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最終章 来ない明日を乞い願う
第184話 自分の名前
しおりを挟む男は僕が答えなくても僕に話しかけ続けてきた。
食事も出されたが、口をつけられずにいつまでもそれを見つめていると、男は僕に食事をさせてくれた。
毎日毎日甲斐甲斐しく世話されるなんて、セージに小さい頃にしてもらった以来だ。
僕は徐々にそれが恐ろしく感じるようになっていた。
まだこれが幻覚の中にある夢なのではないかと自分を疑い出すと恐ろしくてたまらなくなり、一日中牢屋にいた頃と同じように震える。
男に害がないのは解っていたが、相変わらず僕に向かって手を伸ばされると身体を硬直させて震えてばかりだった。
しかしその現状に現実味が帯びてきたとき、僕は魔女除けを町全体に張らなければまた魔女がやってくるという考えに至る。
男が僕から目を離した隙に家を抜け出し、町の四隅に自分の血を媒介とした魔女除けを作って張った。
刃物の使い方を間違え、最後の魔女除けを張る際に思ったよりも僕は手首を深く切ってしまった。
自分の手首から血液が溢れ出し、ボタボタと血をこぼした僕は町の端で気を失って倒れてしまう。
それからどれほど時間が経ったのか解らない。
目が覚めると僕は知らない家にいた。
起きてしばらくすると銀髪の男が息を切らして僕の元へやってきた。
僕を見るなり安堵したような表情をする。
僕の手首の部分には包帯が巻かれており、止血されていた。それでも少し血がにじんでいる。
「おい、どうしたんだよ……こいつ……」
「…………自殺、しようとしたんじゃないかな」
医者は僕の使っていた血の付いたナイフを男に見せた。
「町のはずれの山の中で、これを持って倒れていたらしい……」
――違う……自殺じゃない……
そう否定しようとするが、僕は声が出ない。
「なんで死のうとした?」
死のうとしたのではないと言ったとしても、では何をしていたのか聞かれる。僕が魔女だとバレたらここにはいられなくなってしまう。
人間たちはこぞって僕を殺そうとするだろう。
「まただんまりか。いつまで答えないつもりだ?」
「よさないか。相当に心的外傷が酷いんだ。そう責めるものじゃない。まだ子供じゃないか」
「………………」
男は怒りながらも、僕を家に連れ帰った。
僕はその男に折檻を受けるのではないかとビクビクしていたが、男は僕を家へ連れ帰っても僕を殴ったり蹴ったり、鞭で打ったりはしなかった。
「いいか、二度とあんな真似するな」
男はそうとしか言わなかった。
◆◆◆
ある日、男は熱を出して寝込んだ。
かなりの高熱で身動き一つとれない程衰弱している。
いつもしつこいほどに僕に話しかけてくる男が、その日は僕に話しかけてこなかった。
僕は男が気がかりで、寝室のベッドにぐったりと横たわる男の様子を見に行った。
息を必死にするように、かなり苦しそうにしている。
それでも僕が覗き込んでいるのに気づくと、いつも通り話しかけてきた。
「よぉ……珍しいな。お前が進んで俺の顔見に来るなんてな……」
見ていて、何が原因か解った。
セージの本で読んだことがある。人間は病気にかかりやすいと。
解熱につかえる草が、魔女除けを張りに行ったときに生えていたことを僕は思い出した。
その場所に僕は自分の意思で向かい、草を適量摘んで戻った。
戻ると男は眠っていた。
かなり苦しそうだ。
草のままでは食べづらいと考えた僕は、その植物を液状化させる為になにかすりつぶせるものを探す。
手ごろな丸い石を使って僕は植物をすりつぶし始める。
しばらくしてすりつぶし終わったころに男は再び目覚めた。
「なんだ……? この青臭い匂い……」
僕がすりつぶした草を丸めて男に差し出すと、男は怪訝な表情で僕を見る。
「なんだよそれ……どうしろってんだ」
僕は口を開いた。久々に声を出そうとすると、なかなか声が出てこない。
声の出し方を忘れてしまったかのようだった。
しかし僕はやっとのことで声を絞り出した。
「……くすり」
僕が声を出すと、男は物凄く驚いた顔をする。何度か瞬きをして僕をじっと見つめた。
「お前喋れるなら喋れよな……ゴホッ……ゴホッ!」
「…………飲んで」
できるだけ小さくまとめて男に手渡すと、渋っているのかなかなか飲もうとしない。
「せめて飲みやすくしろよ……」
「…………」
僕は一度部屋を出て、貯水している場所で水を汲んで男の元へ持って行く。
すると男は観念したようだった。
「解ったよ……貸せ」
草を丸めたものを水でなんとか喉の奥へ流し込んでいるようだった。
男は飲み込んだ後、しばらくむせていたが気絶したように眠りについた。
僕もなんだか眠くなってきて、座ったまま壁に頭をつけてうとうとと眠ってしまった。
どれだけ経ったか解らないが、男が起き上がる音で僕は目を覚ます。
どうやら熱は下がったようで呼吸も安定している。
「お前、話せるなら最初から話せよ」
「………………」
「……はぁ……お前、行く場所がないなら俺の家にいろ。俺の身の回りの世話をさせてやる」
確かに僕にはいく場所がない。
セージが殺された後から、僕はこの世に居場所がない。
魔女にもなれず、魔族にもなれず、人間にもなれない僕にはどこにも行く場所なんてなかった。
「俺がお前のご主人様だ。解ったか?」
「……ごしゅ……じんさま?」
聞いたことのない言葉だった。
聞いたことがないが、恐らく主従関係を示す言葉であることは解る。
「自殺しようとするほど生きる意味がないなら、俺の世話をするために生きろ。解ったか?」
何度か瞬きをして、目を泳がせたが、その僕は首を縦に振った。
「それで……お前、名前は?」
「……ノエル……」
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