2 / 44
2.夜の出来事
しおりを挟む
信じられないわ。
会いたくないとずっと思っていた。だってあんな目にあったのよ?会いたい訳がない。
どうしてあの時声を掛けてしまったのだろう。
廊下を歩く男性が大きくふらつき倒れた。
「大丈夫ですかっ!?」
咄嗟に、何かの病気かと駆け寄ってしまった。
……お酒臭い。ただの酔っぱらいかしら。
それでも、このまま放置も駄目よね。
「あの、人を呼んできますから、そちらのお部屋でお休み下さいませ」
確か休憩室として使ってよかったはず。
そう思って部屋を指差した手を突然握られた。
「え?」
「……グローリア、どうして」
えっ!?グローリアって…、嫌っ、どうして抱きしめるのっ!!
「離してっ!人違いですっ!!」
重いし苦しいっ、押し潰す気なのっ!?
何とか逃れようと這いずるが、更にそれを追い縋ってくる。立ち上がろうとドアノブを掴んだのが悪手だった。
「あっ!」
ドアが開き、二人とも部屋の中に傾れ込んでしまった。
「痛っ…、」
打ち付けた背中が痛い。なんせ二人分の体重が掛かったのだ。痛いに決まっている。
最低だわ、どうしてこんな目に……
そんな余計なことを考えられたのはそこまでだった。
酔っぱらいの癖に彼は早かった。
痛みに動けずにいる私を抱き上げた。
──え?
『かちゃり』
鍵を掛ける音が、あんなにも人を絶望的にさせるのだと初めて知った。
……そこからはあまり思い出したくない。
気持ち悪かった。痛かった。何よりも怖くて。
自分じゃない女の名前を呼びながら私を暴いていく男は、どれだけ違うと、人違いだと訴えても……痛いと泣いても許してくれなかった……最低だ。
だんだん体の感覚も心も麻痺していく。
ただ分かったのは、これで私は誰にも嫁げなくなった。
ただ、それだけ。
眠ってしまった男の顔を見る。無駄にキラキラした男だ。さすがに知っている。宰相補佐官様よね。こんなの相手じゃ殺すことも出来ないわ。そもそも無理だけど。
……とりあえず逃げなきゃ。
服を破かれなかったのは幸いだ。何とか身形を整えてそっと部屋を出る。
走っては駄目。逆に目立つわ。
痛みと、恐怖に震える体を叱咤し、何とかゆったりと何食わぬ顔で歩く。例え結婚が無理でも、醜聞だけは避けたい。家族に迷惑は掛けたくないわ。
何とか部屋に辿り着いた。急いで避妊薬を飲む。『何処で何があるか分からないから』と、お守りとして持たせてくれたお母様に感謝しかない。
お風呂に入って……自分の中から溢れ出たものを見て涙が出た。
どうして……どうしてこんな事に……
何度も何度も体を洗いながら、涙が止まらなかった。
鏡を見る。結構酷い。鎖骨辺りからたくさんの鬱血痕が付いている。どれだけ執着しているのよ、迷惑な。でも、これなら服に隠れるから大丈夫。問題は手首の痣ね。腕を曲げると見えてしまうかしら。右手はまだ大丈夫。左手が……どうしよう。
仕事を休みたくはない。そんなことをしたら相手が私だとバレるかもしれないし。
「……やるか」
背に腹は替えられぬ。皮一枚で誤魔化せるならいいわ。
「熱っ」
左手首に熱湯をかけた。隠せないなら別のもので覆えばいいだけ。火傷で赤くなった手首を流水で冷やす。
薬を塗って包帯を巻く。これで誤魔化せるだろうか。
「……何やってるんだろう、私」
どんなに隠しても穢された事実は消えないのに。
それでも、泣き過ぎて腫れた目元を冷やし、必死に隠蔽工作を続けるしかなかった。
「その手、どうしたの?」
「昨日うっかり火傷しちゃって」
「ちょっと、包帯が弛んでるわよ。巻き直してあげるわ」
「……ありがとうございます」
「うわ、赤くなってるじゃない。痕が残らないといいけど」
……よかった。これで私の手首にあるのは火傷だと印象付けられた。
「ありがとうございました、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
「やだ、もっと気軽に話して?」
バレなかったことに、ようやくホッとする。
あとは彼が私の顔を覚えているかどうかだけど。
しかし、不安に思ったものの、彼が現れることなく、無事引き継ぎが終了した。
「初めまして」
何とまあ腹の立つ言葉だろう。
確かに彼は酔っていた。自分が好きな女性かどうかも判別出来なかったのだ。私を覚えている筈はない。覚えていても困るけど、腹が立たないかは別物よ!
