罪状は【零】

毒の徒華

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最終章 来ない明日を乞い願う

第186話 初めての呼び声

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 彼の部屋は荒れ果てていた。
 家具の何もかもが破壊されているし、布もビリビリに破れている。誰かと争った荒れ方ではない。自分でこうしたのだろうと解る。

 鍵はかかっていなかった。
 壊された窓から風が中に入ってきている。
 ご主人様の部屋を恐る恐る開けると、そこに彼はいなかった。
 扉の軋む音で、ベッドの上にいた白い龍が目を覚ます。

「ノエル!」

 僕にまっすぐ飛んできて抱き着いてきた。レインはもう離れまいと必死に僕にしがみついている。

「心配したんだよ……ノエル、ボロボロだったから……」
「ごめんね。大丈夫だよ。レイン、異界に帰してあげるから」
「ほんとう? でも……あの怒りんぼの人間はいいの?」
「うん。魔女除けを張っていくから」

 レインは僕がそう言うと、何やらもどかし気な態度をとり、僕の服を更に強く掴んだ。

「……会ってあげてよ」
「…………」

 何故、レインがそんなことを言うのだろうか。そう一瞬考えながらも、レインは話し続けた。

「ずっと、ずっとノエルに会いたがってた。会ってあげてよ」

 ずっとご主人様のことが心配だった。
 事の始まりはご主人様に拾われたところからだ。そこから僕は彼を慕った。だからこそここまで決心することになった。
 その彼に感謝をしている。

「解った……どこにいるか、解る?」
「多分、ぼくらが会った辺りにいると思う」
「……なんで?」
「いたたまれないんだよ、多分……ノエルと過ごしたこの家に、いたくないから、一日中どっか行っちゃってる。でも、ノエルの面影を追ってるから……ノエルがよく行ってた場所に行ってる……」
「………………」

 僕はレインを降ろし、待っているように言った。
 ご主人様の家を出て、見慣れた山道に僕は向かう。
 その道中を歩く度に昔のことを思い出す。いつも薬草を摘みに来た場所だ。
 歩きなれたその山道をよく見ながら歩いた。これがこの景色を見る最期だと思うと、いつも感じていた世界とは全く違うように見えた。

 ――これが、最期……

 木々の、葉の一つ一つを僕は目に焼き付けた。やけに日差しが反射する植物の緑が眩しく感じる。

 山に入って少し歩いたその先に、彼はいた。

「ご主人様……」

 僕がそう呼ぶと、彼は僕の方を見た。
 酷くやつれていて、髪の毛もボサボサで、前よりも痩せてしまっている。
 目に光がなかったが僕の姿を見て、目を見開く。

 一歩彼は僕に近づいた。

 僕は動かない。

 そしてまた一歩、また一歩と彼は僕に近づいてきた。

 もう触れられる距離。

 僕の髪に、顔に彼は触れる。

 確かめるように。

 赤い瞳で僕は彼を見つめた。

 彼もまた、僕を見つめ返す。

 ご主人様は泣きそうな顔をして、僕を強く抱きしめた。

「………………」

 懐かしい匂いがする。

 暫く、言葉はなかった。
 僕らは、互いの失った時間を埋め合わせるのにたくさんの話が必要なはずだ。
 僕が魔女だったと解った後から、ろくな話し合いもできていない。
 まして、僕の記憶にうっすらと残る、ゲルダとの決戦の後に再会した後は何の話もできていないのだから。

 ――なんでだろう……

 不思議と涙が出てこない。
 また僕はご主人様に会えばガーネットの遺体の傍らで泣いたように泣くのかと思っていた。
 涙が枯れてしまったのか、涙は出てこなかった。

「…………もういい」

 長い沈黙を破ったのは彼の方だった。

「もう、どこへも行くな。何も話さなくていい……俺の側から離れるな」
「……………………」

 僕は、拾われたときのように何も言えなかった。
 何からどう話していいか解らなかった。
 彼がどこまで知っているのかも知らなかったし、そしてなによりも、話し終わったら僕は行かなければならない。
 話し終えるのが億劫で、話し始められない。

