罪状は【零】

毒の徒華

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最終章 来ない明日を乞い願う

第182話 終わりの始まり

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 硬くて冷たい感触がする。
 大理石の瓦礫の上に僕は仰向けに倒れていた。
 もう身体がろくに動かない。
 これ以上戦うのはどうあがいても無理だ。針の突き刺さっている翼も、身体も、打ち付けた肩、背中、内臓にもすべからく痛みが走る。
 力をどこかに入れようとするとそこかしこが痛んだ。

 ――力がもう入らない……

 幸いにして、ゲルダはもう見当たらない。アナベルと共に彼女は消滅し勝負はついたようだ。
 しかし、事実を認識する能力は痛みで鈍っていた。実際にはどうなっているのか解らない。その先のことを考える気力は僕にはなかった。

「うっ……あぁ……ッ……はぁ……はぁ……」

 僕は血だらけの身体でなんとか起き上がった。痛みで動くたびに声が漏れる。
 自分の身体に突き刺さっている針を渾身の力で抜きながら、僕はつたない足取りで歩き出した。
 抜いた部分を強引に凍らせて止血する。

 ――……ガーネット……どこに……――――

 ガーネットの姿を探して僕は瓦礫の海を見渡し探した。
 赤い髪が視界に入っているからなのか、あるいは自分の血液でなのか解らないが、視界が赤い。

 彼はすぐに彼は見つかった。
 少し離れているところで血だまりの中、右肩を抱きかかえるように瓦礫にもたれているのが見える。
 僕は彼に近づきながら、刺さっている針を全て抜こうと針に手をかけて一本一本抜いていく。
 カランカランと瓦礫に針が落ちる度に僕の血液がポタポタと垂れて血の道を作っていった。
 よろよろと歩き、ガーネットの傍までたどり着く。
 彼は僕の右翼を握りしめ、ぐったりとしていた。

「ガーネット……生きている……?」

 僕は膝を折り、ガーネットの身体に触れた。
 いつも通りの冷たい身体だった。

 ――死んでいるのか生きているのか解らないじゃないか……

 ガーネットの負傷した右肩から再び出血しているのを、僕は最期の力を振り絞り凍らせて止血した。

「ガーネット……」

 再度呼び掛けても彼から返事がなかった。
 それを見て僕はまた目頭が熱くなって涙が流れてきた。どうして返事をしないのか、僕は解ったからだ。

 ――なんで入ってきたんだよ……じゃなかったらこんなことにはならなかったのに……

 僕は膝をついてガーネットの身体を抱きしめた。

「正気じゃないのはガーネットの方だよ……馬鹿……バカ……ッ……」
「…………正気ではない者同士……お似合いというものだろう……?」

 僕は返事が聞こえてハッとした。

 彼の顔を見ようと身体を放そうとしたが、ガーネットはそのまま僕を抱きしめる。

「もう……死んじゃったかと思った……」

 震える声で僕もガーネットを抱きしめる。
 互いに力が入らないけれど、それでも懸命に僕らは力の限り互いを抱きしめる。

 そのとき、背中に違和感を覚えた。
 ガーネットの手にあった僕の半翼が、僕の背中に戻ろうとしていた。
 それはまるで別の生き物のようだったが、ずっと失っていた主を求めるような切なさも同時に感じる。
 ガーネットが力を振り絞り僕の翼を背中の右側に押し付けるようにすると、翼はゆっくりと僕の背中と繋がった。
 完全に消耗していた僕の魔力が少しばかり戻ったような感覚と共に、今までずっと不安定だった自分の均衡も戻った感じがした。
 戻った翼には感覚もあり、動かすこともできる。
 両翼でガーネットを包み込むように抱きしめた。

「美しい翼だ……」
「こんなときに何言っているの…………飛んで運ぶから……シャーロットのところに……」
「……無駄だ。あの魔女なら……気絶していた……。それよりも、女王の……心臓は手に入ったのか……?」
「…………うん。もう大丈夫だよ」

 息も絶え絶えの彼に、僕は真実を告げられなかった。
 ゲルダは跡形もなく消し飛んだのだ。
 心臓など残っているはずがない。

「そうか……」

 ガーネットは服のポケットから、血に染まった僕が書いた手紙を渡してきた。
 たった一言、何度も何度も書き直した精一杯書いた僕の手紙だ。

「なんと言おうとして……いた……か……教えろ…………」

 僕は気恥ずかしくて、少しの間黙った。
 ほんの数秒だ。
 意を決して、僕は返事をする。

「…………無事に帰ったら…ガーネットと夫婦つがいになるって……書いたの」

 ガーネットは黙っていた。
 黙られるとますます僕は恥ずかしくなった。
 返事がないので、僕はガーネットを急かす。

「……返事を聞かせてよ」
「………………」

 尚も彼は返事をしない。

「……ガーネット?」

 僕は身体を離してガーネットの顔を見た。
 目を閉じて微笑んでいる。

「ガーネット……? 返事してよ……」

 彼の身体を力なく揺すって語りかけるが、ガーネットは何も言わない。
 ポツリポツリと雨が降り始める。
 僕の手や、彼の頬に雨粒が落ちてきた。

「……ガーネット! ガーネット……返事を、聞かせてよ……ッ」

 僕は泣きながら彼の身体を揺すった。
 しかし、彼は何も言わなかった。
 だらりと身体を僕にもたれかけるばかりで返事をしない。

「ガーネット……!」

 僕は強く強く彼の身体を抱きしめた。
 彼の体温が失われていくのが解った。

 ――……返事してよ。返事を聞かせてよ。なんで……

 抱きしめる腕に力が入る。
 雨が本格的に振り出してきた。僕の身体に冷たい雨が容赦なく打ち付ける。

 ――もう二度と……ガーネットは永遠に答えてくれないの?

 涙なのか、雨なのか、もはやそれは解らなかった。

 ――こんな大切な話をしているのに。真面目に考えたのに。どうして断るようなことするのさ……自分から求婚したくせに……

 僕は雨の中、もう動かないガーネットを抱きしめて泣いた。
 瓦礫を打つ雨の音で僕の泣く声もかき消える。雨の水で翼が重い。
 そしてしばらくした頃、魔族たちが僕らへ寄ってきた。彼らも傷だらけだ。
 リゾンは僕がガーネットを抱きしめて泣いているのを見つけると動揺する。

「……お前、その翼……ガーネットは……死んだのか……?」

 僕は悲しくて苦しくて辛くて痛くて、答えられなかった。
 何も考えられなかった。
 ただただ彼の亡骸を抱きしめる事しかできなかった。

「ッ……ゴホッ……ゴホッ……ガハッ……!」

 僕が咳き込むと口から血が溢れてきた。

 ――あぁ……僕も死ぬんだな……

 ガーネットを抱きしめていた僕は力が抜け、その場に倒れた。
 リゾンが倒れた僕を抱き起す。ぼやける視界で映る彼の姿はボロボロだった。手も皮膚が切り裂かれて出血している。

「おい! しっかりしろ!!」

 僕はもう本当に動けなかった。

 ――ここまできて……もう駄目なんだ……

 僕は目を閉じた。

 雨が冷たい。

 大理石が冷たい。

 僕はリゾンに抱えられていることだけは解った。

 暖かい。

 僕はご主人様の暖かい手を思い出していた。

 なんだか騒がしい。

 誰かが走ってくる音が聞こえる。

「――――い! おき――――!! 死ぬな――――!!!」

 声が遠い。

 ――なんだろう、物凄く心地いい声がする……

 うっすら目を開けると銀色の髪が見えた。
 白い小柄な龍が彼の肩に乗っている。

「ノエル――!! しな――で――――」

 ――………………

 僕は意識を手放した。


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