さすがはグローリア様との禁断の恋に溺れる阿呆なだけあるわ。くだらない。良い人そうなオーラを出さないでよ、気持ち悪い。
最低限に挨拶をしてさっさと部屋を出る。
二度と来ないで欲しいわ。
「よかったら皆で食べてくれ」
「………ありがとうございます」
何故来るの。宰相補佐官はお暇なの?気持ち悪いから寄らないで欲しいのに!
貴方は知らないでしょう。私がどれだけの恐怖と嫌悪を押し隠しているのかを。心の中で何回貴方を蹴り倒しているかを!!
「……あの」
「はい」
「私は君に何かしてしまっただろうか?」
なるほど。その顔で今までチヤホヤされて生きてきたのに、私の様な小娘が靡かないのが気に入らないのね。
「……質問の意図が分かりかねます」
例え嘘でも何も無かったと言うのは悔しい。
こちらに被害が無ければ、さっさと捕まえてもらって罰して欲しいところなのに。
「シャノン、嫌な事があったら何でも言っていいんだよ。ここは君の職場だ。不愉快ならこいつは仕事以外ではここには来させないことも出来る」
まあ、なんて魅力的な!
「……申し訳ございませんが、マクニール補佐官の様な美麗な顔立ちが苦手でございます」
さすがに気持ち悪いから来るなとは言えない。でも、これくらいならいいわよね?
「なっ」
「アハハハハハッ!なるほど!靡かないどころかこの顔が苦手かっ!!」
「はい。申し訳ございません」
ショックを受けた顔に少しだけ溜飲が下がる。これに懲りて二度と顔を見せないで欲しいわ。
会いたくないとずっと思っていた。だってあんな目にあったのよ?会いたい訳がない。
どうしてあの時声を掛けてしまったのだろう。
廊下を歩く男性が大きくふらつき倒れた。
「大丈夫ですかっ!?」
咄嗟に、何かの病気かと駆け寄ってしまった。
……お酒臭い。ただの酔っぱらいかしら。
それでも、このまま放置も駄目よね。
「あの、人を呼んできますから、そちらのお部屋でお休み下さいませ」
確か休憩室として使ってよかったはず。
そう思って部屋を指差した手を突然握られた。
「え?」
「……グローリア、どうして」
えっ!?グローリアって…、嫌っ、どうして抱きしめるのっ!!
「離してっ!人違いですっ!!」
重いし苦しいっ、押し潰す気なのっ!?
何とか逃れようと這いずるが、更にそれを追い縋ってくる。立ち上がろうとドアノブを掴んだのが悪手だった。
「あっ!」
ドアが開き、二人とも部屋の中に傾れ込んでしまった。
「痛っ…、」
打ち付けた背中が痛い。なんせ二人分の体重が掛かったのだ。痛いに決まっている。
最低だわ、どうしてこんな目に……
そんな余計なことを考えられたのはそこまでだった。
酔っぱらいの癖に彼は早かった。
痛みに動けずにいる私を抱き上げた。
──え?