 ずっとこうしていたいと思った。
 ずっと、温もりに包まれていたい。
 それでも僕は覚悟を持って、彼に話し始める他なかった。

「……もう、ご主人様は……僕が守って差し上げなくても、大丈夫です」

 彼の抱擁から僕は意を決して離れた。
 僕がご主人様の銀色の髪に触れると、少し硬い感触がした。
 ご主人様は悔しそうな顔をして泣いていた。

「俺は……お前がいてくれたら他には何もいらないのに……どうして……どうしてだよ……!?」
「…………このまま、魔女の女王はいなくなりましたが、いずれ魔女は復興するでしょう。そうしたらまた女王が生まれ、人間はまた迫害を受けます」
「そんなこと……解らねぇだろ?」
「……魔女が迫害をしなくても、人間が魔女を迫害します」

 淡々と事実だけを僕は話した。
 感情的なことを話しだしたら、僕は尚更辛くなってしまう気がしたからできなかった。

「町の連中には、お前に手を出させねぇよ。俺と一緒にここを出るんだ。誰もいない、誰もお前や俺を迫害しない場所に行こう……それでいいだろ?」

 セージと同じ生き方だ。
 それは魅力的だった。
 世界の苦しみなどすべて忘れて、僕と彼の2人きり。
 いつまで続くとも解らないその幸福に身を委ね……

 ――そして最期は死にゆく彼を腕の中で看取るのか――――

 その恐怖が胸の中に巣食って、僕のことを病的にむしばんだ。

 ――また僕は、大切な人を遺して生き残るのか……また僕は、大切な人を失うのか……

 それは僕にとって何よりも恐ろしいことだった。

「僕は……もう、この残酷な歴史を終わらせたいんです。終わらせられる力が、僕にはある」
「じゃあ、それが終わってからならいいだろ……?」
「…………魔女を、この世から隔離する為には…………僕の命と引き換えになります」

 彼は、言葉を失って僕の方を呆然と見ていた。瞬き一つせず、僕の方を凝視している。

「だから、もう本当にこれが最期です。ご主人様」

 言葉にすると、その言葉はやけに重かった。
 言い終わると、僕は自分の中の何もかもを吐き出してしまったかのような感覚がする。
 僕の言葉に、ご主人様は首を横に振った。

「なんで……!? ッ……なんで……お前なんだよ……他の誰かでいいだろ……お前じゃなくていいだろ…………なんでっ……お前なんだよ……」

 ご主人様はボロボロと涙をこぼし泣いている。消え入りそうな声で「どうして」と訴えてきた。

「僕じゃなきゃ、できないことなんです」
「お前は……! お前は……俺が世話しないと……飯だって食えない女だろ……」
「………………」
「…………風呂だって……俺が入れてやらなきゃ……身体の洗い方もわかんねぇし……それに……俺の世話するために……生きてただろ……? 俺の為だけに……」

 ご主人様は出逢った頃の僕の話をしている様だった。

「なのに……なんでそんなお前が……そんなことできるんだよ…………俺以外のことなんか、気にしなくたっていいだろ……なんだってんだよ? 急に…………」
「…………僕の……僕らの過去を埋め合わせる為には、時間が足りませんね……」
「ならこれから埋め合わせればいいだろ!?」

 僕は彼から後ずさった。

 彼は追うように僕に近づく。
 背中の翼を羽ばたかせると、ご主人様は僕の服の袖に縋るような素振りを見せるが、僕は逃れるように羽ばたいて距離をとった。

「待てよ! 話は終わってないだろ!?」
「………………」

 返す言葉が見当たらない。
 僕は彼に何を言われても、覚悟が決まっていた。
 僕は最期の彼の姿を目に焼き付けるしかない。

「あなたは生きてください。僕が、生きられない未来を」

 僕は彼から背を向けてレインのいる家へと飛んだ。

「待てよ! 待て!!」

 後ろから走る音と、声が聞こえる。

「ノエル!!!」

 初めてご主人様が僕の名前を呼んでくれた。
 初めてご主人様が誰かの名前を呼んでいるのを聞いた。

 それに、僕は一瞬だけ覚悟が鈍る。

 ふり返って戻りたい気持ちを払いのけようとすると、僕の目から涙が一筋流れた。
 涙を拭い、彼の家に降り立つと外で待っていたレインを抱き上げる。

「ノエル……泣いてるの?」
「……大丈夫」

 レインを抱きかかえ、僕は再び飛び立った。
 彼の家を見た後に、もう一度山の方を見る。ご主人様はまだ降りてきていないようだった。

 ――………………

 僕は拠点へ向かって飛んだ。
 身を裂かれるような辛さが僕の心臓をギュッと掴んでも、それでも振り返ることは出来なかった。


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