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第三章
魔道学生と聖騎士
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(side ジェフ)
黒髪の聖騎士が入ってくると、青い光で煌めいていた聖堂の中は、ますます鮮やかな色彩に彩られた。
白金の光と鮮やかな赤。
風の精霊の方が幾分多いだろうか?
でも、火精霊が劣っているというほどでもない。
暗い中で見れば、はっきりと彼の持つ魔力量の多さがわかる。
それこそ専門学校の生徒たちと比較しても、同等以上か?
彼は、いったい何故、聖騎士などやっているのだろう?
もちろん、聖騎士は人気の職業だ。
元々の配属人数も少なく、殊更、実際に聖女様の前に侍ることが出来る『中央聖堂仕え』は狭き門であり、成人前の男子にとっては憧れの職業でもある。
給料に関しても、聞いた話によると、王宮内警護の王国騎士と同程度らしく、決して安いわけではない。
ただ、王宮魔導士に比べると劣るのだ。
魔力が一定以上有るならば、この国に住む一般家庭の親なら、子どもを魔導士にさせたがる。
王宮魔導士は、ほとんど王宮内で仕事をしているし、騎士のように毎日体を鍛える必要も無い。
有事の場合、王族を守らなければならない点は、騎士と変わりないが、後方支援である分危険も少ない。
更に、一代限りではあるが男爵位も賜れる。
奨学金制度もあるし、庶民で魔力もちなら、まず専門学校を選択するはず。
よく分からない男だ。
そもそも、先ほどから感情が一切読めない。
表情が動いたのは、一番最初に目があった時のみ。
しかも僅かに目を細めただけだ。
まぁ、感情の読めなさでは、僕だっていいとこ勝負だろうけど。
先程から、彼の対応は悪くない。
寧ろ、丁寧で、かつしっかりとしている。
……正直、好感がもてるほどだ。
彼のような聖騎士が、ローズちゃんを守ってくれているなら、安心ではある。
ただ、何故だか、もやっとする。
僕の方が劣っていると感じている?
馬鹿な。
僕は自分の考えを慌てて打ち消した。
言ってはなんだけど、僕は大抵の貴族の中でも、抜きん出ていると自負している。
これは自惚れでは無いはずだ。
家柄の良さは、ミュラーソン公爵家や、王宮の対応を見れば、一目瞭然。
僕個人だって、魔導士長御本人から専門学校への入校依頼を受けた。
卒業後、王宮魔導士への就職を視野に入れて欲しい旨、直接頭を下げられていたりもする。
階級的にも、魔力量でも負けていない。
容姿だって、タイプは違うが引けは取っていない。
寧ろ、国内では僕の方がウケがいいだろう。
強いて言うなら……身長。
それから、一見細身に見えるが、しっかりと鍛え上げられた体躯だろうか。
まだ線が細く見える自分の体を一瞬みて、拳を握りしめる。
僕は何を焦っているんだろう。
身長は、まだこれから十分伸びるはずだし、身体は鍛えればいい。
それに、彼がローズちゃんに対して、なんらかの反応を示したわけではない。
寧ろ、何をやっても無反応だったではないか。
どちらかと言うと、警戒すべきは、外にいる巨体の聖騎士の方だ。
それなのに、先程から僕は、この聖騎士が気になっている。
興味を持っている?
いや、脅威を感じている?
僕が?
分からない。
或いは羨ましいのかもしれない。
同じ敷地内で生活して、近くでローズちゃんを警護できる彼のことが……。
入口付近で静かに佇む彼に、僅かに視線を流すと、彼もこちらに目を向けた。
僕の視線に気づいたのだろうか?