『かちゃり』
鍵を掛ける音が、あんなにも人を絶望的にさせるのだと初めて知った。
……そこからはあまり思い出したくない。
気持ち悪かった。痛かった。何よりも怖くて。
自分じゃない女の名前を呼びながら私を暴いていく男は、どれだけ違うと、人違いだと訴えても……痛いと泣いても許してくれなかった……最低だ。
だんだん体の感覚も心も麻痺していく。
ただ分かったのは、これで私は誰にも嫁げなくなった。
ただ、それだけ。
眠ってしまった男の顔を見る。無駄にキラキラした男だ。さすがに知っている。宰相補佐官様よね。こんなの相手じゃ殺すことも出来ないわ。そもそも無理だけど。
……とりあえず逃げなきゃ。
服を破かれなかったのは幸いだ。何とか身形を整えてそっと部屋を出る。
走っては駄目。逆に目立つわ。
痛みと、恐怖に震える体を叱咤し、何とかゆったりと何食わぬ顔で歩く。例え結婚が無理でも、醜聞だけは避けたい。家族に迷惑は掛けたくないわ。
何とか部屋に辿り着いた。急いで避妊薬を飲む。『何処で何があるか分からないから』と、お守りとして持たせてくれたお母様に感謝しかない。
お風呂に入って……自分の中から溢れ出たものを見て涙が出た。
どうして……どうしてこんな事に……
何度も何度も体を洗いながら、涙が止まらなかった。
鏡を見る。結構酷い。鎖骨辺りからたくさんの鬱血痕が付いている。どれだけ執着しているのよ、迷惑な。でも、これなら服に隠れるから大丈夫。問題は手首の痣ね。腕を曲げると見えてしまうかしら。右手はまだ大丈夫。左手が……どうしよう。
仕事を休みたくはない。そんなことをしたら相手が私だとバレるかもしれないし。
「……やるか」
背に腹は替えられぬ。皮一枚で誤魔化せるならいいわ。
「熱っ」
左手首に熱湯をかけた。隠せないなら別のもので覆えばいいだけ。火傷で赤くなった手首を流水で冷やす。
薬を塗って包帯を巻く。これで誤魔化せるだろうか。
「……何やってるんだろう、私」
どんなに隠しても穢された事実は消えないのに。
それでも、泣き過ぎて腫れた目元を冷やし、必死に隠蔽工作を続けるしかなかった。
「その手、どうしたの?」
「昨日うっかり火傷しちゃって」
「ちょっと、包帯が弛んでるわよ。巻き直してあげるわ」
「……ありがとうございます」
「うわ、赤くなってるじゃない。痕が残らないといいけど」
……よかった。これで私の手首にあるのは火傷だと印象付けられた。
「ありがとうございました、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
「やだ、もっと気軽に話して?」
バレなかったことに、ようやくホッとする。
あとは彼が私の顔を覚えているかどうかだけど。
しかし、不安に思ったものの、彼が現れることなく、無事引き継ぎが終了した。
「初めまして」
何とまあ腹の立つ言葉だろう。
確かに彼は酔っていた。自分が好きな女性かどうかも判別出来なかったのだ。私を覚えている筈はない。覚えていても困るけど、腹が立たないかは別物よ!
さすがはグローリア様との禁断の恋に溺れる阿呆なだけあるわ。くだらない。良い人そうなオーラを出さないでよ、気持ち悪い。
最低限に挨拶をしてさっさと部屋を出る。
二度と来ないで欲しいわ。
「よかったら皆で食べてくれ」
「………ありがとうございます」
何故来るの。宰相補佐官はお暇なの?気持ち悪いから寄らないで欲しいのに!
貴方は知らないでしょう。私がどれだけの恐怖と嫌悪を押し隠しているのかを。心の中で何回貴方を蹴り倒しているかを!!
「……あの」
「はい」
「私は君に何かしてしまっただろうか?」
なるほど。その顔で今までチヤホヤされて生きてきたのに、私の様な小娘が靡かないのが気に入らないのね。
「……質問の意図が分かりかねます」
例え嘘でも何も無かったと言うのは悔しい。
こちらに被害が無ければ、さっさと捕まえてもらって罰して欲しいところなのに。
「シャノン、嫌な事があったら何でも言っていいんだよ。ここは君の職場だ。不愉快ならこいつは仕事以外ではここには来させないことも出来る」
まあ、なんて魅力的な!
「……申し訳ございませんが、マクニール補佐官の様な美麗な顔立ちが苦手でございます」
さすがに気持ち悪いから来るなとは言えない。でも、これくらいならいいわよね?
「なっ」
「アハハハハハッ!なるほど!靡かないどころかこの顔が苦手かっ!!」
「はい。申し訳ございません」
ショックを受けた顔に少しだけ溜飲が下がる。これに懲りて二度と顔を見せないで欲しいわ。
1,498
お気に入りに追加
3,179
あなたにおすすめの小説
姉の婚約者であるはずの第一王子に「お前はとても優秀だそうだから、婚約者にしてやってもいい」と言われました。
ふまさ
恋愛
「お前はとても優秀だそうだから、婚約者にしてやってもいい」
ある日の休日。家族に疎まれ、蔑まれながら育ったマイラに、第一王子であり、姉の婚約者であるはずのヘイデンがそう告げた。その隣で、姉のパメラが偉そうにふんぞりかえる。
「ぞんぶんに感謝してよ、マイラ。あたしがヘイデン殿下に口添えしたんだから!」
一方的に条件を押し付けられ、望まぬまま、第一王子の婚約者となったマイラは、それでもつかの間の安らぎを手に入れ、歓喜する。
だって。
──これ以上の幸せがあるなんて、知らなかったから。
結婚するので姉様は出ていってもらえますか?
