいる間は、彼はこちらに来ないだろうと思っていたけど、脱水症状だけはどうにも出来ないものな。
 本人は、目眩が酷くて、歩くことすらままならないだろうから、介抱してくれる人間に水を頼むのは道理だ。


「ラルフさん!レンさんは大丈夫ですか?」

「ローズさん⁈ ぇえぇぇとぉ。大丈夫ですよ?ピンピンしてますよ?」


 ローズちゃんの問いに、ラルフと呼ばれたその聖騎士は、明後日の方向を見ながら答えた。

 彼はどうやら、嘘がつけないタイプの男らしい。

 ローズちゃんは、みるみる表情を曇らせる。


「いや!いやいや!!ホント大丈夫ですって!本人が言ってましたから、大丈夫ですよ?その…………ちょっと、草の上で寝っ転がりたいって。もう、偉い方がいなくなったので、気を抜いてごろごろしてました。あはは」


 なるほど。
 やはり、立ち上がれない状態か。
 

 神官が水差しを用意している間に、僕は手元に残っていた塩の容器と飴玉を一つ、彼に手渡した。


「これも持っていくと良いよ」

「え?あ、はい!!ありがとうございます」

「うん。彼のが経験が多いから大丈夫だろうけど、水を一気に飲ませすぎないようにね?」

「わかりました!」


 素直に返事をした彼に、いつも通りの笑みを返すと、彼は深く頭を下げた。
 それを確認して僕は頷く。
 
 邪魔はされたけど、そういう事情では仕方ない。
 レンさんには、借りができちゃったからな。
 
 ローズちゃんは、不安そうに眉を寄せていたけれど、一つ頭をふってラルフさんに頭を下げた。


「わたしが行っても、迷惑なのは分かっています。だからラルフさん、よろしくお願いします」

「はい。お任せください!」


 ラルフさんは、明るく笑ってテントから出て行った。

 折角ローズちゃんに甘えようと思ったんだけど、出鼻を挫かれてしまったな。
 残念だけど、もう一度雰囲気を作ろうにも、そういう空気は吹っ飛んでしまった。

 魔力もそこそこ戻ってきたし、そろそろローズちゃんがいない事に気付いて、王子殿下もヤキモキしている頃だろう。


「さて、大分良くなったから、そろそろお茶会に行こうか?」

「大丈夫ですか?」

「うん。もう大丈夫だよ」


 笑顔を向けると、ローズちゃんは柔らかく微笑んだ。

 僕たちは、テントをロータリー側に抜けて、お茶会会場のある事務局へ向かった。
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