彼はまた目礼し、一歩下がったようだった。
礼儀をしっかりと弁えている。
現状、非の打ち所がない。
本来称賛すべきことなのに、何がこんなに僕を苛つかせるんだろう。
視線を前方に戻すと、ちょうどローズちゃんが振り返ったところだった。
優しげに微笑む姿を見て、また少し気持ちが和らいだ。
僕は、気持ちを切り替えるように軽く伸びをして、笑顔を作る。
「ステンドグラスがすごく綺麗だ!」
「ええ。本当に綺麗ですね」
やんわりとした声が、耳に心地いい。
本当は、精霊の光が煩くて、くっきりと見えるわけでは無いけど、彼女と共有できる美しいものに目を向けることにする。
「ステンドグラスが、神話をモチーフに作られているのはご存知ですか?」
「いや?そうなんだね。今まで意識して見たことが無かったから」
普段は聖堂にやってきても、光輝く粒子のように鮮やかな精霊ばかりを見ていて、ステンドグラスに目をやったことは無かった。
「ご迷惑で無ければ、時間まで簡単にお話しいたしましょうか?」
「是非お願いするよ。楽しみだな」
「うまくお話しできるといいのですけど、分かりにくければ仰ってくださいね?」
あくまで腰の低い彼女に、思わず笑みが溢れる。
この小動物的な可愛さ!
衝動的に虐めたくなってしまうのを、必死に堪える。
もう子どもではないし、嫌われてしまっては元も子もないから。
でも、緊張からか赤らんでいる、可愛い耳を齧りたい。
そうしたら、彼女はどんな反応を返してくれるだろう。
このまま王子殿下なんて放ったらかして、二人で出かけてしまいたいなぁ。
思わずそんな考えが頭をよぎるけれど、さすがにそこは理性で抑えた。
王子殿下を牽制する事までが今日の目的だし、警護の関係でも勝手に動けるわけではない。
煩わしいけど、『貴族は、自分の身の安全を確保することも仕事の一つ』と理解しているから。
ローズちゃんの説明は、簡潔で分かりやすかった。
彼女の少し高めだけど柔らかい声音は、聞いていて耳にとても心地よかったし、神話は簡単には知っていたけど、ステンドグラスがそれになぞらえて作られているなんて、知らなかったから興味深くもあった。
僕の護衛は比較的近くに立っているし、例の聖騎士もいるはずなのに、いつの間にか存在を感じなくなっていた。
多分気配を消しているんだろう。
まるでこの神聖な空間に、二人きりでいるような気分になって嬉しい。
やって来た当初から、聖堂の中が無人だったのもラッキーだったな。
女神様がその盾と槍を持って王国を守った話で、神話は終わりを告げ、やがて僕たちは盾を持つ女神の像の前に辿り着いた。
そろそろ、王子殿下がやってくる時間だろうか?
残念だな。
二人で過ごせる楽しい時間は、終わりが近づいている。
女神像を見上げるローズちゃんは、柔らかく微笑んでいて、やはり彼女の周りだけ精霊が存在しない。
ステンドグラスから差し込む光だけが、彼女を照らしていて、とても神秘的に見える。
精霊に嫌われている……という訳では無いのだろうけど、やはり持っている魔力量の問題なのだろうか?
これだけ精霊が沢山いる空間の中で、彼女の周辺だけは、ぽっかりと穴が開いたように暗い。
僕の視線に気づいたのか、ローズちゃんと目があったので、微笑んだ。
ローズちゃんも微笑み返してくれて、幸福感が増す。
その時、入り口では無い方にある扉がノックされた。
にわかに聖騎士の気配が戻ってきて、一瞬体が泡立つ。
今まで消していた気配をわざと戻した?
自分のいる場所を皆に判るようにした?
ローズちゃんの視線が一瞬、聖騎士に向く。
彼は僅かに頷いた。
扉の向こうに来た人物が安全であることを、伝えるような仕草。
ローズちゃんも、理解したように柔らかく微笑んだ。
そのやりとりを見ただけで……僕の胸は信じられないほどにざわついた。
普通なら気にも留めない仕草だろう。
僕だって護衛と同じようなやりとりをする。
それに、彼女が彼に向けた微笑みは、僕に向けるものと大差ない。
それなのに、頭の中で警鐘が鳴り響いている。
彼は危険だ。
まだローズちゃんが聖堂に入って数ヶ月程度の付き合いだろうに、彼は既に彼女の信頼を勝ち得ている。
「失礼。確認して参りますね?」
笑顔でぺこりと頭を下げるローズちゃん。
僕も笑顔をかえし、頷いて見せた。
彼女が踵を返すと同時に、僕も歩を踏み出す。
行き先は聖騎士の正面。
彼については、少々リサーチが必要だと判断した。
今のところ、彼がローズちゃんに好意を寄せている素振りはないが、絶対の確証は無い。
また逆のパターンの危険性もある。
つまり、ローズちゃんが彼に恋をする可能性。
教養深い彼女にとっては、『王子殿下や侯爵令息との恋』など、恐れ多いだろう。
だが、聖騎士の彼は一般人だ。
男爵令嬢で、しかも嫁ぐことがほぼ確定している彼女にとって、彼との恋は障害が少ない。
その上、仕事とはいえ、同じ聖堂で生活している。
顔を合わせる機会は多いだろう。
……場合によっては牽制も必要か。
ツカツカと歩み寄る僕に対しても、聖騎士は特に表情を変えず、目の前までたどり着くと、彼は視線を落として、やや頭を下げた。
「普通にして頂いて結構です」
僕はいつも通りの笑顔で、にこやかに彼に話しかけた。
「とても素晴らしい対応で!失礼ですが、お名前を伺っても?」
聖騎士は、姿勢を戻すと静かに口を開いた。
「レン=クルスと申します」
クルス……庶民や聖職者に多い苗字だ。
特に珍しいものではない。
「レンさんですね!今日はありがとうございました!」
笑みを浮かべながら、ぺこりと頭を下げると、彼もお辞儀を返した。
「もう一つ、失礼を承知で伺いますが、貴方は魔導士では無いんですか?みえてますよね?これ」
僕は周りの精霊を周囲に集める。
「はい。これほどの数の精霊が、一人の人間の周りにいるのを見るのは、初めてです」
「それはどうも。貴方の周りも凄いですよ?専門学校に通われていたのでは無いのですか?」
「聖騎士の職についた後、夜間の魔導師学校に一年通っただけです」
「何故?十分基準に達していたのでしょう?」
「ここ最近になって増加した分が多いので、成人の段階では、基準に達していなかったのでしょう」
「そういうこともあるんですね?」
「個人差はありましょうから」
内容に不審な点は……無いか。
しかし、そうすると魔導師学校に通う前に、難関と言われる聖騎士の試験をパスしていたことになる。
体は鍛えられているとはいえ、先ほど隣に並んでいた体の大きな聖騎士と比較すると、一回り小さいし、かなり細いと思うのだが、魔法なしで戦えるのだろうか?
素朴な疑問が、思わず口をついて出てしまった。
「貴方は、剣もお強いんですか?」
しまった。
失言だった。
もちろん馬鹿にするつもりは無かったが、そう聞こえても仕方のない聞き方だった。
しかし、彼は憤慨するでもなく、静かに応えた。
「……聖騎士の基準に達する程度の技量は、持ち合わせているつもりです」
「そうなんですね。両方出来るなんて凄いなぁ!」
「恐れ入ります」
牽制するつもりで話しかけたけど、取り繕ったのは僕の方だ。
ふつふつと悔しさがこみ上げる。
こんな気分になったのは初めてだ。
無表情だけど、話し口調は柔らかく丁寧。
これは厄介だ。
十人いたら七、八人は、彼の態度に好感を持つだろう。
もう少し情報がほしい。
ローズちゃんにとっての彼のポジションを判断するには、少し時間がかかりそうだ。
僕は笑顔、相手は無表情のまま、一瞬の沈黙が落ちる。
これ以上、今、彼と話しても、欲しい情報は得られないだろう。
彼も恐らく、必要なこと以外は話さないだろうし。
可能であれば、彼に少し接近してみるといいかもしれない。
そうすれば、状況も掴みやすいし、多少の牽制やお願いなんかも効きそうだ。
長く感じたけど、実際は数秒だろう膠着状態を正常化してくれたのは、ローズちゃんだった。
彼女は、白い神官服の初老の男性を伴って、こちらに戻ってきた。
ナイスタイミング!
ローズちゃんは、不思議そうに一瞬眉を寄せた。
僕たちの立ち位置が気になったのだろう。
神官の男性が近づいて来たので、僕はそちらに体を向け、いつも通りの笑顔で彼を迎えた。
彼がローズちゃんの上司に当たる人なのかな?
「初めまして!神官長補佐ミゲルでございます」
「初めまして。今日はありがとうございます。ジェファーソン=ドウェインです」
「お会いできて光栄です」
「こちらこそ」
神官長補佐。
実質ナンバー2か。
柔和な雰囲気だけど、体の細さや頭髪の薄さから、その苦労が忍ばれる。
対応はしっかりしていて、ローズちゃんの反応を見ても、彼が良い上司であることが窺える。
年齢も高いし感じもいいし、素直に安心だ。
挨拶が済んだころ、扉の向こうから賑やかな声が聞こえて来た。
嬉しそうなリリアーナさんの笑い声と、聞き覚えのある生意気な声がはっきりと聞こえて、僕は口角を上げた。
念のため、首元のタイを整えると、服のシワを軽く叩いて身嗜みを整える。
僕の従者たちも、同様に着衣を整えている。
ローズちゃんは、緊張した面持ちで僕の横にやって来た。
ごく自然に見える、オトモダチに丁度良い距離感まで近づくと、立ち止まり、彼女は僕に、はにかんだような笑みを向けた。
僕は、安心させるように、いつも通りの笑みを浮かべる。
さぁ。
いよいよ王子殿下のお出ましだ。
黒髪の聖騎士が入ってくると、青い光で煌めいていた聖堂の中は、ますます鮮やかな色彩に彩られた。
白金の光と鮮やかな赤。
風の精霊の方が幾分多いだろうか?
でも、火精霊が劣っているというほどでもない。
暗い中で見れば、はっきりと彼の持つ魔力量の多さがわかる。
それこそ専門学校の生徒たちと比較しても、同等以上か?
彼は、いったい何故、聖騎士などやっているのだろう?
もちろん、聖騎士は人気の職業だ。
元々の配属人数も少なく、殊更、実際に聖女様の前に侍ることが出来る『中央聖堂仕え』は狭き門であり、成人前の男子にとっては憧れの職業でもある。
給料に関しても、聞いた話によると、王宮内警護の王国騎士と同程度らしく、決して安いわけではない。
ただ、王宮魔導士に比べると劣るのだ。
魔力が一定以上有るならば、この国に住む一般家庭の親なら、子どもを魔導士にさせたがる。
王宮魔導士は、ほとんど王宮内で仕事をしているし、騎士のように毎日体を鍛える必要も無い。
有事の場合、王族を守らなければならない点は、騎士と変わりないが、後方支援である分危険も少ない。
更に、一代限りではあるが男爵位も賜れる。
奨学金制度もあるし、庶民で魔力もちなら、まず専門学校を選択するはず。
よく分からない男だ。
そもそも、先ほどから感情が一切読めない。
表情が動いたのは、一番最初に目があった時のみ。
しかも僅かに目を細めただけだ。
まぁ、感情の読めなさでは、僕だっていいとこ勝負だろうけど。
先程から、彼の対応は悪くない。
寧ろ、丁寧で、かつしっかりとしている。
……正直、好感がもてるほどだ。
彼のような聖騎士が、ローズちゃんを守ってくれているなら、安心ではある。
ただ、何故だか、もやっとする。
僕の方が劣っていると感じている?
馬鹿な。
僕は自分の考えを慌てて打ち消した。
言ってはなんだけど、僕は大抵の貴族の中でも、抜きん出ていると自負している。
これは自惚れでは無いはずだ。
家柄の良さは、ミュラーソン公爵家や、王宮の対応を見れば、一目瞭然。
僕個人だって、魔導士長御本人から専門学校への入校依頼を受けた。
卒業後、王宮魔導士への就職を視野に入れて欲しい旨、直接頭を下げられていたりもする。
階級的にも、魔力量でも負けていない。
容姿だって、タイプは違うが引けは取っていない。
寧ろ、国内では僕の方がウケがいいだろう。
強いて言うなら……身長。
それから、一見細身に見えるが、しっかりと鍛え上げられた体躯だろうか。
まだ線が細く見える自分の体を一瞬みて、拳を握りしめる。
僕は何を焦っているんだろう。
身長は、まだこれから十分伸びるはずだし、身体は鍛えればいい。
それに、彼がローズちゃんに対して、なんらかの反応を示したわけではない。
寧ろ、何をやっても無反応だったではないか。
どちらかと言うと、警戒すべきは、外にいる巨体の聖騎士の方だ。
それなのに、先程から僕は、この聖騎士が気になっている。
興味を持っている?
いや、脅威を感じている?
僕が?
分からない。
或いは羨ましいのかもしれない。
同じ敷地内で生活して、近くでローズちゃんを警護できる彼のことが……。
入口付近で静かに佇む彼に、僅かに視線を流すと、彼もこちらに目を向けた。
僕の視線に気づいたのだろうか?
彼はまた目礼し、一歩下がったようだった。
礼儀をしっかりと弁えている。
現状、非の打ち所がない。
本来称賛すべきことなのに、何がこんなに僕を苛つかせるんだろう。
視線を前方に戻すと、ちょうどローズちゃんが振り返ったところだった。
優しげに微笑む姿を見て、また少し気持ちが和らいだ。
僕は、気持ちを切り替えるように軽く伸びをして、笑顔を作る。
「ステンドグラスがすごく綺麗だ!」
「ええ。本当に綺麗ですね」
やんわりとした声が、耳に心地いい。
本当は、精霊の光が煩くて、くっきりと見えるわけでは無いけど、彼女と共有できる美しいものに目を向けることにする。
「ステンドグラスが、神話をモチーフに作られているのはご存知ですか?」
「いや?そうなんだね。今まで意識して見たことが無かったから」
普段は聖堂にやってきても、光輝く粒子のように鮮やかな精霊ばかりを見ていて、ステンドグラスに目をやったことは無かった。
「ご迷惑で無ければ、時間まで簡単にお話しいたしましょうか?」
「是非お願いするよ。楽しみだな」
「うまくお話しできるといいのですけど、分かりにくければ仰ってくださいね?」
あくまで腰の低い彼女に、思わず笑みが溢れる。
この小動物的な可愛さ!
衝動的に虐めたくなってしまうのを、必死に堪える。
もう子どもではないし、嫌われてしまっては元も子もないから。
でも、緊張からか赤らんでいる、可愛い耳を齧りたい。
そうしたら、彼女はどんな反応を返してくれるだろう。
このまま王子殿下なんて放ったらかして、二人で出かけてしまいたいなぁ。
思わずそんな考えが頭をよぎるけれど、さすがにそこは理性で抑えた。
王子殿下を牽制する事までが今日の目的だし、警護の関係でも勝手に動けるわけではない。
煩わしいけど、『貴族は、自分の身の安全を確保することも仕事の一つ』と理解しているから。
ローズちゃんの説明は、簡潔で分かりやすかった。
彼女の少し高めだけど柔らかい声音は、聞いていて耳にとても心地よかったし、神話は簡単には知っていたけど、ステンドグラスがそれになぞらえて作られているなんて、知らなかったから興味深くもあった。
僕の護衛は比較的近くに立っているし、例の聖騎士もいるはずなのに、いつの間にか存在を感じなくなっていた。
多分気配を消しているんだろう。
まるでこの神聖な空間に、二人きりでいるような気分になって嬉しい。
やって来た当初から、聖堂の中が無人だったのもラッキーだったな。
女神様がその盾と槍を持って王国を守った話で、神話は終わりを告げ、やがて僕たちは盾を持つ女神の像の前に辿り着いた。
そろそろ、王子殿下がやってくる時間だろうか?
残念だな。
二人で過ごせる楽しい時間は、終わりが近づいている。
女神像を見上げるローズちゃんは、柔らかく微笑んでいて、やはり彼女の周りだけ精霊が存在しない。
ステンドグラスから差し込む光だけが、彼女を照らしていて、とても神秘的に見える。
精霊に嫌われている……という訳では無いのだろうけど、やはり持っている魔力量の問題なのだろうか?
これだけ精霊が沢山いる空間の中で、彼女の周辺だけは、ぽっかりと穴が開いたように暗い。
僕の視線に気づいたのか、ローズちゃんと目があったので、微笑んだ。
ローズちゃんも微笑み返してくれて、幸福感が増す。
その時、入り口では無い方にある扉がノックされた。
にわかに聖騎士の気配が戻ってきて、一瞬体が泡立つ。
今まで消していた気配をわざと戻した?
自分のいる場所を皆に判るようにした?
ローズちゃんの視線が一瞬、聖騎士に向く。
彼は僅かに頷いた。
扉の向こうに来た人物が安全であることを、伝えるような仕草。
ローズちゃんも、理解したように柔らかく微笑んだ。
そのやりとりを見ただけで……僕の胸は信じられないほどにざわついた。
普通なら気にも留めない仕草だろう。
僕だって護衛と同じようなやりとりをする。
それに、彼女が彼に向けた微笑みは、僕に向けるものと大差ない。
それなのに、頭の中で警鐘が鳴り響いている。
彼は危険だ。
まだローズちゃんが聖堂に入って数ヶ月程度の付き合いだろうに、彼は既に彼女の信頼を勝ち得ている。
「失礼。確認して参りますね?」
笑顔でぺこりと頭を下げるローズちゃん。
僕も笑顔をかえし、頷いて見せた。
彼女が踵を返すと同時に、僕も歩を踏み出す。
行き先は聖騎士の正面。
彼については、少々リサーチが必要だと判断した。
今のところ、彼がローズちゃんに好意を寄せている素振りはないが、絶対の確証は無い。
また逆のパターンの危険性もある。
つまり、ローズちゃんが彼に恋をする可能性。
教養深い彼女にとっては、『王子殿下や侯爵令息との恋』など、恐れ多いだろう。
だが、聖騎士の彼は一般人だ。
男爵令嬢で、しかも嫁ぐことがほぼ確定している彼女にとって、彼との恋は障害が少ない。
その上、仕事とはいえ、同じ聖堂で生活している。
顔を合わせる機会は多いだろう。
……場合によっては牽制も必要か。
ツカツカと歩み寄る僕に対しても、聖騎士は特に表情を変えず、目の前までたどり着くと、彼は視線を落として、やや頭を下げた。
「普通にして頂いて結構です」
僕はいつも通りの笑顔で、にこやかに彼に話しかけた。
「とても素晴らしい対応で!失礼ですが、お名前を伺っても?」
聖騎士は、姿勢を戻すと静かに口を開いた。
「レン=クルスと申します」
クルス……庶民や聖職者に多い苗字だ。
特に珍しいものではない。
「レンさんですね!今日はありがとうございました!」
笑みを浮かべながら、ぺこりと頭を下げると、彼もお辞儀を返した。
「もう一つ、失礼を承知で伺いますが、貴方は魔導士では無いんですか?みえてますよね?これ」
僕は周りの精霊を周囲に集める。
「はい。これほどの数の精霊が、一人の人間の周りにいるのを見るのは、初めてです」
「それはどうも。貴方の周りも凄いですよ?専門学校に通われていたのでは無いのですか?」
「聖騎士の職についた後、夜間の魔導師学校に一年通っただけです」
「何故?十分基準に達していたのでしょう?」
「ここ最近になって増加した分が多いので、成人の段階では、基準に達していなかったのでしょう」
「そういうこともあるんですね?」
「個人差はありましょうから」
内容に不審な点は……無いか。
しかし、そうすると魔導師学校に通う前に、難関と言われる聖騎士の試験をパスしていたことになる。
体は鍛えられているとはいえ、先ほど隣に並んでいた体の大きな聖騎士と比較すると、一回り小さいし、かなり細いと思うのだが、魔法なしで戦えるのだろうか?
素朴な疑問が、思わず口をついて出てしまった。
「貴方は、剣もお強いんですか?」
しまった。
失言だった。
もちろん馬鹿にするつもりは無かったが、そう聞こえても仕方のない聞き方だった。
しかし、彼は憤慨するでもなく、静かに応えた。
「……聖騎士の基準に達する程度の技量は、持ち合わせているつもりです」
「そうなんですね。両方出来るなんて凄いなぁ!」
「恐れ入ります」
牽制するつもりで話しかけたけど、取り繕ったのは僕の方だ。
ふつふつと悔しさがこみ上げる。
こんな気分になったのは初めてだ。
無表情だけど、話し口調は柔らかく丁寧。
これは厄介だ。
十人いたら七、八人は、彼の態度に好感を持つだろう。
もう少し情報がほしい。
ローズちゃんにとっての彼のポジションを判断するには、少し時間がかかりそうだ。
僕は笑顔、相手は無表情のまま、一瞬の沈黙が落ちる。
これ以上、今、彼と話しても、欲しい情報は得られないだろう。
彼も恐らく、必要なこと以外は話さないだろうし。
可能であれば、彼に少し接近してみるといいかもしれない。
そうすれば、状況も掴みやすいし、多少の牽制やお願いなんかも効きそうだ。
長く感じたけど、実際は数秒だろう膠着状態を正常化してくれたのは、ローズちゃんだった。
彼女は、白い神官服の初老の男性を伴って、こちらに戻ってきた。
ナイスタイミング!
ローズちゃんは、不思議そうに一瞬眉を寄せた。
僕たちの立ち位置が気になったのだろう。
神官の男性が近づいて来たので、僕はそちらに体を向け、いつも通りの笑顔で彼を迎えた。
彼がローズちゃんの上司に当たる人なのかな?
「初めまして!神官長補佐ミゲルでございます」
「初めまして。今日はありがとうございます。ジェファーソン=ドウェインです」
「お会いできて光栄です」
「こちらこそ」
神官長補佐。
実質ナンバー2か。
柔和な雰囲気だけど、体の細さや頭髪の薄さから、その苦労が忍ばれる。
対応はしっかりしていて、ローズちゃんの反応を見ても、彼が良い上司であることが窺える。
年齢も高いし感じもいいし、素直に安心だ。
挨拶が済んだころ、扉の向こうから賑やかな声が聞こえて来た。
嬉しそうなリリアーナさんの笑い声と、聞き覚えのある生意気な声がはっきりと聞こえて、僕は口角を上げた。
念のため、首元のタイを整えると、服のシワを軽く叩いて身嗜みを整える。
僕の従者たちも、同様に着衣を整えている。
ローズちゃんは、緊張した面持ちで僕の横にやって来た。
ごく自然に見える、オトモダチに丁度良い距離感まで近づくと、立ち止まり、彼女は僕に、はにかんだような笑みを向けた。
僕は、安心させるように、いつも通りの笑みを浮かべる。
さぁ。
いよいよ王子殿下のお出ましだ。
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