基本二度寝
恋愛
聖女の誕生に国全体が沸き立った。
気を良くした国王は貴族に前祝いと様々な物を与えた。
そして底辺貴族の我が男爵家にも贈り物を下さった。
家族で仲良く住むようにと賜ったのは古い神殿を改装した石造りの屋敷は小さな城のようでもあった。
そして妹の婚約まで決まった。
特別仲が悪いと思っていなかった妹から向けられた言葉は。
※番外編追加するかもしれません。しないかもしれません。
※えろが追加される場合はr−18に変更します。
心を失った彼女は、もう婚約者を見ない
基本二度寝
恋愛
女癖の悪い王太子は呪われた。
寝台から起き上がれず、食事も身体が拒否し、原因不明な状態の心労もあり、やせ細っていった。
「こりゃあすごい」
解呪に呼ばれた魔女は、しゃがれ声で場違いにも感嘆した。
「王族に呪いなんて効かないはずなのにと思ったけれど、これほど大きい呪いは見たことがないよ。どれだけの女の恨みを買ったんだい」
王太子には思い当たる節はない。
相手が勝手に勘違いして想いを寄せられているだけなのに。
「こりゃあ対価は大きいよ?」
金ならいくらでも出すと豪語する国王と、「早く息子を助けて」と喚く王妃。
「なら、その娘の心を対価にどうだい」
魔女はぐるりと部屋を見渡し、壁際に使用人らと共に立たされている王太子の婚約者の令嬢を指差した。
旦那様に愛されなかった滑稽な妻です。
アズやっこ
恋愛
私は旦那様を愛していました。
今日は三年目の結婚記念日。帰らない旦那様をそれでも待ち続けました。
私は旦那様を愛していました。それでも旦那様は私を愛してくれないのですね。
これはお別れではありません。役目が終わったので交代するだけです。役立たずの妻で申し訳ありませんでした。
いくら時が戻っても
ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
大切な書類を忘れ家に取りに帰ったセディク。
庭では妻フェリシアが友人二人とお茶会をしていた。
思ってもいなかった妻の言葉を聞いた時、セディクは―――
短編予定。
救いなし予定。
ひたすらムカつくかもしれません。
嫌いな方は避けてください。
※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。
【完結】私は死んだ。だからわたしは笑うことにした。
彩華(あやはな)
恋愛
最後に見たのは恋人の手をとる婚約者の姿。私はそれを見ながら階段から落ちた。
目を覚ましたわたしは変わった。見舞いにも来ない両親にー。婚約者にもー。わたしは私の為に彼らをやり込める。わたしは・・・私の為に、笑う。
「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。
あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。
「君の為の時間は取れない」と。
それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。
そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。
旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。
あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。
そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。
※35〜37話くらいで終わります。
愛するつもりなぞないんでしょうから
真朱
恋愛
この国の姫は公爵令息と婚約していたが、隣国との和睦のため、一転して隣国の王子の許へ嫁ぐことになった。余計ないざこざを防ぐべく、姫の元婚約者の公爵令息は王命でさくっと婚姻させられることになり、その相手として白羽の矢が立ったのは辺境伯家の二女・ディアナだった。「可憐な姫の後が、脳筋な辺境伯んとこの娘って、公爵令息かわいそうに…。これはあれでしょ?『お前を愛するつもりはない!』ってやつでしょ?」
期待も遠慮も捨ててる新妻ディアナと、好青年の仮面をひっ剥がされていく旦那様ラキルスの、『明日はどっちだ』な夫婦のお話。
※なんちゃって異世界です。なんでもあり、ご都合主義をご容赦ください。
※新婚夫婦のお話ですが色っぽさゼロです。Rは物騒な方です。
※ざまあのお話ではありません。軽い読み物とご理解いただけると幸いです。
※おまけ更新中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる