156 / 191
第5章 理念の灯火
第155話 砂上の戦い
しおりを挟むそこには僕と、ガーネットと、リゾン、シャーロットしかいない。
月夜に照らされた僕らは、薄いけれどはっきりした影を伸ばしている。
シャーロット以外の魔女たちは昼間の戦いだけでもう随分精神的に疲弊したようだった。クロエのあの憔悴ぶりを見て戦いが楽しいなどと思う者はいないだろう。
アナベルが生きていたら面白がったかもしれないが、僕も提案した当事者でありながら面白がることはできない。
――ガーネットは大丈夫だろうか……
僕は彼のことをじっと見つめる。
少し、リゾンと向き合う前に彼と話をしておいた。他愛もない話だ。
リゾンの魔術の対策は何か考えているのかとか、この辺りの地形はどうだとか、体調はどうだとか、この辺りの動物には狂暴なものもいるからそれも気を付けるべきだとか。
子育てをしたことはないが、なんだか子供に対してあれこれ提案する親のような気持ちだった。
ガーネットもなんとも言えない様子で僕の話を聞いていた。
ガーネットにあれこれと言って心配している自分は、今までガーネットが僕に心配をしてくれていたことと同じなのだと気づき、申し訳ない気持ちになった。
普段それほど話をしない僕がガーネットに対して多弁になっていることに対してガーネットは不満そうな表情をしていた。
なんで懸命に世間話をしようとしていたのか、ガーネットは解っていたから不満そうな態度をとったのかもしれない。
「もしかしたら、自分が負けると思っているのではないか」という信頼のない考えが見え透いてしまっただろうか。
ガーネットが負けると思っている訳ではない。
ただ、絶対ということはないと僕は知っているから不安はぬぐえなかった。
――心配しすぎるのも、傷つけちゃったかな……
少し遠くから見ているが、ガーネットの方が険しい表情をしているのが解った。
僕が審判をしていざとなったら止めると豪語したものの、ガーネットの怪我の状態如何では助けることができない。
シャーロットは相手があの暴虐の限りを尽くしたリゾンが相手であるだけに緊張している様だ。僕らを何のためらいもなく殺そうとした張本人だ。緊張しない訳もない。
「お互いに、いい?」
音を魔術で遠くの2人に届ける。
「いつでもいい」
「無論だ」
始まってしまったら僕が助けに入った方が負けだ。
リゾンが大怪我をしたらシャーロットに治してもらう手はずだが、ガーネットが急所を外さないことにはリゾンが即死ということもあり得る。
リゾンは長い髪を僕のように括っていた。ガーネットも少し伸びた髪を紐で括っている。その装いに互いの本気の度合いが伝わってきた。
服もシャーロットが作った身体を動かしやすい服を着ている。白い何の特徴もない服だ。白い服にしたのは目視で出血箇所がすぐに確認できるからだ。
身体に合った服を着ている2人はやけに痩せているように見える。
「こんなことをして……いいのでしょうか」
「魔族は血気盛んなのが多いからね。あの2人は特に血気盛んなんでしょう」
「ノエルが殺し合いなどと言いだしたときも相当肝を冷やしましたよ」
「本気でやらないと意味がなかったからね。僕は今は少しすっきりしてるよ。クロエに対してね」
クロエも多少は気持ちの整理ができただろう。
ずっと隠していた後ろ暗い秘密を意図しない形で僕に暴露され、よほど追い詰められたはずだ。
「早く始めろ」
「はぁ…………じゃあ、いいね? 僕が合図したら始めてほしい」
互いに緊張感が走る。僕も合図をする機会を注意深く伺い、月明かりが一度雲に隠れ、そしてその光が射すその瞬間に僕は声をあげる。
「始め!」
合図したと同時にリゾンがガーネットに向かって一瞬で飛びかかる。早すぎて僕が瞬きをしている間にすぐに距離が縮まっている。
その速さにガーネットも追従するように動いている。一瞬でも動きを見失えば、リゾンの鋭い爪に切り裂かれて動きが鈍ることになるだろう。
リゾンがガーネットの首を狙うと、無駄のない動きで身体を後ろへ引き、ギリギリでそれをかわしている。
ガーネットがリゾンの腕を掴んで動きを止めようとするものの、リゾンも腕を掴ませない。
僕らは彼らの気が散らないように、僕らが話す会話が聞こえないように魔術で防御壁を作成した。
「ノエル……魔族とは本当は恐ろしいものなんですね……よく異界から帰還されました。あの様子を見ていると、本当にいつ殺されてもおかしくありません」
「あぁ……リゾンに一度捕まったときはいろんなことが終わったかと思った……」
「しかし、あのときのあなたは死をも受け入れるという姿勢でした」
「そうだね。あまりにもショックなことがあった後だったから、投げやりになってた部分は否定できない」
「ガーネットがいたから踏みとどまったのではないですか?」
「まぁね……」
リゾンとガーネットの両者はお互いに一度距離をとった。
目を凝らさないと解らないが、服に細かい切れ目が入っていて互いの攻撃が間一髪でよけられていることを示している。
何より僕の身体で痛みを感じていないということは、その斬撃は当たっていないということだ。
互いに何か話している様だったが、なんと言っているのかまでは解らない。しかし、その会話の直後に闘いに変化があった。
リゾンが砂に魔術をかけると、砂が渦を巻いて動き出す。
今まで鎖を操る程度の魔術しか見ていなかったが、周囲の操っている砂の量は尋常ではない。ガーネットはその動いている砂の範囲外へと移動する。
「あれはなんていう魔術系統なんだろうか……」
「物を動かすことに特化した魔術でしょうか。無機物を操る魔術……?」
「それは恐ろしい魔術だな……重力魔術みたいなものでしょう? 使いようによっては例えば人体にそのまま使えば血液中の鉄分を移動させることで人体そのものに影響を与えることもできる」
「しかし……そこまで精密に動かすのはかなりの魔術熟練が必要です」
「あるいは違うのかな」
僕らが話している間にリゾンはその砂の波をガーネットに放った。
まるで津波のようにそれがガーネットへと向かう。ガーネットはそれを器用にその砂を足場にしてのみ込まれないように跳ぶ。
それを見越したようにリゾンは更に高い波を放っていた。第二波は避け切ることができずに飲み込まれるガーネットの姿が見えた。
砂の中に岩でも混じっていたのか、僕の身体のあちこちが切れて痛み出し、僕の服に血がにじむ。
「ノエル……! 止めましょう……魔術を使える者とそうでない者とでは力の差がありすぎます!」
「今更だね……大丈夫。少し血は出たけど、ガーネットはまだまだだよ」
僕は右手の甲に痛みを感じていた。それは切り傷によるものではない。
波が収まり、砂煙が収まると膝をついたのはリゾンの方だ。目の前にガーネットが立っている。
「殴った時の痛みも伝わってくるからなぁ……」
手を確認すると、赤くなっている。リゾンの腹部を思い切り殴った際に赤くなったのだろう。
「どうやって抜けたのでしょうか。私には見えませんでした」
「……身のこなしはなんとなくわかる」
呑気に僕らが話している間に、ガーネットはリゾンの腕を再び折るべく素早く後ろへ回り込んだ。そして右腕を折る。
叫び声などは聞こえないが、恐らくうめき声程度は漏らしているだろう。
リゾンの腕を折るのはこれで2回目だ。幼い頃のことは解らないが、相手を無力化するような体術を知っている。
「ガーネットが味方で良かったよ……」
「そうですね……魔女を皆殺しにすると、会った当初は言っていたそうですね」
「そうだよ。どうなるかと思った」
「よく契約する気になりましたね……急を要したと言えど……何か打算があったのですか?」
「ううん……別に何もなかった。魔女を恨んだまま死んでほしくないって思っただけ」
「でも……話を聞いていて腑に落ちないことがあります」
「何?」
「あなたは大切に思っている人間の方を誰よりも優先する性格のように思いますが? 冷静な判断をするのなら見殺しにして適当に埋葬するという方が良かったのではないですか?」
「んー……見捨てるのは簡単なんだけど……なんていうのかな、うまく説明できないけど。傷だらけのガーネットの姿を見て、自分の姿と重なってさ……」
リゾンのもう片方の腕を折ろうとするが、ガーネットは再びリゾンから距離をとった。
まだリゾンは魔術を使える様子だ。
「ガーネットの分が悪いですね」
「魔術を使えると言っても魔女程は使えていない。それにここには身を縛るような鎖もないし……」
砂は形を替え、今度は大雑把な砂の波ではなく剣のような形へと変化する。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~
紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。
※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。
※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。
※なろうにも掲載しています。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
平凡令嬢の婚活事情〜あの人だけは、絶対ナイから!〜
本見りん
恋愛
「……だから、ミランダは無理だって!!」
王立学園に通う、ミランダ シュミット伯爵令嬢17歳。
偶然通りかかった学園の裏庭でミランダ本人がここにいるとも知らず噂しているのはこの学園の貴族令息たち。
……彼らは、決して『高嶺の花ミランダ』として噂している訳ではない。
それは、ミランダが『平凡令嬢』だから。
いつからか『平凡令嬢』と噂されるようになっていたミランダ。『絶賛婚約者募集中』の彼女にはかなり不利な状況。
チラリと向こうを見てみれば、1人の女子生徒に3人の男子学生が。あちらも良くない噂の方々。
……ミランダは、『あの人達だけはナイ!』と思っていだのだが……。
3万字少しの短編です。『完結保証』『ハッピーエンド』です!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる