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第四章

閑話 一難去ってまた一難

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(side オレガノ)

 聖堂訪問で出勤日が前倒しになったので、前回の勤務から少し空いてしまった。

 そんなわけで今朝は早めに出勤することにする。

 王子殿下付き騎士の部屋に入ると、今日もまた団長が死んだ魚の様な目で積み上がった書類に目を通していた。


「おはようございます」


 声をかけると、いつものようにこちらをむかずに頭上で手を振る。
 書類に集中しているため、声をだすのも億劫なのだろう。

 勿論、各組の組長が確認した書類が集まっているわけだから、既に数回チェックは行われており、大きなミスは無いのだろうが、最後の砦であり承認の印を押さなければならない団長の責任は重い。

 大変なことだ。

 団長の苦労を考えると、自分の悩みなど大したことない気がして来るから不思議だ。

 それに、ローズと早い段階で話が出来たことで、外遊直後に比べるとこちらの心労は減っていた。

 王子殿下や侯爵家令息に注意を払うように伝えることが出来たのがまず良かったし、ローズがどちらかにハマりしているわけでは無いのがわかったのも良かった。


 当初は、王子殿下と電撃的に恋に落ちたらどうしようかと心配していたが、話した雰囲気では、現状侯爵家御令息の方に分がありそうな雰囲気か?

 二択にするなら、こちらとしてはジェファーソン様の方が良いのかもしれない。

 今のところ婚約者はいないし、次男でいらっしゃるから、侯爵家を継ぐことはほぼ無いと考えていい。
 また王宮魔導士になられれば、生涯生活面は安泰だし、最終的な爵位も男爵で階級的には釣り合いが取れる。

 勿論、今をときめく社交界の華の一角だから、周囲は黙っていないだろうけど。


 とりあえず、ローズが『まだよくわからない』と言っていたので、事態が急展開する事は無いだろう。
 様子を見ながら、たまにローズに会って話しをすることにすれば良い。


 聖堂内の人間関係が良好といった点も良かったな。

 そう。
 それに聖騎士の二人。
 特にレン君の方か。

 ローズが彼について語る口調から察するに、ローズは普段から彼のことをよく見ているのだろう。

 無意識なのか何か意図があるのかは分からないが、家族以外の男性の話を自分からすることの無かったあいつが、こちらが尋ねたこととは言え、饒舌なほどよく話していた。

 案外脈があるんじゃ無いだろうか。

 正直、王族や高位貴族の弟が出来るのは精神的にしんどいので、彼には頑張って欲しいものだ。

 彼は見る限り無表情な男だが、対応が穏やかでしっかりとしているので、話した時の印象はかなり良い。

 恋愛的な意味あいでローズのことを気に入っているかは不明だが、食堂で一度だけ彼の感情が乱れるのを見た。
 その他の時の徹底した無表情を考えると、あれはかなり珍しいのでは無いだろうか?

 ただ人柄を考えると、例えローズに好意を持っていたとしても、自分から行動するとは思えないな。
 自分に対しても、きっちり貴族に対する対応をしていた彼を思い出し苦笑が漏れる


「そうだ。オレガノ君」


 たまった通達の束を手にしたとき、隊長が不意に顔を上げた。


「はい?」

「来週の頭だが、勤務変更で出勤してもらうことになった。例の模擬戦の関係で聖堂関係者が登城するから、一応君も同席して貰う」

「了解しました」

「色々変更があって悪いな。交代は、前回同様ユージーンに連絡済だから、後で勤務表を確認してくれ」

「はい」

 ユージーンさん。
 今回もまたすんなり納得して、さっさと手続きを終えたんだろうな。
 飄々とした彼の態度を思い出して、げんなりする。

「それから、そうだ。今日扉の内側の警護だな?君はまだ見ていないだろうから先に言っておくが、ここのところ王子殿下の様子がおかしいから、注意してみるようにしてくれ」

「了解しました」


 おかしい?

 最近やや落ち着いてきたと思っていたが、また逃亡癖が出ているのだろうか?

 そんな疑問は、勤務配置について間違いだと分かった。

 これはおかしい。

 いや。
 王子殿下のあるべき姿といえば正しいので、むしろおかしくないのだが、あれがエミリオ様だと思うと異常事態なのだ。


 外見は元々美少年でいらっしゃったが、今日は普段よりきちんと整えられて見えた。

 服装などは変わっていないので、何処が
違うのかと言われるとはっきり言えないのだが、御髪に櫛が通っているとか、姿勢がいつもより良いとか、その程度の違い。

 それなのにこの王子様オーラは何だろう。
 殿下の周辺に、何かキラキラした輝きがあるような幻覚が見える。

 同じ扉の内側を守る団員に視線を投げると、彼は同意するように頷いてくれた。

 王子殿下は今、窓辺にある椅子にかけて本を読んでいらっしゃるようだが、時折窓の外へ視線を移し小さくため息などをついたりしている。
 
 物憂げな表情がとても十歳のものとは思えず、妙に絵になるその様に愕然とした。

 ここ数日で何があった?!?!

 部屋の中の様子も、数日前と様変わりしていた。
 以前にもまして、色々なものが増えている。

 一番増えたのは書籍だろうか。
 空っぽだった書棚には複数の専門書。
 特に多いのは帝王学やそれにまつわるもの。
 あとは、貴族名鑑やら、貴族の所作の基本から応用まで。
 それから数冊の剣術の本と教養の本。
 王国の成り立ちと歴史の本。

 誰から渡されたか不明の女性向けの絵本はすっかり撤去されていたが、数冊の恋愛小説はそのまま残されている。

 ふいに王子殿下の視線がこちらを向いたので、表情を引き締めた。


「あぁ。やっと来たか。オ……」


 お?

 王子殿下はそこまで言いかけて、何故か気恥ずかしそうに視線を下げると、顔を上げキッと睨み付けて来た。

 何か機嫌を損ねることをしただろうか?


「くっ……香草兄!」

「はっ」


 近付いて膝をつき礼をすると、顔をあげていいと促される。


「先日はご苦労だったな。模擬戦のことも。その、急に決めて悪かった」

「いえ」

「お前の腕前については団長からも聞いている。模擬戦楽しみにしているぞ」

「はっ。精進いたします」

「よし」


 それだけ言うと、下がって良いと促される。

 ええと……激励されたのだろうか?

 元の配置に戻りながら考える。

 殿下の横にはいつの間にかやってきたハロルドさんがいて、『今日のところは良い出来でした。少しずつで大丈夫ですよ』と言いながら背中を撫でている。

 意味が分からない……が、何かしら心境の変化があったのは間違いない。

 ふとローズが言った言葉が脳裏に浮かんで、じわじわと嫌な予感が胸を占める。

『自分の立場や役割を理解し、真摯に受け止め、それを遂行する為の努力を続けることができる方』

 ローズの好きな男性のタイプの話。

 これを王子殿下に当てはめると、こういう事態になるのかも知れない。

 それから手元に残る恋愛小説。
 物憂げな表情。

 まさか恋心を自覚されたのか?

 では、先ほど言いかけた「お」っていうのは……まさか、オレガノか?

 背筋が一気に冷たくなった。

 これは今までの『何となく気になっている』という状態とは明らかに違う。
 ローズだけでなく、こちらにも気を使ってくるとなると、重みが全く変わってくる。

 破天荒な部分が難点であり、ある意味魅力な王子殿下だが、やる気になれば意外と何でもきっちり出来る方だ。
 そういった場面は、この一月の間に何度も目にしている。

 そんな方が本気を出したら……。

 いやいやいや、待て!
 大丈夫だ。

 そもそも、婚約者のヴェロニカ様が許すわけが無い。

 我が家はしがない男爵家。
 しかも新参だ。

 無理矢理自分を納得させる理由をこじつけてはみるが、この状況が自分にとってあまり良くないことは理解できた。

 一難去ってまた一難。

 胃が痛くなって来て、誰も見ていないタイミングを見計らって、そっとさする。

 つくづく罪作りな妹だ。
 真面目でしっかりしているのに、何処か抜けているから、はたから見ると可愛いんだろうなぁ。
 まさか、こんなことで悩まされることになるなど、昨年は想像もしていなかった。
 こちらは仕事に忙殺されていて、自分の恋愛すらままならないというのに。

 なんだか虚しくなってきて、一つため息をおとす。

 やめよう。
 これ以上自分がヤキモキしても、先のこと等分からないではないか。

 何か別のことを考えよう。

 そうだ。
 模擬戦があるんだよな。
 せっかくだから、これを憂さ晴らしに使わない手はない。

 ローズの見立てでは、全力であたって大丈夫とのことだったし、レン君には悪いが、本気で行かせてもらうことにしよう。

 もっとも、ローズの記憶にある自分の技量は、五年前のもので、そこから随分研鑽は重ねているから、多少手は抜くつもりでいるが、レン君に勝てば、ジュリーさんからご褒美が貰える。
 少しくらい良い思いをしたって、バチは当たらないだろう。

 早速今日の鍛錬から、少しハードなメニューにして行こう。

 王子殿下の元へ講師がやって来たので、余計なことは頭から締め出し、周囲の警戒へと思考を切り替えた。
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